皆さんこんばんは。
寒くなって参りましたね。
体調管理には十分お気を付け下さい。


さて
大般若ご祈祷時のご本尊様は十六善神様だということは先に書きました。







                                甘露庵の十六善神様

























甘露庵の十六善神様の軸物ですがとても古い年代モノです。
五、六百年位前のものだろうと洗いをして下さった表具屋さんも言っていました。
これで見当付けて下さい。





カタログで見つけた時はオソロシク真っ黒でしたが直感が働いて返品もありとの電話で条件を付けて
試しに送って貰った所頗る気に入りまして即購入をキメました。
カタログ会社から届いたのが2001年 8月30日。10万円でした。

2001年9月1日、日頃からお世話になり懇意にしていた表具屋さんに洗いを依頼し
本来の威厳を取り戻して帰って来たのが2001年11月22日。
洗いの費用は10万でした。
合計20万の買い物になった訳ですが現代作の新しい十六善神様とは比ぶべくもない程迫力も威厳もありましたので
安い「身受け」でした。



理趣分1000巻読誦満願が2001年11月16日。
1000巻満願読誦まではお寺所蔵の十六善神様を掛けて理趣分のご祈祷を余儀なくされました。
それというのも願掛けの真読を初めて間もなくお寺所蔵の十六善神様とは別に個人的に欲しくて
あちこち探しまわっていましたが気に入った十六善神様とはご縁が叶わなかったのです。
(1000巻満願読誦が11月16日ですので満願するまでは身分不相応とのことだったのでしょう)



その後他所のお寺に行く機会があるごとに十六善神様を拝ませて頂きましたが甘露庵の十六善神様以上の
ご威光のある十六善神様にはついぞお目にかかっておりません。(・・・ムロン・・・ホレた弱みですョ・・・むふふ・・)



箱書きは曹洞宗小浜発心寺の原田雪渓老師にお願い致しました。








(表)先日屋根裏の荷物を引き出してみたらこんなモノが出て来ました。




(裏内)十六善神とボロンの種字



ボロンとは?




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ボロンは、「一字金輪仏頂尊」とも言っております。
大変に強い「字」であります。
如何に強いかといますと、五百由旬断壊の徳と言われております。

どういう意味かと申しますとボロンを加持した祈祷はどえらい力を持っていて、世間・出世間を問わず
悉地が必ず成就するという意味を持っている。

ですから、修法の時又は念誦の時に、この陀羅尼を修すれば他から段壊されず自分の法が成就する
というのであります。

それで今、護身法悉地成就の為にボロン加持を唱えるのであります。

ですから自分の手の中にボロンがあると観じて3回(一唱一回転)念ずるのであります。


(大般若理趣分作法より引用)


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(転載開始)

http://www.chohoji.or.jp/archives/199811.htm

上のサイトからお借りしました。





真言を念誦するとき必ず最後に一字金輪の真言、ボロンを唱えるのはなぜだろう。
  半径500由旬の範囲に一字金輪法を修する行者がいると、金輪の威徳によって真言念誦の功徳が奪われるので、修行の時は最後に必ず100返唱えなければならないとされている。

また同時に、一字金輪の真言は、一切の真言を成就させる威徳を持つとされる。
1由旬はインドの距離の単位で、大王の大軍の一日の行軍距離である。1時間4キロ進むとして、一日8時間行軍すると32キロとなり、500由旬で大体16000キロとなる。

半径16000キロとは感じとして、太陽に照らされた、明るい部分の地球の広さ位のことであろうか。
日本からだと当然、インドや中国は含まれる。天台宗では、慈覚大師によって金輪仏頂関係の経典儀軌が多数将来された。智証大師も一字金輪法をさかんに修している。

天台宗では金輪は特別の意味を持つ。
密教で金輪とは太陽の別名である。天空で衆星がいかに輝こうとも、太陽が出てくればその輝きは失われる。
現代の科学でも知られている事だが、星がなくなった訳ではなく、太陽が明るすぎて見えなくなるのである。

月は太陽の光を受けて初めて輝く事ができる。太陽が出れば見えなくなる。天空の王が金輪である。故に古来、金輪を天皇の別名とする。
密教では、ほとんどの仏菩薩は月輪の中に出現するが、金輪仏頂は日輪の中に出現する。

金輪の威徳の光は月輪を輝かす。あらゆる仏菩薩の中で、力の根元となり威徳最大一が金輪仏頂である。
金輪の修行が、他の行者の修行の功徳を奪うのは、太陽の輝きが月と星の光を覆い隠すのと同じことである。
半径500由旬の威徳は、不思議と地球を照らす太陽の輝きと合致している。
仏頂とは文字どおり言えば、仏の頭のボコッと出た肉髻のことである。
金輪仏頂は、仏の頭のてっぺんの太陽、ということで、最高特尊の威徳を表すことになる。
この真言を表記すればボロンとなるが梵字では一字で書くので一字金輪仏頂となる。

仏教の教主は釈尊である。釈尊の説教が文字になったものを、仏教経典として、今我々は拠り所としている。
大日如来も阿弥陀如来も、会った人などいないわけだし、信じるのに何かの証拠は必要ない。しかし、釈尊が架空の人物であったということになると、全ての仏教は瓦解する。
今風に言うと、釈尊が存在した決定的な物的証拠が必要になる。いったいなんだろう。
それは、仏舎利である。仏舎利は、釈尊が人間として生まれた事の最終的な証拠の品である。
世界最高峰の山々が連なるヒマラヤ山脈の麓に釈尊の聖跡は展開する。大地の中心である。

このインドの釈尊の聖跡のストゥーパには、今も仏舎利が納められ、世界中の仏教徒が巡拝している。
また、ニューデリーのインド博物館に行けば、間近に仏舎利を拝することができる。
暑苦しいインドの首都の博物館でも、不思議と舎利の周囲はスーと心地よく清涼な感じがする。

この仏舎利を真言で表すと、ボロンとなる。



仏滅後、仏教の最終的根拠は仏舎利となった。アショカ王は、この仏舎利を分布してストゥーパを各地に起てたが、
その第一塔はどこにあるかご存じだろうか。鷲峯山の、釈尊の香室の上の山頂である。
法華経で釈尊は、常に鷲峯山にいると明言し、滅度の後も衆僧と共に鷲峯山に出現すると説いているが、
その香室の背後の山頂を利用して、山全体がストゥーパの様な感じでアショカ第一塔があるのである。


この、舎利の威徳が密教の感性で捉えられると、一字金輪仏頂となる。

仏滅後の仏教の根元は仏舎利である。それが、ボロンで表記され、
釈尊からの力を受け継ぎ、熾盛の日輪のごとく遍く照らす加持力の根元となる。

真言念誦の時必ず最後にボロンを唱えるのは、功徳が奪われるからだけでなく、釈尊の加持力に照射される為である。

http://www.chohoji.or.jp/archives/199811.htm

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正式には諸尊法の仏部、一字金輪王咒真言

【慣用音】

ナウマク・サンマンダ・ボダナン・オン・ボロン。

【梵文】



【和訳】

あまねき諸仏に帰命したてまつる。オーン・ブルーン。(om bhrum)

【註解】

世界を支配し教化する転輪王仏頂の真言は、
ブルーン(bhrum)の一字で、四字合成。

bhを、bodhiの頭字ととり発菩提心。
rは、rajas(ラジャス 罪垢、欲情)とrati(ラチ 悦楽)の頭字を解して、
摧滅諸罪障・獲諸悦楽。
u点、m(空点)は、
自性本皆空、一切如虚空と解する。

★『菩提心を発し、罪障を滅し、心楽しく、一切諸法皆空で、虚空の如く清浄』、という義になる。
満月の如き相貌を示す。

坂内龍雄 著「真言陀羅尼」より抜粋


以上の意味をこめて唱えれば、功徳力をより強く受け止められるか、と思います。
なによりも大事なのはその意味で、その意味こそが、過去の聖者が苦心惨憺して
一般民衆に伝えたかった内容、即ち仏の救いと悟りです。
★印の『』を先に唱えて真言を唱えるとよい、と思います。

なお、一般に公開されている真言を唱える分には、なにも越法罪にはなりません。
もちろん、自分や人を害するお願いはダメですが。

.
(転載終わり)














和歌山のY口様

このご秘符後日送らせて貰います。
只今お加持の最中です。

もう暫くお待ち下さいね。

また先日お尋ねの件に関しましてはメールで返答致します。
こちらももう暫くお待ち下さいませ。



皆様いつもありがとうございます。

こんな弱小のブログに連日お参り下さるあなた様方は
愚生にとっては観音様です。

どうぞご自愛専一にお願い申し上げます。


合掌




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備忘録

2000年  12月14日  十一面観音さん来山
        12月15日  御影撮影
        12月18日  五鈷杵金剛鈴金剛盤香盤
        12月22日  御札届く
        12月25日  ハン届く
      
        12月29日 大般若600巻 来山

2001年   8月12日 聖天様お厨子新調 768巻
        8月30日 十六善神来山 799巻 800巻の空白の日
        9月1日  表具屋さん
        11月16日  1000巻読誦満願
        11月22日  十六善神帰宅

        
2002年 10月17日 ノラ死去

     

   

       
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2000年初夏聖天さんご供養開始。(余命2,3ヶ月宣告)
2001年の元旦理趣分1千巻読誦願掛けご祈祷開始。
2001年6月12日M子さん手術。
2001年11月16日理趣分1千巻読誦満願成就。(奇しくも同日M子さん退院)
2002年1月4日他界。(余命2,3ヶ月と宣告されてから約1年と5ヶ月)

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