戌井市郎さん 文学座が劇団葬 (参列者インタビュー全文掲載)
劇団、文学座の代表で、去年12月に94歳で亡くなった、演出家の戌井市郎さんの「劇団葬」が、18日、東京都内で営まれ、劇団員やゆかりの深い俳優などが最後のお別れをしました。
参列した水谷八重子さん、加藤武さん、江守徹さんの弔辞とインタビューの全文を紹介します。
水谷八重子さん(新派女優) お別れの言葉
先生、文学座さんの皆さんの前でお話しできるキャスティングを私に与えていただきありがとうございました。ほんとうに光栄です。
先生はいつどんなときでも先生とお電話すればいつでもお目にかかれると永久そうなんだと、私はずうっと思っていました。
先生はいつでもいつまでもいらっしゃる方、そう私は勝手に決めていたのです。
喜多村緑郎先生のお墓をお守りする人がいなくなる、あの偉大な新派に女優を育てた喜多村先生のお墓が無縁仏になる。そんなことがあっちゃいけない、新派でお守りしなくちゃと思っていたときに「戌井先生がいらっしゃるじゃない」そう戌井先生がいらっしゃるのになんて出しゃばったことを思ったんだろう、先生に申し上げましたよね。そのときの戌井先生のお返事が「僕だってそう先はないんだよ、君たちで見てやってくれよ」そのとき初めてどきっとして、そうなんだ。戌井先生もいつかはわからないけれども、喜多村先生のところに行ってしまわれる方なんだ、そう思ってなんだか急に戌井先生がはかない、やはり命ある人間なんだと急にそんな風に思ったことがあります。
先生は文学座の先生だけれど新派の人間は先生は新派の演出家でもあると思っております。先生は文学座と新派との架け橋であります。
文学座の財産とでも言うべき作品もずいぶんやらせていただきました。私が大好きな杉村春子先生の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」を持って新派においでになったときに杉村先生は非常に緊張して、あんな大女優さんとは思えないほど緊張して幕が開くのを待っていました。そんな大先輩の姿をびっくりして眺めていて、母の方は(先代の水谷八重子)亀遊さんの役で布団の中に入りながらプロンプターがどのくらいに入るだろうかとそんなテストをしながら悠然としていて、こんなにも色んな先輩方のタイプがあるんだなと思いました。戌井さんはそんな母にはいつでもにこにこ、杉村先生にはいつもビシビシ。戌井先生はやっぱり文学座の先生なんだと思いました。
戌井先生が演出なさっていた「日本橋」がいま上演されています。きっと戌井先生見張っていらっしゃるんでしょう。
数少なくなった新派の公演の中で、「ふるあめりかー」のお園さんに挑戦させていただきます。先生困るんですよね。先生いらっしゃらなくなるなんて思ってませんでした。(けいこのとき)先生が寝てくれれば、お客さんの前で芝居できるんだ。先生は安心なさると台本をぱらぱらっとなさってふーっとお休み(寝て)になってしまう。そうすれば、いまそこでやっている芝居は大丈夫という印でした。
先生がしっかりと大きな目を開けて見張っている芝居はまだまだお客の前で演じることが危ない芝居。先生を寝かせるのを目標にけいこを積んできました。何を目標にしたらいいんですか。文学座さんからお借りする戌井から手渡された「ふるあめりかー」、きっと先生が見張っててくださっていると思ってがんばって参ります。
そのふた月あとに文学座の大きな財産「女の一生」を波乃久里子がいたします。同じ思いでいると思います。文学座と新派の架け橋だった戌井先生、いつまでも目を開けて見張っていてくださいね。そっちの世界じゃ、いっぱいメンバーが待っているでしょう。
うちの母が一番喜んでいると思います。じゃらじゃらじゃらじゃら、ロン。何十年、母と大みそかにマージャンをなさったことでしょう。どうぞマージャンばっかりしてないで、こちらの両方の舞台を見張っててくださいね
先生を安らかに寝かせてしまえるような舞台を目指して、けいこを積んで参ります。
先生、お別れじゃありません。よろしくお願いいたします。
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加藤武さんお別れの言葉
わたしは戌井さんからよくお手紙をいただきました。いや、メールではありません。肉筆のお手紙です。とても特徴のあるこまめな字でした。
それはアリの形に似ています。字は文面に凍り付いています。これがもし溶けてアリに戻るとたちまち一字一句が動き出して長い行列となります。そしてししとして目的に向かっていくのです。たとえ列が乱されても再びもとの形を整えて整然と進んでいくのです。休んでいる様子を見たことはありません。これが私の戌井さんの印象でした。
1937年21歳で文学座の創立に参加され、2010年94歳でお亡くなりになるまでこの姿勢を崩しませんでした。思えば創立以来、70数年は平穏無事ではありませんでした。存亡の危機に直面した事件もありました。そのとき代表責任者として、決断をなさいました。わたしは的確な決断だったと思っています。
最高責任者として強力な運営をすることを好みませんでした。意欲のある人には常に光を与えられました。いまいる演出家はみな恩恵にあずかっております。悲しみをこらえながら、わたしたちは早くアリの行列を整えお後について参ります。
その行列をけいこを見るときのように小首をかしげてほほえみながら、そのお姿で
見ていてください。いやもちろんお眠りになっても結構ですから。
戌井さん!さようなら
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江守徹さん、加藤武さん 囲みインタビュー
Q献花を終えた今の気持ちは
(加藤)
正直言って、正直間際まで94歳で活躍しておられましたので、まだ亡くなったという
実感がありません。いつもにこにこされて活動していましたから、実感がないです。
(江守)
加藤さんと同じですね。去年の5月に舞台の演出を受けまして、その後も幹事会でもあっていたので、ついひとつきちょっとですよ、僕も割と早く行く方ですよ、そしたら必ず戌井さんが先にいて、「やあ」という優しい声が耳に残っています。
でも50年前に最初に芝居の世界で指導していただいたのは戌井さんですからね。とても残念です。
Qそのころの印象は
(江守)
僕の場合は、50年前は優しかったですね。
でも後で聞くと怒鳴ったりとか、ある俳優を殴りつけたとかそういううわさは後で聞いたんですけれども、僕らのときはそういうことはなかったですからね。
その後も50年間ずっと。ますます晩年に至って優しくなったですね。
去年の5月に(舞台「麦の穂の揺れる穂先に」の)演出を受けたときは優しくて、でも鋭くて、若々しくなったのがびっくりしました、演出がね。
Qどんな演出の様子だった
(江守)
戌井さんはよく(けいこのときに)お休みになる(寝る)とからかっていたもんなんですよ、ほほえましく。でも、そのときは新作であったこともあって、僕らが立ちげいこをしている間、目をつぶることなく見ていました。細かく細かく指導してましたから、だからこんなに早く亡くなってしまうとは思えなかった。
Q印象に残っている言葉はありますか
(加藤)
うーん、もう淡々とされていた方だから、偉そうなことを言ったりとか全くなかったですね。いま江守君が言ったようにほんとうに優しい。ただ僕が入った当時は、ちょっとね、怒ったりすることもありましたよね。逆にそれは怖かったですよね。穏やかな方が切れるとぴりっとしましたよ。でもまあやっぱり、お優しいという印象が強いです。
(江守)
僕は50年前の最初に言われた研究所の生徒の時に「女の一生」に栄二という役で出たときに「メーキャップが濃い」と言われたのを覚えています。
それは具体的でね、印象に残っているんだけれどもそれ以来、僕のメーキャップは自然になりました。
(加藤)
ご存じの通り非常に歌舞伎とか古典芸能に詳しいんです。そういう意味では歌舞伎の演出もなさったり、そういう貢献もある方ですが、古典芸能についてのしょっちゅうその話ばっかりしてましたね。声色なんかを交えて。
いま寂しいといえばそういう話し相手がいなくなっちゃったのがほんとうに寂しいです。
Q最後に交わした言葉は
(加藤)
わたしは長い旅をしまして、戌井さんがご入院なさったと聞いて、帰ってきてすぐ駆けつけたけど残念ながら酸素吸入ですか?マスクをして静かに息をなさってる戌井さんでしたから最後に言葉を交わしたことはないです。残念です。
(江守)
僕もお亡くなりになる一週間くらい前かな、全員で行きました、そのときに戌井さんの右手か左手かにさわったんですよ。そしたら「ああー」ってうなづいてにっこりしたのを覚えています。
(加藤)
江守君の方が早く(お見舞いに)行きましたからね。僕は一週間あと。ぎりぎりです。私が行った2,3日後にお亡くなりになられた。
Q演出家として長年走ってきた戌井さんは今の演出家と比べてどう違うか
(江守)
比べてと言うことは言えないが、
ただ、亡くなった杉村春子さんが言ってらしたことばが「戌井さんは怖いわよ、あの人は何でもよく知っているし、わかっているんだから」とその一言は僕ほんとうに思います。加藤さんがおっしゃった歌舞伎のこともそうですが、非常に具体的に芝居を見てわかる。いいものはいいんだということを分かっている人だなとよくわかった。比べるとすれば、いいも悪いもわかんない演出家も多いから。
(加藤)
優しい演出家でした。けして怒鳴ったりということがない。自由にやらせてくれる。
文学座の俳優はみんなその薫陶を受けて、のびのびとやらさせていただく。そして優しい。でもやっぱり、ご自分の思う方向に持って行くところがすばらしい演出的才能、手腕だと思いました。
Q本日は最後のお別れだがどのような言葉をかけたい
(加藤)
われわれはしっかりやりますから見ていてください。そういうことです。
(江守)
僕はありがとうございますですね。ほんとうにありがとうございます。
Q文学座は今後は。戌井さんの遺志を継いで発展していきますか?
(加藤)
もちろん。そうしなきゃ申し訳ないですよ。
ここまで文学座がもったのは戌井さんがあってこそなんですから。
それをやっぱり引き継いでいかないと申し訳ないです。
(江守)
創立者がこれで全く一人もいなくなってしまいましたからそのために
文学座を創立したころのことをちゃんとじかに語れる人もいないから、
それを何とか伝えていきたいと思います。
(了)
投稿者:かぶん | 投稿時間:16:45
| カテゴリ:会見&インタビュー
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