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ご返事ありがとうございます。
以前投稿を拝見し、昭和40年代の本部幹部会にご参加されたとのこと。私の大先輩でございます。
>現場ではいろいろと讒言、怨嫉、中傷等は横行していても、まさか学会本部が腐敗していようとは誰も信じないし、信じたくもないのが一般の会員です。私もそうでした。<
仰るとおりです。私も20代前半まではそうでした。
しかし、ある時を境に違和感を覚えました。
>「上からの打ち出しは池田先生がすべて指示を出されているから正しいのだーとする現場の人が多い。いや、信じようとしている純粋な方々が大半です。」
まったくその通りだと思います。一般の会員が中央から入手できるものと言えば、大白、新聞・雑誌・本等および編集された本幹のビデオです。<
資料等のアクセス権は一般会員にはありません。
過去の資料を入手しようとしてもできないのが現状です。
それこそ、過去の本を入手しようとするならば、古本屋で高騰した本を入手しなければなりません。
過去の会長指導集は僧俗和合時代のものがほとんどですから廃版になっていますし、池田大作全集も廃版になっているものもあります。
声をあげますと、「今は別団体なんだし、教義の解釈も違う。わざわざ僧俗和合時代の指導を知る必要はないんじゃないか?君は日蓮正宗とまた一緒になりたいのか?」との声が聞こえてきそうですが、そういうことが言いたいのではありません。
宗門との歴史をなかったことにする―という歴史修正のようなものが感じとれるからです。
牧口・戸田両先生の指導は日蓮正宗との僧俗和合時代のものです。
学会史にあっても、学会と縁が深かった日淳上人と堀日享上人の学会に対する期待は大きかったですし、戸田先生は両者に対して深い信頼と尊敬を寄せられておりました。
宗門にも清流の時代があり、学会の発展と共に提婆達多と僭聖増上慢が現された。これは変えられぬ歴史です。
新しき「創価ルネサンス」が必要ですが、これは死語になっていますね…
>学会本部が決めることはすべて池田先生の指導と見なして「正しい」と思う一般会員が殆どです。何かあればその責任はすべて池田先生に向けられます。<
御書と共に、先生が万般の書物をとおして指導をされたことの一つに「民衆は賢くあれ」ということがあげられるかと思います。
御書と先生の指導を抱きしめて、自分自身の責任で現場でぶつかっていきたいですね。
>正しい情報および事実・真実を知ることによって、「悪事を見抜く目」をすべての会員が養う必要があります。「悪を知らなければ悪にたぼらかされてしまう」からです。、学会を本来の広宣流布の目的に軌道修正することが大切に思います。
現在の活動では、すべて上意下達で、上の幹部に質問や意見すら言えない状態で、純粋な学会員は利用されやすくなっているのも実相です。これは、仏法で説く人間主義ではなく、単に組織利用の団体となりつつあるといってもおかしくないと思います。
組織内の派閥、えこひいきや「親分・子分」の関係を排して、幹部となる人には公正・公平なる判断能力と行動力が望まれます。<
仰るとおりでございます。
池田先生がアーノルド・トインビー博士が大切にされていた「格言とまなざし」を紹介されたことがあります。
それは、素晴らしき出会い 33 で紹介されました。
『一九二一年というから、博士が三十二歳の年である。二年前から続いていた「ギリシャ・トルコ戦争」を現地に視察に行った。
まず、ギリシャ側から観察した。次に、トルコ側から観察した。博士にとって、これは、ぜひとも必要なことであった。なぜなら、博士は、かねてから「もう一方の言い分を聞け」(教父アウグスティヌスの言葉)という格言に導かれていたからである。
特に、二つの側のうち、「公平に耳を貸してもらえない危険の大きい方の言い分」を大事
にした。
「ものごとを正しく見ようとするなら、沈黙している側の立場からも見るように努めね
ばならない」(長谷川松治訳『交遊録』、社会思想社) 』
そして、最後の言葉が胸に迫ります。
『人間として人間のために〝胸をいた痛める心″の中にあるのだ。「あなたが苦しんでいるかぎり、私も苦しむ。あなたが、だれであろうと!
あなたの悩みが何であろうと!」と。 』
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