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秋谷議長は戸田門下生として真面目に信心をしてきたと思う。
しかしある日、同じ戸田門下生の池田会長を、自分の師匠として呼ばなければならない日が来る。
「同期の学会員が自分の師匠?自分の師匠は戸田先生ただお一人だ。」
あくまで想像ですが、戸田先生への思いが強いほど、そのように思うのではないでしょうか。
戸田先生を人生の師匠として戦ってきた秋谷議長にとって、池田先生を人生の師匠と呼ぶには大変な心の壁があったと思います。
54年問題の時に、当時の最高幹部は試された。
そして全員が自分に負け、学会の組織を優先にし、池田先生を辞任に追い込んだ。
先生は当時の最高幹部を「哀れな敗北者」と嵐の4・24に書かれました。
【嵐の4・24より】
戸田会長は、遺言された。
「第3代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる」と。
この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。
ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!
「恩師の精神」無き当時の最高幹部は、戸田先生の真実の弟子ではないと断じます。
哀れな敗北者の生き残りが、秋谷議長と原田会長。
秋谷議長は、口では池田先生と言いながら、心の中では先生と呼べない自分がいたのではないですか?
「お前は何年もの間、私に対し先生と呼ばなかったな!」
この言葉を先生から言われた時、秋谷議長はどのように思ったのだろうか。
会則改定での秋谷議長のふるまいが、答えなのかもしれない。
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