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NHK柳澤さん、「後藤さんとの思い出」を語る

東洋経済オンライン 5月2日(土)4時50分配信

 後藤健二さん殺害が報道されたのは2月1日(日)早朝だった。翌2日(月)の朝、後藤さんと親交があったNHKの柳澤秀夫解説委員はコメンテーターを務める情報番組「あさイチ」の冒頭でコメント。柳澤さんの言葉はネット記事が引用して大反響を呼び、2日間で500万人以上が読む異例の事態となり、新聞記事でニュースにもなった。

インタビューに答える柳澤秀夫さんの写真はこちら

2月2日「あさイチ」冒頭の柳澤秀夫解説委員のコメント
冒頭なんですけど、すみません。昨日から今日にかけて大きいニュースになってきた後藤健二さんなんですけど、ちょっと、あえて、冒頭で、一言だけ……。
僕も後藤さんとはおつきあいがあったものですから、一番、いま、強く思っていることは、ニュースではテロ対策とか過激派対策とか、あるいは日本人をどうやって守ればいいか、が声高に議論され始めているんだけど、ここで一番、僕らが考えなきゃいけないことというのは、後藤健二さんが一体、何を伝えようとしていたのか、ということ。
戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人がそれに巻き込まれて、つらい思いをするということを、彼は一生懸命に伝えようとしていたんじゃないか。それを考えることが、ある意味で言うと、こういった事件を今後、繰り返さないための糸口が見えるかもしれない……。
われわれ一人ひとりにできることというのはものすごい限界があるんですけど、この機会にそういうことを真剣に考えてみてもいいのでは……。
それが後藤さんが一番、望んでいることじゃないか。そう思ったものですから、冒頭なんですけど、ちょっとお話をさせてもらいました。

 「あさイチ」の冒頭。わずか1分あまりの短いコメントだったが、多くの人たちの共感を呼んだ。 

 柳澤さんは1990年から1991年にかけての湾岸戦争当時、数少ない西側諸国の特派員としてイラクに残ってレポートした。アメリカを中心とした多国籍軍が空爆した後の様子をイラク当局による検閲を受けながら英語で伝えた記者レポートは、各局のテレビ記者たちの間で今も語りぐさになっている。 

 このコメントの件でメディア取材は受けてこなかった柳澤さんだが、『GALAC』の取材はとインタビューに応じてくれた。

■ 撮ってきたものが出ることが大切

 ──後藤健二さんとはどのようなお仕事をされましたか? 

 2003年のイラク戦争で後藤君がクルド地域などを取材した素材を持ち込んで、NHKで番組化したのが彼と仕事でつきあうきっかけでした。でもその前にも何かの勉強会で彼から話しかけられて、紛争地取材とはどんなものか? と言葉を交わしたのが最初で、2000年より少し前だったと思います。

 それから9・11、アフガニスタン、イラクと取材したものをNHKに持ち込んで番組で作品化する時に、すれ違いざまに会話をしました。一番仕事の密度が濃かったのは、イラク戦争が始まってからの数年間ですね。

 ──後藤さんのエピソードで一番心に残っているのは? 

 一番、僕が思うのは、後藤君というのはこういう事件の後でメディアのフォーカスが当たって、ある意味で言うと、英雄視されたり、神格化されるような雰囲気があるけど、そういうふうに言われるのを一番快く思っていないんじゃないかなってことです。

 非常に控え目だったし、自分がこういうことになって、まわりから、自分のやってきたことを評価されるのはうれしいにしても、それ以上に持ち上げられることを、僕が知っている後藤君だったら、嫌がったんじゃないかな。きっと今会ったら、なんか頭掻きながら、「あー、やっちゃった〜」とか「どじ踏んじゃった〜」と言うぐらいの人だったというイメージを持っていました。なので「あさイチ」のなかでも、ああいうコメントをしました。

 彼は「撮ってきたものが出ることが大切なんだ」と自分自身がテレビに出ることやリポートすることにはこだわらなかった。「撮ってきたものが今のイラクの実状を伝えるものであればそれでいいんです」と言っていました。自分で向き合っている紛争地、戦争の現実を取材する上での心意気を、そうした言葉から強く感じたことがあります。

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最終更新:5月2日(土)12時15分

東洋経済オンライン

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