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いつもありがとうございます。勉強になります。
五 ビヤンヴニュ閣下長く同じ法衣を用う
ミリエル氏の私生活はその公生活と同じ思想で満たされていた。その近くに接して見ることのできる人にとっては、この司教が自ら甘んじている貧窮の生活は、おごそかな、また美しいもの
それら無数の仕事やそれから祭式や祈禱などをしてなお余った時間を、彼はまず貧しき者や病める者や悩める者のために費やした。そしてなおその残りの時間は仕事に費やした。あるいは自分の庭の土地を耕し、あるいは書物を読み文を綴った。この二種のために彼は一つの言葉きり持たなかった。すなわちそれを「栽培」と呼んでいた。彼は言った、「人間の精神も一つの庭である。」
正午に彼は昼食をした。それは朝食と同じくらい粗末なものであった。
晩は八時半に妹とともに夕食をした。
彼はいつもの食物はほとんど茹でた野菜と油の汁とだけだった。
→某次期会長候補の周りにいる方々には少し見習ってほしいです。
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2011・3・11 追善回向します。
■青空文庫で、すでに「第一編 正しき人」
を読み込んだ方もいらっしゃるかと思いますが、
先生の宗門に対する姿勢はこの点ではなかったのかなと深く考えた時期がありました。
それは、第二次宗門問題が起こる前の指導で「僧の道」と「信徒の道」の違いを述べた事
がありまして、それを聞いていて私は、この第一編を思い出しました。
→確か聖職者の堕落について繰り返して指導をされていました。記憶にあります。
ユゴーと同時代の作家、スタンダールの作品「赤と黒」(聖職者の堕落を暴いた作品)などもスピーチで使われていたかと。
■余り考えない方に助言しておきますが、ユーゴ-はアンチキリスト教者です。と言うよりも形骸化した修道院や教会を真っ向から批判しています。第二部コゼット第七編余談で徹底してその実態を克明に書いています。読んでみてください。トルストイも教会から除名(破門)されています。
民衆蔑視、権威・権力の宗教からの査問や破門は誇りです。
→ミリエル司教はあるべき聖職者の姿、理想像だと思いました。
■「ビヤンヴニュ閣下」という表現は、我々に直すと「池田先生」という言い方と同じです。「池田会長」とは会員は呼ばないでしょう。これは、その昔フランス語専攻していた才女に確認しました(笑)。
→某元会長も池田先生を名誉会長、名誉会長と言っていた時期がありました。
決して、池田先生とは言わない。
お前は私を先生とい呼ばなかった。
厳しき叱責もありましたが。
■私もミリエル司教のマネをして、軽い冗談の口をきいてみますか、
「そら H田さんが 善根積みたくて 全国廻って 人を掻き集めているよ。」
→ご自分たちの正当性の証明を選挙結果で行なうつもりかなと感じていますが。
■方面の中心会館に活動家を結集させて会合を開く。これが昭和40年代であれば、皆若く機動力もありましたが、高齢化が進んだ(特に壮年部)今、結集で疲れてしまって選挙の戦いになりませんって。止めてください、迷惑です。半日または一日丸つぶれ。来るんだったら現場に自ら出向いて激励の嵐を起こしてください。特に内票固めに廻っていただけると大変に助かります。
→雪の多い地方からもそのような声を聞いております。
締め付けても疲れが残るだけとも。
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