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陽光44 (2/23/2007)

 投稿者:陽光  投稿日:2015年 3月14日(土)04時53分29秒
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  陽光が大地の隅々まで降り注ぐように、“あの人は”“この人は”と、陰で
働く人、目立たぬ努力の人、献身の人などを次々と照らし出していったのである。

(略)

われらは、何のためにこの世に出現したのか。

地涌の菩薩なれば、広宣流布のためである。広宣流布とは、一切衆生の
成仏の得道の法である妙法を弘ろめゆくことだ。

それは、人びとの仏の生命を涌現せしめ、大いなる生命力を、善なる心を、
正義の意思を、勇気を、希望を、呼び覚ますための聖業である。

その行為を、平易な言葉で表現するなら、「励まし」といえよう。

ゆえに伸一は、わが人生は、人への「励まし」のためにあると決めていた
のである。

本来、地涌の菩薩の使命をもつ私たちは、友を、家族を、自分に連なる
すべての人を励ますために、生を受けているのだ。

いかなる苦境にあろうが、病床にあろうが、体が動けなくなろうが、生命
ある限り、人を励まし続けるのだ。

たとえ言葉がしゃべれなくなっても、表情で、微笑で、眼差しで励まし、
地涌の使命を果たし抜くのだ。

そこには、人間としての、能動性、主体性がある。その時、生命は、美しき
太陽の輝きを放ちゆくのだ。

それが「生きる」ということなのだ。
 
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