ボカロが聞こえない超会議は、"日本の万博"になれるのか?
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ボカロが聞こえない超会議は、"日本の万博"になれるのか?

2015-05-04 11:55
    ニコニコ超会議2015が終了した。公式発表によると、来場数が15万人を突破したらしい。

    去年は壁を上ったり、熱湯風呂に入ったり、したりとユーザーが楽しそうに失敗する様子が面白かった。今回はその要素がぐーっとパワーアップしていた。

    アニメエリアの「心ぴょんぴょん」は抱き枕に飛びつく男を見るし、お化け屋敷の生放送は視聴者が驚かしかたをお化けに指示し、来場者の悲鳴を笑う。ゲームエリアでは実況者と一緒にお客さんに取り囲まれながら実況をする。コスプレエリアやまるなげひろばは面積が2倍以上に増えた。企業ブースにしても「自分の顔をメイクでネトゲキャラに」「ボクシングリングで闘う」など、参加感があるものが多数。より来場者が活躍できるようになっていた。

    抱き枕に飛びつく男たち。見事ゲットすると、お持ち帰りできる

    「全員主役。」が前回超会議のコンセプトだったが、今回にしてほぼ達成されたように思う。お客さんがステージにあがり、一瞬の注目を集める。「踊る阿呆を笑いながらうらやましく見る」イベントだ。

    4回目を迎え大成功したとも、ニコニコらしさがなくなったとも言われる超会議。
    このイベントは今後どこに向かっていくのだろう。


    ■ユーザー生成コンテンツは文字の世界から絵の世界へ

    超会議はUGC(ユーザー生成コンテンツ)のサイトであるニコニコ動画の再現だ。超会議の今後を考えるのに、UGC自体を見渡してみたい。

    インターネットのUGCコンテンツは、昔は文字コンテンツの世界だった。小説、メール、掲示板、テキストサイト、日記、ブログ、ニュースサイト。すべて文章で人を楽しませるものだ。携帯もそうで、ケータイ小説やメールなどが主なコンテンツだった。ゲームや着メロといった音が出るものもあるが、それはUGCコンテンツではなかった。

    スマホとSNSの普及により、その世界は変わってしまった。
    いまtwitterでRTされるものといえば、面白ジョークよりも「絵」がついたツイートだ。イラスト、衝撃写真、パロディ画像、TVのスクリーンショットなどなど。一瞬で理解できて、ちょっと誰かと話したくなるもの。画像はSNSの格好のネタになった。

    超会議2015では17歳と39歳の結婚式が話題を呼んだ

    いい画像は、RTやシェアで瞬く間に広がる。まとめサイトが取り上げ、ネットニュースサイトがとりあげ、Yahooやスマートニュースが拡散する。「絵」に言語の壁はない。中国でおきたスマホの爆発、アメリカでおきた面白いゲームパロディ、ヨーロッパのおしゃれなお菓子。テキストコンテンツと異なり、誰でも理解できるのだ。かくして、個人のつくった「絵」が世界の端まで届くシステムができあがった。UGCが「文字」から「絵」に変わっていったのだ。


    ■ユーザーに「いい絵」を提供する企業たち

    「絵」の世界で広がるUGCコンテンツってなんだろう? もちろん「いい絵」だ。しかし、絵は文字よりも圧倒的にコストがかかる。イラストも、写真も、人を驚かせるようなものをつくるのは才能だけでなく、物理的なお金や時間が必要だ。それでは一部の人しか参加できない。

    とりあえず起きたのは「料理」だ。facebookを思い出して欲しい。皆がイイネが欲しくてアップロードしているのは「料理写真」だ。誰もが参加できて絵になる料理が、SNSのおかげで一大ムーブメントになっている。ガリガリくんの変な味、うどんがつくれるヌードルメーカー、見た目がおしゃれなジャーサラダ。スマホでちょっと撮影して絵になって、みんなが参加できる気軽なコンテンツが料理なのである。

    次に起きたのが「コスプレ」だ。渋谷のハロウィンが一昨年(2013年)から突如として盛り上がった。これは、Twitterとスマホが完全普及した結果だとおもっている。
    六本木や川崎など海外住人の多い街では10年以上前からハロウィンが行われていた。いま、突然、ハロウィンが若者の街渋谷で盛り上がったのは「ハロウィンで仮装している俺たちをSMSに投稿してウェーイしたい」からではないか。そしてRTや、イイネや、スタンプをもらうのだ。コスプレは手軽に「絵」になるコンテンツというわけだ。
    こうしたブームをうけて、ドンキの仮装コーナーは圧倒的な品揃えを見せるようになった。

    そして、今起きているのが「リアルイベント」である。
    「絵」にならないとSNSで拡散されないのであれば、絵を多くの人の前にもってくるしかない。できれば参加してもらって絵をつくり、ツイートしてもらいたい。イベントはこうした企業のニーズに応えている。
    コミケにTOYOTAやau、NHKが出展して、アホなことをするのはこのためだ。超会議に出展するのも同様である。

    パトレイバーの映画PRで、イングラムは各所で「写真を撮られる」活動を行った

    「リアルイベントをすること」がUGCやSNSを上手く使う、最もネット的な行動になったのだ。ひきこもり向けツールが皮肉なものである。だがまあ、SNSが簡単になくならない以上、超会議で絵になるようなアホなことをしてみんなで楽しむという流れはそう簡単にはなくならないだろう。踊るアホとしては安心である。


    ■ボカロが聞こえない超会議

    しかし、良い話ばかりではない。
    古参ニコ厨からは「超会議からニコニコらしさが薄まった」という声が聞こえる。リアルSUMOUや、ロボット、まるなげ大増量など「らしさ」は減っていないはずなのに……なぜだろう?

    ニコニコらしさとは、じつは、ボカロである。

    天使ミクさん

    古参ユーザーの筆者にとって、ニコニコは「音楽サイト」だ。UGCは「文字」から「絵」に変わったと説明したが、ニコニコは珍しい「音を投稿する」のサイトなのである。ニコニコといえばアニソン歌ってみたであり、組曲ニコニコ動画であり、ゲームミュージックの演奏してみたであり、ボーカロイドだ。ゲーム実況でさえ「声」だ。みんな声や音楽を聴いている。

    筆者が超会議を巡って感じた1番の違和感は「ボカロ曲が聞こえない」ことだった。超会議3まではどこにいようと強制的に千本桜が耳に入ってきた。今回は11ホールに拡張され、ステージの音配置が適切になったため、必要な音しか聞こえなくなった。音楽が聞こえてきたとしても「Let it go」「Dragon night」「あったかいんだからぁ♪」とメジャーな曲も混じる。

    おもえば超会議1はボカロを筆頭に「ニコ厨にしかわからないコンテンツ」ばかりだった。あんなオフ会によく人がきたものだ。超会議2015では「みんながわかるコンテンツ」が明らかに増えていた。「俺たちの超会議」が「みんなの超会議」になってしまう寂しさとつまらなさは、おそらく今後避けられない。

    (ちなみに、筆者は超会議ではボカロエリアのボカニコライブに1番長く滞在した。ボカロが轟音で鳴り響き、みんなでサイリウムを振るあの空間が、最も心地よかったのだ)

    ■超会議は"かなまら祭り"を超えられるか


    今や超会議は、日本で数少ないナショナルイベントに成長しつつある。
    巨大展示場を使ったイベントで、海外一般メディアも注目を集めるものとえば「東京ゲームショウ」「東京モーターショー」「CEATEC JAPAN」「コミックマーケット」くらいだ。超会議はこうしたイベントと並び、海外からの取材が多く訪れていた。

    次に超会議が目指すものは、おそらく「日本一のイベントになること」だ。
    日本一のイベントというのは、集客力の話ではない。たとえばフリーマーケットやオクトーバーフェストが人を集めているが、日本一と思う人はいないだろう。日本一になるには「海外も含めて多くの人が日本一だと認めること」が必要なのだ。ゲームショウやコミケは世界中の人が日本一だと思っているように、超会議も認められる必要がある。

    これは非現実的な話ではない。その代表が「かなまら祭り」だ。男性器の御神輿を担ぐ神奈川県のお祭りは、日本以上に海外で知られている。現地に足を運べば海外の人達がたのしそうに男性器型の飴をなめて写真をとっている。多くのブログやガイドブックに掲載された、日本の代表的なお祭りになっているのだ。伝統ある祭りばかりではない。新宿にある奇妙なロボットショウイベント「ロボットレストラン」は開設2年にして世界中の観光客が訪れる一大スポットに成長した。筆者が沖縄に旅行したときたまたまであったカナダ人は日本を旅するとき「京都と秋葉原とロボットレストラン」にいったのだという。それくらい有名になっていることに驚いた。彼ら旅行者は男性器の飴の写真をfacebookに投稿し、ロボットレストランをYoutubeに投稿するのだろう。その国特有のコンテンツを発信し、ネットを通して世界に認められるというのは、そういうことだ。

    先に挙げたナショナルイベントに共通するものはなんだろう。ゲームショウはゲーム、モーターショーは車、CEATECは家電、コミケは漫画。日本が世界に輸出実績のある強力なカテゴリだということだ。こうしたカテゴリの新作が発表されるから、これらのイベントは海外からも注目をあつめるナショナルイベントになったのだ。
    では、超会議が日本一になれるとしたら何だろう。
    それは日本の「文化」を輸出することではないか。文化の輸出というと大仰だが、歌舞伎や落語など綺麗な文化ではなく、かなまら祭りのことだ。刀剣男士やV系、ゆるきゃらなどなど「日本でしか流行ってない」ものが大事なのだ。ミクちゃんと添い寝のように「また日本か」といいわせればいいのだ。「SUMOUが地球を壊した」なんてのもそうだろう。海外から苦笑してあきれられるようなコンテンツは、日本のネットユーザーの特技のはずだ。

    リアルSUMOU(後ろの画面が本物で、写真右側には修正がかかっている、らしい)

    東京オリンピックの開催が決まっている。マスメディアは日本の文化や観光についてこれまで以上に注目する。Cool Japanといってオタク層におもねるかもしれない。けど、私たちは日本固有の文化(ネット含む)がもっと豊かで、奇妙で、しょうもなくて、それ故に海外の人にすでに届きつつあることを知っている。「まあ日本は超会議がある国だしなぁ」と苦笑されるようになっていたら、"少し楽しくなる"日本だろうな、とおもうのであった。

    去年の超会議3の記事
    ニコニコ超会議はドワンゴが居なくなって完成する:伊予柑ブロマガ
    http://ch.nicovideo.jp/iyokan_nico/blomaga/ar521571

    超会議はようやく「出会う系」に進化しはじめた:伊予柑ブロマガ
    http://ch.nicovideo.jp/iyokan_nico/blomaga/ar522345
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