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日興上人が「富士一跡門徒存知の事」で「日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し」(御書1606頁)と言われているのは、日興上人が大聖人真筆の御本尊に「本門寺重宝」と加筆されていることからもわかるように、大聖人真筆御本尊を公の重宝として大切にすべきことを教えられた趣旨であって、真筆御本尊と書写の御本尊に力用の相違があることを言われたものではありません。
戸田先生の指導も、真筆御本尊同士、あるいは真筆御本尊と書写の御本尊に力用の違いがあることを言われたものではありません。誤解されませんように。
創価学会が会員が礼拝すべき本尊を定めるのは、教団として当然のことです。今日においては、大聖人真筆御本尊も書写の御本尊もその写真が一般に公刊されており、インターネットでも入手することできます。教団としての認定がなければ、各人が好きなようにそれらを入手して礼拝してよいことになり、それでは「本尊雑乱」の事態となります。本尊が雑乱すれば、各人の信心も好き勝手なものになりかねません。教団としては会員に対して「そのようなことはしてはいけません」と言えなければなりません。
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