|
キリスト教は全世界に流布した。大いなる勝利といえる。
では、なぜ勝利したのか。
ローマ帝国という、当時の世界一の権力に対抗して、迫害また迫害、殉教また殉教の連続であった。
それなのに、結局は、大ローマ帝国を動かす″宗教界の王者″となった。
そして、ローマ帝国が滅亡した後までも、世界へと広まっていった。
なぜなのか。
じつは、この「殉教の精神」があったから、勝利したと言える。
権力と妥協しなかったのである。
権力に服従した宗教は、やがて必ず奴隷化され、魂を失って滅びていく。
これが歴史の鉄則である。
権力と戦う宗教だけが、″光″を出す。
″力″を出す。形のうえで、勝とうが負けようが、「魂」は勝利しているからである。
ここから、次の時代へと広がっていく。
「殉教の精神」――これこそが根本である。
「一念三千」であるゆえに、この精神、この一念によってしか広宣流布はできない。
キリスト教は、初めは小さな、貧しい集まりにすぎなかった。だれも重要視していない。
むしろ、バカにしていた。
そのキリスト教が、どうして、ここまで広がったのか。
これについて私は、トインビー博士と論じ合った。
博士は、宗教としてはとくに大乗仏教を高く評価しておられたが、
それはそれとして、キリスト教の歴史的位置は大きい。
博士は、キリスト教が伸びたのは殉教の精神を貫いたうえに、
「大衆の心を、とらえたからだ」と言っておられた。
大衆の心を、がっちりと、つかんだからこそ、いかなる権力にも、
いかなる時代の変化にも負けない基盤を築くことができた、というのである。
さすがの慧眼である。
大衆が大事なのである。
有名人、権力者、財産家、学者、そのほか、いわゆる″偉い人″が大事なのではない。
全部、大衆の幸福こそが目的である。ほかは手段である。
この根本を間違って、大衆を見くだし、大衆を手段にする人間は、″偉い人間″どころか、悪人である。
民衆の幸福のじゃまとなる。
日本も、ここが転倒している。
また転倒した頭で、学会を利用しようという人間もいる。
この転倒を正さなければ、民衆の勝利はない。
|
|