独島:1878年、日本海軍は竹島の位置すら知らなかった

1878年に日本海軍が行った鬱陵島初測量の日誌を発掘

独島:1878年、日本海軍は竹島の位置すら知らなかった

 「竹島は英国版の海図に出ているが、日本陸軍が刊行した朝鮮全図には簡略な形で載っている。そこで『竹島』に向かったが、いまだに目にすることができなかった。同島まで6里(2.4キロ〈原文ママ〉)の位置から、晴れた日に見通すこともできなかった。こうしてみると、島は存在しないと決定しても大きな害はないだろう」

 これは、1878年に日本海軍水路局が軍艦「天城」を用いて東海(日本海)一帯で初めて行った公式測量の結果報告書に登場する一文だ。当時日本海軍は「竹島」について、鬱陵島の北西にある架空の島と誤解しており、1878年の初測量でようやく誤りを訂正した、という研究結果が発表された。東国大学歴史教育学科の韓哲昊(ハン・チョルホ)教授は、28日に開かれる韓国独立運動史研究所の月例発表会に先立ち、「日本海軍水路局の天城艦による鬱陵島初測量と独島認識」というタイトルの論文を提出した。韓教授は、当時「天城」の艦長を務めていた松村安種の『朝鮮東岸水路誌』と測量日誌を防衛省防衛研究所で発見し、公開した。現在、日本は「竹島」を日本領と主張しているが、およそ130年前は、島の正確な位置すら知らなかったのだ。

 1875年に日本が作った「朝鮮全図」などでは、鬱陵島が「松島」、鬱陵島の北西にある架空の島が「竹島」と表記されるケースが少なくなかった。韓教授は「日本は、ロシアや英国の地図を受け入れる過程で、英国の探検家ジェームス・コルネット(1753-1806)が鬱陵島北西に存在すると誤って表記した『アルゴノート島』を『竹島』と誤認した」と説明した。1876年の江華島条約(日朝修好条規)締結後、日本は開港地を物色するため「天城」を東海に派遣して測量作業を行い、それでようやく混同を訂正したという。この『水路誌』に、鬱陵島は「松島」の名で載っているが、独島(日本名:竹島)は表記されていない。

 韓教授は「1878年の天城による鬱陵島の測量作業は、その後、日本政府が鬱陵島と独島を『母子関係』と見なし朝鮮領と認識する契機になったという点で、重要な意味を持つ」と語った。

キム・ソンヒョン記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 独島:1878年、日本海軍は竹島の位置すら知らなかった

right

関連ニュース