68年前のきょう、日本国憲法が施行された。皇居前広場で開いた記念式典には雨にもかかわらず、1万人もの群衆が詰めかけた。この国をどうすればよくできるのか。多くの国民がそうした思いを抱いていたからだろう。大事なのは、そこにあふれていた熱気をいまも忘れないことだ。
現憲法は96条に改正のための規定を置く。必要が生じれば見直すのは、憲法制定時から組み込まれた当たり前の流れである。
■世論はなぜ揺れるのか
改憲に向けた環境整備は近年、着実に進む。国民投票のための法整備が2007年になされ、投票年齢をいくつにするのかという課題も昨年、「18歳以上」で最終決着した。衆参両院には国民投票にかける改憲案を練るための憲法審査会もできている。
「国民投票に至る最後の詰めの入り口までやっと来た」。1993年の初当選以来、改憲を掲げてきた安倍晋三首相は今年の国会答弁でこんな感慨を漏らした。早ければ来年中にも改憲案の国会での発議にこぎ着けたいというのが安倍政権の目下の胸算用である。
有権者の意識はそこまで至っているだろうか。日本経済新聞とテレビ東京が憲法記念日に先立ち実施した世論調査によると、「現在のままでよい」(44%)が「改正すべきだ」(42%)を上回った。男性は改憲賛成が現状維持よりも6ポイント多かったが、女性は逆に8ポイント少なかった。
2年前には改憲賛成が56%を占めていたことを考えれば、大きな変化である。安倍首相が改憲を訴えれば訴えるほど、そこに危うさを感じる人がいるのだろう。集団的自衛権を巡る憲法解釈を昨年、変更したことも影響していよう。
安倍政権が本気で改憲を目指すならば、世論がなぜ大きく揺れるのか、その理由を考える必要がある。なぜいま改憲が必要なのか、現憲法のどこに不備があるのか。その説明が足りていない。
戦後日本の憲法論争は保革両陣営の勢力争いと絡み、観念論的なせめぎ合いを繰り広げてきた。改憲勢力は「GHQ(連合国軍総司令部)が押し付けたマッカーサー憲法を捨て去らなければ日本人の誇りは取り戻せない」と息巻く。護憲派は「平和主義の最後のとりでである憲法に指一本触れさせない」と身構える。
現憲法の原型をGHQが作成したのは多くの証言や記録から疑う余地はない。敗戦国にそれをはねのける力があったはずはなく、押し付けとの見方は誤りではない。現憲法の前文は民主主義に関する欧米の古典をつぎはぎしただけと酷評する向きもなしとしない。
ただ、押しつけだからすべて廃棄するというのは現実味がない。成り立ちにかかわらず、現憲法はそれなりに定着してきたという護憲派の主張にも一理ある。
安倍首相は先の米議会での演説で「民主主義の基礎を日本人はゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきた」と語った。後発の日本国憲法が過去の名文に似ていたとしても恥じることはない。
改憲か護憲かの二者択一を迫るような憲法論議で国民の理解が深まるとは思えない。現憲法がどんな支障を生んでおり、どう直せばどうよくなるのかがわかる説明をすることが必要だ。
■緊急事態条項の検討を
東日本大震災では多くの行政機能がまひした。自衛隊や警察・消防が臨機応変にできる活動にさまざまな制約がある現体制のままでよいわけがない。憲法に緊急事態条項を新設することには、与野党の枠を超えて賛同する声がある。
大規模な自然災害で国政選挙ができない場合の国会議員の任期の延長も定めておいた方がよい。
にもかかわらず、なかなか議論が煮詰まらないのは、改憲論者の中に、戦争放棄を定めた9条の改正こそが本丸であり、緊急事態条項は前哨戦にすぎないなどと軽くみる気分があるからではないか。
緊急事態条項は行政府に超法規的な権限を付与するものだ。発動要件は厳格であるべきだし、いつまで効力を有するのか、国会の事後承認の仕組みはどうあるべきかなど課題は多い。与野党の真剣な検討を求めたい。
現憲法には(1)参院の権限が強すぎる(2)参院の半数改選は1票の格差を生みやすい――などの問題点もある。だが、現職議員は我が身が脅かされることを懸念し、これら統治構造の弊害には目をつぶりがちだ。
この国をよくしたい。いまの国会議員にその気概が本当にあるのか。有権者が首をかしげている限り、憲法論議は本格化しまい。