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完璧な補足有難う御座います。同感致します。
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「以下、一部の馬鹿どもへ」
悪を放置するすれば厳然と仏罰がある。
仏罰を嘆いております。3.11の被災地で亡くなられた方(内部も含む)の苦しみを知らない馬鹿共(狂信者)がいる事にも嘆いています。
聖教には被災地の頑張っている様子だけが掲載していますが、一人々どんな状況下にあるか。どれだけ未だに苦しんでいる方が居るのかを、知らぬ狂信者は語る資格なし。
★1992.5.5創価同窓の集い
狂信者は、自分の立場を保持するために、ひたすら虚勢を張り続けなければならない。どんな正論も彼を退く気にはさせられない。たとえ、一千六百万人の声であっても。
虚勢ゆえに、決して心が落ち着くことはない。つねに焦っており、つねに気持ちが、目まぐるしく動いている。そして、自分の“気まま”に従わない者に対しては、脅威を感じ、力をもって抑圧し、自由を奪う。
そのためには、手段を選ばない。なんだかんだと因縁をつけ無実の罪を着せる。人を「切る」。いじめる。弾圧する。私も、そうした、いわれなき迫害の犠牲になってきた。しかし、人を抑えつけたつもりで、奪われているのはほかでもない、自分自身の自由であり、尊厳なのである。
二十一世紀を見すえつつ、ヴィーゼル博士は、こう宣言する。
「狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦うことが、われわれの責任である」
「なぜならば、狂信的行為は、人間を否定し、下劣で、感染しやすい憎悪へと引き落としていくからである。憎悪は良いもの、価値あるもの、創造的なものを、何も生むことはない。憎悪は憎悪を生む」と。
まったく、そのとおりである。病根は根絶せねばならない。
では、どうしたら狂信的行為に打ち勝てるのか。いかに戦いゆくか――。
博士は言う。それは、「すべての人間の自由を讃え、大切に育み、守りゆくことだ」と。
「讃え」「育み」「守りゆく」――人間性が脈打つ行為である。
反対に悪は、「蔑視」「嫉妬」「破壊」を促進する。ゆえに、悪に勝利するには、この「人間性の連帯」を築く以外にない。「善のスクラム」を広げる以外にない。
「狂信」という悪を見逃してはならない。見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し、正義を蝕んでいく。戦わなければ、「人間の世界」が失われてしまう。
★2000.5.24第46回本部幹部会
戦う大文豪であったヴィクトル・ユゴー。彼は叫んだ。
「善を行う者には一切のものが助けになる」「季候も我れ等に与(く)みし、北風も我れ等に与みし、降雨も我れ等に与みするであろう」と
善を行う者には、一切のものが味方になる。私どもも、自分の周りの、ありとあらゆる存在が諸天善神となるのである。
不正、邪悪に対しては、断固として反撃せよ! これがユゴーの叫びである。戸田先生の叫びである。牧口先生の遺言である。正義に生きぬく人間の信念であり、仏法者の信念なのである。
正義の人間を弾圧し、滅ぼそうとする邪悪な勢力とは、断じて戦い抜く。これが学会精神である。
悪を見ながら何もしないのは、いくじのない、ずるい人間である。
[師匠の言葉を忘れるな]
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