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おはようございます。お疲れ様です。
私もジョーカーさんのご意見と全く同じであります。
「組織や新聞での情報だけでなく、懸念や反対の意見も吟味したうえで、それでも賛成であるなら良いのですが、どうもそのようには感じられない。とくに考えもなく、その場の雰囲気で賛成というのが恐い。この掲示板では、教義変更の問題点をこれでもかと取り上げていますが、これだけツッコミどころがあっても、全面賛成できるのかどうか。当然、ほとんどの会員は、この掲示板の存在を知らないでしょうが、それ以前に、賛成・反対・中立の様々な意見を検証しようという思考力があるのか。他人の頭で物事を判断し、自分の頭では考えない姿勢と癖がついていると、結局は、組織に依存するようになる。
自分の意志を明確にするということは、自分自身に生きるという事である。意志ある人は自分の言葉で語ることができる。意志のない人は、誰かの言葉で語る。他人のどうしたいを聞く前に、まずは、自分がどうしたいかであり、それを第一に考えられるようになることが大事であると考えます。ちなみに私が投稿する目的は、「考えるきっかけの提供」であり、その根底にあるのは、一人ひとりの会員を賢くしたいという意志であります。それが、組織悪と戦うための下地となるからです。
意志なき人生は、目的地のない航海であり、それは結局のところ、どこにも辿り着くことはできない。意志は祈りとなり、祈りは現実の形となる。使命と意志は一体不可分な関係であり、自分で決めていくものなのです。」
ジョーカーさん仰られるように基本、自分の頭で考え、行動する。いわゆる「自立した信仰者」を宗祖も歴代も指向されている訳です、過去二度の宗門問題の教訓も一つは「自立した信仰者」であったと考える訳です。
又、宗門問題の様な事例が今後会内で起こるという事は、仏法の眼から見ても、先生の数々のご指導から拝しても必然であると思います。逆に何も起こらない事の方が不思議であり、宗祖や歴代の仰られた事が嘘、偽りになってしまうのではないかと考えます。
ジョーカーさんの
「この掲示板で得た情報で、一体自分は何をどうしたいのか。それを考えるのは自分自身であり、他の誰かではありません。他者依存、組織依存からの脱却こそが自立した人間、自立した信仰者である。今の時代を生き、さらなる飛翔を遂げていくための必須スキルである。この土俵に上がらなければ、戦いにすらならないというのが、私の基本的な考えである。」
この考え方に私も全面的に賛同です。このような基本的な考え方に立てば良いも悪いも「煽動」される事は無いからです。
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