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大聖人御在世当時
この作業を見事に実践した婦人部がおりました。
他でもない、今月の座談会で学んだ上野殿後家尼
いわゆる南条兵衛七郎の妻、南条時光のお母上です。
このお母さんは、ご主人との間に男児5人、女児2人(もしくは3人)の子をもうけました。
ご主人も含めた男6人のうち、次郎時光以外の5人を数年のうちに病気で失います。
時光が家督を継いでまもなく、彼は五郎を連れて身延にいる大聖人を訪ねます。
五郎の顔を見た大聖人は後に手紙で、この母親に
「あの五郎は頼もしき子である、しっかり育てていきなさい」と激励をします。
その五郎も病で亡くしてしまうのです。
その報告を受けた大聖人は「あの五郎を亡くしたのはもったいなかった、あれはいたましかった」と
3度も手紙を送り、悲嘆にくれる母親を励ますほどでした。
うららさん
このお母さんは、こんなに悲しい思いをしながらも
大聖人や御本尊を少しも疑うことなく、大聖人から教えられた信心の精神を
残されたわが子に伝え切るのです。
時光の姉はその後、奥州新田家の血をひく北関東の豪族に嫁ぎ
数人の男児と女児をもうけ、末の男児を大石寺の日興上人のもとににおくり、この子は長じて
相伝を受け第3世日目となります。
時光の妹もまた、嫁いだ先で設けた男児のうち、末の子を日目上人のもとにおくり
この子は長じて日目上人から相承をうけ、第4世日道となります。
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