社説:憲法をどう論じる 国民が主導権を握ろう

毎日新聞 2015年05月03日 02時30分

 「憲法とは、未完のプロジェクトである」−−。今年初めに亡くなった奥平康弘元東京大教授は、米国のある憲法学者の考え方として、こんな言葉を紹介していた。

 時代にそぐわない部分があれば、手直しすることもあっていい。だが憲法には、時代を超えて、変えてはならないものがある。自由や平等などの基本的な人権である。これらは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(97条)として、私たちが享受しているものだ。

 未完のプロジェクトとは、そうした理念に新しい生命を与えて、社会に根づかせていく、絶え間ない歩みのことにほかならない。

 ◇憲法への尊重欠く政治

 いま政治に携わり、国を動かそうとしている人々に、憲法へのそうした理解と尊重が、果たしてどれだけ備わっているだろうか。

 安倍政権と自民党の憲法改正の議論を見ていると、そこには、憲法の本質をゆがめかねない危うさが、潜んでいるように思える。

 確かに、憲法をより良いものに作りかえることは、民主国家なら、当たり前のルールである。

 ただし、憲法を論ずる際、忘れてはならないことがある。

 国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛るもの、という憲法の根本原理だ。11条が基本的人権を「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」とうたい、99条で閣僚や国会議員、公務員らに「憲法を尊重し擁護する義務」を課しているのは、まさにそのためである。

 ところが、自民党の改憲草案は、政治家の擁護義務の前に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という項目を盛り込んだ。まず国民に憲法尊重義務を課す、という逆立ちした原理が、自民党の改憲論を支える思想なのだ。

 さかさまの憲法原理が目指す、改憲の目的とは何か。それは、国や政治家が、自分たちの手に憲法を「取り戻す」ことであろう。

 そこには、二つの側面がある。一つは、連合国軍総司令部(GHQ)が作った憲法を、日本人自身の手で書き換えること。いわゆる「押しつけ憲法」論である。憲法を、国家のアイデンティティーの確立に利用する、上からの憲法論だ。

 二つ目は、憲法を、国民の手から政治家の手に「奪い取る」という発想だ。安倍政権が2年前、96条を改正し、国会の改憲発議に必要な数を衆参両院の3分の2以上から過半数に下げて改憲しやすくしようとしたのは、その典型である。

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