田原総一朗×若宮啓文(朝日新聞元主筆)  憲法記念日スペシャル対談 前編 「安倍叩きは朝日新聞の社是」発言の真実

2015年05月02日(土) 田原総一朗
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朝日の上層部も「最大のライバル新聞」のような傾向に

田原: 朝日新聞のライバルの勢力はそうしたいわけです。これは若宮さんには責任がないんだけど、2014年の8月5日にちゃんと謝罪しておけばそれでよかったのに、と思うんですよ。

若宮: あそこで謝罪とセットで、その上で「さはさりながら」ということで慰安婦問題の議論を展開していればそれでよかったわけですよ。ところが謝罪がなかったから、あんなことになってしまった。

田原: なんで謝罪を切っちゃったんですか? 僕が参加した第三者委員会でヒアリングしたところによると、最初の段階ではちゃんと謝罪が入っていたんですよ。途中で謝罪を切っちゃったんです。

若宮: 田原さんは第三者委員会で検証していたから、私よりもむしろ事情に詳しいと思いますが、第三者委員会の結論でも「謝罪しなかったのは上層部の判断だった」ということだったでしょう。だからそれは上が判断を間違えたんですよ。これを謝罪すると、今言ったように慰安婦問題全体が葬られてしまうのではないかと、そういうふうに思ったんでしょうね。

だけど、それは逆ですよ。間違えたところはきちんと謝っておけばこんなことにはなっていなかったわけです。しかも、池上彰さんが朝日新聞の連載コラムで「間違っていたのなら謝罪もすべきだ」と指摘したら、それを掲載拒否するということで、そこでもまた判断を間違えたわけですね。

田原:あのコラムについても、現場のデスクや編集局長も掲載するつもりだったのが、もっと上のほうからやめろと言ってきたというのがね(笑)。何でしょうね、それが朝日新聞の体質だとは言わないけれども、どこの新聞社でもそういうことがあるんですかね?

若宮: それはもう、朝日のライバル社なんか、上の一言でどうにでもなるじゃないですか。最大のライバル社のあの新聞ですけどね(笑)。そういうのは、朝日新聞にはないはずだったんです。だから私がすごく残念なのは、段々そういう傾向が出てきたんじゃないかということなんです。もっとも朝日のトップはライバル社のトップほどの権力者じゃないんですよ、だから失敗したんで(笑)。

だけど、私が体質的にすごく危惧しているのは、かつての朝日新聞というのはもっと自由闊達な議論があって、上が何を言おうと「何を言ってるんだ」と反抗するような気風がもっとあったと思うんです。そういう気風が最近失われてきているのではないか、と。

田原:あえて言うなら、2014年の8月、9月の時期を経てから、ちょっと朝日の記事は生彩を欠いているんですよね。

後編に続く

若宮 啓文(わかみや よしぶみ)
(公)日本国際交流センター・シニアフェロー。
1948年生まれ。東京大学法学部卒業、朝日新聞政治部長、論説主幹、主筆を経て、現職。その間、ブルッキングス研究所客員研究員、慶應義塾大学・龍谷大学・韓国東西大学の客員教授・ソウル大学日本研究所研究員を歴任。日韓フォーラム幹事。
主要著作に、『戦後70年 保守のアジア観 』(朝日新聞出版、2014年)、『新聞記者―現代史を記録する』(ちくまプリマー新書、2013年)、『闘う社説―朝日新聞論説委員室2000日の記 録』(講談社、2008年)、『韓国と日本国』(共著、朝日新聞社、2004年)、『忘れられない国会論戦―再軍備から公害問題まで』(中公新書、 1994年)、など。『日韓の未来をつくる 韓国知識人との対話』(若宮啓文著・慶應義塾大学出版会刊)が5月23日発売予定
田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。
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