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おっしゃる通りです。
最近は上からの打ち出しを要領よくこなせる現場幹部が重宝されています。
座談会御書も同じものを使い回し。教学試験のレベルもダウン。
信・行・学の「学」がなくなり
さらに、信は御本尊から幹部への信に
また、行は選挙活動が中心
なんのための組織なのか?それすら疑問にすら思わない。
意識のあるメンバーは非活動に追いやる傾向性があります。
しかし、大事なことは
そうした、活動、非活動の枠ではなく
皆が信仰の歓喜を浴びるようにしていくことではないでしょうか。
その為には、教学力を磨く意味は大きいと考えてます。
学により、信が深まり、「行」動が生まれます。
信行学は一体なのです。
この原点に帰るべきでしょう。
>>今、組織の現場で起きつつあるのは
「高度な教学を学ばせず」「本部の打ち出しに素直に従う」「従順な学会員の育成」であり、そのためには「師匠の事績の否定」や「師匠の発言のねつ造も厭わない」状況になっており、「これに従わない一割は除名でもなんでもありで追い出してしまおう」という、およそ人間主義の仏法者とは思えない、第六天魔王によるとしか思えない支配で、教学に無知では彼らの思う壺なんです。<<
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