|
|
ジョーカー様の守破離論からの展開。
新鮮な気持ちで自己の信心を見つめられます。
先生を人生の師匠とした「真の桜梅桃李」。感動です!
>第三段階の「離」は、師の根本(守)と、自身のオリジナリティー(破)を集大成させ、独自の境地を切り拓くことである。これこそが真の桜梅桃李であり融通無碍である。師という土壌の上に、自身のオリジナリティーを磨き、そして開花させていくこと。師にとらわれすぎると、自身のオリジナリティーはつぶれてしまう。教条主義ではいけないのはこのためである。そして、当然この段階では師を無謬とは考えることなく、もっと自由に考えることができるし、考えなければならない。大聖人も「この国の仏法流布は貴方に任せました」と言われているように、「任せる」とは、自分で考えよということである。<
また、信濃町様がおっしゃることに賛同します。
>日蓮大聖人直結の創価学会の発展を整理し、理解する上で、わかりやすいのではないでしょうか<
守→初代牧口先生:創価教育学会の創立、宗門諌暁による獄中闘争と殉教
破→二代戸田先生:獄中の悟達と創価学会の再建
離→三代池田先生:破門と創価のルネサンス、世界広布SGIの発展
守破離論に、52年路線、54年問題、第二次宗門問題を加えて、どなたか講義して頂きたいです。
若いメンバーが理解しやすいかもしれません。
三代が拓いた広布の道を、そのまま歩めばいいのに、四人組が壊し始めた。
四人組は、難と戦い抜かれた三代を越える広布の戦いは出来ないのに、三代もやらなかった「御本尊の認定」なんてことを公に始めた。
正しい信心に難が競い起こるのに、四代会長からは難は出てこない。
難知らずの5代元会長Aと6代会長H、そしてT、Y、の四人組に難が出ないのは、当人に魔が入ったからではないですか。
魔は魔を襲いません、魔の敵は仏の軍勢です。
|
|