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片寄斗史子の聞き書き
100歳まで 美しく、強く生きる – 第7回 吉永小百合さん

「命をリレーする」ということを強く感じる年齢になってきました

「命をリレーする」ということを強く感じる年齢になってきました

吉永小百合さん

みんなで作った映画を通して、
「ひとりじゃない」という思いを
伝えていきたいのです


吉永小百合さん(よしなが さゆり)

東京都生まれ。’59年に映画デビューし、’62年の映画「キューポラのある街」で注目を集める。同年、歌手としても「寒い朝」「いつでも夢を」が大ヒットする。以後、「愛と死をみつめて」(’64年)「細雪」(’83年)「おはん」
(’84年)「華の乱」(’88年)「北の零年」(2005年)「母べえ」(’08年)「おとうと」(’10年)ほか多くの映画に出演。「夢千代日記」(テレビは’81〜’84年、映画は’85年)への出演を機に、原爆詩の朗読がライフワークになる。

撮影/三浦憲治 構成・文/川島敦子 スタイリング/宋 明美
ヘア/森下千帆 アクセサリー協力/ヴァンドーム青山


「ふしぎな岬の物語」は、吉永小百合さんの118本目の出演作で、初めてプロデューサーとして名を連ねた映画です。吉永さんが作りたかった映画がどういうものか、気がつけば自然に受けとめている、気持ちのいい作品でした。年々映画女優として際立つ、吉永さんの存在感がどこから来るのか。だいぶ前のことになりますが、山田洋次監督が「映画のつくり方を知りつくした、しんの髄まで映画俳優のこの人のため」と、映画「母べえ」の原作(野上照代著中公文庫)のまえがきに書いていらっしゃいました。「この人」こそ、吉永さん。インタビューを終えて、あの文章を思い出し、胸に落ちる爽やかなものがありました。美しい人のその訳は、ひとすじに映画の道を歩いてきた、確かに“しん”にあったのです。

明るい気持ちになって、
映画館を出られるように

片寄 映画を拝見して、とても現代的なテーマだと思いました。他人とのかかわりを嫌う人が増えている今の時代に、むしろ人の中へ入っていく。これが、吉永さんが作りたかった映画なのだと、よくわかる気がいたしました。どんなふうにしてこの作品の企画が生まれたのか、お聞きしていきましょうか。

吉永 はい。前作の「北のカナリアたち」を
撮っているとき、撮影所で成島出監督にお目にかかる機会があり、「次は一緒に映画を作りましょう」ということになりました。それで、何をやろうかとお話しし、原作になりそうな本を何冊も読んだ中で、私が『虹の岬の喫茶店』という小説にたどり着いたんですね。

片寄 そういうときって、どれくらいの本を読むんですか?

吉永 私は、20冊くらい。監督もたくさん読まれたようですけど、なかなか未来に希望が感じられる本がなくて。やっぱり最後は明るい気持ちになって、映画館を出られるような作品を作りたかった。この本を読んだとき、とても心が温まる物語だと思ったので、監督に「ぜひ、これをやりましょう」と言ったら、監督も同じように思ってくださいました。

片寄 映画館を出るときに「ああ、よかった」と思える作品を作りたい。それは、ずっと思っていらっしゃったことですか?

吉永 やっぱり東日本大震災の後からですね。まだまだ大変な思いをして生きている方が、たくさんいらっしゃいます。私たちは、そのことを絶対忘れてはいけない。それにどんどんハイテク化される世の中で、孤独を感じている人がとても多いと思うんですね。だから、映画の中で多くの方に「ひとりじゃない」という思いを伝えていきたい、と……。
 この映画が出来上がった後に強く感じたのは、「命をリレーする」ということの意味です。私が演じている悦子という女性は、死んでしまった夫にずっと見守られています。ほかの人々も、亡くなったお父さん、お母さん、奥さんなどからいろいろなメッセージを受け取り、頑張って生きていこうとします。そんなふうに亡くなられた方が、生きている人を励ますことが、実際によくあると知って、そういう物語にしたいと思ったんですね。

片寄 命のリレーということは、やっぱり年齢を経ての思いでしょうか。

吉永 そうでしょうね、昔は思わなかったことです。私は今、映画人として大好きな映画の仕事を続けていますけれども、いつまでやれるかはわからないですよね。ずっと元気で、
できる役があれば続けたい。でも、今回ご一緒した竹内結子さんという素晴らしい女優さんに、私からリレーできることがあればとてもうれしい、映画の世界でたくさん仕事をしていってほしいという気持ちも強いんです。それは、「北のカナリアたち」で共演した女優さんたち(編集部注・満島ひかりさん、宮㟢あおいさん、小池栄子さん)にも感じたことです。やはり、そういうことを強く感じる年齢になってきましたね。

片寄 女の人って、縦につながっている気がします。吉永さんも、前の世代からリレーをつないできたんですよね、きっと。

吉永 はい。日活という映画会社では、北原三枝さんや芦川いづみさんにメーキャップの仕方から教えていただき、とても温かく見守ってもらいました。その後、いろんな世界に出ていきましたが、杉村春子さんや奈良岡朋子さんたち、多くの先輩方にいろいろ教えていただいて今日があると思います。

片寄 ある年齢になると、自分が与えてもらったことをその人に返せるわけではないけれども、次につなげていくのだと実感しますね。

(毎日が発見10月号より抜粋です。購入希望の方はこちらをご覧ください。)

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    がんになってもならなくても誰もがみんな死ぬまでは生きられる。好きなように自由に生きるのが一番です。立花隆さんは知の巨人と言われる作家でありジャーナリストです。