【現代語訳】

 何とも言いようがなくて、とても真剣に恨み言を申し上げなさってお帰りになるのも、たいそう子供じみた気がなさるので、
「ひどくこう、世のもの笑いになってしまいそうな様子で、人にお漏らしなさるなよ。きっときっと。『いさら川(私の名を漏らさないで下さい)』などと言うのも馴れ馴れしいですね」と、しきりにひそひそ話しかけていらっしゃるが、何のお話であろうか。

女房たちも、
「何とも、もったいない。どうしてむやみにつれないお仕打ちをなさるのでしょう」
「軽々しく無体なこととはお見えにならない態度なのに。お気の毒な」と言う。
 なるほど、源氏の君のお人柄の、素晴らしいことも、慕わしいことも、お分かりにならないのではないが、

「ものの情理をわきまえた人のように見ていただいたとしても、世間一般の人が心をお寄せ申し上げるのと同じように思われるだろう。また一方では、至らぬ心のほどもきっとお見通しになるに違いなく、気のひけるほど立派なお方であるし」とお思いになると、

「親しそうな気持ちをお見せしても、何にもならない。さし障りのないお返事などは、絶えたりはしないで、御無沙汰にならないくらいに差し上げて、人を介してのお返事を失礼のないようにしていこう。長年、仏事に無縁であった罪が消えるように仏道の勤行をしよう」とは決意はなさるが、

「急にこのような間柄を断ち切ったように出家するのも、かえってきざで思わせぶりに見えもし聞こえもして、人が噂しはしまいか」と、世間の人の口さがないのをご存知であり、一方では、伺候する女房たちにも気をお許しにならず、たいそうご用心なさりながら、だんだんと勤行一途になって行かれる。
 ご兄弟の君達は多数いらっしゃるが、同腹ではないので、まったく疎遠で、宮邸の中がたいそうさびれて行くにつれて、あのような立派な方が、熱心にご求愛なさるので、一同そろってお味方申すのも、誰の思いも同じと見える。

 

《源氏はすごすごと帰っていきます。青年期の彼にはなかったことで、自分の立場、というより年齢を改めて思い知らされたという格好です。

 さて、「ものの情理をわきまえた人のように…」以下の朝顔の君の思いは、これまでにてんてんと語られたことのまとめのような話です。

 源氏からそれなりの女として認められてお付き合いができたとしても、源氏にとっては多くの女性の中の一人にすぎないだろう、そして深いお付き合いが長くなれば、自然と自分の至らない点も現れて、きっとあの六条御息所のように見はなされてしまうに違いない(六条御息所と源氏の別れは、生き霊のことなど知るよしもない周囲から見れば、そういうふうに見えていたのでしょう)…。そういう思いに振り回されないで、ほどほどのお付き合いのまま、むしろ仏のお勤めにいそしんで心静かに過ごしたい。といって、それに余り急に熱心に打ち込んでは、また周囲がとやかくの詮索をするだろうから、目立たぬように、しかしたゆまぬように…。

 彼女もまた、それなりに年なのです。もはや、一度みずから垣根を作って、そのまま時を失した男女の仲を取り返そうと思うほど「世づかぬ」わけではありません。

 この朝顔の君について、先に挙げた森藤論文に「(源氏との結婚を拒否する)斎院心中については、先引篠原昭二氏の論に尽くされている」とありますが、残念ながら、私にはその篠原論文(「へいあんぶんがく」2、昭43・9所載)に触れる手立てがありません。

ともあれ、姫君の侍女達は、折角のお話を、切歯扼腕というところです。彼女たちにとっては、一身上の大変なチャンスであったのです。》

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