2015年05月01日

ハイプレスが起こす恩恵と弊害/モンテディオ山形が得たもの 清水エスパルスが失ったもの

モンテディオ山形の戦い方はハイプレスが生命線である。

一方で清水エスパルスもハイプレスが生命線である(らしい)。


この試合で分かれた差。
そして試合後に生まれた両チームの空気。

これが意味するもの。

それが分かるとき。果たしてこの2チームはどんな結末を迎えるのだろうか。

■山形のプレスと捨てられた左サイド 立ち上がりからハイプレスを仕掛けてくる山形はポイントを押さえてボールを狩りに来る。

山形がハイプレスを仕掛けるうえでターゲットにしたのはヤコヴィッチだ。 ヤコヴィッチは足元が非常に落ち着いている。組立が抜群にうまい。ただ彼には欠点がある。パスを出すのに狙いすぎることがあるのだ。

ヤコヴィッチにボールが入るたびに1トップに入ったディエゴが猛プレスで追っかける。そしてシャドーの1枚が挟みにかかる。局面を2対1にする。そしてヤコヴィッチに対し最もサポートに入る立場である枝村には左WBの選手が、竹内にはロメロ・フランクがマークをする。

ただ右ストッパーの位置に入ったヤコヴィッチにこれだけ行くと、当然のことながら逆サイドには人がいなくなる。しかしこれは山形にとっては計算内だろう。なぜなら左ストッパーの村松と左WBのデュークはボールを保持しても怖くはないからだ。

以前のハイプレスは、足元に弱い選手ほどターゲットにされてきた。ゴトビ体制でアンカーとして起用された村松は常に標的とされてきた。しかし今は違う。足元が弱い選手はシカトされるようになった。

足元が強い選手には自由を許してはならない。そのためには数的優位に立つことが条件となる。しかしそうなると、相手の誰かをフリーにさぜるを得ない。この時えらばれるのは、大抵足元に弱い選手だ。そこで考え方が変わる。足元に弱さを見せる選手に行ってもスタミナの浪費になると。

ヤコヴィッチという組立で影響力ある選手を潰したことで山形はリズムを徐々に掴んでいった。


■左サイド攻防戦 エスパルスの得点はいずれもセットプレーが起点であった。そしてそのセットプレーは左サイドで生まれている。

山形はヤコヴィッチを潰すため、エスパルスの右サイドに人数を掛けていた。いくら左が怖くなくても人数が揃わなければ崩されることはある。 エスパルスが左サイドの攻防戦を制するために行ったのは、キープ力あるウタカをサイドに出し、右サイドに寄り過ぎている山形DF陣のバランスを崩すことだ。

ウタカが空けたスペースにデュークが走りこむことで、彼の良さであるダイナミズムが生まれる。前半にはこの2人が何度もチャンスを作っていた。

ここを支配できなくなった後半は当然といえるだろう、ピッチ上すべてを支配されることになった。ウタカが去ったあとだ。

そしてゲームを支配できない理由として、エスパルスのハイプレス、そして相手から受けるハイプレスに対する対策が万全でなかったことも挙げられる。


■連動しないハイプレス 以前、記事でこんなことを書いた。

前から行くプレスは、ピッチ上のフィールドプレーヤーすべてが連動してやっと成り立ちます。 1列目が行くなら2列目はそのカバー。2列目に合わせて3列目が動き、そして最終ラインも動かなくてはなりません
清水エスパルスの向かう方向と未来に対して

エスパルスのハイプレスはどうだろうか。答えは分かるだろう。1人1人バラバラな動きをしており、何を狙いにプレスをしているのかがわからない。ただボールを追っかけているだけなのでスタミナが浪費、無駄走りを何度も繰り返している。

山形のように、極端ではあるがヤコヴィッチをターゲットにしたプレスならチームとしての狙いがわかる。誰も無駄に走っていない。

誰も連動せずただただボールを追っかけているのなら、それはもう回されて終わりだ。プレスを仕掛けるなら、どこから始め、どこで奪い、どこでボールを回収するのか。それが具体的で且つ、論理的でなければならない。

エスパルスはどこで奪いたいのだろうか。 この試合でなくとも、今シーズンのここまで全試合で必ず観れるシーンがある。

相手が最終ラインでボールを回す。1トップがそのボールを追っかける。

そして今回の例はトップ下だが、2列目の選手が「ここだ!」と決めて一気にプレスを仕掛ける。 この時に相手のボランチを空けてしまい、ボランチがびっくりした顔で、相手ボランチにプレスを掛ける。

これは連動していると言えるだろうか。100人に聞いても100人が「NO」と答える。 全てが後手に回っており、とても奪えるとは思えない。これを繰り返すのであるなら今すぐにでもハイプレスは止めるべきだ。


■ハイプレスをする理由 昨年の川崎戦後、こんな記事があった。

【J1コラム】果敢か、無謀か…「元祖王国」の矜持は大榎と仲間たちをどこへ導くのか

この記事によれば、残留争いに身を投じるチームはリスクを冒してはならない。といっている。あの時は、「今はこれしか戦う道はないんだ!」って思ったけど、今考えるとこの記事は正論を言っている。 2008年。シーズン途中にジュビロの監督に就任したハンス・オフトはこれからの戦い方を問われ「ノーリスクだ」といった。残留争いはミス1回が命取りだ。1つ間違えるだけで取り返しのつかないことになってしまう。

ハイプレスは最もリスクのある守備だ。残留争いのチームがこんな戦い方をすることはセオリーから外れる。 なぜリスクがあるのか。それはゴール前にスペースを生み出してしまうからだ。

ミランのプレッシングが衝撃的だったのは、それまでとは比較にならないほどアグレッシブに高い位置から組織的なプレッシャーをかけていったからだ。これまでまったく経験したことがない新しい戦術だったため、どの対戦相手も大きな困難に陥った。だが、一旦それに慣れて対応策が編み出されると、導入当初のアドバンテージは小さくなり、逆に最終ライン背後のスペースを衝かれやすいというリスクの方がクローズアップされるようになる。
アンチェロッティの戦術ノート 著者 カルロ・アンチェロッティ 発行 河出書房新社 76頁より引用

今ではハイプレスは「効率のいいアグレッシブな守備」ではなく、「裏に広大なスペースを生んでしまうハイリスクな守備」となっている。 ピッチ上に立つすべての選手が連動していないとハイプレスは成り立たない。たった1人でもセオリーから外れた動きをすればすべてが台無しとなる。

清水エスパルスとモンテディオ山形。ドローという結果だが、両チームの差ははっきりしていた。 山形は狙いを持ったプレスをする。運動量に不安があるディエゴは、「ヤコヴィッチ封じ」という守備しかしなかった。やることはとてもシンプルだが、なぜか彼の守備は目立つ。それはとても効率がいいからだ。

一方でエスパルス。ハイプレスが全く組織的ではない。いつでも狙いを定めず、永遠にボールを追っかける。

「ボールを失ったFWが、いきなり自陣ゴール前まで走って戻りますか?戻らないですよね」 極論から始めるのは、ちょっとクライフと似ていると思った。クライフとレシャックは、彼らのサッカーを共有していた。レシャックが立ち上がって守備の話を始めたとき、それはまさにバルサTVで見たクライフと同じだった。 「この部屋を1人で守れといわれたら、もう歳をとってしまった私には無理だ。しかし、このソファの幅だけなら今でも守れる」 レシャックが言いたいのは、前から守ればいいということ。そして、全体をそれにあわせていけば守る面積が小さくなる、つまりコンパクトな前進守備について話そうとしていた。
サッカーバルセロナ戦術アナライズ 最強チームのセオリーを読み解く 著者 西部謙司 発行 KANZEN 148項より引用

エスパルスのハイプレスは1人1人のエリアが広い。いや、正確に言うとエリアが決まっていない。そのため全体がコンパクトではないのでかなりの穴ができている。だから、おそらく大榎がFWに対して「最終ラインまで戻って守備しろ」って言ったらマジで行きそう。それが1番怖い。

ハイプレスは確かにアグレッシブに行くためにはいい守備戦術かもしれない。しかしこれにどっぷりハマってはいけない。「どんどん前からいけ!」というならそれはハイプレスの中毒である。「走れ走れ走れ!追いかけろ追いかけろ追いかけろ!」というのならそれはもう重症レベル。構えるのが守備の基本だ。だからある意味ノヴァコヴィッチとウタカは中途半端なハイプレス戦術の最大の被害者である。賢い守備をしているのに周りが追っかけるから守備してねぇとみられる。悲しい。


モンテディオ山形がこの試合で得たのは勝者と同じ価値の「勝ち点1」。

清水エスパルスがこの試合で失ったのは「勝ち点2」。

大榎が守備的になりたくないを理由に澤田を入れた。気持ちはわかる。大榎の信念は曲がらなかった。 しかし結果論ではあるが、これは完全な采配ミスだった。開幕戦以降勝てていないという現実。5連敗中という泥沼の中。そして、残り5分で澤田に何を期待できるのか。時間が短すぎた。現状を踏まえた上で采配しないと灯は近い未来に必ず消える。だからノーリスク。次の柏レイソル戦、そしてホームのサガン鳥栖戦ではこれ以上あらゆるものを失ってはいけない。

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