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下記、ジョーカー様の言に賛意!
>弟子の罪は師の罪と考えるのが師匠であり、教義変更が例え拙速で問題を多分に含んでいても、一度発表されてしまったら、覆すことは大混乱の元である。師というのは、弟子が反逆しない限りは、ぎりぎりラインまで守り抜くものであると思います。教義変更が師敵対であっても、先生はそれを公にすることはないでしょう。
だが、我々弟子サイドにおいては、師敵対の幹部が出現したのであれば、徹底的に検証し、攻めていくのが当然であると思います。そうでなければ、仏法は護れないし、結局は悪を放任し、好き勝手やれる体制をつくることになってしまう。新聞が真実を報道するとは限りません。むしろ、自分たちの都合のいい内容だけを載せていくので偏っている。現場も同じように偏った情報しか流れません。物事というのは多角的な観点から見ていかないと、真実にたどり着くことは出来ない。だからこそ、悪を見抜くことは容易ではなく、それだけでも時間と労力と情報が必要である。厳密に判断していかなくてはならない作業であり、総じて肯定派の人たちの言葉は、軽くて浅い。肯定するならするで、もっと唸るような文章を期待するものであります。<
胸に迫ります。自らのいい加減さを痛省です。一旦発表されたものは覆せないとなれば、新たな整合性ある学会教学が必要ということでしょうか・・
執行部の焦りとしては、今、先生のいらっしゃるこの時に、大御本尊問題に決着を付けておかないと、宗門の脅しに悩まされる局面が、再度到来することのリスクを考えてのことではないかと推察しています。
だとしたら、これも、師匠を利用しているということでしょうか・・難しい。迷路のようです。
まだまだすっきりせん自分がおるなあ・・。
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