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・鉄砲玉様
過分な御言葉大変恐縮ではありますが、ありがとうございます。私の投稿記事は寸鉄というよりも、ジョーカー流名字の言という位置づけがしっくりくるかなと思いますのでよろしくお願いします。新聞には決して掲載されてはいけない内容となっております。
今回の教義変更は、御本尊に関する新たな見方を創設しました。つまり、大御本尊という唯一の正解を、見方を増やすことにより、もう一つの正解を生み出したことになります。現時点で、正解が二つあるという認識です。新たなパラダムシフト(見方)の創設は、危険を伴います。正解が二つになると、結局どちらが良いのかがわからなくなり、解釈も人それぞれとなり、混乱を生みかねないからです。事実、教義変更は様々解釈可能であり、例えば、「御本尊を認定」一つとっても、誰がどの基準で認定するのかも説明されていないし、よくわからない。本来、天に二日無しの原理からいって、正解を二つにするのは好ましい事ではありません。超例外措置としてかろうじて発動可能なものでしょう。
超例外を発動することは簡単ではありません。とくに御本尊に関することは、個人の問題ではなく、全創価学会員に関わる問題であり、とてつもなく重要です。大御本尊擁する宗門が腐敗堕落したことは、例外といえますが、それをもって、超例外を発動することは正しいかどうかは意見が分かれるところだと思います。そして、それを今断行しなければならない理由はありません。重大な問題であるが故に、時間をかけて構わないし、急ぐ必要はないです。それを何故か、教学部の制止を振り切り、急いで断行したのが執行部です。
そもそも、師を盾にするような弟子は、弟子とはいえません。54年の本質は、師を犠牲にし、組織を守ろうとした弟子の姿であり、それは、組織第一主義といえます。師が一番大事にされているのは会員です。会員第一主義こそが創価学会の精神です。よって、会員第一に考えることと師を大事にすることはイコールとなります。杜撰な教義変更を断行した人間の根底にあるのは、会員第一主義ではなく、組織第一主義であることが窺えます。今日の学会の組織の問題の根底にあるのも同じく、会員第一ではないことであり、会員の犠牲の上に組織が成り立ってしまっているのが要因でありましょう。
創価学会は今なお、54年の命(組織第一主義)が息づいています。その結果が杜撰な教義変更としてあらわれ、会員を困惑させてしまった。決して偶然ではなく、それを良しとしてしまう多くの会員もまた、組織第一主義に染まってしまっている。54年の命とは「無神経」であり、師の心がわからず、会員の心もわからない。「時流には逆らえない」とは、無神経の極みの台詞ではなかろうか。
然るべき立場の人間が無神経だと、多くの人が苦しむことになる。それはもはや悪であり、組織はリーダーで決まるとはまさにこのことである。心を失えば、仏意仏勅であろうと抜け殻となる。創価学会が宗門の二の舞にならないように願うものであります。
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