ep.23 和解のハートハーブ
あれから数時間が経過し、周囲は完全に夜の闇に包まれた。
〝狂乱の牙〟の連中は、暴行罪、拉致・監禁罪、強姦未遂罪など数々の罪に問われた。現行犯ということで言い逃れできるはずもなく、丁度学園に居合わせていた騎士団によって連行されて行った。
俺とサティアは簡単な聴取を受けた後、そのまま帰宅。彼女が犯される前に救い出せたのは、不幸中の幸いと言わざるを得ない。
俺はサティアをリビングのソファに座らせ、対面に腰掛けた。そして改めて深く頭を下げる。
「……ごめん。俺の認識が甘かった。全部俺のせいだ」
彼女は小さな微笑みを浮かべ、
「もう、何度謝れば気が済むの? アンタは、ちゃんと助けてくれたじゃない。あたしは本当に、ちょっと縛られただけだから」
そう言うサティアの手には、未だロープの跡が残っている。地肌が限りなく白いせいで、よけいにそれが際立っていた。あまりに、痛々しい。見ているだけで再び涙が浮かんでくる。
そんな俺を気遣うように、サティアはぽつぽつと語り出した。
「……今までも、ああいうことは何度もあった。それこそ、数え切れないくらい。でも、あんなギリギリの状況まで持ってかれたのは、今回が初めてで」
いつもの強気な彼女の姿は、微塵もない。触れればすぐに壊れてしまいそうな、一人の少女。手に浮かぶ傷を擦りながら、絞り出すように言う。
「それは、上手く逃げてたからでも、誰かに助けてもらってたからでもない。本当に危ない時は――自分の力で、相手を殺してきたから」
「っ……!」
俺は思わず息を呑んだ。彼女の持つ、並外れた戦闘能力。それは先のような修羅場を、何度も潜り抜けた結果だと言うのか。
サティアは涙声になりながら続ける。
「今回も、最初はそうしようと思った。……でも、どうしても引き金を引けなかった。殺すことに、抵抗を持っちゃったの。そんな自分に動揺しているうちに、気付いたら……」
体の自由を奪われていた、ということか。俺は不躾とは思いつつ、口を開く。
「……相手が、同年代だったからか?」
彼女はふるふると首を振り、
「それは、絶対に違う。相手が誰であろうと、あたしは殺してきた。そうでもしなきゃ、生きて来れなかったから。……でも、何でかな。自分でも分からないの」
潤んだ赤い瞳で、じっと俺を見詰める。
「今朝の授業の時、アンタは一切あたしを攻撃しようとしなかった。絶対に、本気でやられると思ってたのに。だって今まで嫌われるようなこと、我が儘なことを言い続けてきたから……」
その瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
「でもアンタは、反撃しなかった。できるわけねぇだろって、言ってくれた。自分は肩から血を流してたのに……。それを見て、はっと気付いたの。あたしだって、殺したくて殺してきたわけじゃない。それなのに何で今、この人を殺そうとしてるんだろうって……」
溢れ出した涙は、止まらない。綺麗な頬を伝って滴り落ちる。
「そう思った瞬間、何もできなくなっちゃった。アンタの傷口を見るたびに、胸が痛んだの。あたしの身勝手な動機で銃口を突き付けたことを、心底後悔した。だからせめて、何か償いがしたいと思って、これ……」
スカートのポケットに手を入れ、何かを取り出す。現れたのは、特徴的なハート形をした薬草。――紛れもなく、俺とサティアが一緒に採取したハートハーブだった。
「本当は、アンタが寝ている間にこっそり塗ってあげるつもりだった。そうでもしなきゃ、あたしの気が収まりそうになかった。……でも、それじゃやっぱりダメよね。ちゃんと面と向かって謝らなきゃ。だから、今塗らせてもらってもいい……?」
上目遣いで尋ねられる。そんなことを言われ、断れるわけがなかった。
「あ、あぁ……」
戸惑いながらも頷いた俺を見て、サティアは立ち上がる。そして俺の足の間に入り、ゆっくりと跪いた。パサリと髪が舞い、シャンプーの匂いが香る。
彼女は白い指先で、俺のブレザーに触れた。そして丁寧にボタンを外していく。俺は緊張で体が硬直し、そのくらい自分でやるとは言い出せなかった。
やがてブレザーを脱がされ、シャツ一枚になる。彼女は前屈みになり、そのボタンにも手を掛けた。一つ一つ、まるで焦らすように、時間をかけて外されていく。俺は知らぬ間に頬が熱くなるのを感じた。
ようやくと言っていいほどの間の後、俺の地肌が露出する。病棟で巻いてもらった包帯は、すでにない。湖に飛び込んだ時に、使い物にならなくなってしまった。
サティアは膝立ちのまま、俺の体に手を伸ばした。傷の周辺をつーっと撫でられる。その淫靡な動きに、全身がゾクリと粟立った。
「……痛い?」
至近距離で顔を覗き込まれる。俺は堪らず目を逸らした。
「……い、いや」
正直痛みなんてとうの昔に忘れている。それよりも、心臓の鼓動が速くて困っている。
しかしサティアは痩せ我慢と受け取ったのか、
「……本当に、色々と迷惑掛けて、ごめんね」
申し訳なさそうに呟いた。俺は何も言えず、ただ無言で小さく頷く。
サティアは傍らに置いてあったハートハーブを拾い上げた。そしてぐっと力を込め、茎の部分をパキッと割る。中から半透明の液体がどろりと流れ出た。それと同時に漂う独特の匂い。病棟でよく嗅ぐのと全く同じだ。
彼女は液体を掬い上げ、指先でじっくり伸ばした。そして震える手付きで俺の傷口に触れる。何とも言えない感覚が走り、俺はビクッと体を跳ねさせた。
そのまま十分過ぎるほどに、何度も何度も往復される。俺は懸命に耐え続けた。顔が沸騰しそうなほどに熱い。看護師のおばさんに塗られるのとはわけが違う。サティアは医療知識なんて皆無のはずなのに。なぜこんなにも心が満たされるのだろう。
永遠にも感じる時間の後、サティアは名残惜しそうに指を離した。そして上擦った声を発する。
「お、お終い……」
彼女の顔も真っ赤に染まっているのは、おそらく勘違いではないだろう。俺はカラカラに乾き切った口から、どうにか言葉を捻り出す。
「……あ、ありがとう」
「ううん。あたしが、自分からやったことだし。それにお礼言うなら、むしろあたしの方だから……」
消え入りそうな声で言って、恥ずかしそうに俯いてしまう。お互いがお互いを見れない。室内は静寂に包まれ、心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえる。だがこの沈黙に、決して居心地の悪さは感じなかった。
やがてサティアは深く息を吐き、再びこちらを向く。そして目の周りの涙を拭き取りながら言った。
「ここまでしても、アンタは自我を保っていられるのね」
「……結構危なかったけどな」
彼女はくすりと笑い、
「……約束通り明日一日で、アンタを見極めさせて。それで何もなかったら、正式にギルドに入ってあげる」
「いいのか? あんなことがあったのに。学園に残るの、嫌じゃないのか?」
「……本当は、ちょっと怖い。でもそれは、どこに行っても同じことだから。だったらあたしは、アンタに賭けてみることにした。あたしの前で唯一理性を失わなかった、アンタに」
「そう、か。でも明日は……」
言い淀む俺を見て、サティアは小首を傾げる。
「どうかしたの?」
「……ちょっと、遠出する羽目になるかもしれない」
「そうなの? どこに?」
「俺もまだ、詳しくは聞いてない。たださっき、フェミナに言われたんだ。明日はいつもより三時間早く、サティアと二人で授業場所に来い、って……」
どこへ行って、何をさせられるのか。俺の中で大体見当はついている。そしてそんな場所に、彼女を連れて行きたくないとも思ってる。
「三時間も? 随分早いのね。あたし起きられるかな……」
「キツかったら、別にいいんだぞ? 今日のこともあるし。俺がどうにかフェミナを説得して……」
「ううん、大丈夫よ。頑張るから」
俺の言葉を遮り、優しく微笑む。
――もしかしたら明日、この笑顔を失うことになるかもしれない。そう考えただけで、俺の心は押し潰されそうになった。
ここまで拙作をお読み頂き、本当にありがとうございます。
書籍発売に伴い、このエピソードを最後に一時休載させて頂きます。
連載再開の時期は未定ですが、大体5月下旬~6月くらいになると思います。
1巻にはこの先のお話まで収録されております。
同時になろうへの掲載予定はない、サティア視点のオリジナルストーリーも含まれています。
気になる方は是非、お手に取って頂けたら幸いです。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
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