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>>先生のご指導を受けてきて
うららさん、そうです。まさにそこなんですよ。
54年に辞任した先生が、56年に反転攻勢をかけられる闘いを開始された本当の意味は
ご自身が会員一人ひとりを育て、先生手作りの創価学会をつくることにあったのです。
56年11月2日創価大学中央体育館、立川、西多摩の合同総会
先生の指揮で、新たな決意に満ち満ちた、学会歌の大合唱からその反転攻勢がはじまりました。
以下 随筆新人間革命355「創立の月と学会精神」より
昭和54年、あの卑劣な宗門問題の渦中に、私は会長を辞任した。
しかし、役職を辞めても、広宣流布の使命が終るはずはない。
わが師の遺言を思い起こしながら、「断じてかって見せる!」と、
ただ一人、堅固に、胸深く誓っていた。
いよいよ好機到来し、私が反転攻勢への跳躍台としたのは、やはり東京の天地であった。
嫉妬や讒言による迫害がなんだ!
いわんや、仏法流布の正義のゆえの迫害である。
これ以上の誉れがあろうか。
私は決断した。
同志の要望に応え、新出発の歌の指揮をとった
「嗚呼黎明は近づけり」である
声高らかな歌が始まると、皆の胸の思いが一つにとけあって、大会場に巨大な感情がうねりはじめた。
皆の顔に決意がみなぎっていた。
断固として戦う決意であった。
私は嬉しかった。本当に嬉しかった。
私が再び広宣流布の雄渾の指揮をとる日を待っていてくれたのだ。
さあ、新しい黎明の時だ。
この数年の暗闇を打ち破り、新しい学会を、今再び創立する時がきたのだ。
うららさん
この日から実に33年もの時との勝負に先生は勝利したがゆえに
こんにち、全国のあちこちに、逞しき、頼もしき、「うらら」が育ったのです。
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