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《「3.16」の魂は「勝つこと」にある》
「3・16」。その魂は、盛大な儀式でもなく、かっこうのよい言葉でもない。
大事なことは、ただ一つ、「勝つこと」である。
人生も、広宣流布も、「勝つか、負けるか」、この二つしかない。
諸君は、断じて勝っていただきたい。どんなに言いわけしても、負ければ惨めである。
バカにされるだけである。一人残らず勝ち切って、堂々たる人生を飾っていただきたい。
きょうは、懇談的にお話ししたい。
四十年前(一九五八年)の三月。「三月十六日」の式典に先立つ、ある日、ひとつの事件が起こった。
本山への記念総登山が行われていた。ところが、本山に殺人犯が紛れ込んでいるという知らせがきたのである。
静岡の伊豆で、老夫婦を殺害するという強盗殺人事件が起きた。その犯人が来ているという。
八方、手を尽くして探したが、手がかりをつかんだ時には、もう逃げてしまっていた。
このころ、戸田先生は、お体の具合が悪く、横になっておられたが、私が事件を報告すると、こう言われた。
「まことにかわいそうな事件だ。いちばんかわいそうなのは殺された老夫婦だ。その家族もかわいそうだ。
お題目をあげてあげなさい。そして、殺した青年もかわいそうだ。一生、苦しむだろう」
やがて犯人の青年はつかまったが、殺されたほうも、殺したほうも、
その家族も友人も知り合いも、皆が苦しむ――これを「地獄」という。
絶対に、そんな地獄をつくってはいけない。
その反対に、皆を楽しくさせ、喜ばせ、幸福にしていくのが「仏法」なのである。
自分も幸福になる。七代前、否、その前までの先祖も救える。
子孫末代までも救い、栄えさせていける。それが仏法の大功徳である。
先生は言われた。
「本当にかわいそうだ。どんなことがあっても、人を殺すということは絶対にいけない!」
この厳しい一言を忘れることができない。
昨今は、いとも簡単に人を傷つけたり、殺したりする。
しかし、諸君は絶対に、正しき人生の軌道を歩むべきである。
大事な人生である。価値ある、充実の人生を生きている諸君である。
これほど尊く、幸福な青春はない。
堕落した無価値・無意義な人生は、どんなに楽しそうに見えても、
偉く見えても、空虚な人生である。悪であり、不幸である。
諸君は、聡明に「よき人生」を、そして「充実の人生」を生き抜いていただきたい。
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