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会則珍問答12
B: 会則説明では「電源と端子の関係などというのは大聖人に違背する邪義だ」とのことですが、そうすると会則発表以前の大御本尊へのご観念も、この二十数年間全く無意味だったということになりませんか?
だいたい、電源と端子の関係だからこそ、ワザワザ行く必要が無かった訳で、、、
A: むむぅ、、
B: 大石寺から離れた後にできた前回の会則で、「大御本尊を信受し」となってたのも、電源と端子の関係があったればこそ意味があったんじゃないですか?
原田会長も解説の中で、「これまでは大御本尊とは弘安二年の板本尊を意味していた」とハッキリ言ってますし、、、
A: んー、でもなー、あっ、わかった。そうではない、我々の家にある御本尊も大御本尊も同じ「本門の本尊」そのものじゃから、行く必要が無いということじゃ。エヘン。
その上であちらは謗法の山にあるから認定外なんじゃ。どうだ。
B: ですから前にも言いましたが、平成三年以降、既に二十数年来、ずっと謗法の山じゃなかったんですか? それでもついこの間までは認定してたでしょう。
A: あれぇ、、、?
B: ですから、どう繕っても矛盾を隠せないんですよ、今回の改正は。
A: た、確かに、、、
B: 実際には、学会を破門した平成 3年11月以降も、ずっと謗法の地にあったんですけど、大御本尊を信受し、大御本尊に南無し奉ってきて、何の問題もなかったんです。
大師匠は、我々の信心の電波は全宇宙に通じる、大御本尊に通じないわけがないとおっしゃってますよ。
「 「一閻浮提広宣流布」に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の「信心」こそが「一閻浮提総与の大御本尊」に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その「信心」ある限り、だれびとも大御本尊と私どもの間を「切る」ことなど、できるはずがない。
電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の「一念」は「法界に遍あまねし」で全宇宙に通じていく。
ともあれ、ある人が言っていた。大御本尊の光が世界に広がることを妨げる者は、大聖人を破門する者ではないかと。その報いは必然であろう。 」
と、平成3年12月に指導されてますよ。
A: ・・・・・
B: 「だれびとも大御本尊と私どもの間を切ることができない」と思っていたら、なんと原田会長がカットしちゃった。日顕もビックリな「C作戦」じゃありませんか。
A: (う、うまい)
B: しかも会則説明によれば、「大石寺に参詣する人がいなくなったという、会員の実態に合わせた会則変更だ」、などと大威張りでいうんですよ。
A: そりゃ、その通りじゃ、実情に適った話じゃないか。
B: それこそ屁理屈ですよ。それじゃぁ創価学会を破門して来なくなったからと言って正本堂を壊した日顕と同じですよ。先生がお亡くなりになったら、「もういないんだから、実態に合わせて先生の指導よりも会長の指導を中心やって行こう」、というんですか?
三代の会長はもういないんだから、実情に合わせて現会長の写真を掲げようとでもいうんでしょうか?
A: そ、それは、、(実はそれが狙いかも)
B: また一方では「聖地主義は間違いだ」と言いながら、せっせと大誓堂に参詣させてるし、
「電源と端子の関係ではないから直接来い」ということでしょうか?家庭の御本尊も、大誓堂の御本尊も、同じ本門の本尊じゃないんですか?
A: す、すまん。こんどは本当に頭が、、、
七つに割れそうに痛ぁ~い。
(つづく)
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