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http://ameblo.jp/bosatu2015/entry-11995074509.html
教学(部)レポート
【1】 いわゆる「本門戒壇の大御本尊」と、総本部に安置される「創価学会常住御本尊」について、最高幹部の一部が、教義的な意義の変更を強硬に推し進めています。
御本尊は、根本尊敬の対象であるがゆえに、御本尊に関する教義は信仰の根本をなしています。
現在、一部幹部が進めているような形で教義変更が拙速かつ拙劣に進められれば、日本でも海外でも会員の信仰が動揺し、組織に混乱が広がることは確実です。
また、宗門からの攻撃にも十分な応戦ができず、学会が教義論争において敗北することは必死と考えられます。学会の存亡に関わる極めて危機的な状況にあります。
【7】 また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明についても、谷川総長は
「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」
と述べていました。もちろん御書の解釈はできるにしても、御本尊の「出世の本懐」について生半可な教義理解で軽々しく決められることではありません。
さらに「末法下種の三宝」についても、現在は、公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人になっているのを変更するのかという議論になった際、谷川総長は
「それも変えればいいんだ。何の問題ない」
と述べていました。
しかし、
「それでは、歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」
と申し上げると、
「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」
という返事でした。
「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
と、谷川総長は何度も繰り返していました。何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
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