社説:こどもの日 ゆったりと、はぐくむ

毎日新聞 2015年05月05日 02時33分

 歴史のある古い木造建築の中で、この国の文化や伝統に浸って静かに自分を見つめる。都会の子どもたちはどれだけそうした経験があるだろうか。片時も携帯電話を離さず、いつも周囲の目を気にしながら、何かにせき立てられて生きている。そんな子どもが多くなったように思う。

 ゆったりした時間の中でこそ気づくことがある。じっくり時間をかけなければ育たないものもある。

 茶畑が広がる静岡市の山間部にある東寿(とうじゅ)院は、毎年8月に子どもたちが2泊3日を寺で過ごす「修養会」を行っている。午前5時起床、座禅、粥座(しゅくざ)(朝食)、勉強、作務(さむ)(掃除など)、斎座(さいざ)(昼食)、昼寝、茶礼(されい)、川遊び、風呂、薬石(やくせき)(夕食)、座禅、花火やゲーム、午後8時半就寝−−という日課だ。

 小学生を中心に15人ずつ4班に分かれ、毎年計70人近くが寺の生活を経験する。携帯電話もゲーム機もテレビもない。情報や刺激にあふれた日常からすれば不便で退屈に違いないが、すっかり寺の生活に魅せられ、修養会の後も寺に残って夏を過ごす子どもが毎年いる。お盆には住職に付いて檀家(だんか)を回るという。

 常願(じょうがん)寺(静岡県富士市)でも10年前から「子ども会」を始めた。読経の練習のほか、竹を伐採し、小刀を使って食器やはしを作り、流しそうめんをする。初めは20人だった参加者は口コミで増え、70人を超えるまでになった。今では檀家の子は1〜2割に過ぎないという。高校生や大学生、地域のお年寄りたちも手伝いに来る。

 年齢の違う子どもたちが寺で集団生活を体験し、古い文化や伝統を体感する活動は、宗派を超えて各地で盛んになっている。祖父母との暮らしを知らず、きょうだいの数も減り、親戚や隣近所の関係も薄れていることが背景にあるのは間違いない。学校での生活が規則に縛られ、休日や夏休みに学校の施設を使いにくくなったとの指摘もある。

 急速に社会が変化し、新しい情報が目まぐるしく飛び交う時代だからこそ、何十年も何百年も変わらず地域に存在する寺に、何か子どもたちの感性を響かせるものがあるのかもしれない。

 情報技術や交通が発達し、私たちは同時代に起きている膨大な出来事を知ることができるようになった。地球のどこにでもたいてい行けるようになった。その一方で、「時間軸」をさかのぼって過去をじっくり考えたり感じたりする機会が少なくなったのではないか。

 たった数日の体験ではあるが、自分の知らない生活や時間の流れがこの国にあることを知る意味は小さくない。将来を託す子どもたちだからこそ、ゆったりとはぐくみたい。

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