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※改行変更しています。
★まとめマックス★より
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12481/1417767602/l50
【立正安国論の指導原理について】26/30
投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)09時00分32秒
大聖人は客に語らせます。「天下泰平・国土安穏は、君臣の楽う所、土民の思う所なり」(二六頁)
――あらゆる民衆が互いに強調し合い、仲良く生活を楽しんでいくことや、
自然災害に侵されない安穏な国土になるのは、指導者も民衆も、すべての人々が等しく願うところです――と。
これは、いかなる時代、いかなる国家を問わず、社会の平和と国土の安穏、そして民衆が安心して生活に勤しみ、
人生を楽しんでいける社会の実現が、指導者も民衆も共に「願う」ことであるという原理です。
自然環境も含めた国土の安穏こそ、大聖人の目指した真実の「安国」であり、そのための「立正」なのです。
さらに、客に語らせます。
「国は法に依つて昌え、法は人に因つて貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。
先ず国家を祈つて、須く仏法を立つべし。若し災を消し、難を止むるの術有らば、聞かんと欲す」(同頁)
――国家は法によって栄え、法は人によって尊いのである。
国が滅び、人々が減ずるならば、仏を誰が崇めるであろう、法を誰が信ずるであろう。
まず国家の安泰を祈って、しかるのち仏法を立てるべきである。
もし、そのような災難を防ぎ、国家繁栄の術があるならば聞きたいものである――と。
【立正安国論の指導原理について】27/30
投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)09時01分16秒
まず、「国は法に依つて昌え、法は人に因つて貴し」とは、
国の繁栄、民衆の興隆は、必ずその根底となる法、つまり思想の高低、浅深によって決定されるという原理です。
これは客の言葉ですが、重要な真理をあらわしています。
そして「法は人に因つて貴し」とは、
いかなる法も、それを実践する人の「実証の姿」いかんによって、流布もするし、消滅もするということです。
これは、受持の人、実践者の重要性を意味します。
法をたもっている人が幸福になり、福運を積んでいくことによって、その法の偉大さが証明されるのです。
反対に、法をたもっている人が凶悪となり、残忍となり、自ら悲惨な末路をたどって滅び去ることは、その法の低級さの証明です。
すぐれた法をたもったとしても、まだ充分に身につけることが出来ず、その人の行動の一部を支配しているのみで、
大部分の行動は相変わらず、古い考え方、低い法によって行動している人が大勢います。
そういう人たちを指導し、育てていくのが学会幹部の責任と使命だと思います。
次に「先ず国家を祈つて、須く仏法を立つべし」とは、
国が滅び、人が死んでしまったら、仏法を信奉することができません。
だからまず、国家や社会を安定して、その後、仏法を立てるべきであるとの客の言葉です。
【立正安国論の指導原理について】28/30
投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月 6日(土)09時01分59秒
この客の思想の根底には、政治が「主」で、宗教は「従」という考え方があります。
客とは、為政者になぞられているから当然かもしれませんが、こうした考え方は、現代社会においても当然のように考えられています。
たとえば「政治体制を変革しなければ、民衆の幸福はない」という議論です。
その底流には、宗教や思想を単なる気休めや、精神修行ぐらいにしか考えない思想認識の無智です。
「体制が優先だ」という人は、政治や体制によって戦争を絶滅し、犯罪を減らし、真実の恒久平和と民衆の幸福を実現する確信があるのでしょうか。
そんなものは、考えなくても過去の歴史を見れば惨憺たる有様です。
しかも、いつの時代も、どの国の民衆も、平和を望む心に変わりはありません。
それなのに独裁者の野心と権力の前に、民衆はいつも惨めに屈服し、恐怖が渦巻いて戦乱のなかに自滅していきました。
戦争を憎み、平和を渇望するのも人間の心です。
戦争を起こし、戦争で利益と名誉を願うのも、また同じ人間の心です。
そう考えると、この人間の心を動かし、悪思想を追放し、民衆の英知の団結で、
すべての人間の幸福を勝ち取っていく世界平和の実現は、法によって決定されていくのです。
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