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みかん箱の信心

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 3月20日(金)23時42分54秒
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  その昔、草々の創価学会の友は、仏壇を買うお金もなく、極貧の人々は、みかん箱にご本尊を安置して祈っていた。



生きるか死ぬかという瀬戸際の中で、極貧の中を、懸命に題目を上げていたのである。



食べるものも、着るものも、勿論、娯楽もない。明日、死ぬかも知れないという窮乏である。


右を見ても、左を見ても、満天下の星空を見ても、希望も恵みもない、極寒の中、凍えてしまうような襤褸屋で、泣きながら、ご本尊に祈りを捧げる婦人。


仕事もなければ、金もない。借金取りに追われる父、病気で伏せる母、子供たちに食べさせるあったかいご飯もない。

仏壇なんかあるわけがない。


藁をも縋るような信心。


渇望するような信心。


必死の題目。


もうどうにもならないような最悪の状況の中で、草々の先達は、必死で信心を渇望した。


乾いた砂から水を出だし、湿れる土から炎を出だすような、強情な信心。


必死である。自分も、わが子も、両親も、このままでは助からない。このままの状況が続けば、一家は飢え死にしてしまう。


知恵もない。策もない。名案もない。頼れる知り合いもいない。


本当に、0から、いや、マイナスからの人生の宿命転換。


彼女ら、彼らは、この絶対的な絶望の渦中から、薄皮を一枚、一枚、剥ぐように、宿命を転換して行くのである。


不可能を可能とする信仰が、日本全土の津々浦々の路地裏で、土管の中で、襤褸屋の四畳半の中で、奇跡のように起こっていたのである。



人間の生きる力は無限である。その無限の息吹を引き出すのが、この信心だ。



砂に水が染み込むように、生命に渇望した民衆に、仏法の功力がマイナスに働くわけがない。


草々の学会の功徳と歓喜が、信じられない体験を多くもっているのは、その生活環境にあったのである。


祈りが強い。純真に直向きに、必死で祈ったから、結果が出たのである。



翻って、21世紀の現代。


立派な家を持ち、何不自由ない暮らしを謳歌出来るようになった同志は多い。


草々の聖教新聞の広告は、線香か蝋燭の広告しか取れなかった。



一流企業などに、相手にされるわけがないのである。


貧乏人と病人の集まりの、怪しげな新興宗教に、広告のクライアントなどつくわけがないのである。


馬鹿にされ、けなされ、時には冷笑される中、草創期、聖教新聞、広告部は戦ったのである。



いまや、大手の大企業、一流メーカーや建設会社など、そうそうたるクライアントの広告が掲載される聖教新聞。


大手の大新聞と遜色ない出で立ちである。


聖教新聞広告部だけではなく、創価学会の財力、金力、経済力は、いまや、社会的影響力も持つようになった。


聖教新聞がスポンサーにつくラジオやテレビ番組さえ、あるほどである。


第一次宗門問題の時に、池田先生が勇退され、北条会長が就任した折は、各界の名士の来賓も少なくたったと言う。


往年にもまして、暗い時代だったというのだ。


こんな惨めな学会ではだめだと、当時の幹部や会員は、社会的信用や経済力をつけるために、獅子奮迅したと言う。


そして、経済力も社会的影響力も人脈も創価学会は築き上げた。


相対的幸福の成就を見たのである。



「相対的」な「総体革命」である。


個人の相対的幸福も、組織の相対的幸福も、それ自体は否定しない。


いや、それも十分、必要だ。人間には。


だが、戸田城聖先生が提唱した、日蓮仏法の王道は、絶対的幸福境涯である。


金剛不壊の生命観である。



早く言えば、信心である。



巨大な会館の建立、人材の陸続とした輩出、立派な大学、学実機関や美術館の設立・・・・化義の広宣流布であり、一次的には、総体革命でもある。

否定はしないし、大事な事だ。


だが、その結果に安住して、草々の精神、学会精神を失ったら、絶対的幸福境涯には至らない。



いや、むしろ、その精神、信心を失ったら、全てはただの風景に過ぎない。



では、絶対的幸福とは何か。


そんなものがあるのか。



それは、豪華な仏壇に安置されたご本尊が知っている。


みかん箱の信心である。


苦しかった頃、悔しかった頃、寝ずに上げた題目、貧しさの中で味わった一杯の掛け蕎麦。


その時の自分に、強固な信心がある。学会精神がある。


本当の幸福があるのである。


学会本部の職員も、私以上の年齢の人間は、貧しかった人も多いのだ。


あの日、あの時の、自分の闘魂に、信心がある。金剛不壊の題目があるのである。



何が信心か。何が幸福か。


それはエベレストを踏破した時に終わるのではない。


必死な思いで、エベレストを登っている、その過程に宿るのである。



ましてや、師弟に生きる私どもは、相対的幸福の山を登っているのではない。


絶対的幸福という、前人未到の尾根に挑む炎の勇者ではないか。


師弟誓願の広布の丈夫ではないか。


相対的幸福は否定しない。

しかし、それに満足していたら、もはや、その幸福は幻である。


いかに、生きるのか。

門下一同、ゆめゆめ、忘れてはいけない。

永遠に戦いなのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 
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