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久しぶりに書き込みします。
昭和34年3月号の『大白蓮華』に、当時参謀室長の池田先生の指導が掲載されています。
「敗れるのと負けるのとは、どう違うのか」という質問に対する答え。
「(前略)戸田先生が会長になるのを嫌がって罰を受けられ、事業に失敗されたとき、お車で迎えに行ったら、
『このおれは負けないぞ。戸田は負けたのではない、敗れたのだ』
という不思議なことをいわれたのを、いまだに記憶しています。
われわれの人生においても、負け戦というものがあるんです。このような時に変毒為薬して、乗り切っていけば負けたとは云いきれない。教学もそうじゃないか。落っこちちゃって、もうダメだとあきらめたら負けなのだ。
勝負けは 人の生命の 常なれど
最後の勝ちをば 仏にぞ祈らん
これは会長先生から最後にいただいた御歌です。
人間は立ち上がることができるか、いなかによって、立ち上がることができないときに負け、立ち上がれるのは敗れたのだ」
どのように受け止め、解釈するかは、各人のものだと思います。
ただ、私個人として思うことは、
勝った勝ったの連続などということは、人生の中では有り得ないことだと思います。
私自身も今日までの来し方を振り返ると、ボロ雑巾のように、憐れで惨めな姿を晒して生きてきた時期が、厳然とあります。
ですから、新聞で「勝ちまくれ」や「勝利勝利の人生を」などという言葉を見聞すると、
娑婆の苦労を何にも知らない連中が書いているんじゃないか?
という気持ちが湧いてくるのです。
この当時の先生のご指導は、娑婆世界の中で苦しみながらも懸命に生きる同志への慈愛に溢れているように思えるのです。
私は、現実社会のなかで、時には「敗れる」ことが多くても、「最後の勝ち」を目指す生き方をしていきたいと願っています。
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