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>投稿者:ティニー 投稿日:2015年 2月20日(金)13時23分9秒
>志刑者403号 様
>はじめまして。 ありがとうございます。
>昭和54年ですね。 私は昭和53年生まれという事もありまして、先生が書かれた随筆や指導等でしか、事実を知りません。その上で返信させていただきます。
そうでしたか。これは失礼しました。
>そもそも先生が今までに、真正面から戦わなかった事があるんでしょうか。 一貫して闘争に次ぐ闘争と私は勝手にとらえていました。 なのでどう答えればよいでしょうか?
ティニーさんの言う通り、先生は闘争に次ぐ闘争で戦ってこられました。これは皆さんが知ってるとおりですわ。
でも、先生は真正面から戦えへんかったことはありましたでぇ !
>具体的に先生が、どのように大聖人と牧口先生の死身弘法の精神に背いてまで真正面から戦いを避けたと判断されたのか教えてください。
ここですわ。ココ !
403号の表現がわかりにくかったのかもしれまへんが、先生は寸分も「大聖人と牧口先生の死身弘法の精神に背いて」まへん。
しかし、54年会長辞任の時は、第二次宗門問題の時のように、宗門と全面戦争をせず、先生は煮え湯を飲んだ。
この先生の事跡を見てティニーさんは、なんで先生は第二次宗門問題の時とちがい、54年は宗門との全面戦争を避けたと思われますか ?
別に試してるわけではないですよ。笑 素直にどう思うか聞きたいんですわ。
>その私の知らなかった歴史上の真実を知った上で、改めて私の答えを述べさせてください。
54年当時と今の状況はそっくりですわ。この当時、反逆者自作の書類が組織に回って来て、声を出して読み
会員全員が聞きました。本当のようなウソのような・・・・そんな内容ですわ。
403号は、魔と仏が同座していた関西文化祭(56年3.22「不滅の六段円塔」を成し遂げた文化祭)に出演。
この時、先生から教えてもらったんは「会員を守れ」です。これが先生の心であり、関西の心であり戦いの星でしたわ。
その地道な戦いに我慢が出来ず、先生の心がわからず、宗門を攻撃した同志は除名・解任・退転していった。
自分事ではなく「会員を守る」を中心に当時は戦ったんですわ。
戦いは、真正面からだけではアキマヘン。
敵はあの手この手で来ます。
こっちもあの手この手でやらなアキマへんのや !
でも、その根底には「真面目な会員全員を守る」が鉄則だす。
しかも中に居てな、誰も相手にしまへん。
ここを外して、勝利もなにもないんですわ。
ここが先生の心やと思てますし、弟子の勝負観やと思てます。
先生は、すでに戦いの極意を全部、弟子に教えてくれてはりますでぇ。
あとは、われわれ弟子の問題やわねぇ。
むやみに突っ走っても負けます。慎重にいかんと。
>質問をいただいたのに、質問を返す無礼をお許しください。どうかお願いいたします。
いえいえ、ぜんぜん気にしてませんで !
>また、妻に投稿をお願いしておりまして、返信に時間がかかりましたことをお詫びいたします。 次は仕事終り次第返信します。よろしくお願いいたします。
ま、気長にいきまひょ。笑
奥さんにも、よろしゅうお伝えください。
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