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> ご丁寧な返答ありがとうございます。
こちらこそ、突っ込んだ対話ができることをうれしく思います。
> 遠藤文書、リポートが正しいという前提にたつと、なぜ今回の改正に先生は
> 反対の声を執行会議で述べないのでしょうか?
まず、遠藤文書が正しいという前提に立っていただいてありがとうございます。
言及はされていませんが、
私や創価学会と同じく、「非公式な文書より、公式な発表の方が重い」とは必ずしも
言えないという立場、すなわち私的メモや非公式文書が、公式な発表のうそを暴き、
真実を伝える場合があるとする立場に立っていただけたのですね。
> それほど重要な改正なら、指導者として関わるのは当然のことでしょう。まして
> 改正反対が本心であるならば、なおさらじゃありませんか?なんのコメントをさ
> れないことから推測すれば、黙認していると考えるのが、常識の判断でしょう。
> 会社組織ではありえないことを皆さんは訴えていることにどうして気付かないのでしょうか?
学会の組織は会社組織ではありません。信仰の組織です。
会社組織ではありえないことが起きているとしたら、その意味を信仰的に
理解するだけです。
現執行部肯定の側に立つ人びとは、どういうわけか十中八九、会社組織との類比
で学会を考えようとされます。おもしろい傾向性ですね。
さて、信仰的に意味を理解するとはどういうことか?
釈尊、大聖人、池田先生に共通しているのは、法華経を根本とされたという
ことですよね。法華経の中心思想が、寿量品に説かれた「滅不滅」、久遠より三世に
わたってこの娑婆世界に常住する仏の実在を明かされたことにあることに異論はない
と思います。
寿量品の譬如良医の譬えは過去の出来事や想像上の物語ではなく、今のこの時に現実
に進行している事態であるとは考えられないでしょうか。
「多くの病気を治す良医に百人もの子供がいました。ある時、良医が遠い他国に
旅に出た留守に、子供たちは毒薬を飲んでしまい、苦しさのあまり、地に転げ回
ります。そこに父である良医が帰ってきて、すぐに良薬を調合して子供たちに与
えます。子供たちの中で本心を失っていない者はこの良薬を飲んで治りますが、
毒のために本心を失っている者は良薬を見ても疑って飲もうとしません。そこで
良医は方便を設け『この薬をここに置いておくからお前たちは取って飲みなさい』
と言い残し、他国に旅立ちます。そして使者を子供たちの所に遣わし、父である
良医が亡くなったと告げさせます。子供たちはその知らせに嘆き悲しみ、毒気か
ら醒めて本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病を治すことができました。良
医は仏、子供は衆生に譬えられます。毒薬を飲むとは邪師の法を信受することを
いい、本心を失うとは、これまでに積んできた善根を失うことを指します。良医
が死を告げさせたというのは、仏が実は滅していないのに方便のために入滅の姿
をとることを指し、子供たちが目覚めたとは仏法の利益を得たことを表していま
す。」
http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/hokekyo/10.html
ダメよ~ダメダメさんが紹介されたとおり、池田先生は、70歳の時に書かれた
随筆で『八十歳まで・・・・世界広布の基盤完成なるかな このあとは、妙法に
説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとることを決意する』と述べら
れています。
この“予言”の通り、80歳になられた2010年の6月以降は、まさに妙法蓮
華経に説く他国に旅立たれたも同然の姿となられました。生きているような・・・、
死んでいるような・・・。父の不在同然をいいことに、自公連立の毒まんじゅう
を食らって本心を失った一部最高幹部たちは、これ幸いと仏敵と和解するわ、
気に入らない人間を除名、解任するわ、やりたい放題。
法華経では、父・良医の訃報を聞いた子供たちは嘆き悲しみ、毒気から醒めて
本心を取り戻し、残された良薬を飲んで病を治すことができたと説かれているが、
末法も極まれりというか、今の「毒気深入失本心故」の狂児たちは、嘆き悲しむ
どころか狂喜乱舞するんじゃないかと思うほど・・・。
この連中すら救おうとするのが、仏の大慈大悲。その方法は、父の方便現涅槃・
滅不滅、すなわち「妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる」
との言葉の意味を理解した真の弟子たちが立ち上がり、狂児たちを毒気から醒め
させていくしかないでしょうね。
正木理事長が2012年9月21日、第42回創大祭前企画特別講義
(於:松風センター9号)で、「『師匠を永遠たらしめる』ことについて」
と題して大要、次のように語っています。
………………………………………………………………………………………
釈尊や日蓮は、2500年、800年近く経過した今でも現代人に影響を与え
続けている。人々の生き方に影響を与えることは「生き続けている」こと
だといえる。そのための三点を挙げる。
①「師匠の永遠性」を確立すること
まず何よりも、これから先も創価学会の師匠は池田先生であり、これは
永久に変わらない。変えてはならない。先生亡き後、学会を我が物にしよ
うといった馬鹿な奴らが必ず出現する。「会長」とか 「副会長」とか、
役職名に翻弄されてはいけない。
②「指導の永遠性」を保つこと
池田先生が何をおっしやったか、何を後世に伝えたく書き残したか。
これを正しく残さなくてはならない。観念的な尊敬や師弟観ではならない。
一部、都合の悪いことに言及した指導を抹消しようと考えている人がいる。
そうさせてはならない。
③「弟子の永遠性」を築くこと
①、②とも重要だが、これだけではダメである。池田思想を社会で実践し、
実証を示す人が続かなければいけない。これら①~③がそろって初めて、
「池田先生が永遠に指揮をとられる」ということがいえる。
日本、そして世界にはたくさんの学会員・弟子がいるが、池田思想を真実
に体現化し、これからの学会を担っていく人材は、どこよりも先生が創立
された創価大学から出さなければならない。この大学の先輩として、きょう
君たちには、このことを伝えにきたのです。
………………………………………………………………………………………
かつて、先生は「出でよ! 十万の池田大作!」と叫ばれたが、
先生と一念において合一した師弟不二の弟子、池田思想を真実に体現化する
本物の弟子が陸続と現れてこそ、“80歳以降も永遠に広宣流布の
指揮をとる”との先生の“未来記”を内実あらしめることができる。
この「若く新しくなった池田大作」たちの前に立ちふさがるのはだれか?
それは、「先生亡き後、学会を我が物にしようといった馬鹿な奴ら」である。
理事長が「必ず出現する」と断言したのは、この言葉は夏の最高会議等々で
先生が何度となく語られたことだからだ。
「会長」とか 「副会長」とか、役職名に翻弄されてはいけないというのも、
先生の生の言葉である。
この“予言”の通り、池田先生が不在同然となったら、学会を我が物にしよ
うとする者たちが現れた。宮地文書、遠藤文書を読めば分かる通り、「池田
先生のため」「会員のため」という思いがなく、独断専行ですべてを自分た
ちの思う通りに進めようとする「四人組」である。
理事長は、「一部、都合の悪いことに言及した指導を抹消しようと考えてい
る人がいる」とも述べているが、実際、学会本部におけるアーカイブ関連の
会議の場で、本幹等の生映像・音声データを残すべきかどうかを質問されて、
事務総長の谷川は、「長谷川本部長も言っていたけど、衛星中継で流した
編集版だけ残せば、あとは処分していいんじゃないか」と言い放ったという。
これについても、「当時の記録」が残っているという。
先生の最晩年前後、予言通り現れた四人組を本物の弟子が立ち上がり倒して
いく――その痛快無比の壮大なドラマがこれから繰り広げられていくんで
しょうね。
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