その日は、夜来の雨に風が加わる寒い日だった。

 それでも1947年5月3日、皇居前広場には1万人が集い、新憲法の施行を祝った。

 朝日新聞はこう伝えた。「おのおのの人がきょうの感慨に包まれながら来る中に、わけて嬉(うれ)しげに見えるのはその権利を封建の圧制から解き放たれた女性の輝かしい顔である」

■またも「裏口」から

 それから68年。安倍政権は再来年の通常国会までには憲法改正案を国会で発議し、国民投票に持ち込む構えだ。

 自民、公明の与党は衆院で発議に必要な3分の2の勢力を持つが、参院では届かない。このため自民党が描いているのが「2段階戦略」だ。

 自民党の最大の狙いは9条改正だ。だが、国会にも世論にも根強い反対があり、改正は難しい。そこで、まずは野党の賛同も得て、大災害などに備える緊急事態条項や環境権といった国民の抵抗が少なそうな項目を加える改正を実現させる。9条に取り組むのは、その次だ。

 「憲法改正を国民に1回味わってもらう」という、いわゆる「お試し改憲」論である。

 安倍氏は首相に返り咲くと、過半数の賛成で改憲案を発議できるようにする96条改正を唱えた。ところが、内容より先に改正手続きを緩めるのは「裏口入学」との批判が強まった。

 9条改正を背後に隠した「お試し改憲」もまた、形を変えた裏口入学ではないか。

 このところ国会で、首相はこんな答弁を繰り返している。

 「これは占領軍がつくった憲法であったことは間違いない」「(GHQの)25人の委員が、全くの素人が選ばれて、たったの8日間でつくられたのが事実であります」

 「押しつけ憲法論」である。GHQのやり方は時に強引だったし、首相のいうような場面もあったろう。ただ、それは新憲法制定をめぐる様々な事実のひとつの側面でしかない。

■だれへの「押しつけ」か

 GHQが憲法草案づくりに直々に乗り出したのは、当初の日本側の案が、天皇主権の明治憲法とあまり変わらぬ代物だったからだ。

 GHQ案には西欧の人権思想だけでなく、明治の自由民権運動での様々な民間草案や、その思想を昭和に受け継いだ在野の「憲法研究会」の案など国内における下地もあった。

 古関彰一独協大名誉教授によると、敗戦による主権制限としての戦争放棄という当初の9条案に、帝国議会の議論によって平和を世界に広める積極的な意味合いが加えられていった。

 GHQ案にはなかった「生存権」が盛り込まれたのも、議員の発案からだ。

 憲法が一から十まで米国製というわけではないし、首相も誇る戦後の平和国家としての歩みを支えてきたのは、9条とともに国民に根をはった平和主義であることは間違いない。

 一方で天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は「押しつけ」だったのだろう。

 この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を「輝かしい顔」で歓迎した国民の側に立つか、「仏頂面」で受け入れた旧指導層の側に立つかによって分かれるのではないか。

■棄権でなく拒否権を

 自民党が2012年にまとめた改正草案の9条は、集団的自衛権を認め、自衛隊を「国防軍」に改めている。

 また、「生命、自由及び幸福追求」や「表現の自由」などの国民の権利には、「公益及び公の秩序」に反しない限りという留保がつけられている。これでは天皇によって法律の範囲内で恩恵的に認められた明治憲法下の人権保障と変わらない。

 自民党幹部は草案がそのまま実現するとは思っていないというが、同党が理想とする憲法像を映しているのは間違いない。

 安倍政権はすでに集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、自衛隊の活動を地球規模に広げる安保関連法案を用意している。報道や学問の自由などお構いなしに放送局に介入し、国立大学に国旗・国歌に関する「要請」をしようとしている。

 党の草案がめざすところを、改憲を待つまでもなく実行に移そうというのだろうか。

 昨年の9条の解釈変更から明文改憲へと向かう自民党の試みは、権力への縛りを国民への縛りに変えてしまう立憲主義の逆転にほかならない。名実ともに選挙に勝てば何でもできる体制づくりとも言える。

 憲法を一言一句直してはならないというわけではない。だがこんな「上からの改憲運動」は受け入れられない。政治に背を向け選挙に棄権しているばかりでは、この動きはいつの間にか既成事実となってしまう。

 戦後70年。いま必要なのは、時代に逆行する動きに、明確に拒否の意思を示すことだ。