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原田氏は、弘安2年の10月12日の大御本尊を受持の
対象にしないとした、「受持の対象にしないからと言って
信じる対象にしないと言う事ではない」
とも言っているようだが、
受とは、御本尊への信仰を受け入れる事、
持とは、持続する事、
受持の対象にしないとは、決別宣言そのものですね、
昭和52年1月の元旦勤行における池田先生のスピーチ
「日蓮大聖人の御書どうりに実践しているのは、創価学会でございます。
否、創価学会しかない、もはや御本尊は全部同じです、どの御本尊も同じ
です」
原田氏の「全て本門の戒壇」発言と同じだな、この池田発言を基に第一次学会
問題の端緒となったでしょう、
大御本尊を受持の対象にしないが、謗法なら両氏とも間違いだな、
三大秘宝抄には、
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべきものか、
最勝の地とは、日蓮一期弘法付属書、には
富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、
全て本門の戒壇は、御書の文証からしても、無理がある、
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