2015年05月05日

井原正巳監督への期待

 Jリーグには無限の魅力が詰まっている。その全てをしゃぶり、味わい、語り尽くしたいのは山々なのだが、ベガルタの七転八倒を愉しむだけで、ほとんどの時間が過ぎていく。それでも、隙を見て浮気を愉しみたいのは男の常。で、どうせならば、あれこれ手を出さず、唯一の愛人と愉しむのがよかろう。と、言う事で、今シーズンに関しては井原正巳監督が率いるアビスパ福岡だ。いや、もとへ。言い換えよう、ベガルタ以外の時間は、いよいよJの監督に就任した井原正巳氏を見守る事に費やしているのだ。

 私は井原正巳選手が大好きだった。
 88年10月26日の日韓定期戦。筑波大学3年生だった井原が、日本代表の守備の中核として、崔淳鎬を軸とした韓国に対して、ほぼ完璧な守備を見せてくれた。あの晩の興奮は今でも忘れられない。そして、あの晩の期待通り、井原は幾多の喜び(もちろん涙も)を私に与えてくれた。92年の広島ビッグアーチ、93年のドーハ、そして97年のあのジョホールバル、98年のトゥールーズ、ナント、そしてリヨン。
 井原は1988年1月27日、敵地でのUAEとの親善試合に20歳で起用され、すぐに中心選手として活躍を期待され、常にレギュラとして活躍を継続した。つまり122試合の代表戦のほとんどを、いや違う、すべてを中心選手として戦ったのだ。そして、上記のUAE戦以降93年のUSAワールドカップ1次予選タイ戦で退場になるまでに、B、C代表戦を含め88試合、7958分フル出場を継続した。さらに、その後同予選のスリランカ戦に復帰以降、97年の2月11日のキングスカップルーマニア戦にバックアップ(秋田、小村、斉藤の3DF)のテストを行うまで、52試合のA代表戦4,706分(93年10月4日国立のアジアアフリカ選手権、つまりドーハ直前、コートジボワール戦はカズのVゴール勝ちで延長の26分を戦っている)にフル出場している。その後、幾度かバックアップテストで抜ける事があったが、負傷で戦列を離れたのは、98年4月1日ソウルでの日韓戦での途中交代が初めて(この時井原は30歳になっていた)。つまり、20代の10年間、井原は壊れる事すら一切なく、常に日本代表の大黒柱として活躍してくれたのだ。今日のように、A代表戦が年間15〜20試合行われていたならば(たとえば88年のA代表戦は5試合、90年は6試合、91年は何とたったの2試合!、USAワールドカップが行われた94年ですら9試合に止まっている)、代表出場記録はどこまで伸びていたのだろうか。
 しかも、井原が活躍したのは、日本代表戦でもスタンドに閑古鳥が鳴いていた80年代から始まり、全国民がその勝敗に熱狂するあのフランスワールドカップまで続いたのだ。幾度か書いたが、この日本サッカー界が経験した(おそらく日本を除くいずれの国も経験していない)「超右肩上がり」時代のすべてを、井原は経験したのだ。
 現実的に、井原は日本サッカー史上最高の守備者であった事も間違いない。いや、日本代表選手としても、井原は史上最高の存在だと確信している。井原が活躍していた当時と比較し、国際試合における日本代表の相対的地位は間違いなく高くなった。しかし、苦しい試合になればなるほど、「今、ここに井原がいてさえくれれば」と嘆息する経験が増えていく。06年のドイツでも、昨年のブラジルでも、同じ思いを抱いたのは私だけではないのではないか。
 選手、井原正巳には、いくら感謝してもし切れない思いばかりがある。

 その「日本代表史上最高の巨人」であり、「超右肩上がりの全ての体験者」である井原正巳氏が、アビスパ福岡で、とうとうJリーグの監督に就任した。
 輝かしい実績から考慮すると、あまりに遅すぎた感もある。これは2つの要因があると思っている。1つには、レイソルでのコーチ(ネルシーニョ氏の補佐官)が、あまりに板につき過ぎた事があるだろう。ネルシーニョ氏からすれば、かつてのライバルチームの大黒柱が守備組織構築を担当してくれるのは、とてもありがたかったに違いない((95年のJリーグプレイオフではヴェルディのネルシーニョ氏と、マリノスの守備の要井原の虚々実々の駆け引きは実におもしろかった)。今1つには日本においては「名選手必ずしも名監督ならず」が定着しており、名選手の監督登用に、クラブも相当慎重になっている事が挙げられるのではないか。
 そして、井原氏はいきなり開幕戦から3連敗を喫する。このあたりの映像を見ていると、特に守備ラインでの球際の当たりの不安定さが目についた。よい時はよいのだが、90分の中で、何人かの選手が突然当たりが甘くなってしまっていたのだ。けれども、連敗を脱した4節あたりから、そのような不安定さがなくなり、守備ラインの各選手が粘り強く90分間戦いを継続できるようになってきた。守備が安定した試合が続けば、攻撃も安定してくる。前節、フォルランを軸に猛攻を仕掛けるセレッソ戦は、セットプレイから先制すると粘り強く守り、時に効果的な速攻を繰り出し、見事な勝利を収めた。アビスパが、ジュビロ、ジェフ、セレッソ、アルディージャと言ったクラブと、J2の上位争いを完全に争える戦闘能力を持っていることを示す試合となった。
 アビスパのメンバを見ると、中村北斗、堤、濱田、鈴木惇と言った、かつて若年層代表チームに選考されながらも、伸び切れていなかった選手が目につく。彼らは能力は非常に高いのだが、90分間の集中継続、あるいはシーズンを通しての集中継続と言った課題を克服できずに、ここまで来てしまった感がある。そして、序盤の3連敗時代は、彼らもそのようなプレイ、つまり90分間の中で「抜けてしまう」場面が散見されていた。けれども、ここ最近は、特に堤と濱田に関しては、そのような姿をほとんど見なくなってきた。これは井原氏の薫陶が大きいのではないか。
 選手井原は、判断力、ボール扱い、肉体能力と言った他者に見える能力は、もちろん格段のものがあった。けれども、その格段のプレイを常時継続し、10年以上も日本代表の大黒柱として君臨し続ける事ができたのは、そう言った格段の能力を常に発揮する精神力を具備していたからのはずだ。アビスパの序盤低迷からの脱出は、その自らの精神力を、選手達に的確に伝授できたからではないかと思えるのだ。そう考えると、アビスパの選手はベテランを含め、この偉大な監督から学べる事は非常に多いはず。そして、その指導が的確に遂行されれば、J1復帰も現実的な目標となってくるはずだ。
 もちろん、井原氏の監督経歴は始まったばかり、これから艱難辛苦を乗り越えない限り成功はない。そしてJ2からJ1に昇格する難しさは、今さら繰り返すまでもないだろう。
 けれども、上記したような選手として究極の経験を持った井原氏が、アビスパで監督として成功を築いてくれたとしたら、これは日本サッカー界にとっても、非常に重要な事となる。井原氏は手倉森誠氏と同級生。手倉森氏と異なり監督としてはこれからだが、(ベガルタサポータとしてはちょっと悔しいが)井原氏は手倉森氏が現役時代に積む事ができなかった経験を、あふれるほど持っている。そう、何より井原氏は1億3千万国民に歓喜を提供してきたのだ。
 ちょっとは夢を持っても構わないだろう。

 以下余談。
 井原を称える「イハラー、イハラー、イハラー」と言う歌は、私が歌い始めたものだ。個々の選手を称える歌としては、この「イハラー、イハラー、イハラー」は、植田朝日氏が始めた「オー、ナカヤマ」と並び、日本サッカー界で初めてのものだったと自負している。そして、いつか井原が日本代表監督に就任した際に、「イハラー、イハラー、イハラー」を歌うのを密かなる夢としてきた。でも、ちょっと待ちきれない自分がいる。
 で、もしこの文書を読まれたアビスパサポータの方がいれば教えてください。アビスパが勝った時、「イハラー、イハラー、イハラー」を歌ったりしているのでしょうか。もし「Yes」ならば、こっそりと偽アビスパサポータとして、ゴール裏に忍び込み、一緒に歌わせていただきたいのですが。
posted by 武藤文雄 at 01:21| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
横浜在住のあびさぽです。
いつも愉しく拝見させて頂いてます。

横浜なので未だ勝利のシーンは体験しておりませんが、先日のセレッソ戦で試合後歌っていたのはスカパーで確認出来ました。

自分もドーハ以来サッカーに嵌まった世代ですが、先日の横浜FC戦ではそれらしい方々(イハラー目当て)が結構いらっしゃったので、紛れ込むのは問題無いかと。
Posted by ぽ at 2015年05月05日 04:07
福岡の者ですが、はやくからイハラ―イハラ―イハラ―って歌ってますよ
毎試合、レベスタのバックスタンドで見てる鞠サポもいらっしゃいますから、遠慮なくどうぞ!どうぞ!
きっと、井原さんも喜ばれます


Posted by あ at 2015年05月05日 07:17
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