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私の思い。
私は、会則改正の必要性と方向性、御本尊認定(指定、特定)の必要性は大賛成。
時期的にも、会員に大きな混乱を起こさないという意味では、絶妙のタイミングだったと思っている。
ただし、独立教団だからという理由付けは、法律上の説明であって、それなら他の教団も独立だから、折伏放棄につながるように思えてしかたない。(笑)。
また、御本尊を認定するためには、大聖人に連なる正統性についての理由付けが必要と考えます。
ルネッサンスと言っても、大聖人からの正統性の説明については、三国四師の系譜に連らなるか(三国四師一会とか、三国五師とかと立てるかは暫く措いて)、新来の真言家のように筆受の相承を亡ぼす(ミンず)ことになるかの、どちらかになるしかないと思えます。
でも、できれば、新来の学会家は興門の相承をミンずなんて、言われたくないです。
御書根本、大聖人直結というのは、確信としてまったく正しいと思うのですが、正統性の根拠がそれしか示せないなら、この際だから、いままで経巻相承を否定してごめんなさいと顕本法華宗に謝って、仲良くやりましょうと言ってるようにすら聞こえる。権力迎合の歴史の点でも、似てることだし(笑)。
さらに、独立の教団という点では、これまで独立の他教団を、謗法と言って御免なさいと、謝って回るのでしょうか?。
最近の聖教で、小樽問答や、原水禁宣言が大きく取り上げられたのは、世代が代わっても忘れてはいけないことがあることを、先生が教えてくださっているように思える。
過去を踏まえた新しい教義の確立には、私的には、例のあの方が提唱されていた賢王論とか、例の御本を書かれた方に(四菩薩論で)説明して戴く方が、独立だからとか、文なく理なしの聖人直結論とかよりも、普遍性のある教学の展開となるように思えます。
簡単に言えば、あのお二方を、三顧の礼をもって迎えればよいだけです。これまで邪険にして、御免なさいと(笑)。それとも、そんなことするくらいなら、他宗他派のすべてに詫びて回る方が、まだましなのでしょうか。
なお、私は、そのお二方とは考えを異にしており、学会仏、六代安立行論者です。自分の主張を決して正しいとも思っていませんが、会則改正について、私に直接、疑問を呈してきた人には、学会仏説を展開しています。
でも、私の独自見解は、初代を浄行にあて、二代を無辺行にあて、先生を上行にあてる。そして、末代までの世界広布を見据えた教義改正をなし得た六代こそ、安立行の生命を体現されたお方と、半ば本気で(笑)、半ばまさかあり得ないだろう(笑)と思っています。
でも、六代会長のことはそれぐらい尊敬しています。だから、この掲示板の四人組説には、俄に賛同できないし、しない。
旗色は悪いですが、まだ、この点について、大きな勘違いだったとは思いたくないです。
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