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エマーソンは、権威と伝統で人々を縛り、見下す既成宗教を「死んだ形式」と断じ、痛烈に批判した。
また、こう述べている。
「われわれは『教会』と『魂』とを対照させた。魂のなかに救いを求めなくてはならない。
(真の)人間が現わるところには、必ず革命がおこる。古いものは、奴隷のためにある」(前掲書)と。
「奴隷」とは、隷属の境遇に自ら甘んじ、自分で考えることも、
自分で検証することもなく、権威に支配されるに任せている人々のことであろう。
伝統を誇るだけの「古い権威」「死んだ形式」に盲従することは、精神の奴隷となるに等しいと警告しているのである。
かつて日亨上人は、人々を見下し、食いものにし、
隷属させゆく悪侶の本性を「毒蛇」であると述べられた。
また、戸田先生は、学会を裏切り、反逆していく者は「心の奴隷」であると厳しく戒められていた。
私どもは、どこまでも真の「人間」でなければならない。
そして真の「人間」であろうとする時、宗教革命、社会革命による人間解放は必然となるのである。
エマソンはさらに、こうも語る。
「世界で価値のあるただ一つのものは、能動的な魂です。
あらゆる人は、この魂を持つ権利を与えられています。
あらゆる人は、この魂を自らのうちに蔵しています」(前掲書)と。
″人々よ目覚めよ。権威を恐れるな。形だけの伝統にだまされるな。自らの活動的な魂、内面の魂を輝かせよ″
──このエマソンの叫びは、宗教界に対する、鋭き弾劾であった。
大事なのは「自分」である。自分の「生命」である。
外にある御本尊も、我が″内なる″御本尊を顕すためにこそ大聖人が建立してくださったのである。
我が身の″仏性″を顕すことが信心の最大事であり、
本来、この″内面の魂″──尊極の生命を最大に輝かせていけるのが、大聖人の仏法である。
そして、この妙法の根本精神を破壊し″外なる権威″で支配しようとする「死んだ形式」と、敢然と戦っているのが学会なのである。
歴史は繰り返す。
アメリカ・ルネサンスをもたらしたエマソンの獅子吼は、私どもの前進に、勇気の風を送ってくれている。
今まさに、創価ルネサンスの時代! 学会が叫ばざるをえない時が来たのである。
【全国青年部幹部会(全集第八十巻)】
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