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「戒壇の大御本尊即日蓮大聖人」
日蓮大聖人の御当体は本門戒壇の大御本尊と排するのが日興上人以来の
信仰であります。
大御本尊を信仰の対象にしないことは、即、大聖人との離別である事です。
「大聖人直結」これはもう言葉の遊び隠れ蓑でしかない、
御書の云々等、持ちだしても全て虚妄となる、全て崩れる大事である事を
理解していない御仁がおられます。
大御本尊を拝まないと言う会則改変は、大聖人の否定であり、如何に
取り繕うとも、創価学会は、五老僧の仲間入り謗法の組織と化した。
日蓮教学を学ぶ以上は、日蓮大聖人を三徳具備の御本仏と捉える以外
正当化出来ない、とすれば、大御本尊を信仰の対象としないは、何としても
粉砕しなければ、三代会長の御努力も無駄になり、創価学会はあの
立正佼成会と肩を並べる事に成るでしょう。
機は今でしょう、どうすれば粉砕出来るかを議論すべきとき、
時の経過は、慣れとなり同化され諦めとなり、腐れる。
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