社説
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揺らぐ最高法規/今こそ憲法に向き合いたい

 国の最高法規、憲法が揺らいでいる。改正のための国民投票法改正で大半の与野党が合意し早晩、改憲に向けた制度面の環境が整う見通しだ。
 揺らいでいるという意味は、それだけではない。実質的な「改憲」が進んでいる実態にこそある。改憲の動き自体、憲法を重くみる故の対応にもかかわらず、憲法を軽視する流れが強まっているような危うさを感じる。
 戦後70年。今こそ、普段あまり意識することのない憲法に向き合う時と受け止めたい。
 改正は2016年の参院選後にも予想される。もっとも、肝心の各党の立ち位置はまちまち。発議に必要な衆参両院での「3分の2以上」の議席の確保が前提であり、問うべき項目の調整も見通せず、改憲は容易ではあるまい。
 主権者として、その推移に無関心ではいられないが、現実は憲法と社会の関わりを問うてみるよう求めている。改正の是非を論議する前に、政治が憲法の理念を踏まえた政策を実行し、暮らしの支えとしているかということだ。
 例えば、「国民の知る権利」との関係が曖昧な特定秘密保護法の制定、「平和憲法」を逸脱したかのような解釈見直しによる集団的自衛権行使容認の閣議決定。憲法の規定に合致しているだろうか。
 政権与党によるメディアけん制の動きが目立ち、民主主義を守り育む報道や表現の自由が揺らいでもいる。
 例えば、沖縄県にある米軍普天間飛行場の移設問題。名護市辺野古への受け入れを、民意が4度も拒否しているにもかかわらず、政府は「唯一の解決策」と譲らない。
 主権回復が大きく遅れ、大戦のつけを一人負わされる形で、過剰な基地負担に苦しむ沖縄の意思を軽んじ続けるならば、戦後民主主義の空洞化と言わずして何と言おう。
 例えば、生存権に深く関わる生活保護など弱者への目配りを後退させる政治の現状。厳しい財政事情が背景にあるにしても「自己責任」の風を吹かせ過ぎてはいまいか。
 現憲法の三原則、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の理念を、ないがしろにする動きが強まっている印象を拭えない。
 権利ばかりで義務の視点が弱い、と現憲法を問題視する自民党の改憲草案は「国防軍の保持」をうたい、「公益」「公の秩序」といった国家優先的な文言を躍らせる。
 そもそも憲法は国民ではなく、暴走しがちな国家権力を縛るもの。世界で受け入れられている立憲主義の根幹だ。
 国民が憲法に不都合を感じ、改正を強く望んでいるのであれば、応えるのは当然だ。ただ、世論誘導的な振る舞いは本末転倒というほかない。現実との乖離(かいり)があるのなら、詰める手だてを尽くすのが先決で、掲げた「理想」を放棄する前に、まずは憲法を生かすことに心を砕くべきだ。
 押しつけ憲法との指摘もあるが、受け入れたのは国民であり、戦後の平和と繁栄の支柱となった事実も重い。
 現憲法は戦争への反省を踏まえた「国際公約」としての性格も帯び、改憲には広範な説明責任を伴う。そのことも忘れてはならない。


2015年05月03日日曜日

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