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生きた宗教

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時29分34秒
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  創価学会は生きた宗教である。


檀上からの幹部の指導がご仏智に適っているとは限らない。


それは、結局、教会での牧師の講話と同じで、有難く聞く話ではない。


宗教で飯を食っている宗教を職業にしている人間が、高い檀上から会員に指導する事だけが、宗教なら、もう、その宗教は形骸化した腐敗した形式主義だ。


創価大学を優秀な成績で卒業した苦労しらずの本部職員が、副会長になって、会員の指導など出来るわけがない。


草創の学会の歓喜と功徳は、座談会や個人指導が、体験と御書とが融合した生きた指導で、相手の仏性を触発し、苦悩する民衆を蘇生させるという、生きた実践の宗教だったからである。

体験がなければ、ただの口先だけの偽善である。


体験がなければ、御書の一節を拝しても、それは、単なる読み合わせである。


体験があるから、苦悩する民衆に同苦出来る。体験があるから、言葉に確信がある。体験があるから、情熱が伝わる。体験があるから、言葉が相手の心に刺さるのである。



自分が体験がないのに、相手を納得させる事など出来ない。


そもそも、指導とは、相手を納得させる仏道修行なのだ。


言葉の遊びではない。


苦悩する会員の心に寄り添い、確信と慈悲の言葉で、友の魂を蘇生させられないなら、創価学会の幹部の資格はないし、また、幹部にしてもいけない。



指導とは、相手を救う聖業である。


間違った指導をすれば、会員は苦悩する。最悪、脱会する。正法を捨てるのだ。



そんな指導をする者は、幹部失格である。


指導する者は、指導を受ける者よりも、一歩も二歩も先を行く修行者でなければならない。


創価学会の未来の成否は、幹部で決まる。



学ばない幹部。苦労を知らない幹部。慈悲のない幹部、真剣でない幹部。そういう幹部のいる地域は、衰退する。


会員が苦悩する。会員が苦しむ。会員が悩み悲しむ。


全部、幹部の責任である。


そうなった場合は、それは、もう、創価学会ではない。カルトだ。


相手よりも、勉強し、相手よりも教学を知り、相手よりも体験も苦労もしている智勇兼備の闘将だけが、創価学会の幹部になれる。


数の打ちだしだけの形骸化した単なる活動家は、活動家ではなく、活動屋であって、成長も功徳もない、組織にいてもらっても困る病んだ歯車である。


新聞の購読数を競う。それなら、新聞屋になれ。


選挙支援の内だしに狂奔する。それなら、信心などいらないではないか。


座談会の結集の数の目標だけが一人歩きする。

そんなの人間主義ではない。

人に会い、激励するのが、地涌の菩薩である。


池田先生は、全国津々浦々の友と一期一会で、魂の激励をして来た。これが菩薩だ。仏の使いだ。大聖人の名代だ。


人間革命を読む前に、幹部が人間革命しろ。

出来ないなら、とっとと、宗門に行け。宗門に役職はいっぱいある。そういう幹部はいらない。いてもらっても困るのだ。

幹部が錆びる。幹部が劣化する。幹部が勉強を怠る。


そうなれば、組織は動かなくなる。動いても、歓喜も功徳もない。勿論、成仏も出来ない。日本も滅ぶだろう。


幹部は活動屋ではない。

また、そんな活動なら参加しないでいい。

家族と食事でもしていた方がいい。

価値を創造するのが、創価学会の目的であって、無価値を生む活動ならやめていい。

そんな活動を強いるなら、本部は潰れるだろう。

無理する必要はない。

日本も滅ぶのだ。


悩める民衆を覚醒させ、信心で歓喜と功徳を与えるのが、創価学会の設立された目的である。

地涌の菩薩の集団なのだ。

民衆を救う聖業である。

公明党を支援させるなら、幹部は議員よりも勉強していなければならない。出来ないなら支援などやめろ。


御書は、勉強会ではない。ましてや、読み合わせではない。


指導の場である。

御書学習会は、指導の道場である。


教学は生きた信心の宝剣である。


御書を学ぶのは、創価学会ではない。

それでは、声聞縁覚ではないか。二乗の戯言である。


御書で、人を救うのが、創価学会である。

出来ないなら、創価学会など解散しろ。


御書を研鑽するのは、人を救うためである。

菩薩のための剣が、御書だ。

勘違いしてはいけない。

激励と指導で、相手を納得させ、歓喜と功徳で魂を蘇生させる菩薩の集団が創価学会である。




菩薩の行を忘れて、象牙の塔にこもるのは、才能ある畜生である。

創価学会などやめて、学者になればいいのである。


創価学会は、民衆を救う団体である。

生きた宗教である。

慈悲と確信によって、魂の救済をする菩薩の集団である。


株式会社ではない。

宗教法人でもない。


宗教界の王者なのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 
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