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いやもう、私なんかが不思議でしかないのは、この掲示板の主流派の皆さんが例えば、今の執行部が池田さんの発言をどんどん消滅させていってしまってとんでもないなんて言い方をしてますけど、逆にこんな発言はやばいから、隠しておいたほうがいいんじゃないのってことは考えないんでしょうか。
私個人としては、牧口さんから原田さんまでを含む創価学会会長・大幹部のありとあらゆる発言や著作は、すべて公開すべきだと思ってるんですが、池田さん自体がバリバリの会長だったころ、戸田さんや牧口さんのそのまんまの発言はやばいというので、戸田さんの全集の発刊を中止させたり、全集には納めなかったり、レコードも廃刊にしたりしてまして、学会の歴史から消し去ろうとしていたわけですよ。今のみなさんはそんなこと御存知ないのでしょうかね。
ですから、今の執行部は、池田さんを守るために、かつて池田さんが戸田さんを守るためにやったことと同じことをやっているのですよ。私からはそのように思えます。
一方、戸田さんの名言である「戸田の命よりも大切な広宣流布の組織(=創価学会だったんでしょう)」という言葉を守らなければいけない、と同時に池田さん(および池田さん御一家)も守らないといけない。
ところが池田さんを守ることが創価学会を守ることと同一であるなどというのは全くの幻想(戸田さんなら決して言わなかったこと)であることが、はっきりしてきたのが、1978年以降だったわけですから、その整合性をとるために、どれだけ当時の執行部が苦労してきたか。まだ元気なカリスマだった池田さんが本部幹部会で自分たちに文句をいいたおすことを覚悟しながらですよ。
宗教の持つ守備範囲がどんどん狭まってきました。その中で創価学会が個々の人間や家族・社会に対して、意義あるものとしてどう対応してゆくかというのが、池田さんが会長を勇退されてからの執行部の課題だったと私は思います。つい最近までお元気な池田さんを相手にし、会合ではそれこそ、パワハラ・モラハラまがいの糾弾をされながらですから、フォローするほうはどれほど大変でしたでしょう。
現執行部はもちろんのこと、池田さんや戸田さんだけではありません。日蓮や釈迦も含めたうえで、人間は過ちを犯すものですから、過ちは後世の人間が正してゆくというのは、別に先人を貶めることでもなんでもない当たり前のことではありませんか。三代にわたる会長を特別扱いするなんていう会則こそ、まず改められるべきです。
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