熊野詣 〜房総半島は紀伊半島のミラーなのかしら…と大妄想〜

勝浦といえば勝浦城とか南総里見氏とか源頼朝下総千葉氏…てのが史跡の定番でございましてそんな場所でも観て巡ろうかと思っておりましたら

勝浦の一番目立つ海岸に鳥居がポンとありまして、貴船神社熊野神社と書かれており、ところが社殿が見当たらない…という不思議からいろいろ調べて見たらそっちに興味が行ってしまい、予定変更!

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鳥居の先にあるのは神社ではなく巨大なホテル

かの有名な

♪旅行けばたのしい〜ホテル三日月〜

でございます*1

その場でケータイで調べて見ますと、社殿はその先かなり奥に小さく坐すらしい。駅前の観光案内所に聞いてみても「熊野神社…??、そういえば山側に小さい神社があったような…?」とご存知無い様子。街の観光mapにさえ載っておらず。

鳥居は有名ながらそのご本体が地元でも殆ど知られてないという実に奇怪な状況に益々萌えw!

実際に来訪された方のブログを参考に歩いてみますと

ホテル三日月の裏の市街地の裏の国道の裏の外房線の裏の保線基地の裏の小さな集落の裏の山のふもとにございました。

この集落自体が、集落の人以外は通らぬ袋小路の道になっていて、それは案内所の人が知らないのも納得といった感じの佇い。

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例えば熊野神社は都内などにも多数あって、千葉勝浦にもあったとて何ら不思議ではないのですが

実は千葉安房地域の熊野神社というのは「たまたまここにもある熊野さん」ではなくて「安房だから建てられている熊野さん」なのです。現に関東では熊野神社の数が最も多いのが千葉県(268社もある)らしい。

ここ勝浦熊野貴船神社にて坐すは

熊野加武呂命…熊野神社の主祭神

五十猛命植林の神

貴船ノ神…京都貴船神社の主祭神、農業・雨の神


由緒書きがあまりに長く難しいのでとても覚えられなかったのですが(苦笑)

要約しますと

かなり古くの時代に、紀伊半島から舟でこの外房地区にかなりの人々が移り住んできており、当時は未開の地に等しかった房総に移民により南紀で行われている漁業の仕方などが伝承される。そして紀州では当然のように信仰深い熊野神社伝承として房総各地で奉られるようになったとの事。

もちろん、元々この地にも豪族や平民もいた訳ですが、何しろ移民によりあらゆる知恵が伝承され土地が潤ったので

その那智や熊ノ古道や大和信仰・文化というものもそれはある種の憧れの如く大切に受け継がれたようで。貴船神社が合祠されているのもその流れのようです。

紀伊半島は元々古来から海洋移民が多いと言われており、その一部が列島の東端である房総に移って来たようです。

房総は陸から行けば交通要所からも外れ、朝廷のあった近畿or九州からも遥か遠く、まさに未開状態であった為にこの移民が大活躍したという事でしょう。

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そんな訳で、「勝浦」という地名

オモテ向きは「勝つ」…漁業の盛んという意味合いを詠っておりますが

そもそもは紀伊半島移民により那智勝浦の地名から頂いたという説もかなり有力なのだそう。

「白浜」の件も考慮すればほぼガチなのでは…という気がしなくもない。

白浜は南紀白浜から

勝浦市内の「新官」という地名も南紀の新宮からとって変化したとも。

そして鴨川市というのも京都・貴船の鴨川(加茂川)から。隣の太海も太地から…

と昔からの言い伝えとしてあるらしいので、単なる妄想レベルではないんです。


もう一つ面白いのは

互いの地名の位置関係も似ていると言う点

那智の各地というのはまさに紀伊半島の「外房」にあたる。

那智勝浦から熊野古道へ北上すると那智の滝が有名ですが、

千葉勝浦から北上した隣町は「大多喜(大滝)町」

那智勝浦から海沿いへ北東に辿れば「伊勢(いせ)、またの名を五十鈴(いすず)」

千葉勝浦から同じく北東へ辿れば、「いすみ」…上総一ノ宮が鎮座し、国家「君が代」で知られる「さざれ石」で有名

まぁ、この辺は偶然というかこじつけて楽しむレベルなのですがw

更に調子に乗ってしまえば

千葉市大阪で、木更津・富津あたりが和歌山市成田奈良京都で、八日市場四日市(ォィ!



前記事で安房阿波について触れましたが、実はこれもまた歴史的に繋りを持っていたんですと…

千葉県、奥が深すぎます。


続く。



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*1関東ローカルなCMです

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