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私は今朝、のび太様の投稿に非常に感銘受けました。
価値的であるし、池田先生の御意志もこの様にあるのではないかと思います。
その上で、糾弾すべきはすればいいのでは、と思います。
教義変更の説明がマズイところはマズイとして。
松竹梅 投稿者:のび太 投稿日:2015年 2月17日(火)02時44分29秒
「阿仏房御書」で日蓮大聖人は、「我が身又三身即一の本覚の如来なり」とも仰せである。私たち凡夫が、円融円満の、完全無欠の仏であると言われているのだ。
ここに、創価の人間主義の根幹がある。 <大道五 より抜粋>
先生が開かれた世界宗教への基盤を完成させる時が今なのである。日寛教学は所詮、大御本尊に帰結する。かつて日興門下の我々は仏像を本尊とする既成仏教を弾呵してきた。それは、偶像崇拝の否定であり、権威主義の否定であり、葬式仏教の否定であり、在家が主導する生きる人々のための宗教、それが仏意仏勅の創価学会であった。
十界曼荼羅も悪しく敬えば簡単に権威の象徴に転落してしまう。まさしく大謗法の地に~の通りではないか!大御本尊を信徒を搾取するために使っている顕如。師匠亡き後、学会員の恋慕の心を悪用する輩が「創価三代の根本は大御本尊に在り」といえば学会は壊滅的な打撃を受けるだろう。師匠の仰る人間主義とは、いかなる権威や権力にも屈しない求道者としての人間を指しているのではないだろうか。
遠藤氏や宮地氏がこの一件で処分を受けているとの情報が囁かれている。
確かに組織である以上、基準や規律もあるだろう。しかし教学レポートの事実関係と経緯から判断すると、機密の漏洩しか見当がつかない。しかし誰も誠意をもって応える上司も同僚もいない状況を作ったのは誰だ。責任は規律に違反した本人だけの問題なのか?
人間主義とは、Yesという人だけにしか認めないのだろうか。
人を活かす処分 →松
人を排除する処分→竹
人を殺す処分 →梅
もう一重思慮しろ!執行部殿
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