1 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:37:17 ID:ZP2
【プロローグ】

むかしむかし。

12世紀。インドネシアの東ジャワ州。

クディリ王国のジョヨボヨ王は 不思議な予言を残しました。

その中の一節。

『 我らの王国は白い人に支配される。

  白い人は離れたところから攻撃をする魔法の杖を持っている。

  白い人の支配は長く続く。

  しかし北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人が

  白い人を追い払ってくれる。

  黄色い人も我らの王国を支配するが、

  それはトウモロコシの寿命と同じくらいの短い間でしかない。 』



【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1426336637/
【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係【完結編】
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1430743980/



※スレタイの「原住民」はなんj(おんj)におけるきうり民くらいの意味
2ヶ月に渡る長編スレのため、いっぺんに読むのは大変かもです





2 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:38:00 ID:ZP2
※注釈
同じ役割の人物は一人の顔文字がまとめて演じている場合があります。ご注意下さい




4 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:38:49 ID:ZP2
・タウンマップ

http://i.imgur.com/qapoBnQ.png


http://i.imgur.com/j4wVGUr.png


http://i.imgur.com/RCSjx7c.jpg




6 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:40:26 ID:ZP2
時は流れ、16世紀末…。


8 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:41:57 ID:ZP2
1596年

(●▲●)

(●▲●)「お、やーっと着いたわ。情報通りやったな」

ここはインドネシアのジャワ島。
この島にとあるオランダの船団が到達しました。




9 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:43:33 ID:ZP2
『オランダ支配350年』
インドネシア史に残る怨み積もる慣用句。

【侵略】の歴史。その始まりの年です。




10 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:45:08 ID:ZP2
(●゚◇゚●)「ようこそ、ジャワ島へ」

(●゚◇゚●)「ここはジャワ島の西部、バンテン地方のバンテン。バンテン王国が統治してるんだよ」

(●゚◇゚●)「今は胡椒貿易で繁栄しているんだ」


大航海時代。
先駆者ポルトガルから始まった香辛料貿易が盛んに行われています。




13 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:46:47 ID:ZP2
(●▲●)「ほーん。ならワイらとも交易しーましょ」

(●゚◇゚●)「いいよー」

原住民はオランダの船団を歓迎しました。




14 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:48:10 ID:BpN
なお向こうの歴史教育は...




15 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:48:22 ID:ZP2
(●▲●)「そか(チャカッ」

( ◇ )「」

しかし疑り深すぎた船団長は歓迎した原住民たちを殺戮。
交渉は失敗し、略奪した僅かな香辛料を持ち帰るだけに終わってしまいました。




16 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:49:56 ID:ZP2
(●▲●)「奪えたのはこんだけか…まぁええわ」

(●▲●)「重要なのはジャワ島への航路開拓」

(●▲●)「次は失敗せんよ」




17 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:50:10 ID:XS0
お前が原住民なんかい




19 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:51:17 ID:Aa1
船団長無能




21 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:51:41 ID:ZP2
1598年

(●▲●)「王国はん、王国はん。貿易用の商館設置していーい?」

(o‘ω‘ n)「うーん…まぁいいよ」

(●▲●)「ほんならこの辺の貿易を一元化して『オランダ東インド会社』を設立するで~」

(o‘ω‘ n)「………。」




22 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:53:14 ID:ZP2
オランダは『オランダ東インド会社』を設立しました。
しかしバンテン王国はオランダを警戒。
オランダの交易は思ったほどの成果をあげられませんでした。




23 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:54:06 ID:ZP2
・豆知識『東インド』

『東インド』とは、インドの東のこと…ではありません。
アメリカは『ヨーロッパから見て西』にあるので『西インド』。
一方のアジアは『ヨーロッパから見て東』にあるので、インド、中国、日本などは全て『東インド』なのです。




24 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:55:38 ID:ZP2
1619年

(o‘ω‘ n)「オランダも厄介だけど、王族内の内紛問題も深刻だなぁ」




26 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:57:13 ID:ZP2
(≦・ω・≧)

(●▲●)「王国はん、王国はん」

(≦・ω・≧)「え?」

(●▲●)「内紛で困っとるんやろ?軍事援助したってもええで」

(≦・ω・≧)「ほんとう?」

(●▲●)「せやで。ただな…こっちも商売や、タダとはいかん」

(●▲●)「バンテンの北東に位置する港町、ジャヤカルタを譲ってくれへんか?」

(≦・ω・≧)「えっ」

(●▲●)「その代わり絶対に勝たせてやるさかい。どや?」

(≦・ω・≧)「うーん…分かったよ、その代わり絶対に勝たせてね?」

(●▼●)「(ニッコリ」



(^)'・▲・`(^) 「大変です、ジャヤカルタがオランダに占領されました」

(o‘ω‘ n)「えっ」

オランダは西ジャワの王族内紛に介入。
軍事援助の見返りにジャヤカルタを手に入れました。




27 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:58:40 ID:k08
これは無能なたぬき




28 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)21:59:06 ID:ZP2
(^)'・▲・`(^) 「オランダはジャヤカルタを『バタヴィア』に改称」

(^)'・▲・`(^) 「更に要塞バタヴィア城を築いたようです」

(^)'・▲・`(^) 「ちなみにバタヴィアとはオランダの古い地名のようです」

(o‘ω‘ n)「一体どうすれば…」


オランダはバタヴィアに新たな商館を設置。
ここを新たな貿易拠点、中心都市として発展させていきました。




29 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:00:43 ID:ZP2
1629年

(^)'・▲・`(^) 「ジャワ島中部を統治するマタラム王国がバタヴィアに侵攻したようです」

(^)'・▲・`(^) 「マタラム王国はオランダを後一歩のところまで追い詰めたようなのですが…

(^)'・▲・`(^) 「結局要塞バタヴィア城は攻略できず、撤退したようです」

(o‘ω‘ n)「うちもイギリスさんと連合して攻めたけど勝てなかった…」

(o‘ω‘ n)「もうジャヤカルタは諦めるしかないのか…」




30 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:01:38 ID:k08
これ、我が国では戦国時代から江戸幕府あたりの話
その頃オランダもイギリスも我が国と接近していたな
しかし我が国は植民地にならなかった
というか




37 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:05:46 ID:j6l
>>30
これもおかしな話よな




63 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:44:55 ID:ZP2
>>30
・小豆知識

日本が植民地の対象にならなかった第一の理由は、やはりヨーロッパからとても遠かったからです。
そして知っての通り、日本は資源がとても乏しい国です。
一方のジャワ島含むインドネシア各島は、魅力的な資源がとても豊富なのです。(具体例はこの後の展開で多少触れています)
日本は遠く、それより近場に豊かな資源場がある。
これらの理由によって日本は植民地化を免れ続けて来たのではないかと推測されます。




64 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:45:58 ID:CJ6
>>63
なるほどなあ 結果的に壁になって日本の代わりに犠牲になった面も多少はあるわけか




65 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:46:46 ID:k08
>>63
異議あり
江戸時代の日本は資源大国でしたよ




68 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:54:47 ID:x4f
>>65
金と銀以外なんかあった?(本国で捌けそうなもの)




70 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:58:32 ID:k08
>>68
それだけあったら十分やないですか(震え声)




31 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:02:17 ID:ZP2
マタラム王国の侵攻を退けたことがバタヴィア拡大の契機になります。
バタヴィアの街や運河はオランダ風に改修、増築され、『東洋の真珠』と呼ばれる美しい町並みとなりました。

しかしこの町並みはジャワ島の気候とは合わず、風通しが悪かったり水質が悪化したことで死亡率が高騰。
『東洋の墓場』とも呼ばれるようになりました。




33 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:02:57 ID:yql
バタヴィアって天然痘で有名なバタヴィアやな

つか、これは良スレ




35 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:03:50 ID:k08
>>33
今ではジャカルタと呼んでるあそこだよ




34 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:03:20 ID:ZP2
その後のオランダは、香料貿易の独占をはかるため、近隣諸島のポルトガル人を排除し征服。貿易の独占に成功します。
この頃のオランダはまだ港と商館を中心とする交易独占だけで利益をあげていました。




36 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:04:32 ID:ZP2
・豆知識『アンボン事件』
1623年。イギリスの日本人傭兵の行動に疑問を持ったオランダは、イギリス商館員と日本人傭兵を捕らえます。
拷問によって要塞奇襲計画を自白させると、イギリス商館員10人、日本人9人、ポルトガル人1人を処刑しました。

この事件と後の要塞侵攻失敗を契機に、イギリスは香料貿易から撤退し、
以後香料貿易はオランダが独占するようになりました。

なお『アンボン事件』にはもう一つ、太平洋戦争開始直後のものが存在します。
こちらについては後の項にて説明します。




38 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:05:50 ID:ZP2
・豆知識『武士』

関ヶ原の戦い以後。失業した武士は日本人傭兵として東南アジアへ進出したものがありました。
オランダ東インド会社にも重宝され、バタヴィア城が包囲された時にも70人の日本人傭兵隊がいたそうです。
なお、1639年の鎖国令によって関係は絶たれ、以後新たな渡航者はありませんでした。
この鎖国令ではヨーロッパとの混血児が日本からジャワ島へ追放されたりもしていました。




39 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:07:27 ID:ZP2
・豆知識『オランダ東インド会社』

正式名称『総オランダ特許東インド会社』。
株式会社ですが、その権限は条約締結、自衛戦争遂行、要塞構築、貨幣鋳造など多岐にわたり、
それは最早独立国家、国家の中にある国家というものでした。

アジアやアフリカへの交易独占を許されており、
日本の鎖国時代、長崎の出島で行われていたオランダ人との貿易は、
つまりこの『オランダ東インド会社』との貿易だったのでした。




41 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:09:10 ID:ZP2
1650年以降

(o‘ω‘ n)「ぼくはスルタン・アグン・ティルタヤサだよ」

(o‘ω‘ n)「1651年から王位に就いたんだ」

(o‘ω‘ n)「最初にやるべきことだけど…やっぱりオランダ人をバタヴィアから追放しないと(使命感)」

(o‘ω‘ n)「まずは交易を盛んにしてオランダの交易に対抗しよう」

(o‘ω‘ n)「軍にはオランダに対して略奪を実行するよう命令するよ」

(o‘ω‘ n)「住民たちも積極的にオランダ所有の農園を襲撃してね」

(●▲●)「そんな…ワイなんも悪いことしてへんのに…」




42 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:10:45 ID:ZP2
1671年

(o‘ω‘ n)「ふぅ…ぼくもそろそろ引退かな」

(o‘ω‘ n)「王位はまだ譲らないけど、息子のスルタン・アブドゥルカハルを摂政に任命して隠遁するよ」

(*^◯^*)「分かったんだ!」




43 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:12:14 ID:ZP2
1676年

(o‘ω‘ n)「2年前にメッカ巡礼に行った息子がそろそろ帰って来る頃かな」

(*^◯^*)「ただいまなんだ!」

(*^◯^*)「今日からぼくはスルタン・ハジを名乗るんだ!」

(o‘ω‘ n)「えっ」



(●▲●)




44 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:13:44 ID:ZP2
(*^◯^*)「オランダさんと仲良くするんだ!」

(●▲●)「摂政さんはいいひとですね」

(*^◯^*)「それほどでもあるんだ!」




46 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:15:16 ID:ZP2
(o‘ω‘ n)「ねぇ、息子よ。オランダとは仲良くしちゃいけないよ」

(o‘ω‘ n)「彼らはとても危険なんだ」

(*^◯^*)「そんなことないんだ!オランダさんはとてもいいひとなんだ!」

(o‘ω‘ n)「どうしても言うことを聞いてくれないのかい?」

(*^◯^*)「無理なものは無理なんだ!」

(o‘ω‘ n)「なら仕方ない。君の摂政権を剥奪するよ」

(*^◯^*)「そんなことはさせないんだ!」


そして内戦が始まりました。



(●▲●)




47 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:16:15 ID:AuZ
(*^◯^*) 無能




48 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:16:58 ID:ZP2
(*^◯^*)「やった!遂に親父殿を捕らえたんだ!」

(o‘ω‘ n)「そ、そんな…」

((*^◯^*)「完全勝利なんだ!親父殿はバタヴィアに収監するんだ!」

(o‘ω‘ n)「息子よ…」

(●*^◯^*)「これで僕に文句を言える奴は誰もいなくなったんだ!」

(●▲◯^*)「これからバンテン王国はオランダさんと仲良くしていくんだ!」

(●▲●*)「オランダさんの言うことだけを聞いておけば何も問題ないんだ!」

(●▲●)「これからはオランダの時代なんだ!」

(o‘ω‘ n)「」


スルタン・ハジの勝利はバンテン王国崩壊の始まりでした。
スルタン・ハジはオランダの傀儡でしかなく、バンテン王国は事実上オランダの管理下に置かれたのでした。

なお、捕らえられた国王スルタン・アグン・ティルタヤサはバタヴィアに収監。1692年にその生涯を終えました。




49 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:17:50 ID:WZJ
ヒエッ




50 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:18:54 ID:Gb7
(o‘ω‘ n)は賢かったのに…




51 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:19:05 ID:ZP2

(●▲●)

(●▲●)「1650年以降、ワイらは領土獲得を目的にしとったんや」

(●▲●)「有力商品のコーヒーとかを栽培して輸出するためにな」

(●▲●)「金になるんや、でも栽培する土地が足りん」

(●▲●)「せやからな、ジャワ島を統治する邪魔な王国たちには消えてもらうことにしたんや」

(●▲●)「王朝間の戦争や、後継者争いに介入したりしてな」

(●▲●)「バンテン王国は見ての通りや」

(●▲●)「ジャワ島にはもう一つ、大国マタラム王国があるんやけどな」

(●▲●)「バンテン王国と違ってマタラム王国はでかい」

(●▲●)「せやけどな」

(●▲●)「こっちも同じように時間をかけてじっくりゆっくり衰退させて」

(●▲●)「消滅させたんやで」




52 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:19:35 ID:AuZ
これはダチカスですわ…




53 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:20:56 ID:ZP2

なお、その後のオランダ東インド会社ですが。
領土獲得のために要した莫大な戦費、更に会社自体の放漫経営が祟って経営は悪化。
結局オランダ東インド会社は破産、解散することになってしまいました。

そしてオランダ東インド会社が所有していた領土はオランダ政府が受け継ぎ、
その領土は『オランダ領東インド』と呼ばれるようになりました。


 『オランダ領東インド編 完』




58 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:25:48 ID:w5P
東インド会社恐ろしいな
敵対してるイエズス会と同じ事してるやんけ
同じ会社の安針さんはええ印象あるのに…
ポルトガル追い出すために猫被ってたんかな?




66 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:49:38 ID:x4f
>>58
意外と朝鮮出兵をみて無理と感じたんやない
あと大阪の陣はオランダの出る幕がなかった(ポルトガルが伊達に対してオランダみたいなことをやってみたが、最後は伊達に捨てられた




67 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:50:22 ID:k08
しかし、後の三浦按針がオランダ本国から命からがら日本にたどり着いたっていうし
遠いってのは植民地にならなかった理由のかなりのウエイトはあるんやろうな




69 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:55:25 ID:nn6
日本に行こうとしても、中国の存在という影響も少なからずはあったんかもな。




71 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)22:58:42 ID:x4f
>>69
確かに
台湾まででばっているのに、沖縄王朝を占拠してないしなぁ




72 :名無しさん@おーぷん:2015/03/14(土)23:01:25 ID:k08
シナ大陸は明が秀吉の朝鮮出兵の後遺症で国力を落とす中で
満洲族が台頭しつつあるそんな時期か
とりあえず治るまで待っとこうってなったんかもな




79 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:10:52 ID:cRA




83 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:15:12 ID:7vS
>>79
かわいい




81 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:12:28 ID:cRA



その後のオランダ本国では色々な事がありました。ナポレオンに屈し、国が滅んだりもしました。
その余波でオランダ領東インドをフランスが統治したり、イギリスが統治したりする時代がありました。

とは言えその期間は短く。後にオランダに返還され。
ここから先の時代では、オランダによるインドネシア統治が続くのでした。






125 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:57:22 ID:cRA
ちなみに今日の範囲で本編に関連する要点は>>81に全て詰まっています。




82 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:13:48 ID:cRA



【番外編:ラッフルズ】






84 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:15:17 ID:cRA

('ω`)

('ω`)「私の名前はトーマス・ラッフルズ」

('ω`)「正式には『トマス・スタンフォード・ラッフルズ』というんだけどね」

トーマス・ラッフルズ。
イギリス生まれの彼は、14歳の頃からロンドンの東インド会社で働き始めます。





85 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:16:47 ID:cRA

1805年

('ω`)「ぼくは書記補なんだ」

('ω`)「今日からマレー半島のペナン島に赴任だよ」

('ω`)「これからマレー語を習得するんだ」





86 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:18:26 ID:cRA

('ω`)「ヨーロッパではナポレオンが暴れ回ってるのか…」

('ω`)「オランダも滅んだらしい…」

('ω`)「オランダ…」

('ω`)「…オランダの植民地政策だけは、絶対にゆるさない…」


ナポレオン全盛の時代。
オランダはナポレオンに屈し、その余波でオランダ領東インドはフランスが統治することになりました。

ラッフルズはオランダの植民地政策…『略奪式経営』とも呼ばれるそれを、とても嫌っていました。
憎んでいたと言ってもいいくらいです。

オランダの植民地政策についてはこの番外編の後、次の章にて説明します。





87 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:20:09 ID:cRA

('ω`)「バタヴィアを攻めましょう!」

('ω`)「あの地を我らの植民地にするのです!」

(U・×・U)「お、おう。せやな、攻めよか」

ラッフルズはフランス統治中のバタヴィアを攻めるようインド総督ミントーに進言。
自らも遠征軍に参加しました。





88 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:21:41 ID:cRA

('ω`)「やったぞ!」

('ω`)「ねんがんの バタヴィアを てにいれたぞ!」

イギリスはバタヴィアを占領し、オランダ領東インドを治めることになりました。


なおこの計画は現地の独断専行によるもので、本国イギリスにとっては予期せぬ出来事でした。
とは言え、アンボン事件で一度は撤退したこの諸島へ、再びイギリスが戻ってきたのでした。





89 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:23:01 ID:Vbu
いろいろな人がおるもんやなあ 面白い




90 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:23:20 ID:cRA

(U・×・U)「あ、そうそう」

(U・×・U)「ワイ総督はインドの方で忙しいから、こっちにはあんま来られへんねん」

(U・×・U)「お前を副総督に任命するから、あとは好きにやってや」

('ω`)「分かりました!」


計画推進者のラッフルズはジャワ副総督に任命されました。

ミントー総督はラッフルズに全てを任せてインドのカルカッタに常駐したため、
事実上、ラッフルズはジャワ島の最高支配者でした。





91 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:24:55 ID:cRA

('ω`)「好きにしていい…ジャワ島を好きにしていいって言われたよ…」

('ω`)「ふふふ、なにをしようかなー」

('ω`)「……オランダ……」

('ω`)「…まずは、オランダのやり方を、全て潰さないと(使命感)」





92 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:26:26 ID:cRA

('ω`)「最初に税制改革」

('ω`)「次に刑法の近代化」

('ω`)「奴隷制は廃止します」

ラッフルズはオランダの残した様々な事に着手し、成果を上げていきました。





94 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:27:59 ID:cRA

('ω`)「ふぅ、疲れた…でも頑張らないと」

('ω`)「明日は密林の調査だよ」

ラッフルズは学術的にとても優秀な人物のようで、探検家としての側面も持ち合わせていたようです。





95 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:29:36 ID:cRA

('ω`)「あれは…新種の植物!?」

('ω`)「この花がラフレシアか…世界に広めないと(使命感)」

('ω`)「…あれは…伝説の古代遺跡!?」

ラッフルズによって新種の動植物が発見され、それらが世界に発表されました。
世界最大の花ラフレシアもラッフルズによって紹介されたようです。
そしてラッフルズらによって密林の中から発見された古代遺跡の調査も行いました。





108 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:42:10 ID:mCW
>>95
ラッフルズの花でラフレシアなんやね




129 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)23:18:21 ID:cRA
>>108
・小豆知識『ラフレシア』
ラッフルズらの調査隊によって確認された植物です。
当初は『人喰い花』の迷信もありましたが、ラッフルズが花に触れることで無害性を証明しました。
同行した博物学者ジョセフ・アーノルドによってスケッチ、観察されたことから、
学名は二人の名前から取って『ラフレシア・アルノルディイ』と名付けられました。




96 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:30:40 ID:7vS
ラッフルズやり手やな




97 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:31:10 ID:cRA

なお。

('ω`)「…あ、あれ?船が燃えてる!?」

('ω`)「そ、そんな。あそこには研究成果をまとめた貴重な資料が…」

('ω`)「待って、せめて資料だけは、資料だけは…」

様々な学問的成果をまとめて積み込んでいた船が火事で焼失。
刊行を企てていた『スマトラ誌』が灰燼に帰したこともありました。





98 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:32:43 ID:cRA

また、こんなこともありました。

('ω`)「イギリスと日本の交易が途絶えてもう随分経つ」

('ω`)「そろそろ復活させてもいい頃合いだと思うんだ」

('ω`)「でもオランダ船以外は追い返されてしまう…」

('ω`)「そうだ!オランダ船のふりをして、こっそり長崎へ向かわせよう!」

('ω`)「何せここは『オランダ領東インド』」

('ω`)「ここから日本に行く船なら、それはオランダの船だもんね」

英日交易復活のため、ラッフルズは長崎へ船を派遣したこともありました。





99 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:34:13 ID:cRA

なお。

(・日・)「は?お前らイギリス人やんけ、アカンアカン」

('ω`)「」

幕府の役人に見抜かれて追い返されていました。





100 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:35:54 ID:cRA

さて、そんなラッフルズ治世ですが。
実はインドネシアではあまり評価が高くないそうです。

というのも。


('ω`)「反抗的な王家の人間は排除するよ」

('ω`)「それでも歯向かってくる?」

('ω`)「なら王宮を攻めるしかないね」


このような帝国主義的手法は、オランダのそれと同じものでした。
そんな訳で、ラッフルズ治世には賛否両論がある訳です。





101 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:36:28 ID:mCW
幕府の役人ってマジ有能やったからな
この頃オランダ本国がなくなってることも見抜いていたとか
なおこういうことは教科書には載らない模様




128 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)23:08:14 ID:cRA
>>101
余談ですが、「オランダ東インド会社」が破産・解散し「オランダ本国」に領土が受け継がれた件。

この件を日本の役人に経緯を説明するのはとても難しく、また商権を失うリスクだけがあったため、
オランダサイドは「オランダ東インド会社」が存在し続けているかの如く見せかけていたようです。

きっと表に出て来ない色々な策謀が渦巻いていたのでしょうね。




103 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:37:24 ID:cRA



やがて、ナポレオンが没落し、ヨーロッパは正常化に向かいます。
それはオランダ領東インドにも…。







104 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:38:35 ID:umg
世界史学びたいワイ、歓喜




105 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:38:58 ID:cRA

(U・×・U)「残念だが、政治的判断により、オランダ領東インドはオランダに返還することになったよ」

('ω`)「えっ」

('ω`)「そんなの断固反対です!」

('ω`)「オランダなんかに返したら、また奴らは繰り返すじゃないですか!」

(U・×・U)「そうはいっても、これは本国の決定事項なんだよ…」

('ω`)「そんな…」

ジャワ島は政治的判断によってオランダに返還されることになりました。






106 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:40:34 ID:cRA

更に…。


(・英・)「おい、ラッフルズ」

('ω`)「え、何?」

(・英・)「お前汚職してるだろ、分かってるんだぞ」

('ω`)「そ、そんなことある訳が…」

(・英・)「言い訳無用。いいからさっさとイギリスに帰るんだな」

(・英・)「ここにお前の仕事はもうないんだよ」

('ω`)「…」

植民地行政の輝かしい名声の一方、妬みから汚職の嫌疑をかけられたラッフルズは、
失意のうちに母国へと帰国することになったのでした。





107 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:42:04 ID:cRA


さて。ロンドンに引き上げたラッフルズですが。

('ω`)「アジア…アジア…トウナンアジア……」

彼の東南アジアへの情熱は止まりませんでした。






109 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:43:34 ID:cRA

そして。

('ω`)「今日からぼくはスマトラ島ブンクルの副総督だよ」

彼はスマトラ島に戻ってきました。
ここのイギリス領はジャワ島より狭い範囲でしたが、彼はここでも積極的に探検活動に励んでいたようです。





110 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:45:09 ID:cRA

('ω`)「よし、探検も終わったし…」

('ω`)「早速、スマトラ島全域の支配に乗り出すよ」

(U・×・U)「駄目です」

当然、イギリスはそれを許しませんでした。





112 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:46:43 ID:cRA

(U・×・U)「オランダの既得権益は侵しちゃ駄目だよ」

(U・×・U)「そうじゃないとオランダ領東インドを返還した意味がなくなるじゃないか」

(U・×・U)「だからスマトラ島での活動は、西部のブンクルだけだよ」

(U・×・U)「わかったね?」

('ω`)「………」





113 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:48:15 ID:cRA


('ω`)「オランダの既得権益は侵しちゃいけない…」

('ω`)「………」

('ω`)「………」

('ω`)「………」

('ω`)「………………!」






114 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:48:37 ID:mCW
嫌な予感しかしない




115 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:48:58 ID:7vS
ひらめいちゃったか




116 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:49:47 ID:cRA

(●▲●)「ラッフルズが戻ってきたか」

(●▲●)「奴はバタヴィアを攻めた危険人物や」

(●▲●)「また奴が独断専行で暴走するかもしれへん」

(●▲●)「そうはいかんで…」

オランダはラッフルズの再来に備え、各海峡、各諸島に防衛策を講じました。





117 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:51:19 ID:cRA

(●▲●)「ふぅ、これで一安心や。返り討ちにしたるで~」





(・蘭・)「大変です、ラッフルズがシンガポール島に!」

(●▲●)「ファッ!?なんやて!?」

そこはオランダにとって盲点でした。





118 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:51:59 ID:mCW
そっち行ったかやっぱり




119 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:52:51 ID:cRA

(●゚◇゚●)「ようこそ、マレー半島へ」

(●゚◇゚●)「ここはマレー半島の先端、シンガポール島。ジョホール王家が統治しているんだよ」

(●゚◇゚●)「マレー漁師150人程度が生活する小さな漁村なんだ」

('ω`)「こんにちは、ジョホール王からシンガポールを買収してきたラッフルズです」

('ω`)「ここに市街地を建設して居住者を送り込んで」

('ω`)「イギリスの拠点とします」

ラッフルズは制約をかいくぐるため、シンガポール島に目を付けました。

当時のシンガポールはマレー半島ジョホール王家に属する小さな漁村。
そこでラッフルズはシンガポールを買収して市街地を建設、居住者を送り込むことで、
短期間のうちにイギリスの拠点であることを既成事実化してしまったのです。





120 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:54:23 ID:cRA

(U・×・U)「どうすんだよこれ…(困惑)」

('ω`)「いいえ、このシンガポールはとても役に立ちますよ」

('ω`)「イギリスの東南アジア拠点として使えますし」

('ω`)「中国への航路を確保することもできます」

('ω`)「ここは絶好の土地なのです」

(U・×・U)「そうか…うん、そうだな」

始めは困惑したイギリスも、結果論的にこのシンガポールの有効性を把握します。






121 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:56:00 ID:cRA

その後、1824年の英蘭協約で両者の境界線をマラッカ海峡とし、
シンガポール島がイギリス主権下であることがオランダにも認められたのでした。


ラッフルズは今でも『シンガポール建国の父』として愛されているそうです。



【番外編:ラッフルズ 完】






122 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)22:56:19 ID:umg
やっぱラッフルズホテルって彼に起因してるんやね




130 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)23:24:51 ID:cRA
>>122
・小豆知識『ラッフルズ』

シンガポール人に愛された建国の父、ラッフルズ。
シンガポールには創健者ラッフルズの名の付く通り、島、博物館、ホテルなどで溢れ、
白と黒のラッフルズ像まであるそうです。

インドネシアには副総督在任中に亡くなったオリビア夫人の記念碑が、
ラッフルズの建てた植物園の木立の中にひっそりと残されているそうです。




131 :名無しさん@おーぷん:2015/03/15(日)23:27:41 ID:YBp
シンガポール…




132 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)01:03:05 ID:Ftc
らっふるらっふる




133 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:00:43 ID:4GR





(●゚◇゚●) ( ●▲●) ( ^)'・▲・`) ( o‘ω ) ( ≦・ω) ( 'ω) (  U・×) (◯^* )

                   Now loading...               



(*^◯^*)<今回は第2章の前半部だよ!

(o‘ω‘ n)<番外編が膨れあがって修正が間に合わなかったんだ




134 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:02:25 ID:4GR




【第2章】



さて。
舞台はインドネシアに戻ります。






135 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:03:44 ID:tsD
豆知識コーナーもすきやで




136 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:03:59 ID:4GR


(●▲●)「おまえら集まれや~」

(●▲●)「これからワイが言うことをしっかり守るんやで~」

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」






137 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:05:32 ID:4GR


(●▲●)「まず。お前ら100以上ある部族は協力したらいかんのやで~」

(●▲●)「せやから共通の言語は作ったらいかんのや」

(●▲●)「道ばたで3人以上集まって話すのもアカンな、破ったら厳しい処罰をするで~」

(´・ω・`)「わ、わかったよ、オランダのおにいちゃん」

(●▲●)「ワイらに従順な一部の部族は警官として雇用したるで~」

(●▲●)「あ、経済は中国の華僑を利用するで」

(●▲●)「経済のことはワイらには関係あらへんから聞かんといてや~」


オランダはインドネシア全土を狡猾に支配しました。
住民の結束を妨げるため、とても厳しい制限を課し。
更に経済は中国の華僑を利用することで、反感が直接オランダに向かわないようにしました。
教育は制限され、巧みな『愚民化政策』でインドネシア全土を支配し続けたのです。






139 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:07:14 ID:4GR


( `o´)

( `o´)「私の名はディポヌゴロ」

( `o´)「マタラム王国、ジョグジャカルタ王家の王子だ」


…マタラム王国。
中部からジャワ島のほぼ全域を支配していた大国。
ですが王家内の度重なる対立、何度も何度も繰り返される継承戦争。
そしてその度に介入し、調停者として乗りだしてくるオランダ。
既に王国は分割され、王家はオランダの傀儡同然です。
マタラム王国は自滅によって衰退し、まもなく消滅しようとしていました。






141 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:08:41 ID:4GR


ディポヌゴロ王子。
彼は長男でありながら、母親の身分が低かったため跡取りとなれず、祖母の元で育てられました。
そして腐敗と陰謀に明け暮れる宮廷を憂い、宮廷を離れて寄宿学校に住み込み、民衆との接触を好みました。






142 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:10:16 ID:4GR

( `o´)「この宮廷の現状をなんとかしたい…」

☆『今こそ立ち上がれ』

( `o´)「!?」


そんなある日。彼は神ラトゥ・アディルからの啓示を受けます。
ラトゥ・アディルとは、末世に現れる正義の神としてジャワ人から信じられていました。

やがて王子は自らラトゥ・アディルであることを名乗り、苦しんでいたジャワ人たちから神として崇められました。






143 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:11:19 ID:iYj
大日本帝国の登場はまだですか?(小声)




145 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:12:48 ID:4GR
>>143
少なくともこの2章のうちは出て来ない模様
もうちょっと待っちくり~




144 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:11:50 ID:4GR


(●▲●)「あ、この土地は道路にするから取り上げるで~」

( `o´)「!?」

( `o´)「この土地は私の土地だぞ!?」


始まりは、王子所有の土地が道路用地として無断で取り上げられたことでした。






146 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:14:33 ID:4GR


1825年7月

( `o´)「もう我慢ならん!」

( `o´)「マタラム王国が衰退したのも」

( `o´)「王位継承者にオランダに従順で無能な奴ばかりが選ばれるのも」

( `o´)「それもこれも全部あいつらのせいなんじゃ!」

( `o´)「絶対に許さない。顔も見たくない」

( `o´)「反乱じゃ!」


東インドにて、ディポヌゴロ王子を指導者とする反乱『ジャワ戦争』が発生します。

当時、オランダ人農園の進出により、ジャワ島は農地まで侵略されていました。
更に中部ではコレラが流行し、火山が噴火し、物価上昇で生活は困窮、社会不安が増大していました。
あとはしかるべき指導者の登場を待つだけでした。

この反乱は王族、貴族、更には民衆の支持も受け、中部、東部のジャワ島全土に拡大しました。
更にラトゥ・アディルの出現によって宗教指導者も参戦し、宗教戦争の側面もありました。

これまでにも小さな反乱はありましたが、今回の反乱はジャワ島で初めての大規模な反乱となりました。






147 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:16:04 ID:4GR


当初オランダの王族を舐めていたオランダでしたが、
ディポヌゴロ王子の言動に不安を感じ、オランダの先制攻撃で戦争が始まりました。

反乱軍はオランダ人やオランダ側の中国人、更に王室をも攻撃しました。






148 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:17:39 ID:4GR

U・ω・U

(●▲●)「おう」

U・ω・U「あっ」

(●▲●)「おまえら、ワイらに逆らって本気で勝てると思っとるんか?」

U・ω・U「そ、そんなこと…」

(●▲●)「それにや。奴は神やろ?」

(●▲●)「今や神格化されて大人気やん」

(●▲●)「せやけどな」

(●▲●)「おまえらイスラム教にとっては、ちょ~っと不味いんちゃう?」

(●▲●)「もしかしたら、奴の宗教はイスラム教から取って代わるかもしれへんなー」

U・ω・U「………」



U・ω・U「ごめんなさい、やっぱりオランダ側につきます」

( `o´)「ファッ!?」

当初支援していた王族や貴族、宗教指導者などは、オランダからの恫喝などを受け、次第に反乱軍から離れていきました。





149 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:19:07 ID:4GR


(●▲●)「ええで~、ええで~。やっぱり近代兵器は最強や!」

( `o´)「(アカン)」

やがてオランダ側が要塞を設けて近代武器で反撃すると、反乱軍は次第に不利になっていきました。






150 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:20:35 ID:4GR


( `o´)「こ、こうなったら…」

( `o´)「ゲリラ戦じゃ!」

オランダ軍の近代兵器に追い詰められた反乱軍は、最終的にゲリラ化して戦いました。






151 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:22:06 ID:4GR


(●▲●)「反乱軍も大分弱体化したなー、これならそろそろ終わるやろ」

(●▲●)「せや!王子の首に巨額の懸賞金かけたるわ」

(●▲●)「これでこの戦争も終わりやな」






152 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:23:26 ID:3HC
確かこの時の火山って遠く離れたノルウェーでひとつの絵画ができるきっかけになったやつかな?




205 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:38:48 ID:4GR
>>152
・小豆知識『クラカタウ諸島』
ジャワ島とスマトラ島の中間、スンダ海峡にある火山島の総称。

1883年8月27日。この諸島の3つの火山が一度に噴火。大噴火が起こります。
地質学史上、第5位の爆発規模だそうです。
クラカタウ火山は完全に消失。7割の島が消滅しました。

・参考資料

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Krakatoa_evolution_map-en.gif


これにより最大40mの津波が観測。
死者36417人。インド洋最大の津波災害を引き起こします。(なお、後の2004年スマトラ島沖地震で更新されます)
更に成層圏にまで達した噴煙により、北半球全体の平均温度が0.5~0.8度下がり、世界中に異常気象を引き起こしました。

爆発の10年後。
ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクはこの異様な空模様を日記に残し、代表作『叫び』を描いたそうです。





207 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:45:44 ID:3HC
>>205
おお調べてくれたのか
サンガツ
ていうかワイの記憶ガバガバで
年代全然違ってて草




153 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:23:38 ID:4GR


U・ω・U「ごめんなさい、幾ら積まれても王子は売れません」

しかし王子の下を離れる部下はあっても、金で王子を売るジャワ人はいませんでした。






154 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:25:09 ID:4GR


(●▲●)「うーん、どないしよ。いい加減戦争終わりにせんと」

(●▲●)「でもゲリラ戦やから全然決着付かへん…」

(●▲●)「しゃーない、和平や。これで決着したるわ」

万策尽きたオランダは、反乱軍に和平の呼びかけをしました。






155 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:26:41 ID:A0g
>>154
(アカン)




156 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:26:53 ID:4GR


( `o´)「和平?本当か?」

(●▲●)「ああ、本当やで」

(●▲●)「せやからひとまず出て来て話し合おうや」

( `o´)「せやな」

和平の呼びかけに応じ、ディポヌゴロ王子は単身話し合いに向かいました。






157 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:28:35 ID:4GR


(●▲●)「嘘に決まっとるやんけ」

( `o´)「あっ」

オランダの騙し討ちに遭い、ディポヌゴロ王子は捕らえられ、ジャワ戦争は終結します。

この戦争は5年間のゲリラ戦を経て1830年まで続き、死者20万人の総力戦となりました。






159 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:30:15 ID:A0g
>>157
やっぱりな(レ)




158 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:30:08 ID:4GR

なお、その後のディポヌゴロ王子ですが。


神がかり的な人気を恐れ、オランダは王子を処刑することができませんでした。
そのため彼を流刑に処し、その後も囁かれる王子の名を押さえつけるため、3人の息子も流刑に処しました。

享年70歳。非常に長命であり、禁欲と瞑想に明け暮れた終生でした。
著作に『ディポヌゴロ物語』があるそうです。

戦争で多大な犠牲を出したにも関わらずディポヌゴロ王子への信仰は厚く、
それは正に西洋人にとってのキリストに匹敵する存在だそうです。
彼の墓は聖地とされ、今もインドネシア全土から訪れる人が絶えないそうです。



『ジャワ戦争編 完』





160 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:30:47 ID:A0g
サンキューイッチ




161 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:32:01 ID:4GR
なお、今日は引き続き次の物語へ移行します。




162 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:32:40 ID:4GR


(●▲●)「はー、面倒臭い奴らやったな。軍事費嵩むやんけ…」

(●▲●)「なに?スマトラ島でも戦争?」

(●▲●)「しゃーない、介入してさっさと終わらせたるわ」


同時期にスマトラ島で発生した『パドリ戦争』。
当初はイスラム教の宗教改革運動として推移していました。

しかしオランダ軍の介入によって反オランダ戦争の様相を示すことになります。
この戦争によって西スマトラにオランダの植民地支配が確立されました。





163 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:34:12 ID:4GR


(●▲●)「あー、軍事費が嵩むなー」

(●▲●)「オランダ本国の財政状態もアカンなぁ」


この頃、胡椒や香料などの香辛料は供給過剰に陥っていました。
需要は減少し、それらの重要性は低くなっていたのでした。





164 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:35:51 ID:4GR


(●▲●)「どないしよ…せや!」




(●▲●)「おーい、おまえら集まれや~」

(●▲●)「これからワイが言うことをしっかり聞くんやで~」

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」






165 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:38:06 ID:4GR


(●▲●)「コーヒー、サトウキビ、藍、茶、タバコ、綿花など」

(●▲●)「これからはワイらが指定した農作物も指定した場所で栽培するんやでー」

(●▲●)「面積は…農地全体の20%ってところやな」

(●▲●)「栽培したもんは全てワイら植民地政府が独占的に買い上げる」

(●▲●)「これは絶対やで、破ることは許されへんでー」

(´・ω・`)「わかったよ、オランダのおにいちゃん」






166 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:39:39 ID:4GR


香辛料の需要減少に伴い、新たな熱帯作物の需要が国際的に高まっていました。
そこで需要の高い熱帯作物を指定して栽培させ、全てを買い上げた東インド植民地政府は、
それらをヨーロッパに転売することで、莫大な利益をあげることになりました。


これによってオランダ本国の財政赤字すらも解消。
産業革命期に入ったオランダのインフラ整備に大きく貢献しました。

(●▲●)「アカン、ウハウハや!」

(●▲●)「これはもっと植民地民には働いてもらんとなぁ(ゲス顔」





167 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:40:34 ID:4GR



一方インドネシアでは…







168 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:42:55 ID:4GR


(´・ω・`)「ふぅ、今日も畑で藍の世話をしないと…」

(´・ω・`)「頑張って育ててもオランダのお兄ちゃんに安値で持って行かれちゃうんだけどね…」

(´・ω・`)「栽培しなきゃいけない面積も20%どころじゃ済まなくなってるし…」


さて。『20%』というこの制度は、一見穏やかな制度に見えます。
しかし、人頭税など、今まで納めていた税とは全く別の税として扱われました。

また、安値で買い上げられるのは元より、ジャワ人貴族の封建支配によるピンハネ、
更に育て慣れない作物を育てる労力、育てた指定作物を指定場所まで運ぶ労力。
指定作物に費やす労力は、20%どころの話ではありませんでした。

なお、農民の得た僅かな金銭収入は、別途地租税として召し上げられました。






169 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:43:56 ID:4GR


(´・ω・`)「この畑は以前はきうり…じゃなくてお米を育ててた水田だったんだよなぁ」

(´・ω・`)「藍じゃお腹はふくれないね…」

サトウキビ、藍は水田に栽培され、米の生産に悪影響を与えました。
特に藍のような不運な作物を指定された農民は、生活に酷く困窮したのでした。
(藍とは藍染めなどに使用される青色の染料です)






170 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:45:39 ID:4GR


(´・ω・`)「あ、あれ?なんだか畑のようすがおかしいよ…?」

(´・ω・`)「もしかして、今年も不作…?」

(´・ω・`)「ど、どうしよう、去年も不作だったから蓄えがないよ…」

(´・ω・`)「水田はほとんど藍畑になってるし、一体どうすれば…」

凶作が重なると深刻な飢饉を招き、餓死者が出る事態にすらなりました。


『強制栽培制度』と呼ばれたこの制度。
(正式名称は『栽培制度』。『強制』は第三者によって命名されたものです)

これによってオランダは莫大な利益を上げましたが、
栽培を強制されたインドネシアは大きな負担を強いられたのでした。



【強制栽培制度編 完】





171 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:46:35 ID:4GR
そしてここから番外編の連投に入ります。
もう暫くお楽しみ下さい。




172 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:46:46 ID:M2h
未だにインドネシアの人がオランダに対して敵意を持っているのかがよく分かるわ…




173 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:47:38 ID:4GR




【番外編:マックス・ハーフェラール】







174 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:48:46 ID:4GR


1860年。

オランダで『マックス・ハーフェラール』という小説が『ムルタトゥーリ』によって発表されました。

『ムルタトゥーリ』とは、オランダ領東インド現場責任者・副理事官エドゥアルト・ダウエス・デッケルのペンネームです。
彼は自身の経験を元に小説を執筆。
ペンネーム『ムルタトゥーリ』を用いて『マックス・ハーフェラール』を出版しました。






175 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:50:19 ID:4GR


小説の内容は次の通り。

新しくやってきた副理事官は、現地民族長の横暴・収奪を阻止しようします。
また、前任者の毒殺紛いの死因を総督に告発しました。
しかし、告発は総督に揉み消され、更に副理事官は解雇されてしまったのでした…。

これに現地民の悲恋話が加わる、というものです。





176 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:51:47 ID:4GR


『強制栽培制度』。
これはジャワ島の村落共同体に大きな影響を与えていました。

植民地政庁は村長の権限を拡大し、行政機構に組み入れました。
指定作物の強制栽培は村長を通して行われました。

これによって村長は多大の収入が与えられます。
しかし村長と村民の関係は大いに悪化したのでした。






178 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:53:19 ID:4GR

さて。『マックス・ハーフェラール』ですが。
これは「現地民族長が悪であり、これをオランダが正しく管理する必要がある」。
そういう植民地支配の正当性を主張する、いわゆる植民地支配寄りの作品という面を持つ、という見方もあります。

作中の主人公・副理事官『ハーフェラール』とは異なり、
作者『デッケル』はオランダによる植民地支配を肯定する立場だったのでした。





179 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:54:52 ID:4GR


そんな『マックス・ハーフェラール』ですが。

この小説によって、オランダ本国に『強制栽培制度』の実体が知れ渡りました。
これにより『強制栽培制度』を非難する声が高まり、
1860年代以降、『強制栽培制度』は需要の少なくなった農作物から順に廃止されることとなったそうです。

この小説は今もオランダ文学の古典とされているそうです。





180 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:56:24 ID:4GR

なお、この小説は政治家ファン・レネップに委託して出版されました。
しかし、レネップの手によって植民地政策に反する部分は削除されていたようです。

1874年。著作権を取り戻したデッケルが記憶を頼りに内容を修正、第四版が出版されます。

更にデッケルの死後。
1949年。元原稿が発見されて出版された、という経緯を持つそうです。





181 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:57:37 ID:4GR

さて。何故『強制栽培制度』を廃止したこの流れが『番外編』なのか?
それは次の本編にて。

【番外編:マックス・ハーフェラール 完】





182 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)22:58:53 ID:4GR



【番外編:バリ島】






183 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:00:21 ID:4GR


(U・×・U)「我がイギリスはシンガポールを拠点に絶賛交易中だよ」

(U・×・U)「今度はオーストラリアやニュージーランドとも交易をしたいなぁ」

(U・×・U)「さて、どの海路を経由してあっちの方に向かおうか…」

(U・×・U)「…やっぱり、このロンボク海峡かな」

ロンボク海峡。
それはロンボク島とバリ島の間にある海峡でした。





184 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:01:45 ID:4GR


さて。実はバリ島には未だオランダの手が伸びていませんでした。
というのも、バリ島に特産品がなく、奴隷の供給地として以外は大した魅力がなかったのでした。

しかし、ライバル植民地帝国のイギリスがこの海峡に関心を持つようになり、
オランダはバリ島を防衛せざるを得なくなりました。





185 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:03:11 ID:4GR

ある日。

(●゚◇゚●)「あ、難破船だ」

(●゚◇゚●)「難破船の荷物は『海からの贈り物』なんだよ」

(●゚◇゚●)「早速もらいに行こう!」

たまたま、バリ島近海で難破船の荷物をバリ人が取得することがありました。
それはバリ人にとってはごく当たり前の慣習でした。





186 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:04:36 ID:4GR

ですが。オランダはそれを黙認しませんでした。

(●▲●)「賠償金払えや」

(●゚◇゚●)「え、やだよ」

(●゚◇゚●)「なんなら槍の先で賠償金を支払ってやる!」

(●▼●)「言ったな?(ニヤリ」

その回答を待っていたと言わんばかりに。
オランダはバリ島への侵略を開始しました。





187 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:05:50 ID:tsD
オランダ容赦ねーな




188 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:05:57 ID:4GR

(●▲●)「ワイらオランダの宗主権を認めるんやで~」

(´・ω・`)「わ、分かったよ…」

(●▲●)「やったぜ。」

1840年~1843年。第1次バリ戦争。
これによってオランダは各王国にオランダの宗主権を認めさせます。





189 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:07:22 ID:4GR

(●゚◇゚●)「やっぱりやだ」

(●▲●)「は?(威圧)」

しかしブレレン王国がこれに反発。
1848年。第2次バリ戦争が始まります。





190 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:08:47 ID:4GR

(●▲●)「ちょっと痛い目見せたるわ」

(●▲●)「…?」

(●▲●)「…お?」

(●▲●)「………おお?」

(●゚◇゚●)「ヤマダ!ユウヘイ!バレンティン!やってしまうんだ!」

(●▲●)「ちょ、待ちーや!それ反則やで!」

何とここで遠征軍は手痛い敗北を喫します。





191 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:09:48 ID:4GR

(●▲●)「ワイを本気にさせたな?」

(●▲●)「燃やしたるわ」

(◇)「ぁぁぁ、ジンタイが…燃える…燃える……」

1849年。第3次バリ戦争。
オランダは12000人からなる遠征軍を送り、ロンボク海峡に面する王国を制圧したのでした。





193 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:10:52 ID:4GR


一方の海峡を挟んだ向こう側、ロンボク島。
この島はバリ島の覇権が及んでいましたが…。






194 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:12:20 ID:4GR

(o^^o)「反乱を起こすんだ!」

(●▲●)「お、ええこと聞いたわ」

ササック族のバリ島支配への反乱。これにオランダが乗じて進出。
そうしてロンボク海峡を確保しました。





195 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:14:01 ID:4GR

なお、バリ島南部には未だ小王国が残っていましたが、そのうちの幾つかはオランダに懐柔されます。

また、小王国同士の対立で亡命していたギャニアール王国。
この王家がオランダに自国再興の助けを求めたことが、南部王国征服の契機となったのでした。



【番外編:バリ島 完】





196 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:15:50 ID:4GR
今日はここまで。続きは鋭意執筆中…。

当初の計画から番外編などなどで大分膨れあがってしまい、大日本帝国登場にえらい時間がかかっている模様。
更に追加分が増える気配があるため、ここから暫く更新速度が落ちる可能性あり。
明日の更新はないかもしれませんのであしからず…。




197 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:17:52 ID:tsD
サンイチ
まったりやってくれればええんやで




202 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:27:16 ID:4GR
・小豆知識『ムラピ山』
1822年に噴火した火山。
前年1821年にコレラが流行しており、これらの事象がジャワ戦争に大きく関わったとされます。

名称は「火の山」の意。
1548年から計68回も噴火しており、2010年にも噴火しているようです。
噴火の度に2000人ほどの死者を出しています。
メラピ山とも書かれ、スマトラ島中部にも同名の火山があるそうです。




208 :名無しさん@おーぷん:2015/03/16(月)23:58:14 ID:CWP
ワイ小豆島民 歓喜




214 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)09:39:58 ID:Rfc
>>208
あず・・・小豆島




217 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)21:00:37 ID:ivN




220 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)21:37:26 ID:Bjx
待ってたやで




222 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:00:24 ID:ivN
(*^◯^*)<はじまるんだ!




223 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:01:44 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その1

1854年。日本は鎖国から解放されます。
これにより日本人は東南アジアに溢れ出ました。
それらは貧しさ故の、南方で成功したいという一旗組でした。

日本人の海外渡航の先駆け。それは『カラユキサン』でした。

語源は唐行。唐とは「外国」の意。



売春婦です。





224 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:03:08 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その2

例えば、1897年のジャワ島在留邦人。
全125名のうち、女性はなんと100名だったそうです。
彼女らの職業が記されていないのは、察して下さい。

”カラユキサン”は主に九州の天草、島原の貧困層の女性でした。
斡旋業者は貧しい農村を回り、年頃の娘を見つけると「海外で奉公させる」などと言って親に現金を渡します。
斡旋業者は彼女たちを売春業者に渡すことで手間賃を得ていました。

当時、中国や東南アジアに石炭が輸出されていましたが、
彼女らはその積み荷の隙間に紛れて密出航していたのでした。





225 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:04:32 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その3

シンガポールから東南アジア各地に”カラユキサン”が送られる拠点があり、
東南アジアの都会にも田舎にも”カラユキサン”は居たそうです。

作家・山崎朋子の作品『サンダカン八番娼館』。
ノンフィクション小説。
後に映画化もされたこの作品は、”カラユキサン”として渡った女性への聞き取り調査を基にしているそうです。

ボルネオ島東端のイギリス領、サンダカン。
こんな場所にすら”最低8つ以上の『カラユキサン』による娼館があった”。
それほどまでに、東南アジアには日本の女郎屋があり、”カラユキサン”が居たということです。





226 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:05:46 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その4

日本統治時代の台湾銀行バタヴィア支店、スラバヤ支店開設時。
それらは”カラユキサン”の仕送りで営業が成り立っていた、という話もあります。

現在の経済大国・日本の基礎となったのは、明治時代、安い賃金で工場で働く女性労働者”女工”です。
”女工”の生産した綿製品を不当に安く輸出することで、日本は工業社会にのし上がりました。
それらは女性の汗と涙でできていました。

しかし実は女性の肉体そのものも輸出されていた。
それが”カラユキサン”です。





229 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:09:28 ID:rHp
>>226
女工さんは何気に入工前より待遇、境遇ましやで




227 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:06:58 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その5

当初、”カラユキサン”さんは世論において『娘子軍』として持ち上げられ、明治末期にその最盛期を迎えました。

しかし日本の国勢が盛んになるにつれ、”カラユキサン”は国家の恥として非難されるようになりました。

1920年。廃娼令により海外の日本人娼館は廃止されました。
多くの”カラユキサン”は日本へ帰還しましたが、更正策もなく残留した人もいたそうです。





228 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:08:21 ID:ivN

・豆知識『カラユキサン』その6

現在、東南アジアで”カラユキサン”の痕跡が残るのは、日本人墓地の一画のみです。
そこには墓碑らしい黒く変色・風化した石が無造作に置かれているそうです。

今、東南アジアでは卒業旅行で訪れる日本の女子学生たちが各地の国際空港、高級ホテル、リゾート地に溢れています。
彼女らはちょうど、”カラユキサン”と同じ年頃です。
”カラユキサン”と女子学生たち。彼女らの時代はたった100年しか違いません。
たった100年、されど100年。越えられない時の重みを感じます。


【豆知識『カラユキサン』 完】





230 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:09:52 ID:ivN

・豆知識『トコ・ジュパン』その1

”カラユキサン”と同時期に東南アジアへ出た日本人です。
見世物師や家事従業員がいましたが、
最も羽振りが良かったのは、やはり”カラユキサン”を抱える女郎屋の大将でした。

海外に出た行商人は初めは”カラユキサン”を相手にする商売だけでしたが、
次第に住民相手への商売に広がっていき、やがて店舗を構えるようになりました。





231 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:11:06 ID:ivN

・豆知識『トコ・ジュパン』その2

日本人の店は『トコ・ジュパン』(Toko Jepang:日本人の店)と呼ばれ、正直者の店として評判でした。
トコ・ジュパンは薬品、雑貨、衣料、陶器、自転車、床屋、写真館、運送店などを営み、
特に薬の行商は歓迎され、皮膚病、眼病用の薬はよく効いたそうです。

太平洋戦争前には8000人ほどの日本人がオランダ領東インドに在住。
当時はオランダ領東インドのあらゆる街に満遍なく散らばっており、
少し大きな街には華僑商店に混じって1,2軒ほどのトコ・ジュパンがありました。





232 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:12:27 ID:ivN

・豆知識『トコ・ジュパン』その3

やがて日本の大商社も遅れてオランダ領東インドに進出してくるようになります。
ビジネス街に大きな店を構え、殖産会社、外交官、銀行、船会社、商社なども進出してきます。

彼らは転勤で日本に帰る者と、帰る予定のない者に分かれます。
帰る予定のない者も、日本国籍は残したままなので、
日本から妻と子どもを連れてやってきた彼らは、一種の出稼ぎのようなものでした。





233 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:13:49 ID:ivN

・豆知識『トコ・ジュパン』その4

オランダ領東インドにおける日本人の最初の位置付けは”東洋外国人”。
華僑やアラビア人と一緒のものでした。

しかし1899年。
オランダとの協定で、日本は法的にはヨーロッパと同等の地位が与えられます。
日本の経済進出も目覚ましく、彼らは日本人を”名誉白人”として受け入れざるを得ませんでした。


本編を挟み、その5に続きます。





234 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:14:12 ID:ivN
次からやっと今日の本編が始まります。




235 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:15:43 ID:ivN

1901年


(´・ω・`)「もう…だめ…」


”強制栽培制度”はジャワ島農耕地の生産力を上げ、ジャワ島の人口を増加させました。
しかしジャワ島の農民たちの窮迫ぶりは以前にも増して酷いものでした。

農民たちを苦しめた”強制栽培制度”は、中断を挟んだものの、姿形を変え、未だに存続し続けていたのです。





236 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:17:07 ID:ivN


(・蘭・)「原住民が可哀相だ!原住民の福利向上をはかるべきだ!」



(●▲●)「オランダ本国での反発が強くなってきたなー」

(●▲●)「まぁ知らんけどな」





237 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:18:30 ID:ivN


☆「オランダはジャワ農民に対して『名誉の負債』を負い、植民地住民への倫理的責任と道徳的義務がある」


(●▲●)「ファッ!?女王が演説!?」

(●▲●)「しゃーない、教育ぐらいは受けさせたるわ」


オランダ本国の批判の声が高まり、オランダ女王ウィルヘルミナの演説を経て、
『倫理政策』と呼ばれる政策がとられるようになりました。

これにより初等、中等学校が新設され、医師、官吏養成学校なども設けられ、オランダの大学に留学する者も増加。
愚民化政策で制限されていた教育の機会がようやく与えられるようになったのです。





238 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:19:58 ID:ivN

ちなみに倫理政策の内容は 1.キリスト教の布教 2.権力分散 3.住民への福祉 4.教育 です。

権力分散は植民地政府への権限委譲であり、現地民への権限委譲ではありません。
住民への福祉も、搾取の度合いから見れば雀の涙ほどです。
イスラム教が主流のインドネシアでキリスト教を布教すれば、それは分断統治の側面を持ちます。
現地民が唯一実感できたのは教育だったと言えます。





239 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:21:34 ID:ivN

・『名誉の負債』について

紳士ならば、例え義務はなくとも道徳的に支払うものである――。


例:
(●▲●)「よっしゃ!またワイの勝ちや!」

(´・ω・`)「うぅ、もう一文無しだよ。どうやって家に帰ろう…」

(●▲●)「なんや、しゃーないな。帰りの電車賃ぐらいは恵んでやるで」

(●▲●)「ワイは勝者やからな、紳士ならそれくらいは当たり前やろ?」


散々甘い汁を吸っておいて「『名誉の負債』だから恵んでやる」というところが実に植民地帝国らしいです。





240 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:22:57 ID:ivN

・豆知識『オランダ留学生』

”倫理政策”導入後、優秀な原住民学生にはオランダ留学のチャンスが与えられました。
留学生はヨーロッパの近代主義に触れ、母国の実体を知り、やがて民族意識を自覚することとなります。

植民地内ではほとんど口をきく機会のない民族同士。
彼らに「同じ植民地民である」という連帯感が生まれたのは、オランダの学生街の下宿、その屋根裏部屋でした。
この連帯感もやがて、インドネシアの民族意識へと拡大していくのでした。





241 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:24:35 ID:ivN

1908年

( ・`ω・´)「オランダ留学から戻ってきたよ」

( ・`ω・´)「ところでぼくたちの故郷はいつまで植民地なんだろう?」

( ・`ω・´)「同じ国の中なのに言葉はバラバラだし」

( ・`ω・´)「そろそろぼくたちは『インドネシア』としてオランダから独立するべきじゃないか?」


植民地の原住民に許された最高位の職業は”医師”でした。
しかし医学を修める彼らは、次第に植民地社会という病巣そのものを意識するようになります。
最優秀の原住民青年が集う医師養成学校は、多くの民族主義者を育てるゆりかごになりました。





242 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:25:50 ID:ivN

医師ワヒディン。
彼は奨学金制度の必要性を呼びかけ、王室や貴族に賛同者を得ました。

そんなワヒディンの影響を受け、青年医学生ストモはある組織を結成します。





243 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:27:25 ID:ivN


1908年5月20日。

教育を受けた知識人が中心となり、ジャワ島で初めての民族主義団体『ブディ・ウトモ』が結成されます。
”ブディ・ウトモ”とは『最高の英知』の意。
教育による社会的地位の上昇を目的とし、この日、第1回大会を開催しました。

”ブディ・ウトモ”は文化活動に重点を置く一方、宗教的・政治的活動はなく、
大衆的基盤もなく、ジャワ人上層階級のみが対象だったため、会員数は最大の時でも1万人を越えませんでした。


そんな”ブディ・ウトモ”の結成日ですが、後にこの日は『民族覚醒の日』として祝日に定められます。
オランダの船団がインドネシアに着いたあの年から300年。
過酷な植民地支配下に耐え続けた東インド諸島の原住民たち。
彼らに遂に民族意識が芽生えた、これはその最初の日なのです。






244 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:28:49 ID:ivN



【番外編:日露戦争】







245 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:30:11 ID:ivN


外国関連で唯一思い出すことは、5歳の頃に父と見た雑誌の写真についてである。

その写真は乃木将軍と東郷元帥の像であった。

アジアの小国でさえ、ヨーロッパの大国に打ち勝てる。

その戦争はそれを示していた。

日露戦争はアジア人を眠りから呼び覚ました。

アジアとインドネシアのその後の政治発展の中で、

日本の勝利は計り知れないほど大きなものがあった。


 民族主義者:イワ・クスマ・スマントリ、自伝『インドネシア民族主義の源流』より





247 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:31:34 ID:ivN

日本の水雷艇による奇襲で始まった日露戦争。
日本の攻撃により次々と艦が沈み、次第にロシアの太平洋艦隊は戦力を失いつつありました。

そこでロシアはバルト海艦隊の主力を引き抜き『第二太平洋艦隊』を編成。
更にバルト海艦隊残留艦から第三太平洋艦隊を編成。極東へ送り出しました。
これらが日本で『バルチック艦隊』と呼ばれる艦隊です。


この結果、ロシア艦隊は条約により黒海から出られない黒海艦隊を除いた、
そのほぼ全ての艦隊を日露戦争に動員することになりました。





248 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:33:04 ID:ivN

1904年4月。

(´・ω・`)「あれが世界最大、最強のバルチック艦隊…」

(´・ω・`)「あんなのにやられたらひとたまりもないよ…」

(´・ω・`)「日本も不憫だね…」


マダガスカル島沖で集結したバルチック艦隊は、マラッカ海峡を威風堂々と通過します。
港からバルチック艦隊を眺めた人々は、この艦隊の的になる東洋の小国、その運命に胸を痛めました。





688 :名無しさん@おーぷん:2015/04/11(土)22:27:11 ID:Nvh
>>248
こういう歴史の点と点が繋がる演出すき
にくいねぇ




249 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:34:35 ID:ivN

1904年5月28日。

(´・ω・`)「えっ、バルチック艦隊が壊滅!?」


対馬海峡にて。
日本はロシアのバルチック艦隊に完勝しました。

バルチック艦隊の損害は沈没21隻、拿捕されたものが6隻。
他に6隻が中立国に逃亡し、ロシアのウラジオストクへ到達できたのは僅か3隻のみでした。
戦死4830名、捕虜6106名。捕虜には二人の提督も含まれます。

一方の日本軍は、駆逐艦1隻の大破、水雷艇3隻の沈没、主力艦は中破すらほぼ無し。
戦死117名、戦傷583名と非常に軽微な損失であり、
大艦隊同士の艦隊決戦としては、史上稀に見る一方的な勝利でした。

『日本海海戦』、又は『対馬沖海戦』と呼ばれるこの海戦。
当時世界最大・最強レベルと思われていた巨大艦隊が忽然と消滅したこの海戦は、
日本の同盟国イギリスや、仲介国アメリカすら驚愕させました。





251 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:36:09 ID:ivN

ヨーロッパ人がアジア人を支配するこの植民地構造。
これは当時の”ダーウィンの進化論”により、『優者=白人』『劣者=有色人』という理屈で正当化されていました。

しかし日露戦争でのアジア人・日本による勝利。
これは白人優者神話を根底から打ち崩すものでした。

東南アジアの民主主義者は大きな衝撃を受け、後に前述のような記述を残しています。
インド首相ネルーの自叙伝にも同様の記述があるようです。

日露戦争における日本の勝利は、東南アジアの各国に大きな影響を与えました。





252 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:37:42 ID:ivN


そんな中、インドネシアでは一つの予言が注目されます。
”ジョヨボヨの予言”。
その中に出てくる”黄色い人間”とは日本人のことではないか?
日露戦争で日本が勝利すると共に、そんな日本待望の噂が広まるのでした。


インドネシア・民族覚醒の日、ブディ・ウトモの結成。
それは日露戦争の3年後、1908年のことでした。


【番外編:日露戦争 完】





253 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:38:42 ID:RzN
日本海海戦もこちらを参考に
バルチック艦隊「長い航海で疲れたンゴゴゴwwwwwwww」
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1422664697/l50
ワイら世界最強バルチック艦隊、ガチで日本海へ殴り込み中
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1412780805/l50




254 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:38:45 ID:LZB
ロシア側5000人近く死んだのか…
捕虜6000人てのも凄い数だな




262 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:45:50 ID:RzN
>>254
<日本海海戦スコア>
【連合艦隊】敵33隻撃破(拿捕・抑留含)- 敵3隻撃破(水雷艇のみ)【バルチック艦隊】





270 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:59:58 ID:ivN
>>254
・小豆知識『日本海海戦の捕虜』

ロシアの6000名以上の捕虜は、その多くが艦の沈没により海に投げ出されたものの、日本軍の救助活動によって救命されました。
また、対馬や日本海沿岸に流れ着いたものの多くは、各地の住民によって保護されました。

国際社会に「文明国である」とアピールするために、日本は戦時国際法に忠実でした。
そのため、戦時法遵守が末端の小艇水兵にまで徹底されました。

当時の日本国民は戦時財政下の中で困窮に耐えていましたが、
ロシア兵の捕虜は、その中でも十分な治療と食事を与えられ、健康が回復し次第帰国したそうです。
軍法会議での処罰を恐れる士官は日本に留まることもできました。

日本の戦時国際法の遵守。これには世界各国から賞賛が寄せられたそうです。




255 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:39:06 ID:ivN

・豆知識『仁丹』

かつて、東南アジアで日本を象徴する商品は『味の素』でした。
しかし太平洋戦争以前、日本を象徴する商品は『仁丹』でした。

仁丹は薬用効果による人気もありました。
しかしその隠れた任期の秘密は、その包装紙でした。

髭を生やした軍医の絵。
東南アジアの民衆は、日露戦争で白人を破った日本軍人を、その包装紙で見つけたのでした。

更に人々は”Jintan”という略語に
「Jenderal Ini Nanti Torong Anak Neguri」(この将軍はやがてわが住民を助けるであろう)
という意味付けを施し、更に人気が高まったのでした。

ちなみにこの略語。”NIPPON”にも同じことがされ、
「Nanti Indonesia Perang Pula Orang Nederland」(インドネシアはオランダ人と戦うだろう)
という意味付けが施されたのでした。





256 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:40:20 ID:ivN


【おまけ:バルチック艦隊】






257 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:40:38 ID:5ly
仁丹愛用者のワイ、歓喜




258 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:41:32 ID:ivN

1905年5月28日。早朝…。


(・露・)「第1戦艦隊、第2戦艦隊は消滅。残るは我が第3戦艦隊のみ…」

(・露・)「しかもうちは他の戦艦隊と違って旧式の戦艦ばっかり…」

(・露・)「あっ、日本軍に発見された」

(・露・)「(アカン)」

(・露・)「ど、どうしよう…」





259 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:42:47 ID:ivN

09時30分。

(・露・)「そうこうしてるうちに敵の主力艦まで集まってきた」

(・露・)「もうだめだ」

(・露・)「一応、第1戦艦隊の生き残り戦艦”オリョール”は夜通しの復旧作業で回復させてる」

(・露・)「第3戦艦隊の旗艦”インペラートル・ニコライ1世”も無傷だけど…」

(・露・)「砲員が多数死傷してる上、照準器は故障して滅茶苦茶」

(・露・)「勝てる気がしないよ」

(・露・)「よし、降伏だ」





260 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:44:00 ID:ivN


10時34分。

(・露・)「白旗だよ~(フリフリ」


(・日・)「………」

(・日・)「………撃て。」

(ドーンドーン)


(・露・)「ファッ!?」






261 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:45:32 ID:ivN


10時53分。

(・露・)「………」

(・露・)「………」

(・露・)「………あっ」

(・露・)「エンジン停止してなかったわ(ポチッ」


戦時国際法に則った降伏にはエンジンの停止が必要不可欠でした。
こうしてバルチック艦隊の降伏は無事受け入れられたのでした。


日本海海戦でのバルチック艦隊には、このような洒落にならないドジッ子エピソードが割と確認されるようです。


【おまけ:バルチック艦隊 完】





689 :名無しさん@おーぷん:2015/04/11(土)22:30:32 ID:Nvh
>>261
アホの子ロシア人すこ




263 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:46:41 ID:ivN
本日の更新は以上です。続きは鋭意執筆中…。

今回は第2章の中盤まで。次は第2章のクライマックスです。
範囲的には大分狭いので、明日もきっと更新できるはず…?




266 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:48:45 ID:JiS
(・露・)がかわE




269 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)22:52:08 ID:Bjx
今日のポイント
東洋の小国だったはずの日本がロシアとガチ殴り合いしても負けなかった
この事実が民族意識が高まろうとするインドネシアにどういう影響があったか
イッチ先生の次回作にご期待ください




272 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)23:24:33 ID:JE2
蘭カスが畜生過ぎたこともあって、
日本支配時代については「良い物は良い、悪いものは悪い」と冷静に評価してるんだよな。




273 :名無しさん@おーぷん:2015/03/18(水)23:33:25 ID:Vno
ロシアのアジア侵略戦略のため、どちらかというと旅順にロシア海軍のエリートが集められていたらしい
バルチックは旅順救援に作られた艦隊だから、寄せ集め的な側面もあった




276 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)20:56:44 ID:q57




277 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:00:28 ID:q57
(*^◯^*)<はじまるよー




278 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:01:27 ID:q57


【前回のあらすじ】






279 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:02:31 ID:q57


(´・ω・`)「”強制栽培制度”の負担がやば過ぎて、もう死にそう…」

(●▲●)「しゃーない、教育を解禁したるわ」

( ・`ω・´)「医師になるためオランダに留学するよ」






280 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:03:53 ID:q57


( ・`ω・´)「ここが学生街の下宿所かー」

( ・`ω・´)「あ、こんにちは!

(^)'・▲・`(^)「…こ、こんにちは」

( ・`ω・´)「もしかして君も学生さん?」

(^)'・▲・`(^)「…そ、そうだよ」

( ・`ω・´)「そうなんだ!よろしくね!」

(^)'・▲・`(^)「…よ、よろしく」






281 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:05:36 ID:q57


下宿所の屋根裏部屋。


( ・`ω・´)「君はどこから来たんだい?」

(^)'・▲・`(^)「…東インドのバンテン地方だよ」

( ・`ω・´)「そうなんだ!ぼくも東インドなんだ!スラバヤの生まれなんだよ!」

( ・`ω・´)「すごい偶然だね!」

(^)'・▲・`(^)「そ、そうだね」






282 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:06:58 ID:q57


( ・`ω・´)「それにしても…」

( ・`ω・´)「ぼくたちは違う民族ってだけで」

( ・`ω・´)「今まで話したことすらなかったんだよね」

( ・`ω・´)「同じ東インドの住民なのにね」

(^)'・▲・`(^)「…そうだね」

(^)'・▲・`(^)「そもそも使う言語が違うし…」

(^)'・▲・`(^)「こうして留学できるほど言語の勉強をしないと」

(^)'・▲・`(^)「話すらできないからね」

(^)'・▲・`(^)「交流がないのも当然かも…」






283 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:08:16 ID:q57

( ・`ω・´)「それじゃ今回の留学はとても良い機会だね!」

( ・`ω・´)「こうなったら夜通し語り明かそうじゃないか!」

(^)'・▲・`(^)「う、うん。そうだね」





285 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:09:43 ID:q57


( ・`ω・´)「…うぅ、夜更かししたから眠いよ…」

(^)'・▲・`(^)「ゆうべはおたのしみでしたね………zzz」

( ・`ω・´)「…うん。やっぱり東インドは独立するべきだ!」

( ・`ω・´)「こんなの絶対に間違ってるし!」

( ・`ω・´)「でも民衆は未だにオランダの支配に反発する意思がない…」

( ・`ω・´)「こうなったらぼくたちで集会を開こう!」

( ・`ω・´)「みんなに目を覚ましてもらうんだ!」

( ・`ω・´)「今こそ立ち上がるときなんだ!」

(^)'・▲・`(^)「………zzz」



【前回のあらすじ 完】






286 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:11:11 ID:q57


これ以降、インドネシアの民族主義運動は活発化していきます。



1910年代:イスラム系大衆団体『サレカット・イスラム』が大規模な大衆動員に成功

1920年代:アジア最初の共産党『インドネシア共産党』が設立。ストライキなどの労働運動を通じて植民地政府と鋭く対立






287 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:12:32 ID:q57


・豆知識『トコ・ジュパン』その5

第一次世界大戦後、東南アジアではヨーロッパの退潮と入れ替わる形で日本の経済進出が目立つようになり、
やがて日本はオランダ領東インドにとっての最大の輸入先となりました。

日本の財閥によって多くのゴム園が拓かれ、日本人が監督役となり中国人やインドネシア人を雇用しました。
個人が農場を開墾し、野菜や果実栽培に成功したりもしました。


本編を挟み、その6へ続きます。






288 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:13:47 ID:q57


やがて、インドネシアの民族主義運動は最高潮を迎えます。






289 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:15:09 ID:q57


1927年。


( ・`ω・´)「遂にぼくたちの団体、『インドネシア国民党』が始動するよ」

( ・`ω・´)「やっと、ぼくたちの夢が叶う」

( ・`ω・´)「ここがぼくたちのはじまりの場所なんだ」


1927年。スカルノによって『インドネシア国民党』が結成されます。





290 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:16:34 ID:q57

1928年。

オランダ領東インドの首都バタヴィア。

第2回インドネシア青年会議。

ここに東インド中から青年たちが集いました。





291 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:17:55 ID:q57


( ・`ω・´)「お集まりの皆さん、本日はお越し頂きありがとうございました」


( ・`ω・´)「それでは最後に三つの誓いを読み上げさせて頂きます」






292 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:19:09 ID:q57


( ・`ω・´)「一、我々インドネシア青年男女は、インドネシアという一つの祖国をもつことを確認する。」






293 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:20:09 ID:q57


( ・`ω・´)「二、我々インドネシア青年男女は、インドネシア民族という一つの民族であることを確認する。」






294 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:21:11 ID:q57


( ・`ω・´)「三、我々インドネシア青年男女は、インドネシア語という統一言語を使用する。」






295 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:22:19 ID:q57


『青年の誓い』

 『唯一の祖国インドネシア』

 『唯一の民族インドネシア民族』

 『唯一の言語インドネシア語』

民族独立が掲げられ、誓いが高らかに宣言された瞬間。


それはインドネシアの民族主義運動が最高潮を迎えた瞬間でした。



( ・`ω・´)「本日はお集まり頂きありがとうございました。それではまた次回の会議でお会いしましょう。」




296 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:23:46 ID:q57

・豆知識『国歌 インドネシア・ラヤ』

第2回インドネシア青年会議。その休憩時間。
作曲家スプラットマンは議長に「歌を歌わせて欲しい」と懇願しました。
そして彼は自らのヴァイオリンで初めて”インドネシア・ラヤ”を披露しました。

演奏はアンコールの連呼に迎えら、その後もこの歌は数々の集会で歌われたそうです。
議論が険悪になった時も、これが演奏されると途端に和やかになったとすら言われています。

そうして、この歌はインドネシアの独立・解放を求める人々のシンボルとなりました。


なお、この歌は後にオランダによって禁止されることとなります。





297 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:24:44 ID:q57

・豆知識『インドネシア』その1

実は”インドネシア”という用語は昔からあったものではありません。
地理学上の学術用語として、1850年代よりヨーロッパで使用され始めた言葉です。

オランダは”東インド”と称していましたが、”東インド”とはヨーロッパ目線による地域名です。(>>23)
民族主義者にとって、植民地支配の用語そのままの”東インド”は不愉快でしかありませんでした。
そしてその頃、”インドネシア”という言葉が新たな響きを持って現れたのでした。

”インドネシア”という用語は民族主義の自覚をもたらしました。
在欧留学生の『東インド協会』は『インドネシア協会』に改名。
そして”青年の誓い”によって、”インドネシア”という言葉は政治的意味合いを持つようになりました。





298 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:25:56 ID:q57

・豆知識『インドネシア』その2

反オランダの政治団体は当然”インドネシア”という名称を積極的に名乗りましたが、
親オランダの政治団体ですら”インドネシア”を名乗ったそうです。

オランダの植民地政庁は”インドネシア”という用語に警戒こそしましたが、禁止はしなかったそうです。
ですが、公式には”東インド”と”原住民”で押し通しました。


本編を挟み、その3へ続きます。





299 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:26:35 ID:a74
やっぱ名前って大事だわ




300 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:27:23 ID:q57


しかし。



やがて民主主義運動には暗雲が立ちこめ始めます。






301 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:28:38 ID:q57

”インドネシア共産党”。
彼らの度重なるストライキは、オランダの逆鱗に触れます。

ストライキを主導した幹部たちは次々に国外追放されました。





302 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:29:54 ID:q57

やがて、幹部をなくした共産党は暴走を始めます。


( `(エ)´)

( `(エ)´)「ストライキじゃ!ストライキじゃ!」

( `(エ)´)「印刷工場、病院、港湾はみんなストライキするんやで!」





304 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:31:20 ID:q57

更に…。


( `(エ)´)「もう我慢ならん!ワイらインドネシア共産党は武装蜂起するで!」

( `(エ)´)「ワイらは”インドネシア共和国”を宣言するんや!」

( `(エ)´)「手始めに国家機関の人間の住宅を襲撃するで!」

( `(エ)´)「弾薬倉庫は片っ端から爆破じゃ!」

( `(エ)´)「あ、共産党に報酬の2/3を上納するなら集団強盗も認めるで」

( `(エ)´)「襲え襲え!革命じゃ!」





305 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:32:54 ID:q57


( `(エ)´)「フハハ!これからはワイらの天下じゃ!」





(●▲●)「アカンなぁ」

( `(エ)´)「あっ」

(●▲●)「これはアカンよなぁ」

(●▲●)「粛正やろなぁ」

( `(エ)´)「」


共産党はジャカルタ刑務所、郵便局の占拠に失敗。

共産党の武装蜂起は瞬く間に鎮圧され、逮捕者13000人、投獄者4000人を出し、指導者1300人が流刑に処されました。






306 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:34:05 ID:q57

そして…。


(●▲●)「少しおいたが過ぎたなぁ」

(●▲●)「これは運動自体を取り締まらんといかんやろなぁ」

(●▲●)「当然、指導者は全員逮捕やろなぁ」

(●▲●)「二度と変な気起こさんよう、拷問せなアカンやろなぁ」


オランダは全ての民族主義運動を非合法化しました。





307 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:35:36 ID:q57


1929年12月29日。


(●▲●)「一斉検挙じゃ!国民党の幹部は片っ端から逮捕や!」

( ・`ω・´)「ファッ!?」

(●▲●)「あんさん、ちょ~っとやりすぎたなぁ?」

(●▲●)「謝っても許さへんで?」

(●▲●)「覚悟しいや」

( ・`ω・´)「そ、そんな!」

( ・`ω・´)「これは不当逮捕だ!裁判で訴えてやる!」

(●▲●)「ま、続きはム所で聞くさかい」






308 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:36:36 ID:q57




国民党を結成したスカルノ、ハッタといった運動家は全て逮捕、拷問され、やがて流刑となりました。



こうして、インドネシアの民主主義運動は終焉を迎えてしまったのでした。


 『インドネシア独立運動編 完』





309 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)22:38:00 ID:q57
本日の更新分は以上になります。お付き合い頂きありがとうございました。

明日も問題がなければ更新する予定です。今はその後の展開を執筆中です…。




312 :名無しさん@おーぷん:2015/03/19(木)23:15:57 ID:Oo2
イッチお疲れやで。
続きを楽しみにしとるやで。




314 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)20:58:28 ID:59K




315 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)21:04:38 ID:LAO
>>314
かわいい




316 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:00:13 ID:59K



【幕間】






317 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:01:44 ID:59K


舞台はヨーロッパ。


(=◎ω◎=)

(=◎ω◎=)「我がドイツは第一次世界大戦で敗戦国になってもたんや」

(=◎ω◎=)「巨額の賠償金にもめげず何とか復帰しつつあったんやけど…」

(=◎ω◎=)「世界恐慌…ここでそれは(アカン)」

(=◎ω◎=)「こうなったらもう独裁政治や!反感?知らん!」






318 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:03:18 ID:59K

1939年

(=◎ω◎=)「隣国ポーランドに侵攻するで!要求を無視した罰や!」

(U・×・U)「ファッ!?そんなんポーランド同盟国のワイらイギリス・フランスが黙ってへんで!?」

(=◎ω◎=)「知るかボケ!戦争じゃ!!」


第二次世界大戦が始まりました。





319 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:04:54 ID:59K



さて。



彡(゚)(゚)「お?」



その頃の日本。






320 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:06:26 ID:59K

その頃、日本は日中戦争の真っ最中でした。


彡(^)(^)「原住民はボコーで」

彡(^)(^)「鉄道はドカーンで」

彡(゚)(゚)「あれ?もしかして今ワイだけ?」


満州国建国などで国際的に孤立していました。





321 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:07:58 ID:59K

彡(゚)(゚)「アカン、時代に取り残される、どないしよ…」

彡(゚)(゚)「お、ドイツが戦争?よっしゃ!」

彡(^)(^)「世界的やからね、乗るしかないで!このビッグウェーブに!」


そこで日本はこの大戦の流れに乗ることにします。





322 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:09:29 ID:59K

1940年


彡(^)(^)「同盟結ぶやで~」

(=◎ω◎=)「せやな」
  _、_
( ,_ノ` )「俺達に任せておけ」


ドイツ、日本。そしてイタリアによって『日独伊三国軍事同盟』が結成されます。
イタリアも当時はドイツ同様に独裁政治に走っていたのでした。





323 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:10:51 ID:Wxx
一番下炎上しそう




324 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:11:00 ID:59K

彡(^)(^)「これで時代の流れに取り残されずに済んだわ」

彡(^)(^)「一安心やな」


同盟を結んだ日本。
しかし遠いヨーロッパの2国と同盟を結んでも実質的効果はなく。





325 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:12:31 ID:59K





(☆●●●●)「ほ~ん、そういうことするんだ…」




寧ろ、イギリスの支援国アメリカの怒りを買うことになってしまいました。





326 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:14:01 ID:59K

(☆●●●●)「じゃ、もう日本へは輸出しないから」

彡(゚)(゚)「ファッ!?」


怒ったアメリカは日本に経済制裁を加えようとします。
それは「日本への石油・燃料・鉄類の輸出禁止」というものでした。





327 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:15:30 ID:59K

彡(゚)(゚)「ちょ、ちょっと待っちくり~」

彡(゚)(゚)「ワイら日本は物資に乏しい国や」

彡(゚)(゚)「せやから戦争に必要な燃料もほとんど輸入しとるんやで」

彡(゚)(゚)「しかも、石油・鉄類は70%以上をアメリカさんから輸入しとるんやで!?」

彡(゚)(゚)「え、なに。それが全て途絶えるん…?」

彡(゚)(゚)「………」

彡()()「」


『石油の一滴は血の一滴』。戦争では燃料が勝敗に大きく影響します。
日本は日中戦争の真っ直中です。それは正に死活問題でした。





328 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:17:02 ID:59K

1941年4月

彡(^)(^)「悪かったわ、そんなつもりやなかったんや」

彡(^)(^)「な?な?機嫌治しちくり~」

(☆●●●●)「………」


日本は何とかアメリカの怒りを静めようと努力します。
1941年4月にはワシントンで交渉を開始しました。





329 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:18:35 ID:59K

しかしその一方で。


彡(゚)(゚)「ベトナムや!サイゴンへ軍を進めるんやで!」

彡(゚)(゚)「石油や!ゴムや!資源が必要なんや!」

彡(゚)(゚)「足りんくなってからじゃ遅いんじゃ!はよ進まんかい!」


日本陸軍は石油・ゴムなどの資源を求め、ベトナムのサイゴンへ軍を進めます。





331 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:20:06 ID:59K

そのサイゴンですが。

何と、アメリカ領フィリピン、イギリス領シンガポール、オランダ領インドネシアなど。

その『全て』を攻撃できる場所でした。



(☆●●●●)「」

彡()()「」


遂にアメリカは経済制裁を発動。
更にアメリカの日本人資産を全て凍結させてしまいました。





332 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:21:37 ID:59K

1941年9月


(☆●●●●)「中国からの全軍撤退」

(☆●●●●)「三国同盟廃棄」

(☆●●●●)「中国・満州を満州事変以前に戻す、などなど…」

(☆●●●●)「これが最後の提案だ」

彡(゚)(゚)「ファッ!?そんなん飲める訳ないやろ!?」


アメリカから最後の提案。
それは日本としては到底飲めるものではありませんでした。





333 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:23:03 ID:47X
大日本帝国のお兄ちゃんキター




334 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:23:07 ID:59K

彡(゚)(゚)「アカン、もうどないしたら…」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………………」

彡(゚)(゚)「………………………」

彡(^)(^)「………せやな(ニッコリ」





335 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:23:39 ID:59K


1941年10月

首相・東条英機が就任。





336 :名無しさん@おーぷん:2015/03/20(金)22:24:41 ID:59K

1941年12月




(●●●●●●●●●●●●●●●●●●)「真珠湾を攻撃する」




海軍大将・山本五十六により真珠湾の攻撃命令が下され。

太平洋戦争が始まりました。



 『幕間:太平洋戦争開戦 完』






367 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)20:31:20 ID:sbn




368 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:00:25 ID:sbn

※ここから先は彡(゚)(゚)の酷使が目立つようになります
複数キャラクターを演じているので注意して読んで下さい
手持ちの顔文字が少なくなってきたので、顔文字全体の使い回しも増えるかもしれません




369 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:01:45 ID:sbn



        【第3章】







370 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:03:04 ID:sbn

インドネシアのジャワ島。


(´・ω・`)「また世界中で戦争が始まったみたいだねー」

( ・◇・)「みたいだねー」

(´・ω・`)「まぁぼくらには関係ない話だけどね」

( ・◇・)「だねー」

( ・◇・)「あ、でもねー」

( ・◇・)「こっちの方にも日本軍がやってきたらしいよー?」

(´・ω・`)「ふーん、そうなんだー?」


大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり、
インドネシアにも日本軍がやってくるらしい、という噂が流れ始めたある日のこと。





372 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:04:25 ID:sbn

(´・ω・`)「今日も畑できうり…じゃなくてサトウキビを育てないと…」

ゴウンゴウン

(´・ω・`)「あれ?何か聞こえたような?」


ゴウンゴウン

ゴウンゴウンゴウンゴウン

ンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴン
ンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンンゴンゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ





373 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:05:50 ID:sbn


上空から響き渡る爆音。
原住民たちが見上げた空の彼方には、青の中に幾つも咲く白い花と、



(´・ω・`)「あれは……日本兵!?」


彡(゚)(゚)「せやな」



落下してくる戦士たちの姿がありました。
それは日本軍による落下傘兵でした。





374 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:07:05 ID:EL6
ンゴンゴの効果音に草生える




375 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:07:16 ID:sbn

当時の日本は不足した資源を確保する必要がありました。
しかし平和的交渉は失敗。
そのため、太平洋上の島々へ怒濤の勢いで侵攻していたのです。
東インドには大量の石油と飛行機の原料・ボーキサイトがありました。

1942年1月11日に始まったこの『蘭印作戦』。
1月11日:タラカン島タラカンとスラウェシ島メナド
1月25日:ボルネオ島バリクパパン
1月31日:アンボン島アンボン
2月14日:スマトラ島パレンバン
2月19日:バリ島とチモール島
と快進撃を続けた日本軍。

そして3月1日。とうとう最終目標のジャワ島に上陸したのでした。





376 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:08:40 ID:sbn

当時、ジャワ島にはオランダ軍、オーストラリア軍、イギリス軍、アメリカ軍の合計約10万人がいました。
これに対し、日本軍がジャワ島へ送り込んだのは4万人でした。

(●▲●)「ワイらも海戦ならそこそこ行けるんやで~」

海戦ではかなりの抵抗を見せたオランダ軍。
しかし、一旦日本軍に上陸を許すと…。





377 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:10:08 ID:sbn

(・蘭・) ざわ…ざわ…

(●▲●)「なんや、どないしたんや」

(・蘭・)「大変です、日本軍の兵力は20万人だそうです!」

(●▲●)「ファッ!?なんやて!?」

(●▲●)「アカン、勝てる気せーへん」

(U・×・U)「………インドに逃げよ」


オランダ軍司令官の上位、イギリスの連合軍総司令官はインドへ逃亡しました。





378 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:11:38 ID:sbn

~♪~♪

(●▲●)「な、なんや!この音楽は!」

(´・ω・`)「…あ、あれは!

(´・ω・`)「まさか、”インドネシア・ラヤ”!?」

(´・ω・`)「独立と解放を象徴する歌!」

(´・ω・`)「日本軍はぼくたちを解放しに来てくれたんだ!」

(●▲●)「お、おい!何しとんのやお前ら!やめるんや!」


彡(゚)(゚)「来たやで~」

(´・ω・`)「日本軍のみなさん!ご飯や果物を用意しておきました!」

(´・ω・`)「我々原住民は、みなさんを歓迎します!」

彡(^)(^)「お!サンキューやで~」





379 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:13:02 ID:sbn

(●▲●)「くそっ!ひとまず進軍を止めるために道路を封鎖するんや!」

(●▲●)「その辺の木でも切り倒しとけ!」

(・蘭・)「は、はい!分かりました!」



(´・ω・`)「日本軍のみなさん!道路に転がってた邪魔な木はどけておきました!」

彡(^)(^)「お!サンキューな~」

(●▲●)「ファッ!?」





380 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:14:31 ID:sbn


彡(゚)(゚) 彡(゚)(゚)

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (*^◯^*) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)


(●▲●)「………ア、アカン」

数万人にしか過ぎない日本軍。
しかしオランダ軍は、その背後に控える何千万人ものインドネシア人を見てしまったのです。





381 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:16:02 ID:sbn

落下傘部隊、銀輪部隊は物凄い速度で進撃します。

8日。バンドンで包囲されたオランダ軍は停戦を申し出ます。

そして9日。オランダのボールテン最高司令官によって、無条件降伏の命令がラジオで全軍に伝えられます。


僅か9日。日本軍はたったそれだけの期間でジャワ島の連合軍を降伏させ、
これにより、インドネシア全土の完全制圧を成し遂げてしまったのです。





382 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:17:34 ID:sbn

(´・ω・`)「ぼくたちが350年間も敵わなかったオランダ人を僅か9日で駆逐するなんて…」

(´・ω・`)「…『天から白い布をまとって降りてくる』、そういえば予言にはそんなことも書かれていた…」

(´・ω・`)「まさかあれが予言にあった伝説の黄色い人…!?」


オランダによる350年の東インド支配は終わり、それは正に予言の実現そのものでした。



(´・ω・`)「どう見ても黄色いし…」

彡(゚)(゚)「ん?」





383 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:18:55 ID:sbn

・豆知識『トコ・ジュパン』その6


1941年6月。日蘭会商決裂。


(・日・)「オランダと戦争になるんだってよ」

(・日・)「この東インドももうやばいらしい」

彡(゚)(゚)「おう、さっさとジャワ島から引き上げるんやで~」

約5000人の日本人がジャワ島から引き上げを開始しました。





384 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:20:15 ID:sbn

1941年12月。太平洋戦争開始。


(●▲●)「お前ら日本人は敵国人じゃ」

(●▲●)「当然逮捕なんやで(ニッコリ」

(・日・)「ヒェッ…」

残っていた日本人は全て敵国人として植民地政庁に逮捕され、オーストラリアキャンプに抑留されました。
オランダの日本人に対する扱いはとても酷かったそうです。





385 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:21:40 ID:sbn

彡(゚)(゚)「ワイの友人も捕まってもた」

彡(゚)(゚)「助けに行かんと(使命感)」

彡(゚)(゚)「ワイも軍に参加するで!」

先に引き上げていた日本人は、ジャワ占領軍に従軍。
再びジャワ島へ戻ってきました。





386 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:23:01 ID:sbn

彡(゚)(゚)「ここや!この道や!ここを進むんや!」

彡(゚)(゚)「お、原住民やんけ!情報ありがとな!」

彡(゚)(゚)「急ぐんや!なんとしてでも助けるんやで!」

トコ・ジュパンの亭主たちは尖兵となりました。
彼らはジャワの言葉、習慣に明るく、軍属として重宝されました。





387 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:24:21 ID:sbn

そしてジャワ島占領後、彼らは…。


彡(^)(^)「ワイは特権地位やからな!多少の悪さは見過ごされんねん!」

彡(^)(^)「さーて、稼ぐで~」


特権地位を悪用して悪徳を重ねた者。


彡(゚)(゚)「なんや、日本軍に話があるんか?」

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが手を貸したるわ」


日本軍と住民との間に立ち、住民に感謝された者。
彼らには様々な人間がいました。


本編を挟み、その7へ続きます。





388 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:25:42 ID:sbn




さて。
ジャワ島含む東インド全域の占領に成功した日本軍。

彼らは広い東インドの領地を、陸軍と海軍の管轄に分けることにしました。
ジャワ島とスマトラ島は陸軍が支配し、それ以外は海軍が支配したのです。
また陸軍の中でも、ジャワ島を第16軍、スマトラ島とマレー半島を第25軍に振り分けました。
東インドの3極分割統治です。





389 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:27:03 ID:sbn


話は少し前に遡り。

物語の最重要人物の一人を紹介します。






390 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:28:24 ID:sbn


彡(゚)(゚)

中将・今村均。


陸軍・第16軍軍司令官。

『蘭印作戦』、蘭印攻略を任された人物です。





391 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:29:45 ID:sbn

3月1日。


彡(゚)(゚)「バンテンからジャワ島へ上陸や!」

(●▲●)「そうはさせへん」

彡()()「ほげっ」

バンテンから上陸しようとした今村の船が、オランダによって沈められてしまいました。





431 :名無しさん@おーぷん:2015/03/27(金)21:55:18 ID:5jc
>>391
・今村中将が乗っていた船の沈没原因

重巡洋艦”最上”の放った九三式魚雷。

これが敵艦”ヒューストン”に空振り。
結果、魚雷は直進を続け、遂に味方の輸送船団に到達。
輸送船2隻、病院船1隻、掃海艇1隻。
更に世界初の揚陸艦、今村が搭乗する陸軍特種船”神州丸”を見事撃沈したのでした。

特に日本軍の虎の子的存在だった”神州丸”が撃沈されたことは大きく、
第16軍司令部は上陸前にあわや全滅という危機に陥りました。

この事件により無線機や暗号表は海没。
約100名が死亡し、中部・東部に上陸した別動部隊への指揮が5日間も不能になるという大損害を被りました。

後に海軍の誤射という大失態が判明した際、
海軍指揮官の謝罪を今村は快く受け入れ、更に同士討ちの事実隠蔽を提案したといわれます。
結局、帝国陸軍はこの事件を不問に処し、海軍への責任追及も行いませんでした。

なお、後の陸軍による”神州丸”サルベージ中、『九三式』の刻印付き魚雷破片が船倉より発見されます。
陸軍はこれを港湾内に投棄。無事、証拠隠滅が成されました。




392 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:31:04 ID:sbn

彡(゚)(゚)「海に投げ出されたなう」

彡(゚)(゚)「漂流中なう」

彡(-)(-)「………」

彡(゚)(゚)「…アカン、もう3時間や」





393 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:32:31 ID:sbn

彡(゚)(゚)「はー、疲れた。やっと陸地に着いたで」

彡(゚)(゚)「幸い犠牲者はほぼなしやな、無線機は駄目になったけど…」


(´・ω・`)「あれは…日本兵!?」

彡(゚)(゚)「ファッ!?見つかった!?」

(´・ω・`)「ようこそ、ジャワ島へ!」

彡(゚)(゚)「!?!?」


この作戦が始まるまで、今村は中国の泥沼の戦いの中にいました。
それは住民から敵視され続ける中での戦闘。
敵地で周りに敵しかいないのは当然のことでした。

そんな今村が、初めて敵地で原住民に歓迎されたのでした。





394 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:34:02 ID:sbn

東インド全域の占領後。
ジャワ島は中将・今村均率いる第16軍の管轄になります。


彡(゚)(゚)「ここの原住民はええ奴ばっかりやな…」

彡(゚)(゚)「そんな原住民たちの期待を裏切るなんて真似、ワイにはでけへん」

彡(゚)(゚)「ワイは”融和政策”でこの地に挑むで」





395 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:35:24 ID:sbn

( ・`ω・´)「もう幽閉されて何年になるんだろう…」

( ・`ω・´)「何か外が騒がしいけど、ぼくらの現状は変わらない…」

( ・`ω・´)「青空が見たいなぁ…」

彡(゚)(゚)「せやな」

( ・`ω・´)「ファッ!?」

彡(゚)(゚)「ちょっと話がしたいんやけど、ええかな?」

( ・`ω・´)「え、えぇ。どうぞ。」





396 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:36:45 ID:sbn

彡(゚)(゚)「ワイはお前ら民主主義運動家を解放したいと思っとる」

( ・`ω・´)「え?」

彡(゚)(゚)「そんでな、お前らに治世の協力をしてもらいたいんや」

彡(゚)(゚)「資金や物資の援助もしたるし、優秀な原住民は軍政府の高官にも登用したる」

彡(゚)(゚)「ワイは裏切らん、これはワイとお前との約束や」

( ・`ω・´)「…分かった、君を信じるよ」

彡(^)(^)「(ニッコリ」


今村は、幽閉されていたスカルノに協力を求め、スカルノはそれに応じました。

政治犯として幽閉されていた民主主義運動家は解放され、
今村とスカルノの間には固い絆が生まれたのでした。





397 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:37:46 ID:sbn

(●▲●)「民主主義運動家は解放されて、入れ替わりに俺らが牢獄行きか…」

(●▲●)「しかし何だ?この豚小屋は」

(●▲●)「こんなことになるなら、もっとまともな牢獄を造っておけばよかったぜ…」





398 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:39:14 ID:sbn

それから…。


彡(゚)(゚)「石油精製施設を復旧したからオランダ時代の半額で一般に売り出すで~」

彡(゚)(゚)「オランダ軍から没収した金で学校を建設したで~」

彡(゚)(゚)「日本兵諸君。略奪とかの不法行為は厳禁やで」

彡(゚)(゚)「治安維持に努めるんやで~」


彡(゚)(゚)「なんや、オランダ人の民間人も残っとんのか…」

彡(゚)(゚)「まぁ軍属でないなら住宅地に住んでええで、外出も認めるわ」





399 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:40:34 ID:sbn

やがて戦争が進み、日本では衣料が不足し配給制となります。


(●●●●●●●)「日本で白木綿が足りん」

(●●●●●●●)「今村、ジャワ島の白木綿をこっちによこせや」

彡(゚)(゚)「…そんなん言われても無理ですわ」

彡(゚)(゚)「原住民の生活が圧迫されますし…」

彡(゚)(゚)「それにこっちの白木綿は死者の埋葬に使うんですわ」

彡(゚)(゚)「宗教心を傷付けるのは不味いんですわ…」

(●●●●●●●)「は?お前軍政府に逆らうんか?」

彡(゚)(゚)「い、いえ、そんなことは…」





400 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:41:55 ID:sbn

(●●●●●●●)「おう、ちょっと現地に調査に行けや」

(●●●●●●●)「場合によっては今村飛ばしたるわ」

(・日・)「はい、分かりました」




(*^◯^*)「今村さんはとてもいいひとなんだ!」

(*^◯^*)「これなら独立も夢じゃないんだ!」

(・日・)「………」





401 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:43:15 ID:sbn


(・日・)「原住民は日本人にとても親しみをよせています」

(・日・)「オランダ人は完全に敵対を断念しているようです」

(・日・)「治安も良く、産業も復旧され、」

(・日・)「軍需物資調達の面でも、ジャワ島の成果はずば抜けて良いです」

(●●●●●●●)「ぐぬぬ…」






402 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:44:34 ID:sbn

(*^◯^*)「~♪~♪」

彡(゚)(゚)「お、”インドネシア・ラヤ”やな?」

(*^◯^*)「そうなんだ!オランダ時代は禁止されていた歌なんだ!」

彡(゚)(゚)「ほ~ん…」





403 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:45:55 ID:sbn

(*^◯^*)「~♪~♪」

彡(゚)(゚)「おう、原住民」

(*^◯^*)「あ、今村さん!」

彡(゚)(゚)「これ、持ってけ」

(*^◯^*)「これは?」

彡(゚)(゚)「”インドネシア・ラヤ”のレコードや、東京で作ったんやで」

(*^◯^*)「本当!?」

彡(^)(^)「ああ、みんなに配ってやるんやで」

(*^◯^*)「ありがとう!今村さん!」





404 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:47:29 ID:sbn

彡(゚)(゚)「そういやここの首都”バタヴィア”はオランダが付けた名前やったな」

彡(゚)(゚)「由来はオランダの旧地名か…」

彡(゚)(゚)「もう相応しくはないわな、新しい名前考えな」

彡(゚)(゚)「せやな……確か、古インドネシア王国の首都はジャヤカルタやったそうや」

彡(゚)(゚)「…よし。今日からここは”ジャカルタ”や!」

首都ジャカルタ。
それは今村中将の統治中に改称されました。

また、敵国後であるオランダ語は禁止され、
インドネシア語の使用が義務づけられ普及することになりました。





405 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:48:50 ID:sbn


(●●●●●●●)「おう、今村」

彡(゚)(゚)「なんや?」

(●●●●●●●)「やっぱお前の政策は甘いわ」

(●●●●●●●)「今からでもシンガポールみたいな強圧的政策に切り替えろや」

彡(-)(-)「申し訳ないけど、それはできないんやで」

(●●●●●●●)「は?」





406 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:50:18 ID:sbn

彡(゚)(゚)「”占領地統治要綱”」

彡(゚)(゚)「ここには『公正な威徳で民衆を悦服させ』と書いとる」

彡(゚)(゚)「ワイは公正にやっとるだけや」

彡(゚)(゚)「それで民衆を悦服させとる」

彡(゚)(゚)「何も間違いはないやろ?」

(●●●●●●●)「ぐぬぬ、ふざけたことを…」

彡(-)(-)「もし”占領地統治要綱”自体を改正して」

彡(-)(-)「ワイを従わせようと言うなら」

彡(゚)(゚)「その前にワイを免職してくれや」

彡(゚)(゚)「方針転換するような軍には付いていけんからな」

(●●●●●●●)「………。」





407 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:50:23 ID:8UW
日本軍AAが暗黒君で草




408 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:51:43 ID:sbn


彡(゚)(゚)「何か”八紘一宇”という言葉が誤解されとるなぁ」

彡(゚)(゚)「侵略主義のように思われとる」

彡(゚)(゚)「ホンマは同一家族・同胞主義って意味やのになぁ…」






410 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:53:25 ID:sbn


1942年11月20日。


彡(゚)(゚)「なんや第8方面軍司令官になったわ」

彡(゚)(゚)「昇進なんやて。ラバウルへ異動や」

彡(゚)(゚)「……実質飛ばされたようなもんやな」

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイはここまでや」

彡(゚)(゚)「後は任せたで」


1942年のジャワ島で行われた今村中将による善政。
それは共存・共栄を目的とした”融和政策”でした。

今村中将のジャワ島任期は僅か8ヶ月。
しかしそれが残したものは非常に大きく、
後の日本ジャワ軍政の命脈を保つ事になります。





411 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)21:54:27 ID:sbn


今村中将によるジャワ島独自の政策は終わり。

以後、ジャワ島でも各地同様、軍部の思惑通りの政策に取って代わられることとなります。



【中将・今村均編 完】






416 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)22:11:31 ID:EtW
面白いわー
心ある軍人もいたんやな




417 :名無しさん@おーぷん:2015/03/25(水)22:43:16 ID:s4b
人に好かれようとではなく自分に従ってこんなことできるのが素晴らしいですわ




424 :名無しさん@おーぷん:2015/03/26(木)16:52:46 ID:r3N
https://www.youtube.com/watch?v=dlINdXBklLA

これすき




433 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:32:35 ID:4ZV




434 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:35:33 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「ワイが後任の軍司令官・原田中将やで~」

彡(゚)(゚)「早速やけど、歌”インドネシア・ラヤ”と旗”メラ・プティ”は禁止なんやで」

彡(゚)(゚)「これは軍の決定やから逆らったらいかんのやで~」

(´・ω・`)「…。」


東インドの独立を危惧した日本軍は、その象徴である歌と旗を禁止していました。

今村中将(昇進により今村大将)の後任となった原田熊吉中将。
彼は今村とは対照的な、軍部の意向に沿った強圧的政策を始めます。





435 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:37:05 ID:4ZV


彡(゚)(゚)「オラ!さっさと集まれや!」

(´・ω・`)「わ、分かったよ、日本のおにいちゃん…」

彡(゚)(゚)「集まったな、よし!」

彡(゚)(゚)「宮城に向かって敬礼!」





436 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:37:36 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「おい!さっさと頭を下げるんや!」

(´・ω・`)「え!?そ、そんな…」

彡(゚)(゚)「つべこべ言うな!この原住民が!」

(´・ω・`)「いたっ、ぶたないで…」

彡(゚)(゚)「馬鹿野郎!原住民の癖に口答えすんな!」

彡(゚)(゚)「いいからさっさと頭を下げろ!」

(´・ω・`)「うぅ、ぼくイスラム教徒なのに…」


スマトラ島東北部、北スマトラ州メダン市中心部。
ここには紘原神社が建設され、毎日原住民たちが集められます。
そして彼らは全員、宮城(皇居)の方角に向かって敬礼(遙拝)させられるのでした。

その中には当然イスラム教の原住民たちも含まれ、
彼らが礼拝する西方の聖地メッカとは真逆の、東方向への礼拝を強要されたのです。

頭髪は強制的に刈り込まれ、日本語も強要されたそうです。





437 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:38:46 ID:4ZV


彡(゚)(゚)「労務者を募集するで~」

彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで~」

(*^◯^*)「日本のおにいちゃん、ぼくもロームシャになるよ!」





438 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:39:56 ID:4ZV

(・◇・)「知ってる?”ロームシャ”の話」

(´・ω・`)「うん、なんでも炭坑に連れて行かれて死ぬまで酷使されるんだって」

(´・ω・`)「食事もロクにもらえず、みんな次々と死んでいく最悪の環境だって…」


彡(゚)(゚)「労務者を募集するで~」

彡(゚)(゚)「日本のために働く勤労戦士になれるのは栄誉あることなんやで~」

(´・ω・`)「………」

(・◇・)「………」





439 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:40:59 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「え~、労務者に応募する者が減ったので」

彡(゚)(゚)「今日から地域毎に労務者を出してもらいます」

彡(゚)(゚)「これは軍が決めたことです、絶対やで」





440 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:42:08 ID:4ZV

(・◇・)「男の人はみんな”ロームシャ”として連れて行かれちゃった…」

(・◇・)「男手不足で農作物は不作だし、持って行かれる農作物の量も半端ない…」

(・◇・)「これじゃオランダ時代以下だよ…」


インドネシア史に残る悪名高い忌むべき言葉”ロームシャ”。
”日本軍による強制労働”という意味でインドネシア語になり、教科書にも載っています。

戦時中、ジャワ島は食料と労働力の補給基地という位置付けでした。
”ロームシャ”は労働力不足のスマトラ島やタイ、ビルマなどに移送され、
飛行場、道路、武器庫、防御陣地、地下兵器倉庫、鉄道建設などに従事します。
彼らの一部は作業場で死亡し、その死因は栄養不良、病気、そして機密保持のため殺害された可能性も高いそうです。

日本側の主張では14万人~22万人。インドネシア側の主張では400万人が動員されたそうです。
帰還できたのは7万5千人だったと見積もられ、
動員された”ロームシャ”の多くは、戦後も帰ってきませんでした。





441 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:43:19 ID:4ZV

1943年5月


彡(゚)(゚)「戦線拡大でジャワ島の兵力が足らんようになってもた…」

彡(゚)(゚)「せやから日本軍の補助兵を募集するで~」

彡(゚)(゚)「志願者には4ヶ月ほどの日本語教育を。」

彡(゚)(゚)「更に2ヶ月間の軍人訓練を受けてもらうで」

彡(゚)(゚)「試験に合格した優秀な人材だけを採用するで~」


”ヘイホ”と呼ばれる日本軍の現地民補助兵。
この制度が確立したことで、それまでに雇われていた現地民補助兵もまとめて”ヘイホ”として組み込まれました。


主な業務は運転手などの補助的任務でしたが、部隊によっては”ヘイホ”に大砲操作を任せざるを得ない事態にもなっていました。
中には部隊の配置転換により、ニューギニア戦線やビルマ戦線に従軍させられた”ヘイホ”もいます。
彼らは戦闘に巻き込まれ、多くの犠牲者が出ました。





442 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:44:22 ID:4ZV

U・ω・U「衣食住の保証あり、か…」

U・ω・U「これも独立と国軍整備の第一歩だよね」

U・ω・U「ぼくは”ヘイホ”に志願するよ」


当初、”ヘイホ”への志願者は多く、インドネシアでは最大50000人にも達したといいます。
”ヘイホ”は各部隊に均等に配属され、軍全体の約1割にもなりました。
しかし、故郷を離れ前線に投入されることが明らかになると、徐々に志願者は減っていきました。

やがて”ロームシャ”同様、地域毎の供出人数が設定され、
村長が”ロームシャ”になるか”ヘイホ”になるか迫る、半ば強制的な徴募になっていきました。
そして戦後、徴用を厳しく実施した何人かの村長が村人に殺害される事件が発生しました。

彼らの従軍中の給料の2/3は強制的に”貯金”させられており、敗戦によってそれらは全て没収されました。





443 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:45:25 ID:4ZV

・豆知識『ポンティアナック事件』

海軍特別警察隊による被害妄想、誇大妄想による虐殺事件。

捕虜となったオランダ人が陰謀を画策したものの、陰謀は事前に発覚し、全員が処刑されます。
そのオランダ人からたまたま地名・ポンティアナックが出たことから、
海軍特別警察隊はポンティアナックで疑わしそうな人物を全て逮捕します。
自白によって逮捕されたのはオランダ人、華僑、インドネシア人、医師、教師など様々。
更に拷問によって次々と逮捕者を拡大します。

結果、裁判で47名を処刑。
裁判以外でも毎夜密かに日本刀で50名を斬刑。
犠牲者は1000~3000名といわれますが、インドネシア側の主張では21037名とされています。
なお、戦後に日本側関係者は全て処刑されました。

悲惨な事件ですが、首都から遠い地方での事件だったため、
当初インドネシアではそれほど関心を向けられなかったそうです。
虐殺事件は海軍管轄の東カリマンタン・ロアクール、マルク州南部ババル島でも起こったそうです。





444 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:46:27 ID:4ZV

・豆知識『アンボン事件』その2


”蘭印作戦”中、アンボン島アンボン。


(・豪・)「連合軍からアンボンの守備を任されたよ」

(・豪・)「ほら、オランダ軍ももっとシャッキリしないと」

(・蘭・)「えー、でもなぁ」

(・豪・)「あっ、敵の落下傘部隊が来たよ!敵襲だ!」





445 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:47:28 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「オラオラ、観念せーや!」

(・豪・)「ぐっ…つ、強い!」

(・蘭・)「降参します」

(・豪・)「ファッ!?」

(・豪・)「オランダ軍なんかもう知らん!絶対に死守してやる!!」

彡(゚)(゚)「うおぉ!?」





446 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:48:30 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「ふ~、なんとか制圧したで」

彡(゚)(゚)「オランダは早々に降参したくせに、オーストラリアの奴らめ…」

彡(゚)(゚)「(チャカッ」ターン

(豪)「」

(・蘭・)「ファッ!?」

彡(^)(^)「これでスッキリやね」


もう一つのアンボン事件。
アンボンを制圧した日本軍が、オーストラリア軍の捕虜を不法に処刑しました。

また、アンボン収容所に収容された捕虜のうち、全体の2/3にあたる378名が死亡しています。
この事件は日本ではあまり知られていませんが、やられたオーストラリアではよく知られています。





447 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:49:32 ID:4ZV

オーストラリア映画『BLOOD OATH』

オーストラリア軍事法廷


(・裁・)「それでは開廷します。」

(・裁・)「まずは日本の最高責任者」

彡(゚)(゚)「ワイは悪くない!ワイは悪くないで!」


(☆●●●●)「…あ~、ちょっといいかね?」

(・裁・)「はい?」

(☆●●●●)「この者はこちらアメリカで裁くことにするから」

(☆●●●●)「引き取らせてもらうよ」

(・裁・)「は、はぁ…わかりました」

彡(^)(^)「やったぜ。」





448 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:50:33 ID:4ZV

(・裁・)「じゃあ次は…最も悪そうな現場指揮官」


彡(゚)(゚)「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

(・裁・)「ファッ!?」

彡(゚)(゚)「アカン…もうアカン…」

彡(゚)(゚)「アカンアカンアカンアカンアカンアカンアカンアカンアカン」

彡(゚)(゚)「………」

彡(^)(^)「(ニッコリ」

(セップクー

(・裁・)「」





449 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:51:35 ID:4ZV

(・裁・)「これは困りましたね」

(・裁・)「日本人を一人も裁けていません」

(・裁・)「ところで、そこの日本人は?」

彡(゚)(゚)

(・蘭・)「はい、彼は今回の法廷で通訳を任されています」

(・蘭・)「とても良心的なキリスト教徒なんですよ」

(・裁・)「そうですか、分かりました」


(・裁・)「ではその日本兵を銃殺にします」

(・裁・)「これで一件落着ですね」


戦後のオーストラリア軍事法廷を題材としたオーストラリア映画『BLOOD OATH』。
そこで描かれる、裁判の形をした日本人への復讐は、当時の様子・心情をよく代弁しているのではないかと思われます。


【豆知識『アンボン事件』 完】





450 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:52:37 ID:4ZV





1943年


(●●●●●●●)「ビルマとフィリピンの独立を容認するで~」

(●●●●●●●)「南方各島には速やかに政治参与の措置を取るで~」


(´・ω・`)「…。」





451 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:53:40 ID:4ZV

1943年2月


(●●●●●●●)「来たで~」


東条首相がジャワ島を訪問したそうです。


(●●●●●●●)「ワイらは東インドを解放するために来たんやで~」

(●●●●●●●)「せやから原住民も戦争に協力するんやで~」


(´・ω・`)「…。」





452 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:54:44 ID:4ZV

1943年3月


( ・`ω・´)「民衆運動の許可をお願いします」

彡(゚)(゚)「せやなぁ…まぁ民衆を戦争に協力させられるならええか」

( ・`ω・´)「それでは新しい民衆運動は『民衆総力結集運動』と命名させて頂きます」

彡(゚)(゚)「せやな、好きにするとええで」


民衆総力結集運動。(Pusat Tenaga Rakjat)
スカルノとハッタが担ぎ出されたこの運動は、インドネシアではその頭文字を取り”プートラ運動”と呼ばれました。


( ・`ω・´)「日本軍はこの運動を戦争に利用しようとしてるけど…」

( ・`ω・´)「それはぼくの考えとは違う」

( ・`ω・´)「ぼくはこの運動で東インドのみんなの民族意識を高揚させるよ」

( ・`ω・´)「ぼくたちは何としてでも独立するんだ」





508 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:49:10 ID:3ME
>>452

1944年3月


( ・`ω・´)

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
 (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)


(●●●●●)「最近の”プートラ”は完全に民主主義運動の温床になっとるな…」

(●●●●●)「流石にこれ以上放置はでけへん」

(●●●●●)「”プートラ”は解散、代わりに新しい組織を設立するで」





453 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:55:35 ID:4ZV

1943年5月。


(●●●●●●●)「フィリピンを独立させるで~」


(´・ω・`)「…。」





454 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:56:25 ID:4ZV

1943年8月


(●●●●●●●)「ビルマを独立させるで~」


(´・ω・`)「…。」





455 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:57:26 ID:4ZV

1943年9月


(´・ω・`)「…ねぇ、独立は…?」

彡(゚)(゚)「あ、そや」

彡(゚)(゚)「ジャワ島に”中央参議院”を設立するで~」

彡(゚)(゚)「これで原住民も政治に参加できるんやで~」

彡(゚)(゚)「スカルノが議長に就任して、ハッタは議員になるんやで~」

(´・ω・`)「………。」





456 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:58:37 ID:4ZV

1943年11月5日


彡(゚)(゚)「日本へようこそやで~」

(・満・) (・中・) (・比・) (・緬・) (・印・) (・泰・)


大東亜会議。
東条首相の主宰により、大東亜共栄圏内の各国から代表者が招待されました。

満州国:張景恵総理
中華民国南京政府:汪精衛院長
フィリピン:ホセ・ペ・ラウレル大統領
ビルマ:ウー・バー・モウ首相
インド:自由インド仮政府首班チャンドラ・ボース
タイ国:ワンワイタヤコーン殿下(首相代理)
そして日本の東条英機首相が一同に揃ったのでした。

後に彼らの多くは”日本の傀儡”として断罪されます。
ですが、当時の彼らは皆、アジア解放の実現に誇りを持っていました。

未だ独立が認められないインドネシアは、この会議には呼ばれませんでした。





457 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)22:59:41 ID:4ZV

1943年11月13日


( ・`ω・´)「やっと、着いた。ここが日本かー」

(^)'・▲・`(^)「いいからほら、さっさと行くよ」

(^)'・▲・`(^)「今日はまだやることがあるだから」

大東亜会議の8日後。
ジャワ島代表スカルノと同行者ハッタは日本に招待されました。





458 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:00:44 ID:4ZV

( ・`ω・´)「すごい歓迎っぷりだったねー」

( ・`ω・´)「明日は工場見学だってさ、楽しみだねー」

(^)'・▲・`(^)「…そうだね」

17日間の滞在中、彼らは接待漬けの毎日を送りました。
連日の歓迎行事、昭和天皇との握手、各地の工場見学など。
青年スカルノはそれに感激しました。

牢獄と流刑を繰り返したスカルノにとって、日本は生まれて初めての異国。
そして日本というアジアの小国が備える近代設備に驚きました。


(^)'・▲・`(^)「………。」

しかし同行者ハッタにはオランダ留学の経験がありました。
彼にとって日本の工場見学などは、そこまで目新しいものではなかったのかもしれません。





459 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:02:04 ID:4ZV

( ・`ω・´)「今回はお招き頂きありがとうございました」

彡(^)(^)「いやいや、こちらこそ楽しんで頂けて何よりなんやで」

( ・`ω・´)「それで、インドネシアの独立の件なんですけど…」

彡(^)(^)「……せやな、分かっとるで」

彡(^)(^)「せやけどまだ時期が悪いんや」

彡(^)(^)「もう暫く時間がかかるかもしれん」

彡(^)(^)「すまんな」

( ・`ω・´)「そうですか…」

(^)'・▲・`(^)「………」





460 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:03:04 ID:4ZV


彡(^)(^)「………」

彡(^)(^)「………」

彡(゚)(゚)「………行ったか」

彡(゚)(゚)「独立なぁ…?」

彡(゚)(゚)「そんなん無理に決まっとるやん」

彡(゚)(゚)「何のためにわざわざ東インドまでやって来たと思っとるん」

彡(゚)(゚)「石油や、石油。東インドの石油」

彡(゚)(゚)「フィリピンやビルマと違って、東インドの石油は重要や」

彡(゚)(゚)「手放せるわけないやん?」





461 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:04:04 ID:4ZV

彡(゚)(゚)「……まぁそろそろ抑えておくのも難しいかもしれん」

彡(゚)(゚)「ひとまず、民主主義運動が活発なジャワ島だけ」

彡(゚)(゚)「あそこだけ独立させるのも手かもしれんな」

彡(゚)(゚)「”東インド独立”ではなく”ジャワ島独立”」

彡(゚)(゚)「これならスマトラ島周辺の油田はワイらのもんや」

彡(゚)(゚)「せやから今回は”ジャワ島代表”を呼んだんや」

彡(゚)(゚)「…まぁ、解答を出すにはまだ早い」

彡(゚)(゚)「もう暫く、適当にはぐらかし続けるで」





462 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:04:45 ID:4ZV

(^)'・▲・`(^)「…なんて、思ってるんだろうなぁ」

(^)'・▲・`(^)「スマトラ島出身のぼくにとっては面白くない話だね」

(^)'・▲・`(^)「今回もスカルノばかりがちやほやされて、なんだかなぁ…」





463 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:05:46 ID:4ZV

・豆知識『ビルマ(ミャンマー)』

1943年8月1日。ビルマの独立が宣言されます。
”傀儡国家”とも批判されるこの国は、終戦と共に事実上の解体がなされました。

後のミャンマー政府は”ビルマ国”との連続性を認めていません。
しかし”ミャンマー国軍”については、1942年に創設されたビルマ独立義勇軍(BIA)を始まりとしています。





464 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:06:43 ID:4ZV

・豆知識『南機関』
1941年から1942年に存在した日本軍特務機関の一つ。
ビルマ独立運動の支援を任務とし、ビルマ独立義勇軍(BIA)の誕生に貢献しました。

1981年4月。
ミャンマー政府より、独立に貢献したとして南機関・鈴木敬司ら旧日本軍人7人に、国家最高栄誉の勲章が授与されています。
彼らは今日の日本とミャンマーとの友好関係の基礎を築いたとも評価されています。





465 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:07:44 ID:4ZV

・豆知識『フィリピン』
1935年。アメリカはフィリピンに独立の約束をしました。
その流れに乗って1943年、日本はビルマと共にフィリピンも独立させます。
”傀儡国家”とも批判されるこの国は、終戦と共に事実上の解体がなされます。

終戦後。フィリピンは再びアメリカの植民地に戻らざるを得ませんでした。
しかし1946年、戦前の約束がマニラ条約により果たされ、フィリピン第三共和国が再独立したのでした。





468 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:30:57 ID:5Hc
はよ書き上げろこのコンラッド野郎!グリーンウェル!メンチ!!(タメになるわ!これからも頑張って!!)




473 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)00:05:15 ID:hv2
>>468
ってオイオイオーイ!wwwwwww
逆ゥー!心の中と言ってることが逆ゥー!wwwwwww




470 :名無しさん@おーぷん:2015/03/28(土)23:55:08 ID:IrL
サンイチ

過去の歴史をしっかり認識して、それでいて卑屈にならず他国のために貢献できる国になることが大事なんや労ね




480 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)21:54:22 ID:z1Q

・豆知識『南方特別留学生』

日本の南方占領地から、国費留学生として約200名の高校在学者・卒業者が日本に招聘されました。
インドネシアでは軍政開始と共に3大学全てが閉鎖されたため、
日本留学は専門教育・大学教育を受けられる唯一の機会でした。

試験による選抜方法は地域で差があり、
インドネシアからは1943年に52名、1944年に29名が招聘されたそうです。
1944年は既に日本の制海・制空権が奪われていたため、日本渡航がとても危険な状態でした。





481 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)21:55:32 ID:z1Q

1年目。
彼らは目黒の日本語学校で語学研究を受けます。

2年目になるとそれぞれの専攻毎に振り分けられ、各地で専門教育を受けました。
 宮崎(農業)、久留米(工業)、熊本(医学)、広島(教育)、徳島(工業)、岐阜(農業)、横浜(警察)

そして3年目になると、彼らは京都帝大、広島文理大(広島大)、陸軍士官学校などに入学しました。

留学生には月額100円~120円の奨学金が支給され、
当時の物資難はあったものの、経済的にはあまり困窮しませんでした。





482 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)21:56:33 ID:z1Q

やがて戦局悪化に伴い、留学生も戦災に遭うようになります。
神奈川県相武台では、ジャワ島からの留学生が一人、米軍の機銃掃射で死亡しています。

東京での空襲が本格化すると、留学生は各地方都市に移されました。
しかし、東京壊滅後は逆に地方都市への空襲が激化。
各地で行き場を失った留学生たちは、再び焼け跡の東京に戻らざるを得ませんでした。

そして広島への原爆投下。
当時7人の留学生が広島文理大で学んでいましたが、その全員が被爆。
1人が避難先で死亡。もう1人が9月初めに死亡しました。

各地で戦災に遭う留学生が多発する中、京都帝大にいた学生は何とか難を免れたそうです。





483 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)21:57:34 ID:z1Q

終戦と共に留学生受け入れは中止。
マラヤ・ビルマ・フィリピンなど、旧宗主国が復活した国の留学生には帰国命令が出たため、
彼らは学業半ばで帰国させられることになりました。

日本での残留を希望した者は、
駐留連合軍で通訳などの仕事をしながら勉学を継続し、1950年代初めには学業を終えて帰国しました。

彼らの多くは「日本人は親切で、差別もなかった」と感謝の気持ちを述べ、
寧ろ戦時下の苦しい生活を共に過ごした日本庶民への同情すらありました。
そして多くの留学生が日本人女性と結婚したそうです。





484 :名無しさん@おーぷん:2015/03/29(日)21:58:35 ID:z1Q


その後。
帰国した留学生たちの多くは、政治家・教育者・実業家・法律家など、祖国の政治・経済の中核を担いました。
また、知日家として各分野で日本企業との架け橋になった者も多かったそうです。


【豆知識『南方特別留学生』 完】





490 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:00:24 ID:3ME




493 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:30:43 ID:3ME

1942年2月

『蘭印作戦』

ジャワ島上陸前、ベトナム中南部カムラン湾

”佐倉丸”にて…。


彡(゚)(゚)「諸君!ジャワ島は目前や!」

彡(゚)(゚)「今こそワイらの力を見せつけてやる時!」

彡(゚)(゚)「心してかかるんやで!」

(・詩・)「中尉!私の情熱を詩に込めました!」

(・詩・)「”戦友別盃の歌”!聞いて下さい!」

彡(゚)(゚)「お!ええやん!気に入ったで!」

彡(゚)(゚)「うおぉ!何か燃えてきたで!」


熱血軍人、中尉・柳川宗成。
彼は憧れのジャワ島を前に高揚していました。

その情熱に共鳴した熱血詩人・大木淳夫は、柳川に『戦友別盃の歌』を贈ったそうです。





494 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:32:00 ID:3ME

ジャワ島上陸後…。


彡(゚)(゚)「おっしゃ!ワイがバンドン一番乗りや!」

彡(゚)(゚)「まもなく日本軍が到着するでえええええええええええ」

彡(゚)(゚)「蘭軍め、覚悟するんやでええええええええええええええ」


柳川は単身でバンドンに一番乗りし、日本軍が間近に迫っているとハッタリをかけました。
オランダ軍は早々に降伏し、これによって柳川は名を上げたのでした。





495 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:33:12 ID:3ME

ジャワ島占領後…。


(●●●●●)「さて、柳川中尉をどうするか…」

(●●●●●)「戦闘中は有用だった熱血漢も、戦闘が終われば用をなさない」

(●●●●●)「寧ろ、軍に馴染まんただの厄介者や…」

(●●●●●)「さてさて。奴をどこに配置するか……」





496 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:34:17 ID:3ME

彡(゚)(゚)「提案します!」

(●●●●●)「なんや柳川?」

彡(゚)(゚)「参謀部別班での仕事にはもう飽きました!」

彡(゚)(゚)「せやからワイに”道場”を開かせてください!」

(●●●●●)「ほう?」

彡(゚)(゚)「ジャワ島の青年たちに軍事教育を施します!」

彡(゚)(゚)「原住民を訓練し、諜報員の育成を行います!」

(●●●●●)「…せやな。ええと思うで」

彡(゚)(゚)「ありがとうございます!」





497 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:35:39 ID:3ME

1943年1月

ジャカルタ西郊タンゲラン


彡(゚)(゚)「原住民諸君!ワイが教官の柳川や!」

彡(゚)(゚)「諸君らは我々から学べる全てを学び!」

彡(゚)(゚)「強く!正しく!同義を心得た!新しいインドネシア青年として!」

彡(゚)(゚)「一日も早く生まれ変わってもらいたい!」

彡(゚)(゚)「そして諸君らの手で!インドネシアを開放し!」

彡(゚)(゚)「素晴らしいインドネシアに変革してもらいたい!」

彡(゚)(゚)「今日からワイが諸君らの父であり!各班長を母と思うんや!」

彡(゚)(゚)「教官は全て兄弟や!何でも相談するんやで!」

(´・ω・`)「は、はい!分かりました!」





498 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:36:40 ID:3ME

『タンゲラン青年道場』。
柳川は青年50人に対して厳しい軍事訓練を開始しました。

軍事訓練と共に精神教育も重視され、
祖国のための自己犠牲の尊さ、闘う勇気についてなどを。
柳川は青年たちに徹底的に叩き込みました。

「指導者自身が汗を流して身体を鍛える」という文化はジャワ島にはありませんでした。
青年たちは「インドネシア人を鍛える」という柳川の熱意に応え、
半年間、寝食を共にして語り合い、一体となって猛訓練を続けたのでした。





499 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:37:53 ID:3ME

1943年10月


(●●●●●)「戦局悪化による兵力不足が深刻やなぁ…」

(●●●●●)「”ヘイホ”の拡大も、もう限界や」

(●●●●●)「さて、どうするか…」

(・日・)「提案ですが、原住民による民族軍を設立してみてはどうでしょう?」

(・日・)「既に南方軍には”東南アジア住民の武装化”が命じられています」

(・日・)「実際、インド人による”インド国民軍”、ビルマ人による”ビルマ独立義勇軍”が作られています」

(・日・)「これによる兵力補充はかなり大きいものと予想されます」





500 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:39:05 ID:3ME

(●●●●●)「せやけどなぁ…」

(●●●●●)「奴らに武器を与えたら反乱するんじゃないか?」

(●●●●●)「正直、かなりリスクあると思うで」

(・日・)「…確かに、原住民たちの不満はかなり高まっています」

(・日・)「ですが、それを解消するためにも、彼らに軍を与えるのは有効かと思われます」

(・日・)「彼らだけで作られる軍隊は彼らの悲願です」

(・日・)「これによる不満の解消もまた、かなり大きいものと予想されます」

(●●●●●)「う~ん…………分かった、せやな」

(●●●●●)「原住民の武装化、了承するわ」





501 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:40:17 ID:3ME

(●●●●●)「おう、民主主義運動家」

( ・`ω・´)「はい、なんでしょう?」

(●●●●●)「今すぐ”ジャワ人による軍の設置”を請願するんや」

(●●●●●)「そうすればワイらがそれを受け入れ、」

(●●●●●)「東インドには初めての、原住民による軍隊ができるんやで」

( ・`ω・´)「………。」





502 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:41:29 ID:3ME

( ・`ω・´)「ぼくらにも”軍”にはトラウマがある」

( ・`ω・´)「かつてのオランダ時代」

( ・`ω・´)「原住民だけで構成された”植民地軍”」

( ・`ω・´)「彼らはぼくたちの民主主義運動の弾圧に利用されたんだ…」


( ・`ω・´)「…正直、東インドに軍はまだ早いかもしれない」

( ・`ω・´)「けれど、戦う力がなければ、日本にも、オランダにも」

( ・`ω・´)「絶対に勝つことはできない…」





691 :名無しさん@おーぷん:2015/04/11(土)23:00:17 ID:Nvh
>>502
ここさらっと凄い話しとるな
ここについても語って欲しい




710 :名無しさん@おーぷん:2015/04/16(木)22:57:26 ID:s7Q
>>691
残念ながら、手持ちの資料では情報不足のため、詳細を語ることはできません。
ただ、以下の点は判明しています。


・”オランダ植民地軍(KNIL)のインドネシア人兵士”
1940年、日本の脅威に備えるため、ジャワ島ではインドネシア人の兵士が募集されました。

1942年3月、実際に日本軍はジャワ島へ侵攻しますが、オランダは僅か9日で降伏。
インドネシア人兵士たちは戦闘に参加する機会もなく、そのまま故郷へ戻ったそうです。


・スハルト
旧植民地軍出身。
植民地軍での実績を買われ”ペタ”小団長に任命。その後、中団長に昇進。
後のインドネシア第二代大統領です。




503 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:42:39 ID:3ME

( ・`ω・´)「…はい、分かりました」

(●●●●●)「そか、それじゃ決まりやな」

(●●●●●)「”ジャワ郷土防衛義勇軍”…通称”ペタ”の誕生や」



( ・`ω・´)「”ペタ”の設立が決まったよ」

( ・`ω・´)「まずは”ペタ”の幹部候補生を公募するよ」

( ・`ω・´)「希望者は応募してね」

初のジャワ人だけの軍隊。
応募者は殺到しました。





504 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:43:51 ID:3ME


彡(゚)(゚)「ほ~ん、”ペタ”設立か……よっしゃ!」


彡(゚)(゚)「これまで訓練を続けてきた原住民諸君!」

(´・ω・`)「はい!教官!」

彡(゚)(゚)「今こそ諸君らが立ち上がるときや!」

彡(゚)(゚)「ボゴールに幹部養成学校が設けられた!」

彡(゚)(゚)「諸君らにはそこに所属してもらい、各種訓練を受けてもらう!」

彡(゚)(゚)「そして卒業後、諸君らはそれぞれの故郷に戻り、軍を率いるんや!」

彡(゚)(゚)「諸君らがここで身に付けた全てを見せつけてくるんや!」

彡(゚)(゚)「健闘を祈る!」

(´・ω・`)「はい!ありがとうございました!」





505 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:45:27 ID:3ME

ペタの中心メンバーとなったのは、”タンゲラン道場”の青年たちでした。

ペタ設立後、”タンゲラン道場”の青年たちはボゴールの幹部養成学校に所属。
各種訓練を実施した後、卒業生たちはそれぞれの故郷で500名規模の大団を結成しました。

1943年末に35大団編成され、
1944年8月に20大団が追加、
更に1944年11月に11大団が追加。

最終的にジャワ島で66大団・約3万6千人規模、バリ島でも3大団が編成されました。

また、スマトラ島でも島民による軍が設立され”スマトラ・ギユーグン”と名付けられ、
イスラム系青年層を中心にした武装組織ヒズブラ(回教挺身隊)などもありました。





506 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:46:38 ID:3ME

大団長以下、兵士まで全てがインドネシア人の軍、”ペタ”。
各団には日本人教官が派遣されます。


彡(゚)(゚)「ワイがこの団に派遣された教官や」

彡(゚)(゚)「実権は基本的にワイが握るで」

彡(゚)(゚)「兵器管理なんかもワイがやるからな」

彡(゚)(゚)「ま、しっかりやるんやで」

(´・ω・`)「はい、分かりました」





507 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:47:49 ID:3ME

(´・ω・`)「教官!準備が完了しました!」

彡(゚)(゚)「お、元気がええな」

(´・ω・`)「はい!我々は祖国を守る軍です!」

(´・ω・`)「祖国を守るため命を燃やす所存です!」

彡(^)(^)「ええ心懸けや!ワイもちょっと気合い入れるで!」


各大団に派遣された日本人教官の中には当然やる気のない者もいました。
しかしやる気のある者はジャワ人の意気に共鳴し、真剣に対応するようになったのでした。





510 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:50:20 ID:3ME

(●●●●●)「おう、スカルノ」

( ・`ω・´)「はい」

(●●●●●)「”プートラ”は解散や」

(●●●●●)「そして新たに”ジャワ奉公会”を設立するで」

(●●●●●)「この会に村落の末端から華僑、日本民間人までの全組織を一元化する」

(●●●●●)「総裁にはお前、スカルノが就任するんや」

(●●●●●)「分かったな?」

( ・`ω・´)「…はい、分かりました」


この組織は、初めて民族主義者を知事など主要ポストに就任させます。
オランダ時代、インドネシア人は政治への参加機会を与えられていませんでした。
インドネシア人はこの組織の中で、国家の実務運営の経験を学んでいくのでした。





511 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:51:29 ID:3ME

( ・`ω・´)「みんな、今日も集まってくれてありがとう」

( ・`ω・´)「繰り返すけど、日本軍はぼくたちのために植民地帝国と戦っているんだ」

( ・`ω・´)「みんなで日本軍に協力しよう!」

( ・`ω・´)「今、日本軍には食料や資源が足りない」

( ・`ω・´)「みんな、日本軍に協力するためにも食料や資源を提供して欲しい」

( ・`ω・´)「それと”ロームシャ”も募集中だよ」

( ・`ω・´)「みんなで日本軍に協力しよう!」





512 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:52:38 ID:3ME

( ・`ω・´)「………はぁ、今日の演説も終わった」

( ・`ω・´)「…何も知らない民衆に日本軍への支援を頼むのは、本当に心苦しい」

( ・`ω・´)「…でも、ぼくは決めたんだ」

( ・`ω・´)「例え、悪魔の手を借りてでも」

( ・`ω・´)「ぼくたちは、独立するんだ」


スカルノは”プートラ”や”ジャワ奉公会”で再三、日本軍への協力を呼びかけました。


( ・`ω・´)「日本軍はぼくを利用しようとしている」

( ・`ω・´)「だからぼくもそれを利用する」

( ・`ω・´)「9回表まで堪え忍んでも」

( ・`ω・´)「最後の攻撃で取り返せれば、それでいい」





513 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:53:55 ID:3ME

スカルノはオランダ時代のほとんどを牢獄内で過ごしていました。
そのため、彼は有名でしたが、その知名度は極一部の層だけでした。

そのスカルノが大衆の前に姿を現し、熱弁を奮います。
そしてその映像は映画になり、東インド各地に渡ります。

やがて各地でスカルノの存在は知れ渡り、
遂にスカルノは自他共に認めるインドネシア指導者となったのでした。





514 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:55:05 ID:3ME


1944年2月

ジャワ島タシクマラヤ県シンガパルナ村


( `(エ)´)「イスラム塾塾生諸君!」

( `(エ)´)「イスラム教を冒涜する日本軍政にはもう我慢がならん!」

( `(エ)´)「ワイと共に反乱を起こすんじゃ!」

(・回・)「はい!先生!」


イスラム塾教師が塾生を集め、軍政への反乱を計画しました。
この塾があった土地はイスラム教育の中心地で、900名の塾生を集めていました。





515 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:56:16 ID:3ME

(・日・)「なにやらこの辺りで反乱の噂があるそうだけど」

(・日・)「ひとまず潜入して真偽を確かめてみよう…」


( `(エ)´)「あ、こいつ日本兵だぞ!捕らえろ!」

(・日・)「ヒエッ…」


( `(エ)´)「反乱を気取られたか…」

( `(エ)´)「もう一刻の猶予もない、こうなったら即時抗戦じゃ!」

『シンガパルナ事件』
農民大衆が日本軍政に対して蜂起した事件です。





516 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:57:35 ID:3ME

( `(エ)´)「ワイらには竹槍がある!これで日本兵を一人でも多く殺すんじゃ!」

(●●●●●)「無理やろ(ターン」

( `(エ)´)「」

農民たちは手製の竹槍で武装しますが、正規軍に対して敵うはずもなく。
反乱軍は1時間半の戦闘で多数の死亡者を出し、敗退しました。
なお、日本側にも3人の犠牲者を出しました。

日本軍は捕らえた扇動者23人を処刑。
この事件を”狂信者の反乱”とすることで他所への波及を食い止めました。





692 :名無しさん@おーぷん:2015/04/11(土)23:11:47 ID:Nvh
>>516
アジア特有の竹槍信仰
東南アジアは竹槍に竹網細工の盾だしなぁ




694 :名無しさん@おーぷん:2015/04/12(日)02:08:38 ID:pC8
>>692
藤甲の鎧とかいう軽くて剣も矢も通さないマジックアイテム
なお火




517 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)21:58:57 ID:3ME


1944年4月

ジャワ島西部インドラマユ


(●゚◇゚●)「ぼくらの住むここ”インドラマユ”は穀倉地帯なんだけど…」

(●゚◇゚●)「最近、どんどん作物の徴収量が増えているんだ…」

(●゚◇゚●)「遂にはモミまで出せと言い出す始末…」

(●゚◇゚●)「もう限界だよ…」


日本の割り当てでは、徴収量は7~10%でした。
しかし州→県→郡と移行する度に徴収は上乗せされ、
最下層の農民の聴取量は膨れあがっていました。




518 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)22:00:24 ID:3ME

(・長・)「おう、徴収の時間やで~」

(・警・)

(●゚◇゚●)「…………」

(石ポイー)

(・長・)「イテッ!誰や!今石投げたのは!」

(●゚◇゚●)「…………」


供出を促した村長と護衛する警官に投げられた石。
これが始まりとなり、農民の反乱は連鎖していきました。
農民の憎しみは軍政側のジャワ人に向けられ、日本の起用した村長が殺害されました。

この反乱は1944年8月まで続くことになります。





519 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)22:01:31 ID:3ME

1944年9月7日


(●●●●●)「………アカンな」


日本の戦局悪化は深刻でした。
それに伴い、徐々に東インドの住民たちの反乱も表面化。
東インドを統治するためには、住民たちの心を繋ぎ止める必要がありました。





520 :名無しさん@おーぷん:2015/04/01(水)22:02:52 ID:3ME

(●●●●●)「………」

(●●●●●)「………せやな、ここまでや」

(●●●●●)「………」

(●●●●●)「大日本帝国は、」

(●●●●●)「東インド民族の永遠の福祉を確保するため、」

(●●●●●)「将来、その独立を認めることを」

(●●●●●)「…ここに、宣言する」


『小磯声明』。
遂に日本が東インドの独立を認めた声明。

日本はそれまで極秘裏に東インドを永久確保地に指定していました。
それを覆してまで小磯内閣により発せられたこの声明。


いよいよ、独立が始まります。






543 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)20:22:42 ID:esF




545 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:22:53 ID:esF

インドネシア独立。



東インドの人々の願望に対し、陸軍と海軍の反応は異なっていました。





546 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:24:14 ID:esF


陸軍は独立に寛容的でした。
大手を振った協力こそありませんでしたが、彼らの願望を理解し、その実現を計りました。


海軍は独立に反対しました。
南太平洋は海軍の戦場。
彼らは終始、インドネシアの独立に反対しました。





547 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:25:25 ID:esF


さて、そんな海軍の中の一人の人物。


彡(゚)(゚)


海軍在駐武官・前田精。
彼はヨーロッパやアジア各国に勤務した経歴を持っていました。





548 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:26:32 ID:esF


『蘭印作戦』、ジャワ島占領後。


彡(゚)(゚)「ジャカルタ海軍武官府の責任者になったで~」


”武官府”とは、海軍の補給などの際、陸軍との調整を行う出先機関です。
前田は、ジャワ島で陸軍と対等に渡り合う海軍代表となったのでした。





549 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:27:55 ID:esF


彡(゚)(゚)「さて」


(・日・)

彡(゚)(゚)「おう、ちょっとええか?」

(・日・)「はい?」

彡(゚)(゚)「実はお前さんの考えを聞きたいんや」

彡(゚)(゚)「お前さんはこの東インドのことをどう思っとるんや?」

(・日・)「はい、私は日本の統治によって東インド独立が近付くことを願っております」

彡(゚)(゚)「そか」


彡(゚)(゚)「実はちょっとええ話があるんやけどな…?」


前田は東インドに熱い思いを持つ日本人民間人を集め始めます。





550 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:29:06 ID:esF


彡(゚)(゚)「…とまぁ、こんな感じや」

彡(゚)(゚)「勿論給料と調査費は出すで、口は出さんけどな」

彡(゚)(゚)「じゃ、後は任せたで~」

(・日・)「はい、わかりました」



(・日・)「こんにちは、独立運動に興味はありませんか?」

(o‘ω‘ n)「え?…えぇ、そうですね、私も独立運動には興味があります」

(・日・)「実は私は海軍武官府で調査活動をしている者でして」

(・日・)「民族主義運動家のみなさんと関係を深めたいと思っています」


前田は集めた日本人を調査活動に従事させ、
やがて彼らを通じて民主主義運動家とパイプを持つようになります。





551 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:30:35 ID:esF


彡(゚)(゚)「ほら、ワイって海外渡航歴長いやん?」

彡(゚)(゚)「オランダにいた頃やったかなー?インドネシアの民族運動のことを知ってな」

彡(゚)(゚)「ワイもちょっと思うところがあったんよ」

彡(゚)(゚)「何とか力になれへんかなーってな」

彡(゚)(゚)「ま、幾らワイの立場が特殊やからってな、直接手助けすることは叶わん」

彡(゚)(゚)「せやからな、まぁこういう形で協力したることにしたんや」


前田はインドネシア民族運動に理解と同情を持っていました。
そこで資金を提供して後援することで彼らの活動を支援しました。

”海軍武官府”は規模の割に絶大な権限を持ち、しかもジャワ島統治に一切の責任がないという特殊な立場です。
時に前田はこの地位を活かし、陸軍に睨まれた民主主義運動家を庇うこともあったそうです。

治外法権とも聖域とも呼べる”海軍武官府”。
やがて彼らの下に民主主義運動家が集まり、民族主義運動は活発化していきました。





552 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:32:03 ID:esF


1944年9月7日『小磯声明』


彡(゚)(゚)「遂に東インドも独立に向けて動くんやな、ええことや」


(o‘ω‘ n)「すみません、いいですか?」

彡(゚)(゚)「お、なんや?」

(o‘ω‘ n)「ちょっと独立後のことを考えていたんですけど…」

(o‘ω‘ n)「ぼくたちにはまだ、インドネシア独立後を支える人材が揃っていません」

(o‘ω‘ n)「そこで、それらの人材を育成するため”独立養成塾”を開きたいのですが…」

彡(゚)(゚)「せやな、ええと思うで」





553 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:33:15 ID:esF


(o‘ω‘ n)「では塾の代表は提案者である私が」

( ・`ω・´)「ぼくは政治史を担当します」

(^)'・▲・`(^)「私は経済学を」

(´・ω・`)「ぼくはアジア史と社会主義の講義を担当するよ」


彡(゚)(゚)「資金援助はワイがやったるわ」

彡(゚)(゚)「そんじゃ、あとはお前らで好きにやるんやで」

(o‘ω‘ n)「ありがとうございます、助かります」


”小磯声明”を受け、前田は独自に”独立養成塾”を設置しました。
これらは全て前田の独断とされ、陸軍のジャワ島統治に逆らうつもりもなかったようです。

代表にはジャワ島西部貴族出身の弁護士・スバルジョが就任。
教育の全てがインドネシア人に委ねられ、様々な議論が交わされました。





554 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:34:28 ID:esF



(●●●●●)「確かに”独立させる”とは言った」

(●●●●●)「せやけど、東インドの独立は日本人が導いてこそ果たされるもんや」

(●●●●●)「原住民自身による独立活動は認められんよ」






555 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:35:43 ID:esF


( ・`ω・´)「お願いします、どうにか”インドネシア独立準備委員会”を設置してもらえないでしょうか…?」

( ・`ω・´)「どのような形で独立を目指すにしても、委員会は必要だと思うんです…」

(●●●●●)「せやけどワイらにも都合があるからな~」

( ・`ω・´)「そうですか…」


( ・`ω・´)「………。」





556 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:36:54 ID:esF


1945年2月14日


(●●●●●)「はー、奴らもしつこいなー、あんな急かしよって」

(●●●●●)「大体”独立させる”とは言ったけど、時期までは明確にしとらんやん?」

(●●●●●)「できればこのままの状態が続くとええんやけどなー」





557 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:38:06 ID:esF

(・日・)「大変です、反乱が起きました!」

(●●●●●)「なんや、またかいな」

(●●●●●)「こう反乱が続くと気が滅入るわな」

(●●●●●)「あんまり反乱が広がるようなら、また何か考えなアカンし」

(●●●●●)「まぁ農民が幾ら竹槍で武装しようが問題ではないけどな」

(・日・)「そ、それが…」

(・日・)「”軍”による反乱です!」

(●●●●●)「ファッ!?」


1945年2月14日、クディリ州ブリタルにて。
スプリアディ小団長率いる小隊100名ほどが兵営を出て、刑務所を襲撃。
政治犯を釈放した後、日本人ホテルや農園事務所などを襲撃し、日本人4名と中国人数名を殺傷しました。

『ブリタルの反乱』と呼ばれた、郷土防衛義勇軍”ペタ”による初めての反乱です。


( ・`ω・´)
ちなみに、クディリ州ブリタルはスカルノの故郷です。





558 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:39:31 ID:esF

(・日・)「反乱は準備不足だったようで、速やかに鎮圧されました」

(・日・)「首謀者のスプリアディ小団長は行方不明ですが…」

(●●●●●)「………」



(●●●●●)「……”ペタ”はワイらが原住民を鍛え上げて作った軍や」

(●●●●●)「そんでもって奴らは今や5万人規模に達しとる」

(●●●●●)「ジャワ島の日本兵を上回る数や」

(●●●●●)「…それが全部、制御不能の危機に陥っとる…?」

(●●●●●)「………………アカン」





559 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:40:41 ID:esF


(●●●●●)「もう本土への補給線が絶たれて随分経つ…」

(●●●●●)「劣勢は火を見るより明らかや…」

(●●●●●)「しかも”軍”の反乱にも怯えなきゃならん…」

(●●●●●)「こんな状態で原住民の意向を無視し続けるのは、もう限界や…」


(●●●●●)「………しゃーない」





560 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:41:53 ID:esF


1945年3月


( ・`ω・´)「お呼びですか?」

(●●●●●)「…”独立準備調査会”を設置するで」

(●●●●●)「独立の準備のために、色々な問題を調査、討議、議案採択する機関が必要や」

(●●●●●)「まずはそこで色々調整するんやで」

( ・`ω・´)「分かりました」





561 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:43:07 ID:esF


1945年4月29日


( ・`ω・´)「”独立準備調査会”が正式に設立されたよ」

( ・`ω・´)「委員会のメンバーは70名、各地の代表がインドネシア全域から集結したんだ」

( ・`ω・´)「ぼくらが中心となって、独立後の憲法を審議するよ」

( ・`ω・´)「それと遂に、旗”メラ・プティ”、歌”インドネシア・ラヤ”の使用が正式に許可されたよ!」

( ・`ω・´)「独立の象徴である旗と歌、これらを自由に掲げ、歌うことができる」

( ・`ω・´)「遂にインドネシアの独立が見えてきたよ!」





562 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:44:29 ID:esF


・豆知識『インドネシア』その3

独立前の”インドネシア”の定義はあいまいでした。
例えば、”マレー半島のインドネシア人”と呼んだり、フィリピンのことを”北インドネシア”と呼んだりもしたそうです。

国としての”インドネシア”が成立するまで、その定義は不明瞭のまま、情勢だけが変化していきました。

占領中の日本軍は”インドネシア”という言葉の使用を控えるようになります。
”蘭印”という地域名を使用したため、日本で”インドネシア”が定着するのはインドネシア独立以後になってからでした。

ちなみに日本人への”ジャップ”に相当する、インドネシア人への蔑称は”ネシア”だそうです。注意しましょう。





563 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:45:39 ID:esF


1945年6月1日

第1回独立準備調査会


( ・`ω・´)「インドネシア国家の骨格、建国5原則”パンチャシラ”を定義するよ」

( ・`ω・´)「1.インドネシアの統一」

( ・`ω・´)「2.公正で文化的な人道主義」

( ・`ω・´)「3.英知に導かれた民主主義」

( ・`ω・´)「4.全インドネシア国民に対する社会的公正」

( ・`ω・´)「5.唯一神への信仰」





564 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:47:03 ID:esF

( ・`ω・´)「ちなみに、インドネシアではイスラム教が主流なんだ」

( ・`ω・´)「だけどキリスト教徒やヒンドゥー教徒も少数存在しているんだよ」

( ・`ω・´)「国家が公認する宗教は全部で6つ」

( ・`ω・´)「”イスラム教”、”キリスト教・プロテスタント”、”キリスト教・カトリック”」

( ・`ω・´)「”ヒンドゥー教”、”仏教”、”儒教”」

( ・`ω・´)「無神論は違法だよ」

( ・`ω・´)「公言すると逮捕されるかもしれないんだ、注意してね」





565 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:48:27 ID:esF


(´・ω・`)「ねぇ、スカルノさん」

( ・`ω・´)「なにかな?」

(´・ω・`)「ぼくらは未だ”経済的自立”を果たしていないよね」

(´・ω・`)「それなのに”政治的独立”だけを求めてる」

(´・ω・`)「ぼくらはまず”経済的自立”を果たした上で、改めて”政治的独立”を目指すべきじゃないかな?」

( ・`ω・´)「確かにそうかもしれない」

( ・`ω・´)「でもね、例えるならこういうことだよ」

( ・`ω・´)「鍋や釜がなくても結婚はできる」

( ・`ω・´)「でも結婚は時期を選べない」

( ・`ω・´)「なら、結婚してから鍋や釜を揃えればいいんじゃないかな」





566 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:50:05 ID:esF


(*^◯^*)「ねぇ、スカルノさん」

( ・`ω・´)「なにかな?」

(*^◯^*)「どうして日本軍なんかにすり寄るんだ?」

(*^◯^*)「独立はぼくらの力だけで果たされるべきなんだ!」

( ・`ω・´)「そんな無茶を言われても…」

( ・`ω・´)「それにもう独立は目の前なんだよ」

( ・`ω・´)「やっとここまで来たんだ、今更形なんて気にする必要はないんだよ」

(*^◯^*)「………」

スカルノなどの民主主義運動家は、日本軍の戦争への協力の見返りとして独立を迫り続けていました。
その願望は叶い、東インド全体が一丸となったインドネシア独立が現実のものとなってきました。
スカルノはイスラム教問題、ジャワ島以外の島々の問題を調整することで、独立への障害を解決していきました。


しかし、若者たちのグループはより性急な独立を求め、反日的な言動を行うようになってきます。
やがて各地で反日的な”青年グループ”が次々と形成されていきました。





567 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:51:16 ID:esF


( ・`ω・´)「とは言え、彼らも東インドの住民には違いない」

( ・`ω・´)「彼らにも”独立準備調査会”に参加してもらいたいな」



( ・`ω・´)「ねぇ、君は青年グループの代表だよね」

( ・`ω・´)「なんとか協力してもらえないかな?」

(*^◯^*)「………分かったんだ」





568 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:52:29 ID:esF


( ・`ω・´)「それでは今日の会議を始めます」

(^)'・▲・`(^) (o‘ω‘ n) (´・ω・`) (・日・) (≦・ω・≧)

(*^◯^*)「待つんだ!」

(*^◯^*)「なんで日本人がここにいるんだ!?」

(*^◯^*)「この会議はインドネシア人だけで行われるべきものなんだ!!」

(・日・)「そんなこと言われても…」

( ・`ω・´)「彼はこの会議に直接的には関与しませんよ」

( ・`ω・´)「では改めて始めます」





569 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:53:49 ID:esF


( ・`ω・´)「それで独立後の政治体制についてですが…」

(・日・)「ああ、そこはこうしたらいいんじゃないかな?」

( ・`ω・´)「ふむ、なるほど…」

(*^◯^*)「ちょっと待つんだ!」

(*^◯^*)「今、口を出したな?」

(*^◯^*)「これは日本による内政干渉なんだ!!」

(*^◯^*)「こんなことは許されないんだ!」

(・日・)「えー…」

(*^◯^*)「こんな会議やってられないんだ!」

(*^◯^*)「ぼくはここで失礼するんだ!」

( ・`ω・´)「あー、行っちゃった…」





570 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:55:00 ID:esF


(*^◯^*)「全く、民主主義運動家のジジイどもは使えない奴らばかりなんだ!」

(*^◯^*)「独立とは戦って奪い取るものなんだ!」

(*^◯^*)「つまり、独立とは革命なんだ!」

(*^◯^*)「あんな平和ボケした老害の言うことなんか聞いてられないんだ!」


( ・`ω・´)「私たちはまだ(40)代なんですけどね…」





571 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:56:11 ID:esF


1945年6月22日


( ・`ω・´)「憲法の前文用に”ジャカルタ憲章”を作成したよ」

( ・`ω・´)「”独立は全ての民族の権利である”」

( ・`ω・´)「”インドネシアの独立闘争は、栄光とやすらぎの時にに達した”」

( ・`ω・´)「”全智全能の神の慈悲の下、インドネシア民族はここに独立を宣言する”」

( ・`ω・´)「”ジャカルタ、皇紀2605年6月22日 スカルノ、ハッタ、スバルジョ、他”」





572 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:57:24 ID:esF


1945年7月10日

第2回独立準備調査会


( ・`ω・´)「今日からは国家の領域、形態、政治機構、市民権、イスラム教徒の関係などを討議するよ」

( ・`ω・´)「16日には憲法の草案を作成するんだ」





573 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:58:38 ID:esF


1945年7月17日

最高戦争指導会議


(●●●●●●●)「できるだけ早い時期に、インドネシアの独立を認めることを決定する」



1945年7月21日

(●●●●●●●)「独立地域の範囲について」

(●●●●●●●)「マレー半島(ビルマやタイなど)を除いた地域を指定する」





574 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)21:59:50 ID:esF



1945年8月7日

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”を設立します」

( ・`ω・´)「主席は私、スカルノです」

( ・`ω・´)「いよいよ独立が近付いてきました」

( ・`ω・´)「ハハハ…なんだかワクワクしてきましたよ」

( ・`ω・´)「まずは第1回会議です」

( ・`ω・´)「日時は8月18日。忘れず出席するように」








575 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)22:01:47 ID:esF



1945年8月15日



彡(゚)(゚)「」



その日、日本は降伏しました。大東亜戦争が終結したのです。

日本の軍政は約3年半。

これは奇しくもトウモロコシが育つ期間と同じでした。



 【第3章 太平洋戦争編  完】





576 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)22:03:05 ID:esF


・豆知識『ジョヨボヨ王の予言』

12世紀、クディリ王国のジョヨボヨ王が残した予言。
神格化された”ディポヌゴロ王子”が名乗った”ラトゥ・アディル”も、この予言に記されています。

日本と関係があるとされるのは>>1の文章。
”北方からやってきた白い衣を纏う黄色い人”が日本人ではないかとインドネシアでは囁かれます。
また、この部分は”天からやってきた白い衣を纏う黄色い猿(小人)”ともなることがあり、
これが日本の落下傘部隊を指すのではないか?とささやかれました。

また、「鉄の火を吐く翼をまとった黄色い人が白い人の乗る鉄の船を追い払うだろう」という一文もあったようで、
これは日本軍が航空機でオランダ艦船を焼き払ったことを指すのでは?とされています。

日本と予言の関係が囁かれ始めたのは日露戦争以後。
”ジョヨボヨ王の予言”の予言は今でも信じられているそうです。





577 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)22:04:40 ID:esF


・豆知識『トコ・ジュパン』その7


彡(゚)(゚)「…日本が、負けた…」

彡(゚)(゚)「………あぁ。」

彡(゚)(゚)「…………終わったんや、なぁ…。」

彡(゚)(゚)「………。」

彡(゚)(゚)「……ワイら”トコ・ジュパン”も、もう終いや…」

彡(゚)(゚)「…………今までせっせと頑張ってきたんやけどなぁ……」

彡(゚)(゚)「………小店も、大会社も」

彡(゚)(゚)「…小農も、大農園も、鉱山も、工場も」

彡(゚)(゚)「その何もかも」

彡(゚)(゚)「………”敗戦国日本”やから、全て”没収”…」

彡(゚)(゚)「……全て、水の泡……」

彡(゚)(゚)「………ワイらは文字通り、”裸一貫”で、日本に引き揚げなきゃならんのや…」





578 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)22:06:02 ID:esF


彡(゚)(゚)「…頑張ってきたのになぁ…」

彡(゚)(゚)「……骨を埋める覚悟で、この遠い異国で今までやってきたのになぁ…」

彡(゚)(゚)「………。」

彡(^)(^)「…なぁ、”南十字星”、知っとるか?」

彡(^)(^)「ここ、インドネシアではな」

彡(^)(^)「”南十字星”は、いつでも見られるわけではないんや」

彡(^)(^)「…ある時期の、ある時間帯」

彡(^)(^)「…南の空の果て、空と海の境目」

彡(^)(^)「そこに”南十字星”が輝くんや」

彡(^)(^)「………ワイら、長期滞在した奴らだけが、見られるんや」

彡(^)(^)「綺麗やったなぁ…」

彡(^)(^)「………。」

彡(^)(^)「…もう、ワイらに残っとるのは、あの綺麗な思い出だけなんや………」


【豆知識『トコ・ジュパン』 完】





581 :名無しさん@おーぷん:2015/04/07(火)22:47:08 ID:50y
サンキューイッチ
涙で、出ますよ…




584 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)20:59:34 ID:Yas




586 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:30:45 ID:Yas



        【終章】







587 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:31:20 ID:Yas



        【After Episode 今村均】






588 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:31:34 ID:4yt
おっ、ついに終わってしまうのか…




590 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:33:10 ID:Yas
>>588
あと大体2~3回の更新になるやね




589 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:32:24 ID:Yas


1942年11月20日


今村はニューブリテン島ラバウルにて、第8方面軍司令官として着任します。





591 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:34:23 ID:Yas


彡(゚)(゚)「田畑を大量に増設するんやで~」

彡(゚)(゚)「食料は大事やからな、腹が減っては戦はできぬという奴や」

彡(゚)(゚)「さーて、ワイも畑を耕すで~」

(・海・)「戦い始まる前から何やっとんのじゃ、あいつは…」


今村はガダルカナル島の戦訓から、米海軍による補給路の封鎖を想定。
島内に大量の田畑を増設することで自給自足体制を整えます。
今村自身も率先して畑を耕したそうです。

なお、早々に自給自足を提唱した今村に対し、海軍は冷淡な反応を見せました。






592 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:35:33 ID:Yas


(☆●●●●)「ラバウル航空隊は厄介やな…」

(☆●●●●)「西進用の補給路を確保するなら、まずはここを落とさなアカン」

(☆●●●●)「早速空襲するやで~」





593 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:36:55 ID:Yas


彡(゚)(゚)「やっぱり米軍の爆撃は強烈やわ…」

彡(゚)(゚)「上陸作戦にも備えにゃならん」

彡(゚)(゚)「せやから空襲に耐えられるほどの地下大要塞を建設するで」


今村は米軍の空爆と上陸作戦に備えるため、強固な地下要塞を構築しました。
幅1.5m、高さ2.1mの洞窟。全てを合わせると370kmもの長さになる洞窟郡です。
洞窟内には病院、兵器工場なども造られました。

米軍による猛爆撃は連日続きますが、地下要塞内の被害はほとんどありませんでした。






594 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:38:29 ID:Yas


(☆●●●●)「アカン、現有戦力で攻略できる気せーへん」

(☆●●●●)「上陸作戦には多大な犠牲が出るし…」

(☆●●●●)「しゃーない、まずは周辺諸島を攻略するわ」


米軍はラバウル占領を断念。
ラバウルへの空爆は続けたものの、周辺諸島の攻略を優先し、周辺の航空戦力を無力化していきました。

やがて周辺諸島は全て攻略され、ラバウルは孤立化しました。






595 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:39:44 ID:Yas


(・海・)「アカン、周辺の海域が全て米軍に奪われてもた…」

(・海・)「もう籠城するしかないじゃん…」

(・海・)「今村、ワイらにも畑耕せちくり~」

彡(^)(^)「ええで、一緒に最後まで籠城しよか」





596 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:41:13 ID:Yas


ラバウル守備隊は完全に孤立化しましたが、現地の自給自足体制は既に完成し、物資の備蓄も十分でした。

最終的に今村大将率いる陸軍第8方面軍、草鹿中将率いる海軍南東方面艦隊は、
共に終戦までラバウルを確保し続けたのでした。


なお、同じような状況下にあったニューギニア戦線では、
いたずらに出撃を繰り返すことで連合軍に掃討され、人命を散らし続けたそうです。


籠城による持久戦を続けたラバウルでは、終戦まで7万人の兵力が温存されたそうです。






597 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:42:15 ID:Yas



終戦後







598 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:43:16 ID:Yas


彡(゚)(゚)「…諸君、どうか部下の若人たちが失望、落胆しないよう導いてやってくれや」

彡(゚)(゚)「7万の将兵が汗水垂らしてこの地下要塞を建設し、」

彡(゚)(゚)「原始密林を開拓して7000haの自活農園まで作ったんや」

彡(゚)(゚)「この経験、この自信は終始忘れるんやないで」

彡(゚)(゚)「祖国の復興、各自の発展に、しっかり活用するんやで…」





599 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:44:34 ID:Yas


(・日・)「………。」

彡(゚)(゚)「なんや、折角の畑がほったらかしやないか」

彡(゚)(゚)「…せやな、将兵諸君」

彡(゚)(゚)「ワイらは今後も自活を続けて」

彡(゚)(゚)「将来日本が賠償すべき金額を少しでも軽減することをはかる」

彡(゚)(゚)「これがワイらの外地での最後の奉公やで」

彡(゚)(゚)「さ、畑を耕すでー」


今更自活もなにもあるまい、という気持ちがあった部下たちでしたが、
黙々と畑に立つ今村の姿を見て、誰も何も言うことはできませんでした。





600 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:46:19 ID:Yas


彡(゚)(゚)「ラバウル部隊の引き上げは3年半後か…」

彡(゚)(゚)「えらい時間が余ってもたなぁ」

彡(゚)(゚)「…よし、勉強でも教えるわ」

彡(゚)(゚)「兵士のほとんどは小卒やし」

彡(゚)(゚)「帰国したら絶対必要になるしな」

彡(゚)(゚)「ひとまず中学校程度の知識は必要やな」

彡(゚)(゚)「ワイらが生きるのには目標が必要なんや」


今村は軍の中の教職経験者を集めて教師とし、教科書も作成させました。

当時、将兵たちは捕虜であり、無報酬で作業させられていたのですが、
そんな不満も忘れ、彼らは作業の合間に教科書や雑誌を読みふけったのでした。





601 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:47:34 ID:Yas



しかし12月。戦争指導者・戦犯が収容され始めます。


”軍事裁判”が始まりました。






602 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:48:46 ID:Yas


オーストラリア軍イーサー少将は戦犯調査の上、
「ラバウルでは戦争犯罪を問うべきものは何もない」とオーストラリア本国に報告します。

ラバウルにはパラシュートで脱出したパイロットなど少数の白人捕虜がいましたが、
彼らはラバウルの小島に収容され、国際法規に従った取り扱いを受けていたのでした。


しかし、オーストラリア本国の考えは違いました。





603 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:50:05 ID:Yas



(・日・)「インド人の多くが熱帯潰瘍かマラリアにかかっていました」

(・日・)「貴重な予防薬を、苦いとか胃に悪いとか言って捨てる者がいたのです」

(・日・)「私はそういう者を平手で打ちました」

(・日・)「言葉が通じませんでしたので…」

(・日・)「憎しみの気持ちではなく、早く治してやりたかったのです…」

彡(;)(;)「そうか…そうか…」


『医師として、インド人労働者の患者を虐待した』とされた酒井伍長。


彼は今村にこのように語り、死刑となりました。





604 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:51:53 ID:Yas


ラバウルの戦犯裁判は、ほとんどがこのような”労働者への虐待容疑”です。

賃金で雇われた労働者たちは2年以上も日本軍で働いていました。
日本軍に協力したことで罰せられるのを恐れた彼らは「捕虜にされて無理矢理連れて来られた」と言い張りました。

告発した労働者たちは告発状だけを残して帰国。
弁護側は反対尋問する機会も与えられません。


そして今村は、そのように裁かれる部下を一人でも救うべく、自ら志願して収容所に飛び込んでいったのでした。





605 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:53:30 ID:Yas


オーストラリア軍事裁判


彡(゚)(゚)「外人労働者は日本軍が賃金で雇ったものやで、戦争捕虜ではないんやで」

彡(゚)(゚)「仮に万が一虐待があっても、それは戦争犯罪じゃないから、日本の法律で裁くべきなんやで」

彡(゚)(゚)「それでもなお、戦争犯罪として裁くなら」

彡(゚)(゚)「その責任は全て、最高指揮官である自分にあるんやで」

彡(゚)(゚)「部下に責任は全く無いんやで」


最高指揮官である今村の裁判は後回しにされたため、それまでの間、今村は率先して部下の弁護に赴きました。
今村の弁護により刑が軽減されたり、無罪になった部下も多かったそうです。





606 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:54:49 ID:Yas


(・日・)「『参謀長通達』を出しました」

(・日・)「だから全て、参謀長である私の責任です」

彡(゚)(゚)「参謀長に命令権はない!」

彡(゚)(゚)「書記と同じようなもんや!」

彡(゚)(゚)「だから全部ワイの責任や!」

(・日・)「そんなの極論じゃないですか!?」

彡(゚)(゚)「なんやと!?」


今村の側近、参謀長・加藤中将。
彼の裁判では、普段仲の良い二人がお互い譲らず、大喧嘩をしました。


結局、今村の強引な主張が通り、加藤中将は無罪放免となりました。





607 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:56:02 ID:Yas




彡(゚)(゚)「戦犯裁判は戦闘であり、作戦なんや」

彡(゚)(゚)「絶対に勝たなアカンのや」






608 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:57:18 ID:Yas


(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」

(・裁・)「被告にはラバウル・第8方面軍司令官としての責任が問われています」

(・検・)「検事側は死刑を求刑します」


オーストラリア軍は、戦時中の汚名をそそぐためにも、何としてでも今村を死刑にしようとしていました。





609 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:58:36 ID:Yas


しかし。


(●゚◇゚●)「そんな!死刑は重すぎます!」

(●゚◇゚●)「今村さんは何も悪くありません!」

(●゚◇゚●)「今村さんは優れた人格者でした!」

(・裁・)「……ではひとまず禁錮10年で」


オーストラリア軍は、戦時中の今村の軍政や軍事指揮の中に、今村を死刑にする口実を見出せませんでした。
現地住民などの証言も今村を擁護をしたため、無理矢理罪状を被せ、何とか懲役刑にしたといいます。


彡(゚)(゚)「そか」

彡(゚)(゚)「それはともかく、部下の判決の再審を請願するで」





610 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)21:59:57 ID:Yas



やがてオーストラリア軍事裁判は終わり、

続いて東インドでの今村の罪状が問われることになりました。






611 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:01:13 ID:LcG
今村さあああああああああああん




612 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:01:14 ID:Yas


オランダ軍事裁判


(・裁・)「それでは被告・今村均の裁判を始めます」

(・裁・)「被告には東インド・第16軍司令官としての責任が問われています」

(・検・)「検事側は死刑を求刑します」


今村はオランダ側の検事によって死刑が求刑されました。





613 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:02:23 ID:Yas


ジャカルタ刑務所


彡(゚)(゚)

ジャワ島での裁判が始まり、今村はジャカルタの刑務所に収容されていました。






614 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:03:36 ID:Yas


(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」

彡(゚)(゚)「お、飯か」

(≦・ω・≧)「日本時代の最高の指揮官が来たことを、私たちはとても喜んでます」

(≦・ω・≧)「今夜7時になれば、きっとあなたにもそれが伝わると思います」

彡(゚)(゚)「?」





615 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:04:56 ID:Yas


(≦・ω・≧)「…もうすぐ7時になります」

(コーン)

~♪~♪

彡(゚)(゚)「この歌は……”八重潮”か…?」


今村が統治していた時代。
今村が公募し、日本人とインドネシア人、双方から集められた歌詞によって制作された、
日本人とインドネシア人が双方の国語で一緒に歌う、両民族融和の歌がありました。
”八重潮”。
この歌はジャワ島の町から村へと広がり、日本の将兵と原住民が同席すれば、必ず歌われたといいます。

ジャカルタの街は、地の底から沸き立つ大合唱に包まれました。





616 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:05:28 ID:Yas


やがて今村はジャカルタの別の刑務所に移されます。





617 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:06:29 ID:Yas


(≦・ω・≧)「今村さん、今村さん」

彡(゚)(゚)「お、なんや?」

(≦・ω・≧)「私はスカルノ氏の密使です」

(≦・ω・≧)「今日は今村さんの救出計画を伝えに来ました」

(≦・ω・≧)「もしあなたの死刑が確定したら、共和国政府は死刑場に行くあなたを奪回します」

(≦・ω・≧)「今こそ大恩に報いるときなのです」


今村の東インド統治時代、今村はオランダによって投獄されていたスカルノを解放しています。
それ以来、今村とスカルノは親交を続けていたのでした。





618 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:07:47 ID:Yas


しかし。

彡(゚)(゚)「お心は嬉しいが…」

彡(゚)(゚)「ワイはこのままここで裁判を受けるつもりや」

彡(゚)(゚)「ワイには罪がある、せやからここにいて責任を取らなアカンのや」

彡(゚)(゚)「何よりお前らを危険な目に遭わせたくないんや」

彡(゚)(゚)「すまんな」





619 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:08:58 ID:Yas


(≦・ω・≧)「そうですか…わかりました」

(≦・ω・≧)「では、もう少しここでお話しをさせて下さい」

(≦・ω・≧)「私たちがいる限り、あなたを有罪になんてさせませんから」


ジャカルタの刑務所での投獄中、今村はインドネシア人の看守に励まされ続けたそうです。





620 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:10:10 ID:Yas


彡(゚)(゚)

(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
 (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)
(´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`) (´・ω・`)


(・裁・)「…オランダが告発した罪状は、全て根拠のないものである」

(・裁・)「以上より、東インド・第16軍司令官時代の今村の判決は」

(・裁・)「全て無罪とします」





621 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:10:38 ID:LcG
今村さんかっこよすぎやろ……




622 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:11:18 ID:Yas


インドネシアでの判決は無罪だったものの、オーストラリアでの判決”禁錮10年”は生きています。

1949年。今村は巣鴨拘置所に送られました。





623 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:12:22 ID:51S

http://i.imgur.com/sgVeOqh.jpg
これが今村さんやで




624 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:12:54 ID:F3J
>>623
ええお顔や




625 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:12:55 ID:Yas


しかし。

彡(゚)(゚)「なぁ、ワイをマヌス島の刑務所に移してくれんか?」

彡(゚)(゚)「元部下たちは未だに環境の悪い南方で服役しとる」

彡(゚)(゚)「ワイだけが東京にいることはできないんや」

彡(゚)(゚)「なぁ、頼むわ」

(・看・)「だめです」


今村は、多数の日本軍将兵が収容されるマヌス島刑務所への入所を希望します。
そこは”最悪の収容所”とも恐れられる場所でした。





626 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:14:04 ID:Yas


彡(゚)(゚)「…頼んだで」

(・妻・)「分かりました」


(・妻・)「お願いします、どうか夫の頼みを聞き入れてもらえないでしょうか…?」

(☆●●●●)「…そうか」

そして今村は妻の伝手を通じてマッカーサーに直訴したといわれています。





627 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:15:04 ID:Yas



(☆●●●●)「今村将軍のマヌス島行きを許可する」

(☆●●●●)「…私は日本に来て初めて、真の武士道に触れたよ」






628 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:16:12 ID:Yas


マヌス島での獄中生活は、今村の人柄もあり、とても和やかなものだったそうです。

3年後。マヌス島の刑務所は閉鎖され、全員が日本に送還。
今村は残りの刑期を巣鴨の刑務所で過ごしました。


そして10年後...





629 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:17:22 ID:Yas


彡(゚)(゚)「…ワイの刑期は終わった」

彡(゚)(゚)「せやけど、ワイの罪が消えることは一生ないんや」

彡(゚)(゚)「自宅の隅に独居房と同じ広さの謹慎小屋を建てたで」

彡(゚)(゚)「今日からここに住むんや」

彡(゚)(゚)「これからは軍人恩給だけで質素に生活する」

彡(゚)(゚)「出版した『回顧録』の印税は、全て戦死した部下の遺族、処刑された部下の遺族のために使用する」

彡(゚)(゚)「元部下たちには出来る限りの援助をするで」

彡(゚)(゚)「それが、ワイが死地に赴かせた部下たちへの、せめてもの贖罪なんや…」





630 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:18:42 ID:Yas


今村の行動に付け込み、元部下だと偽って金を無心する者もいました。
しかしそれに対しても今村は、それを承知の上で拒むことはなかったそうです。


なお、今村は『戦陣訓』の”原文”を書いた人物です。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文で有名なこの文書。
『戦陣訓』の”完成版”にこの一文が載っていたことを今村は憤慨し、終生それを悔いていたそうです。






631 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:20:09 ID:Yas


1968年10月4日死去。享年82歳。

最終階級・陸軍大将。
温厚で高潔な人柄。

占領地での軍政・指導能力は高く、原住民や敵国連合国側からも讃えられる、
太平洋戦争中の日本で数少ない、本物の名将です。


       【After Episode 今村均  完】





635 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:23:00 ID:51S
今村さんに興味が湧いて本を買ったワイ、満足顔




637 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:25:48 ID:F3J
今村とかいう頭脳も行動力も備えたぐう聖
ほんま凄い人がおったもんやな

サンイチ
レイアウトも文章も無駄がなくてほんま読みやすいわ
まったり待っとるからまったり進めてやー




638 :名無しさん@おーぷん:2015/04/08(水)22:30:05 ID:WJK
こういう人が居るのが何で知られてないねんホンマ




641 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:03:11 ID:6Xh




644 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:29:12 ID:6Xh



        【Side Episode 三浦襄】






645 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:30:12 ID:6Xh



彡(゚)(゚)


”三浦襄”という人物の話をします。
彼は軍人ではなく、商人でした。





646 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:31:23 ID:6Xh


1909年

彡(^)(^)「”南洋商会”に興味持ったから入会したで~」

彡(^)(^)「高校中退してジャワ島に渡航するで!」


半年後…

彡(゚)(゚)「やっぱ”南洋商会”脱退するわ」

彡(^)(^)「しばらくその辺の諸島を放浪するで~」





647 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:32:39 ID:6Xh


1912年

彡(^)(^)「セレベス島で雑貨のお店を開くで~」


1916年

彡(^)(^)「結婚もしたし、相棒と”日印貿易商会”も開業したで~」

彡(^)(^)「南洋各所で色んな貿易するで~」

彡(^)(^)「順風満帆ですわ」


1925年

彡(゚)(゚)「相棒が強盗に殺られてもた…”日印貿易商会”も解散やな…」





648 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:33:50 ID:6Xh


彡(^)(^)「気を取り直して別の相棒とコーヒー園の経営を始めるで~」

彡(^)(^)「再婚もしたし今度こそいけるわ!」

ちなみに前妻の死因は過労死だったそうです。



1930年

彡(゚)(゚)「やっぱコーヒー園も駄目だわ」

彡(゚)(゚)「どないしよ」


…など、中々に波瀾万丈な人生を送っていました。






649 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:35:02 ID:6Xh



彡(゚)(゚)「さて、次はどないしよかな…」

彡(^)(^)「よし!今度はバリ島で商売するで」

彡(^)(^)「自転車の修理業をするやで~」

彡(^)(^)「店の名前は”TOKO MIURA”や!」





650 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:36:21 ID:6Xh


バリ島


彡(゚)(゚)「……日本人はあんまおらんな、ワイら含めると3家族しかおらんみたいや」

彡(゚)(゚)「まぁええわ、原住民を雇ってバリ島各地に支店も開業するで」

彡(^)(^)「店のことは店員に任せて、ワイはバリ島各地を駆け回るで~」


「南方に行ったら住民の利益のみを考えよ」。三浦は教師だった父の言葉を実践します。
やがて三浦は住民から人望を獲得し、”トコ・スペダ・トワン・ジャパング”(自転車屋の日本の旦那)と慕われるようになりました。

三浦は熱心なクリスチャンでしたが、バリ島民の大半はヒンドゥー教です。
それにも関わらず島民から受け入れられたのは、彼の敬虔な信仰から来る誠実さがあったからではないでしょうか。





651 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:37:12 ID:6Xh


>>383
やがて日本人の引き上げが始まり、三浦も最後の引き揚げ船で日本に帰国しました。





652 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:38:13 ID:6Xh


>>386
1942年2月

三浦は軍の随伴員として、再びバリ島に戻ってきました。


彡(゚)(゚)「この戦争はバリ島は勿論、アジア10億人の解放運動なんや!」

彡(゚)(゚)「インドネシアは必ず日本軍の力で独立させる!」

彡(゚)(゚)「日本は決して嘘は言わん!信じてくれや!」

(●゚◇゚●)「日本軍は怖いけど…」

(●゚◇゚●)「三浦さんがいるなら、信じてみようかな…」


三浦は現地の王族たちを集めて演説し、バリ島の人々を安心させました。





653 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:39:44 ID:6Xh


東インド占領後…


(●゚◇゚●)「ねぇ、白髪のおじさん」

(●゚◇゚●)「ちょっと困ったことになってるんだけど…」

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが協力したるわ」


日本軍政時代に起きた多くの問題。
それらのほとんどは習慣の相違、言葉の不自由によるものでした。
現地に詳しかった三浦はそれらを仲介し、多くの島民が助けられました。


三浦の風貌は古武士を思わせるものだったそうです。
島民による愛称は”白髪のおじさん”。
地元民には最大の敬語”トアン・ブサール”で呼びかけられることもあったそうです。





654 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:40:53 ID:6Xh


(・日・)「軍の要請により、缶詰加工工場が必要になった」

(・日・)「やってくれるかな?」

彡(゚)(゚)「はい、分かりました」


彡(゚)(゚)「三浦商会で缶詰加工工場を新設するで~」

彡(゚)(゚)「業務運営、経理など全てバリ人に委ねるで~」

彡(゚)(゚)「勿論賃金は全部お前らのもんやで~」


三浦は貧しいバリ人を集めて雇い、それによって得た代金は全て、原住民に支払われたそうです。





655 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:42:04 ID:6Xh


(●゚◇゚●)

彡(゚)(゚)「なんや、お前、孤児かいな?」

彡(゚)(゚)「しゃーない、ワイが引き取ったるわ」

 (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●) (●゚◇゚●)


三浦は孤児を十人以上も引き取っていました。
三浦の収入と言えど、子どもを10人以上も育てるのは、流石に容易ではなかったはずです。





656 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:43:14 ID:wHl
東南アジアと日本の関係って思ったより深いんやな




657 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:43:15 ID:6Xh


(・日・)「三浦くん、君は随分と島民に気に入られてるようだね」

(・日・)「君が協力してくれるなら、ここの統治は上手く行きそうだ」

(・日・)「君が推薦したプジャをここの知事に立てるよ」

彡(゚)(゚)「ありがとうございます!」


バリ島の軍政にあたった堀内豊秋。彼は三浦に全幅の信頼をおいていました。
住民の統治に関することは全て三浦に委ねられ、バリ島の治安は他所で見られないほどの平穏を保ち続けました。

ちなみに、プジャは後にインドネシア独立準備委員会のバリ代表となりました。





658 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:44:29 ID:6Xh


1944年5月

彡(゚)(゚)「病気療養で日本に戻るで」


1944年9月

彡(゚)(゚)「”小磯声明”か…遂にインドネシアも独立なんやなぁ」


1944年12月

彡(゚)(゚)「やっぱりバリ島に戻らないと(使命感)」

彡(゚)(゚)「ワイは彼らと約束したんや」

彡(゚)(゚)「死が行く手に待ち構えていても」

彡(゚)(゚)「使命だけは、断じて果たさねばならないんや」






659 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:45:40 ID:6Xh



彡(゚)(゚)「日本の占領はインドネシア独立のための唯一の手段なんや」

彡(゚)(゚)「せやから軍政は厳しいけどなんとか耐えてくれや」

彡(゚)(゚)「独立はもうすぐなんや!」

(●゚◇゚●)「わかったよ、白髪のおじさん」





660 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:46:49 ID:6Xh


彡(゚)(゚)「今日も軍人が原住民たちをぞんざいに扱ってたわ…」

彡(゚)(゚)「軍の慰安所に連れて行かれそうになった女性も居ったで」

彡(゚)(゚)「勿論ワイが助けたったけどな」

彡(゚)(゚)「あいつらホンマどうなっとんねん…」

彡(゚)(゚)「怒りが収まらんから日記にでも書いとこ」


彡(゚)(゚)「でもこれも、インドネシアが独立するまでの辛抱や」

彡(^)(^)「それまではワイら日本人が導いてあげんとな」


三浦は心の底から”インドネシアの独立”を信じていました。
だからこそ、彼らのためを思い、島民を説得し続けていたのでした。






661 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:48:05 ID:6Xh


1945年7月


U・ω・U「シガラジャで”小スンダ建国同志会”を結成するよ」

U・ω・U「バリ島でもインドネシア独立に向けて活動を開始するんだ」

U・ω・U「代表はぼく、プジャだよ」

U・ω・U「基本的にバリ人だけの会なんだけど…」

U・ω・U「三浦さんには特別に、この同志会に入ってもらうんだよ」

U・ω・U「事務総長に就任してもらうんだ」





662 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:49:18 ID:6Xh


1945年8月14日

彡(゚)(゚)「同志会に参加するためシガラジャに向かうで~」

彡(゚)(゚)「ワイが経営しとる畜産会・商会はバリ人従業員に任せてきたわ」

彡(^)(^)「それじゃ行くか、楽しみやな~」






663 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:50:20 ID:6Xh



1945年8月15日

敗戦






664 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:51:21 ID:6Xh


(●●●●●)「日本は負けた」

(●●●●●)「日本が進めてきたインドネシア独立は全て無効」

(●●●●●)「インドネシア独立は、なくなったんや」

(●●●●●)「すまんな」



彡()()「…ぁ……」

彡()()「……ぁぁ゛…………ぁぁ゛ぁ゛…」

彡()()「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!!!!」






665 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:52:31 ID:6Xh


彡()()「………………」

(●゚◇゚●)「……元気だして?白髪のおじさん」

彡()()「……ワ、ワイが今までしてきたことは…」

彡()()「………………一体、なんやったんや……」





666 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:53:40 ID:6Xh


彡(;)(;)「すまんかった、本当にすまんかった…」

彡(;)(;)「独立できなくて、ホンマすまんかった………」

(●゚◇゚●)「白髪のおじさん、顔をあげて?」

(●゚◇゚●)「これは仕方のないことだったんだよ」

彡(;)(;)「いいや!そんなことあらへん!」

彡(;)(;)「独立はできた!できたはずなんや……」


彡(;)(;)「…………」

彡(;)(;)「…………」

彡(゚)(゚)「…………」





667 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:54:51 ID:6Xh


彡(゚)(゚)「…………」

彡(゚)(゚)「…”日本人は戦いに負けたら自決する”と、お前らには教えた」

彡(゚)(゚)「しかし天皇陛下の命により、日本人は誰も自決することができない」

彡(゚)(゚)「それやとワイら日本人は嘘を吐いたことになる」

彡(゚)(゚)「せやから………」


彡(^)(^)「………ワイが日本人を代表して、自決するわ」





668 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:56:11 ID:0AT
三浦さああああんやめろおおおお




669 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:56:17 ID:6Xh


1945年9月6日

彡(^)(^)「…ホンマにお前らにはすまんことしたな」

彡(^)(^)「独立させてやれんで、ホンマすまんかったな」

(●゚◇゚●)「…ねぇ、白髪のおじさん、本当に考え直してくれない?」

(●゚◇゚●)「おじさんには本当にお世話になったんだよ」

(●゚◇゚●)「バリ島がこんなに平和だったのは、おじさんのお陰なんだよ?」

彡(^)(^)「…そうか、ありがとな」

彡(^)(^)「せやけどな、もう連合軍がそこまで迫っとる」

彡(^)(^)「捕まったらそこで最期や、もうバリ島には戻って来られん」

彡(^)(^)「インドネシアの独立をこの目で見られん」

彡(^)(^)「ワイはな、魂だけでもこの地に残って」

彡(^)(^)「インドネシアの独立を、見守りたいんや…」

(●゚◇゚●)「おじさん…」

彡(^)(^)「さぁ、最後の晩餐や、盛大に食そうや…」





670 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:57:27 ID:6Xh



1945年9月7日


『小磯声明』の一年後。
日本が約束した、”インドネシア独立が実現するはずだった日”。


その日の早朝。
三浦襄は拳銃で自決しました。






671 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:58:41 ID:0AT
oh……




672 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:58:48 ID:6Xh


彡(^)(^)「この戦争で、我が祖国日本の勝利を念ずるためとはいえ」

彡(^)(^)「私の愛するバリ島の皆様に、心ならずも真実を歪めて伝え」

彡(^)(^)「日本の国策を押し付け、無理な協力をさせたことをお詫びします。」


彡(^)(^)「今まで威張り散らしていた日本人も」

彡(^)(^)「明日からは捕虜として、皆様の前で惨めな姿を見せるでしょう。」

彡(^)(^)「彼らが自決せずに屈従するのは」

彡(^)(^)「新しい日本、祖国再建に力を尽くそうと思っているからです。」


彡(^)(^)「なので、自決するのは私一人で良いと思います。」

彡(^)(^)「私が、日本人皆の責任を負って、自決します。」





673 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)22:59:49 ID:6Xh


その後…


(・豪・)「そうか、そんなことが…」

(・豪・)「三浦襄の葬儀を許可する」

(・豪・)「弔ってやりなさい」


進駐してきたオーストラリア・オランダ軍は、三浦の葬儀を許可します。

三浦の葬儀は日本式で行われました。
葬儀には8人の王、16人の僧正なども訪れ、参列したバリ人は1万人もいたそうです。





674 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)23:00:49 ID:6Xh



その後も彼の墓所には花が絶えません。
日本人が訪れて慰霊祭を行うと、今なお大勢のバリ人が集まるそうです。


「三浦襄はバリ人のために生き、インドネシア独立のために死んだ」
墓碑に刻まれた言葉と共に、彼は今でも、バリ島で静かに眠っています。



        【Side Episode 三浦襄 完】






675 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)23:01:20 ID:6Xh

本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。

次はいよいよ本編のクライマックスに突入します。
ただ、書き溜めを全て消化してしまったので、次の更新はまた少し先になるかと思われます。
完結までもう暫くお待ち下さい…。




678 :名無しさん@おーぷん:2015/04/09(木)23:51:03 ID:aNX
一般人でもこんなえらい人居ったんやな
ワイにはこんな自己犠牲できる自信ないわ

今日の分もおもろかったで
サンキューイッチ
イッチのペースで完結しちくり~




679 :名無しさん@おーぷん:2015/04/10(金)00:41:53 ID:Avy
あの水木センセイもラバウルで今村さんに会って
「今まで見てきた中で一番優しそうな人」と言っているな。




714 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)21:15:52 ID:oaL




716 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)21:58:34 ID:CuS
予告AAキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!




717 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)21:59:01 ID:oaL



                   【Main Episode】






718 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:00:18 ID:oaL


1945年8月9日


( ・`ω・´)「ベトナムにある”南方軍・総司令部”から呼び出しが来たよ」

( ・`ω・´)「独立準備委員会も設立したばかりなのに、一体なんだろうね?」

(^)'・▲・`(^)「独立も間近なんだし、悪い話じゃなければいいけど…」





719 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:01:33 ID:oaL



1945年8月11日

ベトナム・サイゴン郊外ダラト:日本軍 南方軍 総司令部






720 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:02:31 ID:oaL


彡(゚)(゚)「私が南方軍総司令官の元帥・寺内寿一だ」

彡(゚)(゚)「今日君たちを招待したのは他でもない」

彡(゚)(゚)「君たちの”インドネシア独立”が認められることになった」

彡(゚)(゚)「来月の7日は”小磯声明”の一周年だ」

彡(゚)(゚)「その日、君たちインドネシアは独立する」

彡(゚)(゚)「今日はそれを祝して、私たちからささやかなセレモニーを贈らせてもらう」

彡(゚)(゚)「おめでとう、君たちの念願はようやく叶うんだ」


日本の制空権、制海権が奪われ、東京への交通が確保できない現状。
日本は、南方軍総司令部が代行として、インドネシアの独立承認を告げました。






721 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:03:34 ID:oaL



(^)'・▲・`(^)「おめでとう、遂にここまで来たね」

( ・`ω・´)「うん、いよいよ独立だ」

( ・`ω・´)「これまで本当に、長かったなぁ…」





722 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:04:44 ID:oaL


シンガポール


( ・`ω・´)「さて、急いでジャカルタに戻らないと…」

(・民・)「あ、スカルノさん」

( ・`ω・´)「あれ?あなたはマレー半島の民族主義運動家さん」

( ・`ω・´)「何かごようですか?」

(・民・)「いや、特に用という程のことではないんだけどね…」





723 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:05:55 ID:oaL

(・民・)「聞いた話じゃ、日本は敗色濃厚だそうじゃない?」

(・民・)「なんでも”凄まじい破壊力の爆弾”が落とされたとか…」

(・民・)「いよいよ戦争が終わるのかねぇ」

( ・`ω・´)「そうですねぇ…」

( ・`ω・´)「でも、こっちにいる日本軍はまだまだ元気ですからね」

( ・`ω・´)「さっき南方軍の総司令官さんとも会ってきたんですが、そんなそぶりは微塵もありませんでしたし」

( ・`ω・´)「この戦争はもうちょっと続くんじゃないでしょうか?」

(・民・)「そんなもんかねぇ…」





725 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:06:53 ID:oaL



1945年8月14日

ジャカルタ空港






726 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:07:56 ID:oaL

( ・`ω・´)「みなさま!お待たせしました!」

( ・`ω・´)「”今やトウモロコシの花は咲く寸前だ!”」

( ・`ω・´)「遂に、インドネシアの独立が承認されたよ!」

( ・`ω・´)「近いうちに、ぼくたちは独立するんだ!」




( ・◇・)「……ねぇ、知ってる?」

(´・ω・`)「うん、ソ連がこの戦争に参戦したんでしょ?」

(´・ω・`)「爆弾で日本は焼け野原だって話もあるし、いよいよ日本は……」





728 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:08:57 ID:oaL



1945年8月15日


その日の午後、”日本が敗戦した”という噂が、各地で流れ始めます。






729 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:09:58 ID:oaL


( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………いや、噂なんか信じないぞ」

( ・`ω・´)「だって軍の人たちは昨日まで、あんなに元気だったじゃないか」

( ・`ω・´)「それが今日突然”敗戦”だなんて………」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………念のため、確認しに行こう」





732 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:11:07 ID:oaL


[陸軍・軍政監部]


( ・`ω・´)「こんにちは、スカルノです」

( ・`ω・´)「どこも”日本が敗戦した”という噂で持ちきりです」

( ・`ω・´)「この噂の真偽を確かめに来ました」

( ・`ω・´)「どうか西村少将のお話をお聞かせ下さい」

(・日・)「………少々お待ち下さい」





733 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:12:09 ID:oaL


(・日・)「………お待たせしました」

( ・`ω・´)「それで、何と?」

(・日・)「………」

(・日・)「………残念ですが、西村少将との面会はできません」

(・日・)「………ただ、伝言があります」

(・日・)「………”独立への援助ができなくなった”」

(・日・)「………以上です」

( ・`ω・´)「そうですか…」





734 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:12:54 ID:g9x
察し




735 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:13:14 ID:oaL


( ・`ω・´)「とても嫌な予感がする、どうしよう…」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「…そ、そうだ!」

( ・`ω・´)「武官府の前田少将に話を聞きに行こう!」

( ・`ω・´)「彼ならきっと何か知っているはずだ!」





736 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:14:16 ID:oaL


[海軍・武官府]


彡(゚)(゚)「…待たせてすまんな」

( ・`ω・´)「いえ、それよりも…」

( ・`ω・´)「………一体、これはどうなっているのですか?」

彡(゚)(゚)「………」





737 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:14:28 ID:mcM
アカン……




738 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:14:59 ID:g9x
友好な関係を築けてたんやなぁ




739 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:15:44 ID:oaL

彡(゚)(゚)「………」

彡(-)(-)「………」

彡(-)(-)「………すまん、ワイにもまだ正式な通知は来とらんのや」

彡(-)(-)「せやから、今この場で答えられることは何もないんや」

彡(-)(-)「せやけど、通知を受け取ったら必ずお前にも知らせるわ」

彡(-)(-)「………ホンマにすまんな」

( ・`ω・´)「……分かりました、ありがとうございます」


前田の苦悩に満ちた表情。
それは日本の敗戦を窺わせるには、十分なものでした。






740 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:16:47 ID:CuS
悲しいなぁ…




741 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:16:50 ID:oaL



1945年8月15日夜

[スカルノ邸]






742 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:17:33 ID:oaL


(^)'・▲・`(^)「今日は大変な一日だったね…」

( ・`ω・´)「きっと明日も大変だよ、一体この先どうなるのやら…」

(^)'・▲・`(^)「先が思いやられるね…」

(^)'・▲・`(^)「それじゃ、ぼくはこれで」

( ・`ω・´)「うん、おつかれさま」

(^)'・▲・`(^)「………ん?なんだ、あれは?」





(*^◯^*)「待っていたんだ!スカルノ!」

( ・`ω・´)「!?」


帰宅したスカルノたちを待ち構えていたのは”青年グループ”でした。





743 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:18:24 ID:g9x
背景に、蝉の鳴き声が響いてると思うとほんと切ない




744 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:18:36 ID:oaL


( ・`ω・´)「一体何の用だ?」

(*^◯^*)「日本は敗戦したんだ!」

( ・`ω・´)「!」

(*^◯^*)「もう邪魔者はいない!」

(*^◯^*)「今こそ立ち上がるときなんだ!」






745 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:19:35 ID:oaL


数刻前…


( ・◇・)「ねぇ聞いた?日本が敗戦したんだってよ」

(*^◯^*)「それは本当なんだ!?」

(*^◯^*)「こうしちゃいられないんだ!」

(*^◯^*)「今こそ革命のときなんだ!」


”インドネシア独立”に対して、完全に蚊帳の外にあった”青年グループ”。
彼らは日本の敗戦を知るやいなや、すぐさま立ち上がろうとしました。





746 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:20:18 ID:g9x
おお…もう…




747 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:20:38 ID:oaL


( `o´)

(*^◯^*)「ジャカルタ地区・ジャワ郷土防衛義勇軍”ペタ”所属、カスマン大団長!」

( `o´)「なんだ?」

(*^◯^*)「日本が敗戦しました!」

(*^◯^*)「今こそ我々が立ち上がるときです!」

(*^◯^*)「武装蜂起して日本軍と戦いましょう!」

( `o´)「………」





748 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:21:40 ID:oaL

( `o´)「………いや」

(*^◯^*)「!?」

( `o´)「我々だけの判断では、軍を動かすことはできない」

( `o´)「どうしてもと言うのなら…」

( `o´)「”スカルノ氏の承認”を要求する」

(*^◯^*)「なんだって!?」

( `o´)「彼が”良い”と言ったら、軍を動かすことに同意するよ」

(*^◯^*)「………あのクソジジイめ…」





749 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:22:44 ID:oaL


1945年8月15日夜

[スカルノ邸]


(*^◯^*)「というわけなんだ!」

(*^◯^*)「さぁ、スカルノ!」

(*^◯^*)「軍を動かす許可を出すんだ!」

(*^◯^*)「それでこの国は独立できるんだ!」

( ・`ω・´)「………」



( ・`ω・´)「………それはできない」

(*^◯^*)「!?」





750 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:23:51 ID:oaL


( ・`ω・´)「私たちは”日本との話し合いによる独立”を進めてきた」

( ・`ω・´)「そして南方軍総司令官・寺内元帥は、既にインドネシアの独立を認めている」

( ・`ω・´)「それなのに、今敢えて武力蜂起する意味はなんだ?」

( ・`ω・´)「独立予定日まで、あとたった数十日だ」

( ・`ω・´)「何故、それが待てないんだ?」


(*^◯^*)「そんなの知ったこっちゃないんだ!」

(*^◯^*)「”日本から与えられた独立”なんて、ぼくたちはいらないんだ!」

(*^◯^*)「ぼくたちは”武力”によって独立を勝ち取るんだ!」

(*^◯^*)「今こそ革命のときなんだ!」





751 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:24:52 ID:oaL

( ・`ω・´)「…馬鹿馬鹿しい」

(*^◯^*)「なんだと!?」

( ・`ω・´)「日本軍は未だに武力を保持したまま存在している」

( ・`ω・´)「”敗戦した”といっても、その事実は変わらない」

( ・`ω・´)「一方のインドネシア側に武力はない」

( ・`ω・´)「ほとんど素手同然だ」

( ・`ω・´)「歯向かえば壊滅する、それだけだよ」

(*^◯^*)「やってみないと分からないんだ!」

( ・`ω・´)「なら、やれるものならやってみろ」

( ・`ω・´)「これだから青年グループは…」





752 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:25:27 ID:g9x
今までの話の総決算やな




753 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:25:53 ID:oaL

(*^◯^*)「………」

(*^◯^*)「もういい!お前とは話にならないんだ!」

(*^◯^*)「帰るんだ!」

(^)'・▲・`(^)「全く、なんて奴らだ…」


そうして、スカルノと”青年グループ”の交渉は決裂。





754 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:26:57 ID:oaL



8月15日深夜から8月16日未明にかけて。


就寝中のスカルノ一家、ハッタ一家は、”青年グループ”に拉致されたのでした。






755 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:27:29 ID:CuS
おお、もぅ…




757 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:28:20 ID:oaL




彡(゚)(゚)「スバルジョ、急に呼び出してすまんな」

(o‘ω‘ n)「いえ、それよりも…」

(o‘ω‘ n)「スカルノとハッタが行方不明って、本当ですか?」

彡(゚)(゚)「…せや、一家揃って行方不明や」

彡(゚)(゚)「昨日、ここで話をしていったんやけどな…」

彡(゚)(゚)「…この混乱の中、何かあったら大変や」

(o‘ω‘ n)「はい、私の方で彼らの行方を捜してみようと思います」




758 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:29:33 ID:oaL


( ・◇・)「スカルノさんの家に男たちが乗り込んできてね」

( ・◇・)「みんな車に乗せて、向こうの方に行っちゃったんだ」

( ・◇・)「多分、”レンガスデンクロック”の方じゃないかな…?」

(o‘ω‘ n)「”レンガスデンクロック”か…」


レンガスデンクロック。
そこは民主主義運動の影響を受けた、スチプト中団長が指揮する街。
そして急進派”青年グループ”の巣窟でもありました。





759 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:30:34 ID:oaL


レンガスデンクロック:”ペタ”兵舎


(*^◯^*)「ただいまなんだ!」

(・団・)「お、連れてきたか!」

(*^◯^*)「スカルノ一家、ハッタ一家の拉致に成功したんだ!」





760 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:31:01 ID:g9x
愛国主義も変な方向に向かったら破滅にしかならないな




761 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:31:38 ID:oaL


( ・`ω・´)「君たち!我々を連れてきて一体どうする気だ!」

(*^◯^*)「そんなの決まってるんだ!」

(*^◯^*)「今すぐ武装蜂起を承認するんだ!」

(*^◯^*)「ぼくたちは今すぐ独立戦争を始めるべきなんだ!」

(*^◯^*)「そのためにはジャカルタの”ペタ”も一緒に武装蜂起するべきなんだ!」

(*^◯^*)「許可さえ出せば、すぐにでもお前たちは開放してやるんだ!」

(*^◯^*)「だからさっさと許可を出すんだ!」

( ・`ω・´)「馬鹿馬鹿しい、こんなことで我々が大人しく従うと思うなよ!」

(^)'・▲・`(^)「そうだ、話にならんよ」

(*^◯^*)「ぶざけたことを抜かしてるんじゃないんだ!」


このレンガスデンクロックでは、以前から着々と武装蜂起の準備が進んでいたのでした。
全ては、”インドネシア共和国最初の解放区”となるため。
日本軍による統治は、ほとんど限界に達しつつあったのでした。

日本軍の影響が及ばない”レンガスデンクロック”。
”青年グループ”はこの場所で、スカルノとハッタに即時独立を強要したのでした。





762 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:32:46 ID:oaL


[レンガスデンクロック]


(o‘ω‘ n)「やっと着いた、ここがレンガスデンクロック…」

(o‘ω‘ n)「スカルノたちはきっと”ペタ”の関係施設に拉致されてるはずだ」

(o‘ω‘ n)「虱潰しに探してみよう」





763 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:33:48 ID:oaL


8月16日深夜

[レンガスデンクロック:ペタ兵舎]


(*^◯^*)「つべこべ言わずさっさと承諾するんだ!」

(*^◯^*)「家族がどうなってもいいのか!?」

( ・`ω・´)「卑怯者め、だからお前たちの話には乗れないと言ってるんだ」

(*^◯^*)「なんだと!?」



(o‘ω‘ n)「そこまでだ、君たち!」

(*^◯^*)「!?」

(o‘ω‘ n)「ぼくはスバルジョだ、大人しく彼らを引き渡すんだ」

(*^◯^*)「そういう訳にはいかないんだ!」

(*^◯^*)「ぼくたちは今すぐ武装蜂起するべきなんだ!」

(*^◯^*)「今更後には引けないんだ!」





764 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:35:01 ID:oaL


(o‘ω‘ n)「どうしても武装蜂起するというのかい?」

(*^◯^*)「そうなんだ!今まで準備を進めてきたんだ!」

(*^◯^*)「この期を逃したらもうないんだ!」

(*^◯^*)「独立は、ぼくらの手で勝ち取るべきなんだ!」

(o‘ω‘ n)「……交渉は難しそうだな…」



(o‘ω‘ n)「………分かった、ならばこうしよう」

(*^◯^*)「?」





765 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:35:32 ID:g9x
悲劇にしかならないのか




766 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:36:21 ID:oaL



(o‘ω‘ n)「我々は、独立準備の最終段階として、」

(o‘ω‘ n)「8月18日に委員会会議を行う予定だった」

(o‘ω‘ n)「終戦で、それはご破算になってしまったけど…」

(o‘ω‘ n)「遠方からの参加者は、既にジャカルタに到着している」

(o‘ω‘ n)「近場の者は、すぐに集まれるだろう」

(o‘ω‘ n)「つまり、今、」

(o‘ω‘ n)「このジャワ島では、独立に関与する者が全て集まれるんだ」




(o‘ω‘ n)「………我々の手で、明日、独立を宣言しよう」






767 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:36:33 ID:mcM
これが70年前の出来事なんよね




768 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:37:34 ID:oaL


(*^◯^*)「!?!?」

(*^◯^*)「…そ、そんなことが本当にできるんだ!?」

(o‘ω‘ n)「…ああ、条件は全て揃っている」

(o‘ω‘ n)「独立は明日、果たされる」

(o‘ω‘ n)「これは他の誰でもない、インドネシア人による独立だ」

(*^◯^*)「………!!」


(o‘ω‘ n)「そして君たちにも、この独立に協力してもらいたい」

(*^◯^*)「!?」

(o‘ω‘ n)「我々は共に、独立を宣言しようじゃないか」

(*^◯^*)「………わ、分かったんだ!」

(*^◯^*)「その提案に乗るんだ!」





769 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:38:20 ID:CuS
onちゃんGJ




770 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:38:23 ID:mcM
有能有能&有能




771 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:38:38 ID:oaL



( ・`ω・´)「助けてくれてありがとう、スバルジョ…」

(o‘ω‘ n)「ああ、でもすまない、あんなことを宣言してしまって…」

(^)'・▲・`(^)「………確かに、独立を強要されたこの事件はとても不愉快だ」

( ・`ω・´)「だが、丁度良かったのかもしれない」

( ・`ω・´)「待っていては駄目だったんだ」

( ・`ω・´)「やはり我々は、我々の手で、独立するべきだったんだ」





772 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:38:40 ID:g9x
喜んでる感じが出てええわ




773 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:39:35 ID:oaL


8月16日夜

[ジャカルタ]


( ・`ω・´)「やっと戻って来られた…」

( ・`ω・´)「でもぐずぐずしてはいられない」

( ・`ω・´)「まずは日本軍の陸軍幹部に報告しに行かないと」





775 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:40:32 ID:oaL


[陸軍・軍政監部]


(・日・)「………どうぞ」

( ・`ω・´)「失礼します、軍政監部・総務部長、西村少将」

( ・`ω・´)「夜分遅くにすみません」

( ・`ω・´)「ですが、事が急でしたのでご容赦下さい」






776 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:41:20 ID:oaL


( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………我々は明日、独立を宣言します」

( ・`ω・´)「これまでお膳立てをして頂いたのに、申し訳ありません」

( ・`ω・´)「ですが、我々は今、独立するしかないのです」





777 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:41:50 ID:mcM
歴史ってほんま絶妙なタイミングで最悪の事態を回避しとるよなあ




781 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:43:10 ID:oaL


( ・`ω・´)「戦争が終わり、オランダの進駐軍が迫っています」

( ・`ω・´)「彼らがやってくれば、きっと戦前のインドネシアに戻ってしまうでしょう」

( ・`ω・´)「………植民地だったあの頃に、搾取されるだけの私たちに、戻ってしまうでしょう」

( ・`ω・´)「それだけは、避けなければなりません」

( ・`ω・´)「やっとここまで来たんです、独立の準備は全て、終わったんです」

( ・`ω・´)「あとは、独立するだけなんです」





783 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:44:07 ID:oaL


( ・`ω・´)「………今日、我々は日本軍の承認を得に来ました」

( ・`ω・´)「独立の承認を、得に来ました」

( ・`ω・´)「どうか、お願いします…」

(・日・)「………」



(・日・)「………申し訳ない」

(・日・)「………我々は、連合軍より”現状維持”を厳命されている」

(・日・)「………独立を認めることは、できないんだ…」





786 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:45:10 ID:oaL


(・日・)「………」

(・日・)「………だが、」

(・日・)「”我々は、何も聞かなかった”」

(・日・)「我々は、何も知らない」

(・日・)「だから、君たちを止めることも、ない」

(・日・)「………さぁ、早く行くんだ」


( ・`ω・´)「…ありがとうございます、失礼しました」





789 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:46:42 ID:mcM
>>786
かっこええ……




790 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:47:20 ID:g9x
>>786
本当にこんなドラマみたいな感じだったの?




796 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:49:56 ID:oaL
>>790
陸軍による独立承認は拒否されました。
しかしそれは同時に”黙認”され、独立に対する妨害もありませんでした。

”黙認”、それが彼らの精一杯の”誠意”だったのかもしれません。




788 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:46:22 ID:oaL


[海軍・武官府]


(o‘ω‘ n)「…失礼します、前田少将」

彡(゚)(゚)「おう、どうした」

(o‘ω‘ n)「”独立養成塾”では大変お世話になりました」

彡(^)(^)「ええんやで、あんなん先行投資や」

彡(゚)(゚)「………独立できんで、すまんな」

(o‘ω‘ n)「いえ、それはもういいんです…」

(o‘ω‘ n)「………」

(o‘ω‘ n)「………明日、我々は独立を宣言します」

彡(゚)(゚)「!」

(o‘ω‘ n)「今、スカルノが西村少将に独立の最終承認をもらいに行っています」

(o‘ω‘ n)「………ですが、承認を得るのは難しいかもしれません」

彡(゚)(゚)「………」





791 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:47:32 ID:oaL


(o‘ω‘ n)「独立宣言はつい先ほど決まったことです」

(o‘ω‘ n)「下準備もまだで、我々はこれから、独立宣言の起草を行わなければいけません」

(o‘ω‘ n)「……陸軍による妨害があるかもしれません」

(o‘ω‘ n)「我々には今、安全な場所が必要です」

(o‘ω‘ n)「………どうか、前田少将の武官邸を提供してもらえませんでしょうか?」

彡(゚)(゚)「…そか、分かったで」


海軍武官府の前田武官邸。
そこは、万が一陸軍による妨害があったとしても、それを排除できる唯一の場所でした。





794 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:49:24 ID:g9x
>>791
仲の悪い海陸が、すれ違いで同じ決断してたなんて
歴史って面白いな




797 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:51:19 ID:oaL


8月16日午後11時

[前田武官邸]





798 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:52:14 ID:oaL


彡(゚)(゚)「…よー来たな、まぁ座っとき」

(o‘ω‘ n) ( ・`ω・´) (^)'・▲・`(^) (*^◯^*) (・日・)


前田少将はスカルノとハッタを公邸に迎え入れ、打ち合わせを行いました。

会議には50人ほどが出席しました。
日本人は前田の他に、日蘭商業新聞記者・吉住留五郎、第一六軍軍政監部司政官・三好俊吉郎、海軍嘱託・西嶋茂忠が同席したそうです。





799 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:53:16 ID:oaL


彡(゚)(゚)「それじゃ、ワイはもう寝るわ」

彡(゚)(゚)「ワイが関わったらいかんしな」

彡(゚)(゚)「………頑張れや」


会議は16日23時から17日2時過ぎまで続きます。





800 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:53:59 ID:oaL



( ・`ω・´)「さて」

( ・`ω・´)「”独立宣言”の原案は、既に”独立準備委員会”で採択されている」

( ・`ω・´)「あとはこの原案を調整して、”独立宣言”を起草するだけだ」





802 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:54:45 ID:oaL


( ・`ω・´)「まずは問題は権力の”委譲”という言葉について」

(*^◯^*)「これは革命なんだ!」

(*^◯^*)「”委譲”ではなく”奪取”とするべきなんだ!」

( ・`ω・´)「ここまで来てワガママを言わないでくれよ」

( ・`ω・´)「ここは”委譲”で押し切らせてもらうよ」





803 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:55:40 ID:oaL


( ・`ω・´)「ここに記す署名についてだが…」

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”は、日本によって用意された委員会だ」

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”の名を使用すると、”日本の与えた独立”に繋がってしまう」

( ・`ω・´)「さて、どう署名するか…」


(*^◯^*)「この会議の出席者全員の署名をするんだ!」

(*^◯^*)「それで万事解決なんだ!」

( ・`ω・´)「うーん、でもちょっと長くなりすぎるなぁ…」

( ・`ω・´)「………よし、まず私とハッタが署名する」

( ・`ω・´)「そして”インドネシア民族の名において”と記そう」

( ・`ω・´)「これで”我々インドネシア人による独立である”と主張できるぞ」





804 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:56:30 ID:oaL


( ・`ω・´)「最後は”日付”についてだけど…」

( ・`ω・´)「”西暦”は論外だ」

( ・`ω・´)「あれはオランダ時代の忌むべき遺物、絶対に使うべきではない」

( ・`ω・´)「さて、どうするか…」





806 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:57:35 ID:oaL

( ・`ω・´)「…そろそろ眠くなってきたぞ」

( ・`ω・´)「よく考えたら、昨晩から一睡もしてない」

( ・`ω・´)「独立宣言の時間も迫ってる、どうしよう…」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………なんだか熱もでてきた」

( ・`ω・´)「もう疲労も限界だ………よし、」

( ・`ω・´)「こうなったら”皇紀”を使おう、それで解決だ」


一枚のシワだらけの紙に書かれた、たった数行の独立宣言文。
8月17日未明、後に国宝となるそれは、遂に完成したのでした。





836 :名無しさん@おーぷん:2015/04/19(日)09:59:16 ID:xsm
>>806
あかん、電車の中なのに目から変な汁が…




807 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:58:36 ID:oaL

・豆知識『皇紀』

”西暦”に対抗するため、日本が作った年号です。
神武天皇が即位したとされる紀元前660年を元年とします。
科学的根拠に乏しいものですが、日本は政治的意図をもって”皇紀”の普及をはかりました。
”皇紀”は戦時中に使用され、戦後に姿を消しました。

”インドネシア独立宣言”にある”05年”とは、”皇紀2605年”のことを指します。


( ・`ω・´)「あとから考えたんだけど…」

( ・`ω・´)「”インドネシア暦元年”とするべきだったんだね」

( ・`ω・´)「それだけが反省材料だよ」

( ・`ω・´)「まぁあの時は、マラリア発熱で倒れる寸前だったからね」

( ・`ω・´)「睡眠もほとんど取れてなかったし、仕方ないか…」


”インドネシア独立宣言”は、今でもレリーフとして公開されています。
”皇紀”は”インドネシア独立宣言”と共に、永久に保管され続けるのでした。





811 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:00:02 ID:mcM
>>807
ほんま凄い話やなあ




808 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:58:46 ID:OxT
残留日本兵の話もやるンゴ?




810 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:00:00 ID:oaL
>>808
最終回のメインテーマです




809 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)22:59:40 ID:oaL



(o‘ω‘ n)「こうして、一人の勇敢な日本海軍少将の家での、」

(o‘ω‘ n)「忘れることのできない夜の会合は終わったんだ」






812 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:00:15 ID:CuS
インドネシアの国宝に皇紀が使われてるって感慨深いわ




815 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:00:55 ID:oaL



8月17日午前10時


[中央ジャカルタ、東ペガンサアン通り56番地、スカルノ邸]






817 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:01:57 ID:oaL


( ・`ω・´) (^)'・▲・`(^)


( ・`ω・´)「お集まりのみなさん」

( ・`ω・´)「本日はお越し頂き、ありがとうございます」

( ・`ω・´)「それでは、これより”インドネシア独立宣言”を読み上げさせて頂きます」





818 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:03:01 ID:oaL

( ・`ω・´)「宣言」

( ・`ω・´)「我らインドネシア民族は」

( ・`ω・´)「ここにインドネシアの独立を宣言する」

( ・`ω・´)「権力委譲などに関する事柄は、完全かつ速やかに行われる」

( ・`ω・´)「ジャカルタ、05年8月17日」

( ・`ω・´)「インドネシア民族の名において」

( ・`ω・´)「スカルノ / ハッタ」


( ・`ω・´)「ありがとうございました」


式典には、噂を聞きつけた500人ほどの人たちが集まりました。
スカルノ夫人手製の”メラ・プティ”が掲げられ、伴奏なしで”インドネシア・ラヤ”も歌われました。





819 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:03:55 ID:g9x
ついにか




820 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:03:56 ID:oaL



終戦直後。
その大混乱の中で発せられた、インドネシアの独立宣言。
8月15日~17日の3日間は”疾風怒濤の日”として、インドネシアの歴史に刻まれています。






821 :名無しさん@おーぷん:2015/04/17(金)23:04:16 ID:oaL

本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。

次の更新が、この物語の最終回となります。
多少膨らんでも全てを詰め込む予定なので、次が事実上最後の更新となります。
また少し時間がかかるかもしれませんが、もう暫くお待ち下さい…。




863 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)20:36:41 ID:nmC




867 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:00:17 ID:nmC


8月18日


( ・`ω・´)「独立宣言の発布によって、”独立準備委員会”は”独立委員会”になったよ」





868 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:00:49 ID:nmC

( ・`ω・´)「早速、閣僚人事を発表しますね」

( ・`ω・´)「初代大統領はぼく、スカルノ」

(^)'・▲・`(^)「初代副大統領は私、ハッタです」

(o‘ω‘ n)「初代外務大臣にはぼく、スバルジョ」


(*・公・*)「初代共和国首相は私、シャフリルです」

(*・公・*)「”独立養成塾”時代には、アジア史と社会主義の講義も担当しました」

(*・公・*)「外相も兼任するので、ちょっと大変ですね…」





869 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:01:47 ID:nmC


( ・`ω・´)「次に、議会で憲法を制定します」

( ・`ω・´)「国家の骨格は、既に論議が尽くされてるからね」

( ・`ω・´)「憲法の前文に5原則”パンチャシラ”を折り込むよ」





870 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:02:48 ID:nmC


8月19日


( ・`ω・´)「今日は中央政府12省、地方行政8州の設置を決定したよ」

( ・`ω・´)「8月29日には閣僚と知事を任命するんだ」


準備は全て、終わっていました。
だからこそ、彼らは素早い対応を見せられたのでした。

終戦から数日間、戦勝国からは何の指示もありません。
この権力の空白期を利用し、インドネシアは着々と”独立”を既成事実にしていきました。





871 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:03:49 ID:nmC


夜中、日本軍の目を盗んで行われたラジオ放送。
独立宣言のニュースは世界中に発信されます。

視聴者は僅かだったかもしれません。
ですが、独立を世界中に発信したこと。
それは彼らにとって、とても大きな意味があったのでした。





872 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:04:50 ID:nmC



(U・×・U)「東インドが独立?」

(U・×・U)「いや、知らんし」


”インドネシアの独立宣言”は、国際社会から無視されました。

そして、インドネシア国家誕生の試練が始まります。





873 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:06:02 ID:nmC


(●▲●)

(●▲●)「久々の出番やで~」

(●▲●)「ワイら”蘭印・植民地軍”は”ニカ”に改名したんやで~」

(●▲●)「改名理由は……まぁ、”植民地軍”だと、色々都合が悪いからな」


(●▲●)「さて」

(●▲●)「原住民どもめ、待っとれよ」


かつての宗主国・オランダが、連合軍の尻馬に乗って”戦勝国”として帰ってきました。





874 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:07:04 ID:nmC


(●▲●)「ワイらの任務はな、東インドを”日本占領前の状態”に戻すことなんや」

(●▲●)「つまり、植民地の復活やな」

(●▲●)「独立?そんなん関係ないわ」

(●▲●)「東インドが独立したのは”日本がお膳立てしたから”やろ?」

(●▲●)「日本がしたことは全部無効!白紙撤回!」

(●▲●)「当然、”独立”なんて”なかった”んやで(ニッコリ」





875 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:08:06 ID:nmC


( ・`ω・´)「そんな!」

( ・`ω・´)「独立は確かに、インドネシア人によって果たされたんだ!」

( ・`ω・´)「日本が用意した”独立予定日”も回避したし!」

( ・`ω・´)「そこに日本の介入はなかった!」

( ・`ω・´)「だから独立が無効だなんて間違ってるよ!」





876 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:09:06 ID:nmC

(●▲●)「せやろか?」

(●▲●)「なんでも日本時代、”独立準備委員会”なるものがあったそうやないか?」

(●▲●)「独立宣言には日本の”皇紀”も使われとるし?」

(●▲●)「大体、独立宣言の起草には、日本人が立ち会っていたそうじゃないか?」

(●▲●)「日本の関与があったことは、明白やろなぁ?」





877 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:10:07 ID:nmC


( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………いや」

( ・`ω・´)「”日本人はいなかった”」

( ・`ω・´)「これは全て、インドネシア人だけで行われたことだ!」


インドネシア人だけによる、インドネシア独立宣言の起草。
これが“インドネシアの建国神話”です。





878 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:10:58 ID:nmC



(●▲●)「はー、全く、話が通じん奴らやなー」

(●▲●)「イギリスはん、イギリスはん」

(U・×・U)「お、なんや?」

(●▲●)「どうか協力、頼んまっせ」

(U・×・U)「しゃーないな…」





879 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:11:59 ID:nmC


(U・×・U)「おう、日本軍」

彡(゚)(゚)「は、はい、東南アジア方面総司令官、マウントバッテン大将」

(U・×・U)「ワイらと”ラングーン協定”を結ぶんやで」

(U・×・U)「ワイら連合軍の進駐が整うまで」

(U・×・U)「日本軍は、現地での治安維持の責任を持つんや」

(U・×・U)「兵器は保持したまま、到着した連合軍に引き渡すんや」

(U・×・U)「………武器を住民に渡したりしたら絶対にいかんのやで」

彡(゚)(゚)「は、はい、分かりました…」


こうして、現地の治安維持が日本軍に任されました。





880 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:12:53 ID:nmC



( ・`ω・´)「みんな、聞いてくれ!」

( ・`ω・´)「まもなく、あの忌々しいオランダ兵が帰ってくる!」

( ・`ω・´)「ぼくたちは戦わなければいけない!」

( ・`ω・´)「戦って、勝たなければいけないんだ!」

( ・`ω・´)「旧”ペタ”、旧”ヘイホ”の諸君には、是非とも”インドネシア共和国軍”に参加して欲しい!」

( ・`ω・´)「ぼくたちの手でインドネシアを守るんだ!」


1945年8月19日。日本軍が組織した”ペタ”は、解散しました。
インドネシア政府は旧”ペタ”、旧”ヘイホ”らに、新たな軍への参加を呼びかけます。





881 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:13:34 ID:nmC


10月5日。
後に”建軍記念日”となるその日、”インドネシア共和国軍”は結成されます。

”タンゲラン青年道場”から始まり、”ジャワ郷土防衛義勇軍・ペタ”を経て、祖国インドネシアのために鍛え続けてきた彼ら。
それは遂に、本物の国防軍となったのでした。





882 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:14:28 ID:nmC


[ジャワ島・スラバヤ]


(´・ω・`)「急げ、急げ!オランダ兵が来るぞ!」

(´・ω・`)「もっと武器を集めるんだ!」

(´・ω・`)「ぼくらは独立したんだ!もう奴らの好きにはさせない!」

(´・ω・`)「何としてでも、闘ってでも!」

(´・ω・`)「奴らから、この国を守らないと!」

(´・ω・`)「これはぼくたちの”独立戦争”なんだ!」





883 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:15:30 ID:nmC


彡(゚)(゚)

(´・ω・`)「日本兵のおにいちゃん!」

(´・ω・`)「どうかぼくたちに武器をちょうだい!」

(´・ω・`)「ぼくたちはこれから、オランダと闘わなきゃいけないんだ!」

(´・ω・`)「ぼくたちは勝たなきゃいけないんだ!」

(´・ω・`)「負けられないんだ!」

(´・ω・`)「どうか、奴らと闘うための武器を貸してください…」

彡(゚)(゚)「………」


10月に設立された”インドネシア共和国軍”。
彼らには、武器がなく、弾薬がなく、食料がなく、医薬品がありませんでした。
たった一つ、あるのは兵士たちの愛国心だけ。
彼らは、日本軍の武器が喉から手が出るほど欲しかったのでした。





884 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:16:06 ID:nmC


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………」

(´・ω・`)「……おにいちゃん?」





885 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:16:43 ID:nmC


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………いや」

彡(゚)(゚)「ワイらはお前らに、武器を譲れん」

(´・ω・`)「!」

彡(゚)(゚)「これは上からの命令なんや」

彡(゚)(゚)「命令は絶対遵守なんや」

(´・ω・`)「そ、そんな…」





886 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:17:45 ID:nmC


彡(゚)(゚)「…せやけどな」

(´・ω・`)「?」

彡(゚)(゚)「ワイらはこれから”古くて使えない武器”を”破棄”する」

彡(゚)(゚)「当然”破棄”やからな、武器は”解体”してから”破棄”するで」

彡(゚)(゚)「”破棄”する場所は……せやな、河原とかその辺でええか」

彡(゚)(゚)「こんな”ゴミ”を拾う物好きなんて、きっとおらへんからな」


彡(゚)(゚)「………まぁ万が一、それらが拾われて、」

彡(゚)(゚)「再び武器として組み立てられたとしても」

彡(゚)(゚)「それはワイの知らんことや」

彡(゚)(゚)「拾った奴の好きにするとええ」

彡(゚)(゚)「…ワイの話はここまでや」

彡(゚)(゚)「健闘を祈る」


(´・ω・`)「ありがとう、日本兵のおにいちゃん…」





887 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:18:47 ID:nmC


10月3日


彡(゚)(゚)「…すみません、オランダ海軍・フェーエル大佐」

(●▲●)「なんや?」

彡(゚)(゚)「我々は今、原住民たちとの間で板挟みになっています」

彡(゚)(゚)「原住民たちは皆、我々に武器をよこせと押しかけてきています」

彡(゚)(゚)「しかし、我々は命令により、武器を引き渡すことができません」

彡(゚)(゚)「彼らを裏切るのは心苦しい、しかし武器は渡せない…」

彡(゚)(゚)「我々は、とても困っているのです」





888 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:19:40 ID:nmC

(●▲●)「ほーん、で?」

彡(゚)(゚)「なので、連合軍サイドの方で、我々の武器を引き取ってもらえないでしょうか?」

彡(゚)(゚)「我々の方では、もう限界なのです…」

(●▲●)「ほーん……まぁ、ええやろ」

(●▲●)「武器はワイらの方で引き取ったるわ」

彡(゚)(゚)「ありがとうございます、大佐」





889 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:20:41 ID:nmC


彡(゚)(゚)「…ところで、大佐」

(●▲●)「なんや、まだあるんか?」


彡(゚)(゚)「大佐は以前、こうおっしゃいましたよね?」

彡(゚)(゚)「”オランダはインドネシアを完全に把握している”と」

(●▲●)「あぁ、確かに言ったかもなー?」

(●▲●)「大正義オランダが、こんな小さな島国一つを把握するなんて他愛もないことやで」

彡(゚)(゚)「そうですか……ならば」

(●▲●)「?」


彡(゚)(゚)「インドネシアに武器を引き渡すのも、オランダに武器を引き渡すのも」

彡(゚)(゚)「それは全く、同じことなのではないでしょうか?」

(●▲●)「ファッ!?」





890 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:21:51 ID:nmC

(●▲●)「な、なんやその理屈は!?」

彡(゚)(゚)「おや?どうかしましたか?」

彡(゚)(゚)「…もしかして、あの発言は嘘だった、と?」

彡(゚)(゚)「オランダは実は大したことなどなく、」

彡(゚)(゚)「こんな小さな島国一つを把握することすら困難だ、と?」

(●▲●)「ぐぬぬ…」


(●▲●)「……まぁええわ、原住民如きに武器が少々渡ったところで、どうということもない」

(●▲●)「インドネシアに武器を引き渡すのを許可するで」

(●▲●)「その武器でインドネシア人が治安活動をするとええ」

(●▲●)「これでええんやろ!」

彡(^)(^)「ありがとうございます、大佐」





891 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:22:21 ID:nmC


武器の引き渡しを禁じられていた日本軍。
彼らはこのような手段を用いて、インドネシア側に武器を横流しします。

特にスラバヤでは、大量の武器がインドネシア側に渡りました。
スラバヤには、陸軍・混成旅団と海軍司令部がありました。
陸軍・岩部少将と、海軍・柴田中将は、インドネシア人が武器を奪うのを黙認します。
日本軍は竹槍相手に武器や通貨を置いて逃げたり、治安維持を名目にインドネシア人警官へ武器を渡したりもしました。
そして、それらは日本とインドネシアの摩擦を最小限に留めたのでした。

インドネシア側に渡った武器の数は、6万個と言われています。
それらは中古といえど、何もなかったインドネシア軍には重宝されたのでした。





892 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:23:20 ID:nmC



しかし。

全ての場所で、事が円滑に運んだ訳ではありませんでした。







893 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:23:57 ID:nmC


[スマトラ島・トゥビンティンギ]


(*^◯^*)「武器をよこすんだ!」

(・日・)「………」


地元の青年グループが武器の譲渡を迫っていました。





894 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:24:58 ID:nmC

(・日・)「………」

(・日・)「…我々は、抵抗を禁じられている」

(・日・)「………仕方ない」

(・日・)「君たちに武器を譲渡するよ」

(*^◯^*)「ありがとうなんだ!」



(*^◯^*)「それじゃ、死ぬんだ!」

(ターン)

(日)

丸腰になった日本兵60人は全員、その場で青年グループに惨殺されました。





895 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:25:20 ID:NGw
おお、もぅ…




896 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:25:59 ID:nmC

(*^◯^*)「おい、日本兵!」

(*^◯^*)「もっと武器をよこすんだ!」


青年グループは更に武器を求め、日本軍を襲いました。



(・日・)「は?(威圧)」

(パパパパッ)

(*◯*)


流石に堪忍袋の緒が切れた日本軍は、機関銃で青年グループに反撃。

『トゥビン・ティンギ事件』
インドネシア人2000名と日本人の双方が犠牲になった事件です。





897 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:27:03 ID:nmC


スラバヤでの武器引き渡しを先例として、各地域では武器引き渡し要求が活発になります。
そしてその度に、犠牲者が出ました。


ジャワ島西部バンドン。
多数の住民が、軍や飛行場を襲撃。
日本兵3名と、インドネシア人十数名が死亡しました。

ジャワ島西部ガルー。
住民が工場を襲撃。
工場の警備していた日本兵24名、その全員が無抵抗のまま死亡しました。

ジャワ島西部ブカシ。
海軍・竹下大佐ら86名が、武器提供を拒み、拉致され、殺害されました。

ジャワ島中部ジョグジャカルタ。
武装集団が日本軍駐屯部隊を襲撃。
日本軍は一旦応戦するも、翌日、部隊員300名が日本人民間人100名と共に投降。
日本人らは4ヶ月間投獄され、赤痢と栄養失調で多数が死亡しました。





898 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:28:04 ID:nmC


[ジャワ島中部・スマラン]

10月3日


(●゚◇゚●)「最近、付近の治安が悪いんだ」

(●゚◇゚●)「ぼくたちが治安回復活動をするから、武器を貸してよ」

(・日・)「……いいだろう、少しだが武器を貸してやる」


その夜、飛行場の弾薬が略奪されました。





899 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:28:55 ID:nmC


10月12日


(●゚◇゚●)「治安活動にはもっと武器が必要だ」

(●゚◇゚●)「武器を貸してくれよ」

(・日・)「………お前たちは信用ならん」

(・日・)「武器を貸すことはできない」





900 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:29:26 ID:nmC


10月14日


(●゚◇゚●)「武器を貸してくれよ」

(・日・)「無理だ」

(・日・)「そもそも、武器の引き渡しは命令で禁じられている」

(・日・)「残念だけど、諦めてくれ」





901 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:30:18 ID:nmC


(・日・)「……ここ最近、この辺りの治安は急速に悪化している」

(・日・)「やはり奴らが何かをしていると見るべきか…」



('ω`)「大変です!」

('ω`)「インドネシア人が日本人の軍人、軍属、民間人を無差別に拉致しました!」

('ω`)「彼らはすぐにでも人質を処刑する、とのことです!」

(・日・)「なんだって!?」





902 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:31:17 ID:nmC

10月12日。
スマラン製鉄所にて。日本の軍人や作業員339名が、現地人警察隊によって拘束、監禁されます。
10月13日。
市街での外国人狩りにより、日本人を含む2000名の外国人が刑務所に監禁。

更にマゲランでは、駐屯日本軍が包囲されます。
司令官・中村少将が応戦を禁じたため、司令部全員が拉致され、憲兵隊10名が殺害されました。

10月14日夜。
監禁されていた製鉄所関係者が見張りを撲殺して脱出。
この際、日本人13名が射殺されます。

これらの事件が現地指揮者・城戸少佐の耳に入ったのは、10月14日の夜でした。


(・日・)「今すぐ現場に向かうぞ!」

(・日・)「なんとしてでも、彼らを救出するんだ!」





903 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:32:18 ID:nmC


10月15日未明


[ブル刑務所]


(ターン)

(・日・)「よし、入口の民兵を倒した!」

(・日・)「すぐさま刑務所内に突入するぞ!」

(ギャァア゛ア゛ア゛ア゛ァァアアァアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!!!!)

(・日・)「な、なんだ!?」





904 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:33:09 ID:nmC

(・日・)「こ、これは!!」

彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()()

(・日・)「な、なんてことだ、既に殺されている…」


民間人が殺されたから日本軍が出撃したのか。日本軍が出撃したから民間人が殺されたのか。
それは今でも定かではありません。
しかし、彼らが突入した時には既に、牢獄は血の海。
日本人149名は、虐殺されていたのでした。





905 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:34:06 ID:nmC

このスマランは、オランダ植民地時代から社会主義勢力の強い場所でした。
”赤い都市”と呼ばれたスマラン。
そこは終戦と共に、無法地帯と化していたのでした。

今まで必死に耐えてきた、精鋭・城戸部隊。
しかしそれは最早、限界でした。


(・日・)「………絶対に許さん、皆殺しだ!!!!」


『スマラン事件』。
5日間に渡って続く、インドネシアで”五日間戦争”と呼ばれる事件。
捕らわれていたオランダ系市民900人は救出されたものの、
日本人460名、インドネシア人2000名の犠牲者を出す惨事となりました。






906 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:34:49 ID:nmC


戦後の武器引き渡しによる混乱。
それによる日本人犠牲者は、戦死者562名、自殺60名、病死・事故死456名。合計1078名に及びました。

日本軍は”ラングーン協定”に基づき、現地の治安戦闘任務を任されていました。
しかし、この時点の日本軍は、実質的には捕虜に相当します。
にも関わらず、このような危険な治安任務を任されていたこと。
これは捕虜虐待であり、重大な国際法違反ではないか、とも指摘されています。





907 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:35:51 ID:nmC


数刻前…


彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()()


彡(゚)(゚)「ア、アカン、血が止まらん…」

彡(゚)(゚)「他の奴らはみんな殺られてもた」

彡(゚)(゚)「残っとるのはワイだけや……」

彡(゚)(゚)「……なんでこんなことになったんやろな…」

彡(゚)(゚)「……一体何が、悪かったんやろな…」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………それでもワイは、インドネシアの独立は正しかったと思うで…」

彡(゚)(゚)「…こんな目に遭ってもたけどな……」

彡(゚)(゚)「……この血はきっと、必要な血やったんや………」





908 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:36:52 ID:nmC

彡(-)(-)「………」

彡(-)(-)「…………アカン、ホンマにアカン………」

彡(-)(-)「………せや、最期に何か残そうか」

彡(-)(-)「……幸い、ここには幾らでも”書くもの”がある」

彡(-)(-)「………書き放題、やで…」


彡(-)(-)「………」

彡(-)(-)「……インドネシア語が書ければ良かったんやけどな」

彡(-)(-)「しゃーないからカタカナや…」





909 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:37:55 ID:nmC

彡(-)(-)「………」

彡(-)(-)「………”バハギア・インドネシア・ムルデカ”………」

彡(-)(-)「………………」

彡(-)(-)「………”インドネシアの”……”独立のために”……”喜んで死す”………」

彡(-)(-)「………………………」

彡(-)(-)「………………………”大”………”君”……………」

彡(-)(-)「…………………………………」


彡()()



”バハギア・インドネシア・ムルデカ”。”Bahagia Indonesia Merdeka”。
それはつまり”インドネシア独立万歳”。

雪印乳業・阿部頌二。
彼が牢獄の壁に”血”で記した、最期の言葉でした。





910 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:38:59 ID:nmC




(´・ω・`)「絶対勝つぞ!」

(●゚◇゚●)「おー!」

(*^◯^*)「オランダなんかにインドネシアを渡して堪るもんか!」



( ・`ω・´)「どうか日本兵の皆さんも、この戦争に協力して欲しい!」

( ・`ω・´)「ぼくたちの独立のため、ぼくたちの悲願成就のため」

( ・`ω・´)「どうか、ぼくたちに力を貸して欲しい!」



彡(゚)(゚)「………」





911 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:40:00 ID:nmC


彡(゚)(゚)

(・日・)「…何してるんだい?早く行くよ」

(・日・)「ぼくたちは日本へ引き揚げるんだ」

(・日・)「もうここでやり残したことなんて、何もないんだよ」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………」

彡(^)(^)「………すまんな」

(・日・)「え!?…ちょ、どこへ行くのさ!?」





912 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:41:01 ID:nmC


彡(^)(^)「よう、お前ら」

(´・ω・`)「あ、日本兵のお兄ちゃん!」

彡(^)(^)「久しぶりやな、”ペタ”が解散して以来か」

(´・ω・`)「そうだね…」

(´・ω・`)「………」

(´・ω・`)「…今までありがとう、日本兵のお兄ちゃん」

彡(^)(^)「なんや、いきなり?」





913 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:42:01 ID:nmC

(´・ω・`)「ぼくたちは”ペタ”の過酷な訓練で、戦うための力を身に付けた」

(´・ω・`)「オランダを倒すための、力を手に入れた!」

(´・ω・`)「軍政時代はとても辛かったけど…」

(´・ω・`)「もうぼくたちは、かつてのぼくたちじゃない」

(´・ω・`)「ちゃんとオランダと戦えることを、証明してみせるんだ!」

彡(^)(^)「そか……」

彡(^)(^)「………」

彡(^)(^)「………」


彡(゚)(゚)「………けどな」

彡(゚)(゚)「お前らには、決定的に足りないもんがある」

(´・ω・`)「え?」





914 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:42:58 ID:nmC


彡(゚)(゚)「確かにワイらは”ペタ”で、お前らを徹底的に鍛え上げた」

彡(゚)(゚)「武器の扱いももう大丈夫やろ、ワイらが残した武器でちゃんと戦えるはずや」

(´・ω・`)「それなら」

彡(゚)(゚)「でもな」

彡(゚)(゚)「………”実戦経験”、それが圧倒的に足りんのや……」

(´・ω・`)「あっ……」





915 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:43:51 ID:nmC


彡(゚)(゚)「オランダ軍は精鋭揃いや」

彡(゚)(゚)「ワイらかて、正面から勝った訳ではない」

彡(゚)(゚)「幾らお前らが鍛え上げられた兵士やったとしても」

彡(゚)(゚)「………お前らはきっと、負ける」

(´・ω・`)「そ、そんな……」





916 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:44:52 ID:nmC

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………せや」

(´・ω・`)「……?」

彡(゚)(゚)「お前らはまだまだ頼りない」

彡(゚)(゚)「考えてみたら当たり前や、お前らはまだまだひよっこや」

彡(゚)(゚)「そんなお前らだけを残して、行ける訳がなかったんや」

彡(゚)(゚)「何より、”実戦経験者”が必要やろ?」


彡(^)(^)「………ワイも、お前らと一緒に戦うで」





917 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:45:52 ID:nmC


(´・ω・`)「ほ、ほんとう…?」

彡(^)(^)「ああ、せやで」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「ワイ一人が残ったところで、戦局が変わるとは思えん」

彡(゚)(゚)「けどな」

彡(゚)(゚)「ワイは見たいんや」

彡(゚)(゚)「ワイらが鍛え上げたお前たちが、どう戦っていくのかを」

彡(゚)(゚)「この国が、どう変わっていくのかを」

彡(゚)(゚)「……だからワイは、お前らのために、戦うんや」





918 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:46:53 ID:nmC


戦中、日本軍は太平洋戦争を”植民地解放の戦い”と謳いました。
それはあくまで表向きのスローガンであり、軍部の考えとは違うものだったのでしょう。

ですが、そのスローガンは内外に発せられました。
インドネシア人は元より、それは日本人にも発せられました。
そして、それに共感した日本人がいました。
軍人にも、民間人にも。
彼らは”インドネシア独立”を心から信じ、そして戦ったのでした。





919 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:47:56 ID:nmC


彼らの理由は様々でした。





920 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:48:26 ID:nmC


彡(^)(^)「スカルノの演説、凄かったなー」

彡(^)(^)「原住民らの熱気も凄かった」

彡(^)(^)「よっしゃ、ワイも男や!」

彡(^)(^)「最後に一花、咲かせたろか!」


スカルノの演説に奮い立った者。





921 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:49:28 ID:nmC


彡(゚)(゚)「噂で聞いたんやが、ワイの故郷は全滅したらしい…」

彡(゚)(゚)「日本兵は全員、米帝の奴隷になったそうだ」

彡(゚)(゚)「ワイ自身も身体を壊して、長くはない」

彡(゚)(゚)「……もうワイには、帰る故郷も、未来もないんや」

彡(゚)(゚)「せやからな」

彡(゚)(゚)「ワイは”インドネシア独立”のために戦って、」

彡(゚)(゚)「そして、死のうと思うんやで」


その境遇から、覚悟を決めた者。





922 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:50:33 ID:nmC


彡(゚)(゚)「陛下…」

彡(゚)(゚)「玉音放送で、陛下はおっしゃった」

彡(゚)(゚)「”東亜解放に協力してくれた、同盟諸国たちに申し訳なく思う”と」

彡(゚)(゚)「ワイは陛下の御心を果たす」

彡(゚)(゚)「同盟諸国のために、インドネシアのために」

彡(゚)(゚)「”独立戦争”に参加するで!」


玉音放送で発せられた昭和天皇の言葉を受け、意思を継ごうとした者。





923 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:51:34 ID:nmC


彡(゚)(゚)「生まれ故郷の台湾にはもう戻れん…」

彡(゚)(゚)「かと言って日本にも……」

彡(゚)(゚)「戦犯裁判で処刑される?そんなのはご免や」

彡(゚)(゚)「ワイはこの戦場で、最期を遂げるで」


戦犯裁判で処刑されることを恐れた者。





924 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:52:38 ID:nmC


(´・ω・`)「”ペタ”教官のお兄ちゃん!」

(´・ω・`)「ぼくたちと一緒に戦って欲しいんだ!」

彡(゚)(゚)「ワイはお前らを裏切るなんて出来へん…」

彡(^)(^)「ええで!お前らのために戦ったるわ!」

彡(^)(^)「ワイらは共に生き、共に死ぬんやで!」


”ペタ”の教え子に懇願され、受け入れた者。


彼らにどのような理由があったとしても、
彼らは皆、”インドネシア独立”に情熱を持っていたのでした。





925 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:53:39 ID:nmC


[スマトラ島]


彡(゚)(゚)「終戦か…」

彡(゚)(゚)「………」


彡(゚)(゚)「ワイらは日本軍主力の近衛師団、”第25軍”や」

彡(゚)(゚)「”蘭印作戦”からずっと、この地を統治してきた」

彡(゚)(゚)「ジャワ島の兵士はその後、各諸島に散らばったらしいけどな」

彡(゚)(゚)「スマトラ島のワイら”第25軍”は、最後までずっと、この地に残っていたんや」

彡(゚)(゚)「せやからな、他所の兵よりもよっぽど、」

彡(゚)(゚)「この”インドネシア”に愛着があるんや」





926 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:54:40 ID:nmC


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「ワイらの師団は、全国から選抜された者が集うエリート師団や」

彡(゚)(゚)「そんじょそこらの兵士とは違う、責任感と使命感を持っとる」

彡(゚)(゚)「そんなワイらが何もせず、ただこの地を離れる、とでも?」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「ワイらは戦うで」

彡(゚)(゚)「”インドネシアの独立”のために」


戦いに赴いた日本兵は、ジャワ島とスマトラ島の双方にいました。
その中でも特にジャワ島の日本兵が多かったのは、そのような理由があったからと推測されます。





927 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:55:48 ID:nmC



彡(゚)(゚)「敢えて大命に抗い、独自の行動に出ようと思う」

彡(゚)(゚)「敗れた弱者は天下に用無し…そんなことは言わんでくれ」

彡(゚)(゚)「生きて米英の犬となるより、想いに殉じて火に入る虫となろう」

彡(゚)(゚)「天道は正義にあり!」

彡(゚)(゚)「歴史の行く末に正義がなくて、どうするというのか!」

彡(゚)(゚)「…戦友諸君」

彡(゚)(゚)「敢えて不遜の行動に出ることを、どうか許してくれ」


宮山滋夫。
彼を含め、彼らはそのように”遺書”を残して、軍から去っていきました。

彼らの”遺書”は長らく公開されませんでした。
”遺書”に共鳴して軍を離れる者。その増加が恐れられたからでした。






928 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:56:52 ID:nmC


彼らは、その全てが”脱走兵”です。

例え、彼らにどのような理由があったとしても、それが隣人を助けるためだったとしても。
彼らは軍命に背いて軍を離れたのです。


彼らは軍属1000人とも、総数3000人とも言われています。
しかし、正確な実態は未だに分かっていません。

彼らの行動に、政府は「日本の国体維持、天皇の維持に悪影響を与える」と危惧しました。
そのため、彼らは明確に”脱走兵”であると定義され、軍人恩給も支払われません。
その存在が日本国内に伝えられることはほとんど無く。


故に、彼らが日本の歴史で語られることは無く。





929 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:57:55 ID:nmC



彡(゚)(゚)「………ほな、そろそろ行くか」

彡(゚)(゚)「準備はええか?」

(´・ω・`)「うん、日本兵のおにいちゃん!」


彡(゚)(゚)「ワイらは明らかに劣勢や」

彡(゚)(゚)「せやけど、ワイらには独立に懸ける、熱い情熱がある」

彡(゚)(゚)「これさえあれば、インドネシアが真に独立するその日まで、」

彡(゚)(゚)「ワイらはきっと、戦い続けられる」


彡(^)(^)「ワイらの戦いは、これからやで!」



そうやって、彼らは皆。

歴史から消えていきました。






930 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)21:58:30 ID:nmC

本日の更新はここまでです。続きは鋭意執筆中…。

これで日本人の物語はひとまず終着です。
ここから先は、インドネシアとオランダの戦いの歴史になります。
彡(゚)(゚)の出番は減ってしまいますが、最後まで宜しくお願いします…。




934 :名無しさん@おーぷん:2015/04/25(土)23:46:13 ID:pRn
最終回の前に聞きたいんやけど、イッチはなんでそんなにインドネシアの現代史に詳しいんや?
勉強したとしたら、そのきっかけは何だったんや?




935 :名無しさん@おーぷん:2015/04/26(日)06:17:44 ID:N1H
>>934
きっかけは3月始め頃、たまたま海外系まとめサイトをチラ見したことですね。
そのページの趣旨からは若干外れたとある一文に興味を持って、”ジョヨボヨ王の予言”に行き着きました。
内容は忘却してしまいましたが、おそらく独立に関する”ペタ”か”武器”のどちらかだったと思います。

今となっては膨大な情報量を会得しましたが、これを始める前の自分の知識はほぼまっさらです。
取りこぼしてしまった情報も多いでしょうし、まだまだ勉強する余地はあるでしょうね。




967 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)20:56:06 ID:kUi




970 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:31:15 ID:kUi




        【 Last Episode 】

      【 インドネシア独立戦争編 】







971 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:32:33 ID:kUi


[スラバヤ・ヤマトホテル]


(●▲●)

(●▲●)「………よし、誰もいないな?」

(●▲●)「国旗を立てるなら今のうち、やで~」





972 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:33:44 ID:kUi


(´・ω・`)「…なんだ、あれ?」

(´・ω・`)「あれは…オランダ国旗!?」

(´・ω・`)「冗談じゃないぞ!」

(´・ω・`)「オランダ国旗はポイ―で」





973 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:34:55 ID:kUi

(´・ω・`)「さて、この旗はどうしよう」

(´・ω・`)「………」

(´・ω・`)「………そうだ!こうしよう!」

(´・ω・`)「オランダの国旗は、上から順に”赤白青”の三色旗だ」

(´・ω・`)「このうち”青い部分”だけを引き裂いて、取り除いて……」

(ゴソゴソ)

(´・ω・`)「………よし、できた!」

(´・ω・`)「赤と白の紅白旗!」

(´・ω・`)「ぼくたちの国旗”メラ・プティ”の完成だよ!」





974 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:36:09 ID:kUi


・豆知識『国旗”メラ・プティ”』

インドネシア国旗”メラ・プティ”。上から順に”紅白”の二色旗です。

”メラ・プティ”の意味は”紅白”。
”紅白旗”自体は13世紀頃から存在し、代々の王家が使用しました。
彼の”マタラム王国”では、祝祭日には数多くの市で掲揚されたそうです。

1923年。オランダ留学生が連合印として”メラ・プティ”を使用。
その後、インドネシアに帰国した彼らは集結し、スカルノらと共に”インドネシア国民党”を結成。
”メラ・プティ”は”インドネシア国民党”の党旗として使用されました。

やがて、紅白旗は”独立の象徴”としての地位を獲得。
インドネシア独立後。”メラ・プティ”は正式に国旗として採用されたのでした。

”独立宣言の日”。
当時のスカルノ夫人が一晩で縫い上げた”メラ・プティ”。
それはまるで神器の如く、今でもジャカルタで厳重に保管されているとのことです。





975 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:37:20 ID:kUi


(☆●●●●)「正直、オランダとイギリスへの植民地復帰は感心しないな」

(☆●●●●)「我々アメリカは、日本、ドイツ、イタリアから、民主主義を守るために戦ったのだ」

(☆●●●●)「植民地を取り返すために戦ったのではない」

(☆●●●●)「大体、植民地が復活してしまえば、それは大義に反してしまう」





976 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:38:32 ID:kUi


(●▲●)「そんなん言うてもな」

(●▲●)「このまま日本軍に自治を任せるのもな?」


(U・×・U)「ではこうしましょう」

(U・×・U)「東インドをこのまま放置はできません」

(U・×・U)「ひとまず、東インドとは無関係の我々イギリス軍が、彼の地へ向かい、」

(U・×・U)「連合軍代表として、日本軍から占領統治を引き継ぐ、ということで」

(☆●●●●)「…そうだな、それではひとまずそれで」





978 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:39:45 ID:kUi


(●▲●)「………」

(●▲●)「………まぁ正直、ワイらも戦争でボロボロや」

(●▲●)「軍を派遣する余裕なんてないからな」

(●▲●)「イギリスはんがやってくれるんなら、それはそれでありがたいんやけど…」


(●▲●)「………」

(●▲●)「………ま、全てをイギリスなんかに任せてはおけんよな」

(●▲●)「ファン・オイエン少将、分かっとるな?」

(・軍・)「御意」





979 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:41:29 ID:kUi


1945年10月23日

[ジャカルタ]


(・蘭・)「私が”オランダ領東インド政府”、ファン・モーク副総督だ」

(・英・)「私はイギリスの調停役です」

(・英・)「これからは我々イギリスが、インドネシアとオランダの仲介をしますよ」

( ・`ω・´)「…分かりました」





980 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:43:03 ID:kUi


1945年10月26日

[スラバヤ]


(・英・)「原住民のみなさん」

(・英・)「戦争は終わったんです、速やかに武装解除に応じて下さい」



(●゚◇゚●)「オランダ兵メ……コレハ”宣戦布告”ダナ…?」

(●゚◇゚●)「タタカエ……タタカッテ、ドクリツヲカチトルンダ……」


(・英・)「ファッ!?」


スラバヤの住民は”イギリス軍とオランダ軍は同一”とみなしました。
”武装解除の要求”を、”宣戦布告”と受け取ったスラバヤの住民。
彼らは3日間に渡り、イギリス軍を攻撃し続けたのでした。






981 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:44:17 ID:kUi


( ・`ω・´)「おいおい、今は平和的な交渉中だぞ」

( ・`ω・´)「今暴れられると、色々と困るんだけどなぁ」


( ・`ω・´)「すみません、こちらの者が色々と迷惑をかけています」

( ・`ω・´)「我々も今、交渉の場が荒らされるのは困ります」

( ・`ω・´)「私が”停戦協定”に調印しますので、どうか穏便に済ませてもらえませんか?」

(・英・)「了解しました、我々はその提案を受け入れます」



(●▲●)「ほ~ん、”停戦協定”ね…?」





982 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:45:28 ID:kUi


1945年10月30日


(・英・)「”停戦協定”は無事、調印されました」

( ・`ω・´)「ありがとうございます」

(・英・)「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」





983 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:46:39 ID:kUi



(・英・)「………」

(・英・)「……ふぅ、全く」

(・英・)「まさか我々が、オランダの尻拭いをさせられるなんてなぁ」

(・英・)「本当に大変なところに来てしまったよ」

(・英・)「でも、これで暫くは安心だ」

(・英・)「よかったよかった……


(ドンッ)


( 英 )「」



停戦協定の調印から、僅か5時間後。
旅団長マラビー准将は、白昼、乗用車を爆破され、死亡しました。





984 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:47:46 ID:kUi


(U・×・U)「マラビー准将が、暗殺された…!?」

(U・×・U)「絶対に許さんぞ、原住民どもめ!!」


(U・×・U)「我々はインドネシアに武器と犯人の引き渡しを要求する!」

(U・×・U)「要求に従わなければ、報復としてシンガポールから軍を派遣する!」





985 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:48:56 ID:kUi


暗殺事件の真犯人は不明。
”イギリス軍を巻き込むためのオランダによる謀略”という説もあります。

インドネシアへの進駐軍の中には、蘭印軍、陸軍司令官ファン・オイエン少将の”蘭印陸軍七個中隊”が含まれていました。
この部隊は破壊工作を主目的とし、インドネシア人の殺害・誘拐・放火など、数多くの事件を起こしています。

オランダの破壊工作。
それによって、インドネシアと連合国側の交渉環境は、著しく悪化したのでした。





986 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:50:12 ID:kUi


(●゚◇゚●)「暗殺?そんなのは知らないね」

(●゚◇゚●)「それに武器をよこせだって?」

(●゚◇゚●)「そんな要求は断固拒否する!」

(●゚◇゚●)「やっぱりお前らは敵だったんだ!」

(U・×・U)「なんだと!?」

(●゚◇゚●)「死か、独立か!」

(●゚◇゚●)「我々スラバヤ市民は、絶対に屈しないぞ!」


スラバヤには、独立宣言を発したジャカルタへの強い対抗意識もありました。
インドネシア政府の制御も及ばず、スラバヤ市民は戦いに身を投じていきました。





987 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:51:23 ID:kUi


1945年11月10日。
インドネシアとイギリスの両軍は、市街地で全面衝突。
イギリス側は将軍2名が死亡、死傷者1000名。
インドネシア側は艦砲射撃と空襲を受け、一般市民を含む5000人~20000人の犠牲者が出ました。

”100日戦争”、又の名を”スラバヤ血の海戦争”。
独立宣言から100日目に発生した戦争。





988 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:52:34 ID:kUi



「インドネシア独立は、全インドネシア人の願望である」
それを世界に知らしめた、”インドネシア独立戦争”の始まりです。






2 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:54:13 ID:kUi


( ・◇・)「いよいよ”独立戦争”が始まったね」

( ・◇・)「知ってる?スラバヤもそうだけど、バンドンの街も火に包まれたんだって」

( ・◇・)「なんでも、インドネシア軍自らが市街地に火を放ったんだってさ」

( ・◇・)「イギリス軍はバンドンを”オランダ軍”に引き渡すため、バンドンの街を占領する寸前だった」

( ・◇・)「インドネシア軍はそれを絶対に阻止したかったんだってさ…」





3 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:55:32 ID:kUi


( ・◇・)「それと、首都ジャカルタの治安が悪化してきたんだってさ」

( ・◇・)「共和国派とオランダ派の武装対立が表面化してきたんだ」

( ・◇・)「それに伴って、首都はジャカルタから”ジョグジャカルタ”に移ったそうだよ」

( ・◇・)「ジャカルタはジャワ島西部、それに対してジョグジャカルタはジャワ島中部」

( ・◇・)「名前は似てるけど、場所は全然違うから間違えないでね」

( ・◇・)「ちなみにジョグジャカルタはね、昔”マタラム王国”が栄えた土地なんだ」





4 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:56:44 ID:kUi


( ・◇・)「新首都ジョグジャカルタに大統領と副大統領が避難して、」

( ・◇・)「旧首都ジャカルタにはシャフリル首相が残って、イギリスオランダとの交渉を継続するんだって」


( ・◇・)「…戦争が始まった以上、ぼくたちはもう引き返せない」

( ・◇・)「一体この先、ぼくたちはどうなってしまうんだろうね…」





5 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:57:54 ID:kUi


・豆知識『独立戦争に参加したインドネシア人』

実は、インドネシア人の中にも”親オランダ派”はいるのです。
インドネシア各島によって傾向が違い、”親オランダ派”の多い島もあったそうです。
そのような島では”親オランダ派”のインドネシア人がオランダ人に協力し、
”蘭印作戦”の時には、オランダと共に戦ったそうです。

この”インドネシア独立戦争”でも、それは例外ではなく、
オランダ軍の上陸を歓迎し、オランダ軍に参加するインドネシア人兵士もいました。
更に”ジャワ郷土防衛義勇軍・ペタ”出身者の中にも、親オランダ派は存在したそうです。

あまり目立たない彼らは、どちらかというと少数派だったのかもしれません。
ですが、やはりインドネシアも一枚岩ではなかったものと思われます。





6 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)21:59:17 ID:kUi


(・印・)「ぼくはインドから派遣されて来た”インド人兵士”だよ」

(・印・)「インドネシアにやって来てるイギリス軍の、そのほとんどは”インド人兵士”なんだ」

(・印・)「インドはイギリスの植民地だからね」

(・印・)「だから、ぼくたち”インド人兵士”は、イギリス軍としてインドネシア人と戦わなきゃいけないんだ」





7 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:00:41 ID:kUi


(・印・)「だけど…」

(・印・)「正直、ぼくたちも”独立”したいんだ」

(・印・)「インドネシア人たちの独立願望は、とてもよく理解できる」

(・印・)「日本軍政時代は一緒に戦った仲間同士だしね」

(・印・)「だから……」


(・印・)「ぼくはこれから、インドネシア軍に味方するよ」


インドから派遣されたイギリス軍インド人兵士。
彼らは、インドネシア独立運動の理解者でした。

彼らの中には兵舎を抜けだし、インドネシア軍に参加する者もいたそうです。





8 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:01:52 ID:kUi


(●▲●)「は?」

(●▲●)「おい、お前んとこの兵士がインドネシア軍に加わっとるぞ!?」

(●▲●)「一体どうなっとんのや!?」

(U・×・U)「そんなこと言われても…」





9 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:03:03 ID:kUi


(・露・)「今まで黙って見とったんやけど…」

(・露・)「最近のイギリスはんは、インドネシアを支配しとるそうやないか?」

(・露・)「これな~、どう見ても”植民地化”狙っとるんちゃう?」

(・露・)「アカンな~、アカンやろな~、”植民地帝国”の復活やろな~」

(・露・)「人道的に、こんなのは許されんやろな~」

(・露・)「せやろ?」

(U・×・U)「ぐぬぬ…」





10 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:04:20 ID:kUi


1946年11月


(U・×・U)「なんでぼくたちばかり、こんなに責められないといけないんだ…」

(U・×・U)「ぼくたちはあくまで、オランダの代わりに来ているだけなのに…」

(U・×・U)「………」

(U・×・U)「……ああ、またインドのネール首相から非難の声明が来た」

(U・×・U)「”インド人をインドネシアで戦わせるな”って」

(U・×・U)「………インド兵の派遣も、そろそろ限界だ」

(U・×・U)「何より、インド人兵士たちが、インドネシアの独立に同情し始めている」





11 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:05:32 ID:kUi


(U・×・U)「………」

(U・×・U)「我々だって、インドネシアの独立願望は、理解しているつもりだ」

(U・×・U)「だけど、ぼくたちはオランダの準備が整うまでは、この地に留まらないと…」

(U・×・U)「………あー、もう…」

(U・×・U)「大体これは、オランダとインドネシアの問題なんだ」

(U・×・U)「ぼくたちイギリスは、全く、関係ないんだ」

(U・×・U)「正直、さっさとここから手を引きたいよ…」





12 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:06:43 ID:kUi


(U・×・U)「なぁ、もういい加減にしてくれないか?」

(U・×・U)「こっちはインドの独立問題で手一杯なんだよ」

(U・×・U)「これ以上、こんなところで油を売ってなんかいられない」

(U・×・U)「早くインドネシア側と協定を結んでくれよ」

(・蘭・)「仕方ないですね…」





13 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:07:54 ID:kUi


[ジャワ島・チルボン]


(U・×・U)「インドネシア共和国の領地は『ジャワ島』『スマトラ島』『マドゥラ島』である」

(U・×・U)「インドネシア共和国には『オランダ・インドネシア連合王国』の『インドネシア連邦』に加盟してもらう」

(U・×・U)「以上をもって、”リンガルジャティ協定”を締結するよ」


(*・公・*)「はい、分かりました」

(・蘭・)「異論はないです」


イギリス・キーラン郷の斡旋により、インドネシア首相・シャフリル、オランダ領東インド政府副総督、ファン・モークが交渉。
彼らによって”リンガルジャティ協定”が締結されました。





14 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:09:13 ID:kUi


・豆知識『バリ島の独立戦争』

バリ島にも”インドネシア独立戦争”を戦ったインドネシア人の英雄がいました。
貴族出身、インドネシア軍中佐、グスティ・ングラライ。
ゲリラ戦で8ヶ月間を戦い抜くも、最期の戦闘でオランダ軍の降伏勧告を拒否。
壮絶に戦い抜き、残留日本兵12名を含む同志94名と共に、玉砕したそうです。

後に彼の名は国際空港の名として残り、像や紙幣の肖像にもなります。
彼は今でもインドネシアの地で、同志らと共に眠っています。


しかし残念ながら、バリ島での独立戦争は、実質彼らだけだったそうです。
バリ島はオランダの支配下に収まり、
”リンガルジャティ協定”によって、バリ島は”インドネシア共和国”から切り離されたのでした。





15 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:10:23 ID:kUi


(U・×・U)「よし!これで協定締結だね?」

(U・×・U)「それじゃぼくらはすぐに兵を引き上げるから」

(U・×・U)「これからはインドの独立問題に取り組まないとね…」


協定が締結するや否や、イギリス軍は速やかにインドネシアから撤退したのでした。





16 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:11:34 ID:kUi


・豆知識『イギリス領インド帝国の分離独立』

第二次世界大戦終結後、イギリスは”イギリス領インド帝国”の放棄を検討し始めます。
イギリスは世界大戦での疲弊によって、経済力、軍事力が破綻。
インドの軍人・官僚からの忠誠を得るのも難しくなっていたのでした。

1947年8月15日。インドとパキスタンが分離独立。(これには後の東パキスタン・バングラデシュも含まれます)
更に1948年にはビルマ(ミャンマー)とセイロン(スリランカ)も分離独立し、
”イギリス領インド帝国”は完全に消滅したのでした。

なお、インドとパキスタン。これは二つの宗教を分離するため、国自体を分離した結果です。
これにより各地で強制移動・流入による大混乱が発生。
暴動や衝突、虐殺が発生し、死者は100万人にも達したと言われています。
インド独立運動・最大の悲劇とされ、今日においても両者の対立は続いています。





17 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:12:46 ID:kUi



さて、この協定に携わった両国の二人ですが…。



(●゚◇゚●)「は?」

(●゚◇゚●)「インドネシアがオランダに組み込まれる?」

(●゚◇゚●)「そんなの認められないよ、何勝手にやってんの?」

(*・公・*)「そ、そんな…」

(*・公・*)「ぼくは”インドネシア共和国”の存在をオランダに認めさせることが第一だと思うんだ」

(*・公・*)「多少譲歩してでも、対等であることを示すことに意義があるんだよ」





18 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:13:56 ID:kUi


(●゚◇゚●)「だとしても譲歩しすぎだよ」

(●゚◇゚●)「ふざけてんの?」

(●゚◇゚●)「大体シャフリル首相って、以前から気にくわなかったんだよね」

( ・`ω・´)「まあまあ」

( ・`ω・´)「ぼく、スカルノはこの協定を支持するよ」

( ・`ω・´)「だからこの話はもうおしまい、ね?」

(●゚◇゚●)「まぁ、スカルノさんが言うなら…」


インドネシア側は、スカルノが支持することで、この問題に決着を付けました。





19 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:15:14 ID:kUi



一方のオランダ側では…。



(●▲●)「”インドネシア共和国”を認める?」

(●▲●)「そんなん無理に決まっとるやろ」

(●▲●)「あれは、悪漢日本が馬鹿な原住民をそそのかして出来たもんや」

(●▲●)「真夏の夜の夢みたいなもんやで」

(・蘭・)「で、ですが!」

(・蘭・)「我が国の権益を守るためにも、共和国には妥協すべきかと!」

(●▲●)「は?妥協?」

(●▲●)「何言っとんのや、お前」

(●▲●)「大体どう見ても、今回のそれは、お前の権限を越えとるやろ!」





20 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:16:33 ID:kUi


(●▲●)「既にお前を支持した政権は交代した」

(●▲●)「もうお前が好き勝手出来る時代は終わったんや」

(●▲●)「それにお前は、ジャワ島生まれだそうじゃないか?」

(●▲●)「原住民に情でも湧いたんか?」

(●▲●)「そんな奴に任せたのがアカンかったんや」

(●▲●)「ここから先は、ワイらの指示に従ってもらうで」

(・蘭・)「はい…」





21 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:17:45 ID:kUi


1947年1月24日


(●▲●)「治安維持活動の時間やで~」

(●▲●)「ジャワ島東部のクリアンとシドアルジョを攻撃や!」

(●▲●)「占領したら、次は内陸のモジョクルトも攻めるで~」


( ・`ω・´)「ファッ!?」

( ・`ω・´)「まだ協定の最終手続きも済んでないんだぞ!?」

( ・`ω・´)「オランダは一体何を考えているんだ!!」





22 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:18:56 ID:kUi


( ・`ω・´)「どうする?徹底抗戦するべきか?譲歩するべきか?」

( ・`ω・´)「一体どうしてこうなった…」

(●゚◇゚●)「それもこれも、全部シャフリルのせいだ!」

(●゚◇゚●)「お前が無責任な協定を締結するから、こんなことに!」

(●゚◇゚●)「もうお前は辞めてしまえ!」

(*・公・*)「うぅ…」


党争に破れたシャフリルは、首相を辞任することになりました。
しかし、オランダとの交渉をシャフリル首相が主導していたのも事実。
スカルノはシャフリルを顧問に命じ、オランダとの外交交渉を継続させました。





23 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:20:08 ID:kUi


1947年6月28日


(●▲●)「スラバヤ、ジョグジャカルタ周辺への空爆も開始するで~」

(●▲●)「………」

(●▲●)「……よし、そろそろええかな」





24 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:21:50 ID:kUi


1947年7月17日


(●▲●)「あー、東インドの諸君、よく聞くんやで」

(●▲●)「我々は東インド治安維持のため、オランダを含めた”共同警察”の設置を要求する」


(●▲●)「これは我々からの”最後通牒”である」

(●▲●)「この最後通牒が無視された場合、」

(●▲●)「我々は、東インドの治安維持のため、」

(●▲●)「東インド全域への”警察行動”を開始する!」





25 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:23:03 ID:kUi


( ・`ω・´)「そんな理不尽な要求をされても困るよ!」

( ・`ω・´)「我々はインドネシア治安へのオランダ介入を、断固拒否する!」





26 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:24:16 ID:kUi


1947年7月21日


(●▲●)「ワイらは待った」

(●▲●)「待って、そして返答は変わらなかった」

(●▲●)「決まりやな」

(●▲●)「そんじゃ、始めるか」

(●▲●)「原住民は一人残らず、叩き潰すんやで」





27 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:25:27 ID:kUi


ジャカルタ。
チルボン。
チアミス。
タシクマラヤ。
スマラン。
マグラン。
更にスマトラ島メダン、パレンバン。

12万を越すオランダの大軍は、インドネシア共和国全域への侵攻を開始。
そしてオランダ軍は、主要都市、農園や油田など、主立った拠点を次々と占領。

オランダで”第一次警察行動”と呼ばれる大規模侵攻。
それは、オランダの圧勝でした。





28 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:26:45 ID:kUi


[ジョグジャカルタ]


( ・`ω・´)「うぅ、とうとう我々も追い詰められてしまった…」

( ・`ω・´)「…こうなったら、都市部は破棄するしかない」

( ・`ω・´)「農村に隠れて、ゲリラ戦に移行するよ!」


オランダ軍は首都ジョグジャカルタにも攻め入り、共和国軍は都市部を破棄。
以後、戦闘は農村部でのゲリラ戦に移行しました。





29 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:27:55 ID:kUi


1947年8月1日



(●▲●)「フハハ!ワイらの勝利は目前や!」



(☆●●●●)「そこまでだ!」

(●▲●)「なんや?」





30 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:29:08 ID:kUi


(☆●●●●)「我らは”国際連合・安全保障理事会”」

(☆●●●●)「我々はこの戦争の”即時停戦”を求める!」

(☆●●●●)「オランダとインドネシアは、”平和的手段”をもって紛争を解決してほしい!」


インドネシア共和国・国連代表シャフリルは、この戦争の解決を国連で求め続けていました。
やがて、設立したばかりの”安全保障理事会”によって”戦争の即時停戦、及び和平解決を求める決議”が採択。
この決議に基づき、8月4日、停戦は成立されました。





31 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:29:56 ID:nUB
シャフリルイケるやん!




32 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:30:10 ID:AV6
国際連合GJ




33 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:30:23 ID:kUi


しかし。


(●▲●)「停戦?知らん知らん」

(●▲●)「ワイらのこれは、あくまで治安維持活動」

(●▲●)「ただの”警察行動”なんや」

(●▲●)「国民の秩序と安全を守るため、これは仕方のないことなんや」

(●▲●)「なぁ、せやろ?」

(*^○●)「ウン、ソウナンダ…」

(●▲●)「な?」


停戦成立後もオランダの攻撃は止みません。
占領地域には次々と”傀儡国家”が設立され、インドネシアは追い込まれていきました。

1947年12月9日には、ジャワ島西部ラワゲデ村で、男性150人以上が虐殺される事件も起きました。





34 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:31:22 ID:jFD
うおー…




35 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:31:34 ID:kUi


(*・公・*)「お願いです!どうかオランダを止めて下さい!」

(*・公・*)「ぼくたちはもう限界です」

(*・公・*)「このままではインドネシアは、本当に滅んでしまいます」

(*・公・*)「どうかぼくたちを助けて下さい!」


(☆●●●●)「う~ん……そうですね……」

(☆●●●●)「それでは”仲裁委員会”を設置しましょう」


シャフリルの求めに応じ、国連は”仲裁委員会”の設置を決定します。





36 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:32:31 ID:AV6
おいオランダゴラァ




37 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:32:47 ID:kUi


(*・公・*)「ぼくたちインドネシアは、オーストラリアを指名します」

(●▲●)「ワイらはオランダは、ベルギーを指名するで」

(・豪・)(・白・)「ぼくたちはアメリカを指名します」

(☆●●●●)「それでは、アメリカ、オーストラリア、ベルギー」

(☆●●●●)「この3カ国による”仲裁委員会”を設置」

(☆●●●●)「各代表者はジャカルタにて、停戦協定の締結を目標に活動して下さい」


こうしてようやく、停戦協定締結に向け、事は進んで行きました。





38 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:33:57 ID:kUi


1948年1月17日


[ジャカルタ沖・米国軍艦レンヴィル・艦上]


(☆●●●●)「インドネシア共和国の領地は『ジャワ島中部』『ジャワ島西端部』『マドゥラ島』である」

(☆●●●●)「これにて停戦協定”レンヴィル協定”を締結する」


( ・`ω・´)「……了解しました」


インドネシア共和国の領土は、更に狭まりました。
しかし他に手段はなく。インドネシア共和国はそれを認めるしかありませんでした。






39 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:35:45 ID:kUi


( ・◇・)「この停戦協定で、戦闘はようやく小休止したんだ」

( ・◇・)「でも、この協定を認められないシャリフディン内閣は総辞職したんだって」

( ・◇・)「しかし、代わりを務める政治家は誰もいなかった」

( ・◇・)「だから、ハッタ副大統領が首相と国防相を兼任」

( ・◇・)「新内閣を組織して、国内の混乱収拾とオランダとの外交交渉を継続していったんだ」


( ・◇・)「………」

( ・◇・)「…語り部みたいな役になってしまったね」

( ・◇・)「まぁ何はともあれ」

( ・◇・)「独立戦争はいよいよ、クライマックスに突入するよ」






40 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:37:19 ID:kUi


( `(エ)´)「”レンヴィル協定”なんて認められん!」

( `(エ)´)「我々”インドネシア共産党”は徹底抗戦を主張する!」

( `(エ)´)「スカルノ大統領!ハッタ副大統領!」

( `(エ)´)「お前たちの外交路線は間違っている!」


ムソ。
ジャワ島東部出身。
社会主義を経て、”インドネシア共産党”創立に参加した人物。
1926年。共産党の武装蜂起失敗と共に、ソビエトへ逃亡。
やがて独立戦争が始まると、彼はインドネシアに戻ってきていました。

彼が帰国したことで、”インドネシア共産党”は再び勢力を伸ばすようになります。





41 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:38:35 ID:kUi


('ω`)

シャリフディン前首相。
戦前。彼は弁護士として開業する一方、反ファシズム運動に身を投じます。
戦中。彼は日本軍に逮捕されますが、スカルノらの嘆願により一命を繋ぎ止めました。

戦後。彼はシャフリルと共に、日本協力者を批判した”非日協力者”として政界で頭角を現します。
情報相・国防相の要職に就き、シャフリルの後を継いで首相にもなりました。
首相在任中。彼ははオランダとの協調路線を進めていました。

1948年1月23日。シャリフディン内閣が総辞職。
1948年2月。シャリフディンは、共産党・社会党を中核とした”人民民主戦線”を組織。
1948年8月。ムソの帰還と共に、シャリフディンはムソと行動を共にするようになります。





42 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:40:10 ID:kUi


1948年9月18日

[ジャワ島東部・マディウン]


(・軍・)「もう我慢ならん!」

(・軍・)「これ以上奴らに好き勝手やられて堪るか!」

(・軍・)「我々はマディウンの政府機関を奪取し、」

(・軍・)「”インドネシア・ソビエト共和国”樹立を宣言する!」


”マディウン事件”。
”人民民主戦線”ダフラン中佐の率いる第29旅団が、マディウンの政府機関を襲撃。
”インドネシア・ソビエト共和国”を宣言し、シャリフディン派の政権が作られました。

これにより、ジャワ島中部・東部の各都市にも流れが波及。
ジョグジャカルタとマディウンによる、内戦状態となりました。





43 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:41:21 ID:kUi


-- ラジオ放送 --


( ・`ω・´)「全国民に告げる!」

( ・`ω・´)「これは、インドネシア共産党による、」

( ・`ω・´)「インドネシア共和国、転覆の企てである!」

( ・`ω・´)「我々は、これを絶対に許さない!」

( ・`ω・´)「国民諸君!」

( ・`ω・´)「ムソらによる共産党を選ぶか!」

( ・`ω・´)「それとも我々、スカルノ・ハッタによる共和国を選ぶか!」

( ・`ω・´)「好きな方を選ぶと良い!」





44 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:42:32 ID:kUi


インドネシア軍の主流は、反共産党でした。
そのため、共和国は断固たる態度で対応。国民に二者択一を迫ります。


やがて、反乱は一ヶ月ほどで鎮圧されました。
ムソは射殺され、ムソに内通したシャリフディン元首相も逮捕、処刑されました。





45 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:43:39 ID:kUi



しかし…。




(●▲●)「来たな、この時が」






46 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:45:01 ID:kUi


1948年12月11日


(●▲●)「我々は”レンヴィル協定”の破棄を通告する!」



(●▲●)「そして我々は」

(●▲●)「インドネシア共和国への」

(●▲●)「”第二次警察行動”を開始する!」



”第二次警察行動”。
内乱により、インドネシア軍の軍事力は低下していました。
これに乗じ、遂にオランダが、最終攻撃を仕掛けたのでした。





47 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:45:41 ID:nH4
オランダきたねぇなぁ




48 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:46:12 ID:kUi


[ジョクジャカルタ]

1948年12月19日早朝



オランダは、ジョグジャカルタ飛行場を襲撃、飛行場を占拠。
海兵隊と蘭印軍が陸路で侵攻し、市内要所を強襲。



そして…。





49 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:47:23 ID:kUi


( ・`ω・´)「………」

(^)'・▲・`(^)「………」

(●▲●)「………」

(●▲●)「………」

(●▼●)「………(ニッコリ」

(●▲●)「捕らえろ」

( ・`ω・´)「うわああああああああああああああああ」


1948年12月23日までに、ジョクジャカルタの3個中隊は敗北。
臨時首都ジョグジャカルタは陥落。

ジョグジャカルタのスカルノ大統領、ハッタ副大統領、そして閣僚の大半。
彼らは全て、オランダに逮捕されたのでした。





50 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:48:16 ID:AV6
オランダきったねえ




51 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:48:34 ID:kUi



(●▲●)「勝ったでー、大勝利や!」

(●▲●)「いやー、長い戦いやったな」

(●▲●)「でもそれもこれも全て終わり」

(●▲●)「これからはやっとワイらの時代やな!」


”第二次警察行動”。
インドネシアは存続の危機に追い詰められ、オランダは圧倒的な”軍事的勝利”を治めました。






52 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:49:46 ID:kUi



それは、


オランダの”外交的敗北”の始まりでした。






53 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:51:03 ID:kUi


1948年12月24日

[国連安保理]


(☆●●●●)「オランダのやり方は、全くもって論外だ!」

(☆●●●●)「オランダは”植民地主義”に固執している!」

(☆●●●●)「そんなオランダを、我々は支持することはできない!」

(☆●●●●)「我々は早急に、逮捕した指導者の解放を要求する!」

(☆●●●●)「そして、オランダは速やかに和平協議に復帰するように!」


(☆●●●●)「これを無視した場合、我々アメリカは」

(☆●●●●)「オランダへの経済援助を停止する!」


(●▲●)「ファッ!?」





54 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:52:23 ID:nUB
これは世界の警察




55 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:52:32 ID:kUi


アメリカは、ソビエトの共産主義と真っ向から対立していました。
その共産主義は”マディウン事件”でインドネシアを取り込もうとしますが、ハッタ政権はそれを断固たる態度で鎮圧しました。
これを、アメリカは高く評価していたのでした。

また、当時のアメリカは”レンヴィル協定”の実施に向けて動いている最中でした。
その最中に起きた”第二次警察行動”。それはアメリカの逆鱗に触れました。

こうしてアメリカは、
「オランダが”インドネシア独立”を容認しない場合、戦争被災国への復興援助”マーシャル・プラン”を取り消す」
と宣告したのでした。





56 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:53:50 ID:kUi


(U・×・U)「やっぱりオランダのやり方は間違ってるよねー」

(=◎ω◎=)「せやな、ワイが言うのもなんやけど、やっぱり植民地は不味いと思うわー」
  _、_
( ,_ノ` )「俺達はオランダを非難するよ」


また、インドネシア独立問題の実態が明らかになるにつれ、国際世論は植民地帝国に厳しくなっていきました。
1949年1月には、国連で”オランダ非難決議”が採択されました。

そして国連は、新しい理念”民族自決”を掲げます。
”自らの意思に基づいて政治運命を決定し、他国の干渉を認めない権利”。
国際世論は”脱植民地”へと加速していったのでした。





57 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:55:04 ID:kUi



(●▲●)「な、なんや?一体どうしたんや?」

(●▲●)「もしかして、みんなあいつらの味方なんか?」

(●▲●)「……ま、まぁええわ、経済援助停止はかなり痛いけど」

(●▲●)「まずは一刻も早く、この事態を収拾せな」





58 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:56:17 ID:kUi


(●▲●)「おう、スカルノ!お前らはもう終わりや!」

(●▲●)「速やかに我々と交渉すれば、悪いことにはならんはずやで!」



( ・`ω・´)「いや、それは無理だよ」

( ・`ω・´)「”既に権限は委譲されている”」

( ・`ω・´)「ぼくたちはもう、何の権限も持ち合わせちゃいないんだ」

(●▲●)「な、なんやて!?」






59 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:57:30 ID:kUi


(´・ω・`)「そうだね」

(´・ω・`)「君たちオランダが、協定を一方的に破棄することは読んでいた」

(´・ω・`)「だからぼくたちは、事前に準備していたんだ」

(´・ω・`)「我々インドネシア共和国は、スマトラ島に”臨時政府”を樹立する!」


非常時に備え、インドネシア側はスマトラ島に臨時内閣を組織する準備を進めていました。
そして、共和国首脳が逮捕されるや否や。
スマトラ島・大蔵大臣シャフルディンは、”共和国臨時政府”として名乗りを上げたのでした。

オランダは捕らえたスカルノらと交渉しようとしますが、スカルノらはこれを拒否。
権限は既に、スカルノらの手からは離れていたのでした。





60 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:58:42 ID:kUi


・豆知識『ジョグジャカルタ陥落以後』


( ・`ω・´)「国民のみんな!」

( ・`ω・´)「我々はオランダとの交渉継続を破棄する!」

( ・`ω・´)「オランダの卑劣な手段に屈するな!」

( ・`ω・´)「インドネシア人よ!オランダとの徹底抗戦に協力してくれ!」


ジョグジャカルタが陥落した後も、オランダ軍の侵攻は止まりません。
獄中のスカルノは、全国民に徹底抗戦を訴えます。

ジョグジャカルタを追われた共和国軍は、山岳地帯に逃げ込みます。
彼らはゲリラ戦によってオランダ軍に抵抗しました。
村から村へ行方をくらまし、オランダに通じている村を避け、彼らは逃避行を続けます。

1949年3月1日。
スハルト中佐指揮下で行われた”ジョグジャカルタ奪還作戦”。
この作戦では一時、ジョグジャカルタ都市中心部を6時間占領したそうです。
作戦こそ失敗したものの、彼らはインドネシア共和国存続をアピールし続けたのでした。





61 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)22:59:08 ID:AV6
スカルノすげえな




62 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:00:01 ID:kUi


(・印・)「インドネシアでは今、お米が不足しているらしいね」

(・印・)「ぼくたちがお米を送ってあげるよ」


独立したばかりのインド。
彼らはオランダ海軍の牽制も振り切り、インドネシアへ米を輸送しました。

国連に加盟した新独立国は、こぞってインドネシアを支持しました。






63 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:01:16 ID:kUi


(・豪・)「ワイらは基本的に白人主義なんやけど」

(・豪・)「ワイらもイギリスの植民地から独立した経緯があるからな」

(・豪・)「やっぱりインドネシアには、共感せずにはいられんのよ」

(・豪・)「せやから、ワイらはオランダ船舶の支援はせぇへんよ」

(・豪・)「ストライキで応じたるわ」


オーストラリア。
大戦時、彼らは連合軍としてオランダと共に戦いました。
日本のインドネシア占領時代、蘭印亡命政府はオーストラリアに間借りする程の仲でした。
オランダの後援者、オーストラリア。
そんな彼らですら、オランダを批判したのでした。





64 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:02:46 ID:kUi


(●▲●)「なんでや!インドネシアは日本の傀儡国家やで!?」

(●▲●)「それやのに、一体どうしてみんな、あいつらの味方なんや!?」


(●▲●)「ワイらかて、ドイツに占領されたせいで、経済はボロボロや」

(●▲●)「それでもインドネシアを取り戻すため、莫大な軍事費に耐えてきたんやで?」

(●▲●)「同じ戦勝国同士、少しはワイらの味方してくれてもええやないか?」


(●▲●)「……分からん、一体どうして、こんなことになったんや…?」





66 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:03:55 ID:kUi



やがて国際世論の圧力の下、オランダは追い込まれていきます。


そして…。






67 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:05:12 ID:kUi


1949年2月


(●▲●)「………」

(●▲●)「………我々オランダは、

(●▲●)「インドネシア共和国と交渉することに、」

(●▲●)「………同意する」


遂にオランダは、国際世論に屈したのでした。





68 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:06:24 ID:kUi


1949年5月


(*・公・*)「”ルム=バン・ロイエン協定”が締結されます」

(*・公・*)「これにより、インドネシアとオランダの停戦合意が、完了されました」





70 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:07:37 ID:kUi


1949年7月6日

[ジョグジャカルタ]


( ・`ω・´)「ただいま!」

( ・`ω・´)「我々の勝利だ!」

( ・`ω・´)「7月13日には、スマトラ島臨時政府が解消される」

( ・`ω・´)「首都ジョグジャカルタの政府機能が復活するよ!」


インドネシア指導者は解放され、ジョグジャカルタは歓声に包まれました。





71 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:09:14 ID:kUi


1949年8月23日


[オランダ・首都ハーグ]

(●▲●)「……これより、”ハーグ円卓会議”を開催します」

(^)'・▲・`(^) (*^○●)


インドネシア共和国代表ハッタ、そしてオランダ傀儡諸国の代表たちが集まり、”ハーグ円卓会議”が始まります。
”ハーグ円卓会議”は11月2日まで続きました。


そして…。





72 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:10:27 ID:kUi


1949年12月27日


(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”を樹立する」

(●▲●)「オランダは無条件で、インドネシアの主権を”インドネシア連邦共和国”に引き渡す」

(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”は、オランダ女王を元首とする”オランダ・インドネシア連合”に参加する」

(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”の外交・国防・財政などに、オランダは永久に協力する...などなど」


(●▲●)「以上をもって、”ハーグ協定”を締結する」





73 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:11:39 ID:kUi


インドネシア共和国
東インドネシア国
パスンダン国
東ジャワ国
マドゥラ国
東スマトラ国
南スマトラ国
中部ジャワ自治国
バンカ自治国
ビリトン自治国
リアウ自治国
西カリマンタン特別地域
大ダヤク自治国
バンジャル地域
東南カリマンタン
東カリマンタン
これらの国、自治地域から構成される”インドネシア連邦共和国”。

インドネシア共和国以外の構成国は、その殆どが”オランダの傀儡国家”です。
とは言え、インドネシア共和国はジャワ島半分とスマトラ島大部分を有し、
”インドネシア連邦共和国”4600万人のうち、3100万人がインドネシア共和国だったそうです。

何にせよ、遂にオランダは”インドネシアの独立”を認めたのでした。





74 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:12:56 ID:kUi


[ジャカルタ]


( ・`ω・´)「ここに掲揚されているオランダ旗は全部外すよ!」

( ・`ω・´)「そして、ぼくたちの国旗”メラ・プティ”を掲揚するんだ!」

( ・`ω・´)「……遂にぼくたちは、独立したんだなぁ…」





75 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:14:11 ID:kUi


( ・`ω・´)「オランダがインドネシアに17億3200万ドルの債務負担を要求してきたよ」

( ・`ω・´)「なんとか11億3000万ドルの債務負担で合意したけど」

( ・`ω・´)「何はともあれ、これで独立戦争はおしまい」

( ・`ω・´)「インドネシアはオランダから独立し、ぼくたちの悲願は成就した」

( ・`ω・´)「めでたしめでたし、だね。」

( ・`ω・´)「………」

( ・`ω・´)「………でも、まだやることがあるよね」





76 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:15:31 ID:kUi


(*^○●)

(^)'・▲・`(^)「こんにちは」

(*^○●)「あ、ハッタさん」

(^)'・▲・`(^)「”ハーグ協定”以来だね」

(^)'・▲・`(^)「それで、あの時の話、考えてくれたかな?」

(*^○●)「………」

(*^○●)「………うん、決めたんだ」

(*^○●)「ぼくらはオランダを排除し、再び集わなくてはいけない」

(*^◯^*)「ぼくたち”傀儡国家”は、”インドネシア共和国”に合流するんだ!」


彼らは”傀儡国家”と言えど、インドネシア共和国に賛同する者も多かったそうです。
”ハーグ円卓会議”にて、彼ら”傀儡国家”は、インドネシア共和国の主張に耳を傾けました。



そして…。





77 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:16:43 ID:kUi


1950年8月15日


( ・`ω・´)「”インドネシア連邦共和国”諸国の権力は、」

( ・`ω・´)「全て”インドネシア共和国”のジャカルタ中央政権に委譲されました!」

( ・`ω・´)「これにより”インドネシア連邦共和国”は事実上の解体!」


( ・`ω・´)「これより我々は、」

( ・`ω・´)「真の”インドネシア共和国”の樹立を宣言します!」


”インドネシア連邦共和国”の全ての国が、インドネシア共和国に主権を委譲。
そして遂に、単一の国家”インドネシア共和国”が宣言されます。





78 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:17:53 ID:kUi




それは、インドネシアの独立が、完全に果たされた日。

300年に及ぶオランダの影響力が今、完全に潰えたのでした。







79 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:19:16 ID:q2C
イイハナシダナー




80 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:19:21 ID:kUi


・豆知識『インドネシア独立戦争』

1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる戦争。
インドネシア全土で80万人が犠牲になりました。

その中でも特に目立つのが、1947年7月21日と1948年12月19日の二度に渡って起きた”警察行動”。
このオランダの軍事侵攻は、二回ともインドネシアに壊滅的被害を与え、
二回ともオランダに致命的な逆風をもたらしました。

結局、イギリスと違い、オランダは最後までインドネシアに拘り、全てを失いました。
仮に名誉ある撤退が可能だったとすれば、それはあの”リンガルジャティ協定”の時点ではないでしょうか。
当時のオランダで酷評された”リンガルジャティ協定”と、ファン・モーク。
それらがオランダで再評価されるのは、遥か後年になってからのことです。

時は流れ、2005年。
オランダは初めて、インドネシアへの謝罪を行いました。
そして、”インドネシアが1945年8月17日に独立したこと”。
これをオランダは、遂に認めたのでした。





81 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:20:31 ID:kUi




                【エピローグ】







82 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:21:40 ID:kUi


1949年1月9日明け方

[ジャワ東部・スメル山麓ダンピット]






83 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:22:51 ID:kUi


彡(゚)(゚)

彡(゚)(゚)「ハァ…ハァ…」

彡(゚)(゚)「……あそこがオランダの兵舎か」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「……この戦争も、そろそろ終わりやな」

彡(゚)(゚)「何せ、あのアメリカが動き出したらしいからな」

彡(゚)(゚)「いよいよ、インドネシアの独立が、」

彡(゚)(゚)「世界中に認められるんやな」





84 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:24:02 ID:kUi


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「”インドネシア共和国”」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………そこに、ワイらの居場所はない」

彡(゚)(゚)「分かっとったんや、最初から」

彡(゚)(゚)「ここは、インドネシア人のための国や」

彡(゚)(゚)「ワイらは、彼らの国を作るために、この戦争に協力したんや」

彡(゚)(゚)「見返りなんかいらん」

彡(゚)(゚)「そういうもんやろ?」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………よし、いくか」





85 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:25:13 ID:kUi


彡(゚)(゚)「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああぁああ゛あ゛あ゛あ゛

(ターン)

彡(゚)(゚)「あっ」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………」

彡(^)(^)「………」

彡(^)(^)「………ほな」

彡()()





86 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:26:27 ID:kUi


ゲリラ隊隊長、アブドゥル・ラフマン。

戦前、彼は”トコ・ジュパン”の店員として渡り、やがて新聞記者として独立運動に共感しました。
戦中、彼は”タンゲラン青年道場”で”ペタ”に情熱を傾けました。

”脱走兵”として日本軍を離れ、インドネシアに協力した彼ら。
彼らは皆”インドネシア名”を持ち、インドネシア人として戦いました。

アブドゥル・ラフマン。
彼は、市来龍夫という日本人でした。





87 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:27:39 ID:kUi


”脱走兵”として軍を離れ、独立戦争を戦い抜いた彼ら。

彼らは常に最前線で指揮を執り、その死亡率はとても高かったそうです。
オランダは日本人に特別な懸賞金をかけ、逮捕された日本人は処刑されたそうです。





88 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:28:51 ID:kUi


やがて、独立戦争は終わります。






89 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:30:03 ID:kUi


3000人と言われた”残留日本兵”。
そのうち1000人は、最前線で戦い、戦死したと言われています。

インドネシアでは、独立戦争を戦った”英雄”は、死後”カリバタ英雄墓地”に埋葬されます。

”残留日本兵”。
日本人の彼らもまた”英雄”であり、”英雄墓地”に眠ることを許されているのです。





90 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:31:12 ID:kUi


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「………結局、ワイらは生き延びてしまった…」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「さっき、日本への引き揚げ船が来たわ」

彡(゚)(゚)「ワイら脱走兵も、日本へ帰国してええんやとさ」





91 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:32:22 ID:kUi


彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「…あそこに居るあいつは、インドネシアに留まるらしい」

彡(゚)(゚)「ワイらはもう、インドネシア名を得たインドネシア人や」

彡(゚)(゚)「帰ったところで”非国民”と罵られるかもしれん」

彡(゚)(゚)「それに、ワイらは旧軍刑法を違反しとる」

彡(゚)(゚)「下手すると処刑もんや」

彡(゚)(゚)「………あいつは、日本に戻るのが怖いらしい」

彡(゚)(゚)「見つかるのが怖いから、もう、日本名は名乗らんそうや…」

彡(゚)(゚)「………」

彡(゚)(゚)「……ワイは、どうするかな………」





92 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:33:33 ID:kUi


生き残った2000人のうち、
1000人は、日本に帰国したそうです。
1000人は、インドネシアに残ったそうです。

インドネシアに残った彼らは、やがてインドネシア人と結婚し、
インドネシアへ帰化し、インドネシア国籍を取得し、インドネシアに永住しました。
その中には、終生日本名を名乗らず、時の流れに埋もれていった者たちもいたそうです。


1960年代。日本企業が本格的にインドネシア進出し始める頃。
日本とインドネシアの橋渡しをしたのは、彼ら”元残留日本兵”でした。
彼らはその後も、日本とインドネシアの交流に貢献したのでした。





94 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:34:47 ID:kUi


その後のインドネシアにも、色々ありました。
政治では”議会制民主主義”を忠実に実行していたのですが………。


1954年。インドネシアは”オランダ・インドネシア連合”を解消。
1956年には”ハーグ協定”も正式に破棄。インドネシアは非同盟中立国家として歩み始めます。

1960年。ソビエトの軍事援助を受けたスカルノは、オランダとの国交断絶を宣言します。
そして”ハーグ協定”で決着しなかった問題、オランダ支配下の”イリアンジャヤ”へ進軍。
1962年にアメリカの調停を経て、”イリアンジャヤ”はインドネシアに組み込まれたのですが………。


ここから先も、まだまだ歴史は続きます。
ですがひとまず、今回はここまで、ということで。





98 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:36:02 ID:CPn





99 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:36:12 ID:kUi


( ・`ω・´)


スカルノ。
ハッタと共に”建国の父”と呼ばれる人物。





100 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:36:26 ID:jAt
イッチ約2ヶ月お疲れやでー




102 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:37:08 ID:jAt
あら?もう少し続く?




103 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:37:23 ID:kUi


後に彼は”独裁者”として君臨し、”終身大統領”となります。
シャフリルを退け、ハッタとも袂を分かつこととなりました。





104 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:38:34 ID:kUi


好色、好戦、浪費、容共。
この4つがスカルノの特長であり、欠点でした。
特に、晩年、スカルノには第四夫人までが存在し、更にそれ以外にも二人以上の愛人がいたそうです。
昼寝用の女性が毎日取っ替え引っ替え同衾し、婦人なしではいられない病気だったとも言われています。





105 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:39:44 ID:kUi


”9月30日事件”。
このクーデターを境に、スカルノのカリスマ性は地に落ちます。
”終身大統領”の称号は返上させられ、晩年は宮殿に幽閉されていたそうです。





106 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:40:56 ID:kUi


1970年、死去。享年69歳。

その最期は宮殿の中で一人、ひっそりと。
多くの家族を持ちながら、その誰にも見取られず。
数多の称号を持ちながら、その墓碑銘には”工学技師”としか刻まれず。
”建国の父”としては寂しい、最期でした。






107 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:42:07 ID:kUi


・豆知識『デヴィ・スカルノ』

本名・根本七保子。
好色のスカルノ大統領に取り入る目的で、日本があてがった女性です。
イスラム教では、4人の妻までがコーランで認められていました。

既に同じ目的で送り込まれた女性がいましたが、用済みとなった彼女は自殺したそうです。
なお、マスコミの執拗な取材で体調を崩した実母は亡くなり、その二日後には実弟が自殺しています。

彼女の名”デヴィ”は、インドネシアの稲の女神”デウィ・スリ”から取ったものです。
スカルノの複数妻問題、外国人を第三夫人に迎えたこと、女神の神聖な名を与えたこと。
これらは問題になりましたが、独裁者スカルノを批判することは誰にもできませんでした。

やがて彼女は、スカルノから”インドネシア・日本親善協会会長”に任命されます。
日本との経済関連事項、利権の絡む物件に口を挟むようになり、日本も国をあげてそれを利用しました。

”9月30日事件”にて。
デヴィ夫人は日本大使館に保護を求めますが、政治的行為になるとして断れます。
海外へ逃亡したデヴィ夫人は、その後スペインの貴族と再婚し、離婚。
後に、彼女の裸の写真集が刊行された時は、インドネシア当局も困惑したそうです。






108 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:43:20 ID:kUi


・豆知識『賠償協定』

1958年1月20日。ジャカルタにて、日本とインドネシアの賠償協定が締結されます。
インドネシアの経済悪化に伴い、協定締結は早急に済まされました。

総額2億2300万ドル(当時803億円)。これを物資か役務で提供。
その他貿易債権破棄、経済協力4億ドルを加えると、総額約8億ドルの規模だったそうです。

当時のインドネシアは地方の反乱、オランダがインドネシアから船舶を引き揚げるなどで、
船舶が大幅に不足し、軍事・経済の両方に支障をきたしていました。
インドネシア側はとにかく船舶を要求し、日本側は足元を見る形で、中古船を高額で売り飛ばしたそうです。

賠償では他に、ダム、橋、工場などの有用なものから、ホテルやデパートなどのスカルノ大統領好みの物も贈られました。
前述のデヴィ・スカルノ夫人も、その一環と思われます。
この”インドネシア賠償汚職”は中々に真っ黒で、1959年には日本の国会でも取り上げられたそうです。

なお、スカルノ大統領は反米を煽り、外国企業農園への不法接収を黙認しました。
そのため、外国企業は相次いで撤退。
結果、”戦時賠償”という特殊な関係の日本のみが、外国との唯一の繋がりとなるのでした。





110 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:44:33 ID:kUi



(^)'・▲・`(^)


ハッタ。
スカルノと共に”建国の父”と呼ばれる人物。






111 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:45:45 ID:kUi


スカルノとハッタ、そしてシャフリル。
彼らは一枚岩ではなく、対立も多かったそうです。






112 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:46:54 ID:kUi


スカルノは”土着派”……”土着的・権威主義思想”を持つ人物です。
それに対して、シャフリルは”西欧派”……”西欧的・合理主義思想”を持つ人物でした。
思想の異なるスカルノとシャフリルは、よく対立しました。






113 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:48:07 ID:kUi


ハッタは”西欧派”だったため、シャフリル寄りの人物でした。
ですが彼は、スカルノら”土着派”の思想もよく理解していました。
そのため、スカルノとシャフリルが対立すると、ハッタが二人を調停することが多かったそうです。
彼らは絶妙なバランスで成り立っていたのでした。






114 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:49:16 ID:kUi


やがて、シャフリルが失脚します。
残ったスカルノとハッタは、様々な方針を巡って対立します。
ハッタはスカルノの”容共産主義”や、”政権の汚職体質”も批判したそうです。






115 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:50:30 ID:kUi


そして、遂にハッタは辞任を決断します。
スカルノとハッタは、決別したのでした。

残されたスカルノは独裁化を加速し、”9月30日事件”に行き着くのでした。






116 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:51:40 ID:kUi


その後、ハッタが政界に復帰することはありませんでした。

後に、政界での汚職や不正批判が高まるたび、”ハッタ待望論”が唱えられたこともありました。
しかし彼は静かに、政界の行く末を眺め続けたのでした。






117 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:52:52 ID:kUi


1980年、死去。享年77歳。
スカルノの良きパートナー、ハッタ。
彼は最期まで、スカルノと決別したままでした。






118 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:54:01 ID:kUi



(*・公・*)


シャフリル。
独立宣言後、インドネシア初代首相となった人物。






119 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:55:09 ID:kUi


彼は、日本への協力者を厳しく批判した”非日協力者”です。
そのため、彼が最高権力者となることで、独立戦争中も、オランダとの外交交渉が可能となっていました。






120 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:56:24 ID:kUi


首相から降りた後。
彼は政府顧問として諸国を遊説し、インドネシア独立の支援を説いて回りました。
国連でも積極的に支援を求め、彼の求めに応じて国連が動いた形となりました。
彼もまた、独立戦争の貢献者でした。






121 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:57:38 ID:kUi


なお、シャフリルは社会党を結成していました。
そして、シャリフディンの社会党と合併し、新たな社会党を結成していました。

しかし”レンヴィル協定”の混乱の際、シャフリルはシャリフディンではなくハッタを支持。
社会党は分裂し、シャリフディン派はインドネシア共産党に合流。
そして”マディウン事件”が勃発するのでした。






122 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:58:46 ID:kUi


独立戦争終結後。
インドネシアで史上初めての、総選挙が実施されます。
シャフリルは自身の社会党を率いて総選挙に挑みます。
しかし得票率わずか2%。惨敗でした。






123 :名無しさん@おーぷん:2015/05/04(月)23:59:57 ID:kUi


弱小政党となった社会党は復活を目指しますが、
1958年”スマトラ反乱”に党関係者が参加していたため、社会党は活動停止処分。

更に1962年、政権転覆を謀ったとして、シャフリルはスカルノ政権に逮捕されてしまいます。
こうしてシャフリルは、スカルノに”長年の政敵”として、葬り去られてしまったのでした。






124 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:01:02 ID:zep


その後、シャフリルは病気を理由にスイスへ出国、亡命。
1966年、亡命先のスイス・チューリッヒで死去。
享年57歳でした。

その後、スカルノが失脚した頃。
彼の遺体は、インドネシアに帰還します。
彼もまた、英雄墓地に埋葬されたのでした。






125 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:02:12 ID:zep



彡(゚)(゚)


柳川宗成。
”タンゲラン青年道場”で指導に当たり、後のインドネシア共和国軍・幹部を育成した人物。





126 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:03:15 ID:zep


残念ながら、彼は”インドネシア独立戦争”に参加することはできませんでした。
終戦後、彼は日本への帰還を余儀なくされたのでした。






127 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:04:19 ID:zep


1964年。
柳川は家族と共に、再びインドネシアへ渡ります。
そして日本料理店を営み、インドネシアに永住しました。

1985年9月、死去。
彼は今でも、インドネシアの地で眠り続けています。






128 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:05:20 ID:zep


彡(゚)(゚)


前田精。
”独立養正塾”を設立し、民主主義運動家を支援。
独立宣言時には、その邸宅を提供した人物。






129 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:06:19 ID:zep


戦後。前田は不遇が続き、経済的に失敗したそうです。
1958年にはスカルノ大統領が初めて日本を訪問し、病床の前田を見舞ったそうです。






130 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:07:21 ID:zep


1976年。
一度だけ健康が回復した前田は、インドネシアからの招待を受けます。
そこで”インドネシア独立記念祝典”に出席した前田は、”ナラリア勲章”を受賞します。
それは独立名誉勲章。
インドネシア独立に貢献した者に贈られる、国家最高の栄誉でした。


1977年、死去。享年79歳。
彼もまた、インドネシアで讃えられる人物でした。






131 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:08:39 ID:zep


1979年


彡(゚)(゚)「…終戦から随分経った」

彡(゚)(゚)「孤立したまま独立戦争に参加したワイらも、年を取った」

彡(゚)(゚)「そろそろワイらは、また共に集おうと思う」

彡(゚)(゚)「”福祉友の会”を結成するで」


日本人残留者180名により、インドネシアで”福祉友の会”が結成されます。
独立戦争から時は流れ、やがて彼らは再び集結するようになりました。






132 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:09:57 ID:zep


1991年


彡(゚)(゚)「日本では”平成”という年号になったらしい」

彡(゚)(゚)「ワイらの中で生き残っとるのも、あと21人だけや」

彡(゚)(゚)「……ホンマに、随分と時が過ぎたんやなぁ…」






133 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:11:02 ID:zep


(・日・)「”一時軍人恩給”の支払いが決定されたよ」

(・日・)「戦後、”脱走兵”とされた彼ら残留日本兵に」

(・日・)「今まで軍人恩給は支払われてこなかった」

(・日・)「今回、彼らには特別に、恩給が支払われるよ」


”一時軍人恩給”。
既に日本人ではない彼らへの支給には、法律の壁が立ちはだかったのでしょう。
それは、平均額5万円程度。たった一度きりの恩給でした。






134 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:12:03 ID:zep


それでも。


彡(;)(;)「お……おぉ……」

彡(;)(;)「ワイらはワイらの理由で、祖国に背を向けた…」

彡(;)(;)「そんなワイらでも、」

彡(;)(;)「祖国から、許されたんやな…」


彼らにとって、金額は問題ではありませんでした。
”祖国からの名誉が回復された”。
彼らはそれを、心の底から喜んだのでした。






135 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:13:08 ID:zep



時は流れ…。






136 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:14:09 ID:zep


2014年8月25日。


彡(-)(-)


その日。
最後の”元残留日本兵”の方が亡くなりました。
享年94歳でした。

彼の棺には、国旗”メラ・プティ”が被せられ、英雄墓地へと送られます。
彼もまた、インドネシアの英雄となったのでした。






137 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:15:10 ID:zep


これで、この物語はおしまいです。



ここから先の未来。

平和国家を目指す日本に、彼らの物語は不要になるかもしれません。

あの時代から学ぶべきは、犯した罪と戦争の傷跡だけなのかもしれません。






138 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:15:40 ID:zep


ですが、それでも。

どうか、忘れないで下さい。


混沌に包まれたあの時代。

”彼ら”の想いを救うため、立ち上がった人がいたことを。

時代の流れに抗った人がいたことを。

戦い、散っていった無銘の”英雄”がいたことを。




         彡(^)(^)っc(´・ω・`)




どうか、忘れないで下さい。




  【 原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係 】

                【  完  】




139 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:16:11 ID:zep

これにて”原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係”は完結です。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。





140 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:16:19 ID:q0R
いちおつ

超大作やね(しんみり)




141 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:16:23 ID:Gx9
サンキューイッチ!
フォーエバーイッチ!




142 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:18:10 ID:cYn
いちおつ
知ってたつもりで知らないネタ多くてためになったわ




145 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)00:28:17 ID:Gx9
凄く読みやすく書いてくれてありがとうやで
勉強になったし、顔文字とかも含めて読み物としてホンマ面白かったで
また気が向いたら書いちくり~




148 :名無しさん@おーぷん:2015/05/05(火)01:08:46 ID:qTL
サンキューイッチ
サンキュー英雄たち
フォーエバーインドネシア




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