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私も立正安国論の姿勢に同意です。
相手がどう振る舞おうが、たとえ迫害されようが、誠実に対話をしていく、そこに仏の慈悲を感じます。
実際には、天台伝教の時代とは違い、大聖人は対話の場さえなく、ただ迫害されました。
私はその大聖人の御心に触れ、立正安国論を読む時、その深い慈悲に、更なる対話の重要性、誠実な振る舞い、また一人を大切にされる思いを学ばせていただいております。 これからもよろしくお願いします。
この掲示板にて、教学に対し、様々な御意見があります。
私は、どこまでも心を大切にする為の教学だと思います。 心を大切にするが故に、悩める衆生に希望を与えます。同苦し、共に祈り、励まし合います。
逆にその心は二乗、一闡提に怨嫉の生命を起こさせます。だから必ず難にあいます。
濁悪の世において、教学で育んだ信心には、結果として必ず『難』に結び付くのは、御書の通りであります。
私がもし、恐れながら教学を語る事があれば、自身の信心に、どういう難が顕れたのか、その体験があってはじめて生きた教学になるのだと考えています。
まだまだ一宗一派から除名になった程度の不肖の弟子ではありますが。
この戦いを通し、更に信心を深めていきます。
『愚者が法華経をよみ賢者が義を談ずる時は国もさわかず事もをこらず、聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時一国もさわぎ在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候』
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