日本銀行がデフレ脱却をめざして2年前に掲げた「インフレ目標」を達成できなかった。日銀が30日に公表した「経済・物価情勢の展望」(展望リポート)で、物価上昇率2%の達成時期を「2016年度前半頃」とし、1年以上先延ばしした。

 足元の消費者物価は、食料やエネルギーを除くベースで前年からの伸びはほぼゼロ。物価が急に上がりはじめる兆候はなく、日銀の修正目標でさえ実現はかなり厳しいだろう。

 この目標は必要なのだろうか。日銀が最終的にめざすのは「経済の好循環」のはずなのに、そうはなっていない。

 人々がモノやサービスをたくさん買い求めるようになれば、多くの企業の業績が上向く。それが賃上げや投資の増加につながり、物価は自然と上がる。

 こうした動きを生むために、日銀はインフレ目標を掲げて物価が上がるまで金融緩和を続けると宣言し、人々が「安いうちに買っておこう」と行動するよう促した。

 しかし、実需は盛り上がらず、物価も目標に届かない。おまけに賃金は物価ほど上がっていないから、家計はむしろ苦しくなっている。

■「豊かさ」とは無関係

 日銀が市場に流し込んでいるお金の量は2年前と比べ2倍以上の規模だ。この大胆で実験的な手法によって日本経済はどう変わったのだろうか。

 実は、いくら大規模な金融緩和をしても、日本の名目GDPはバブル崩壊後の1990年代前半からほぼ横ばいで推移している。米国も同じで、金融危機に見舞われた8年前から量的緩和の規模ほどには成長率が高まらなくなっている。

 国民の経済的豊かさを比べる指標のひとつ、ドル建ての1人当たり名目GDPはどうか。

 日本は90年代に3~4位だったこともあるが、13年に経済協力開発機構(OECD)加盟国34カ国中で19位と、前年(13位)からも後退した。その後の円安を考慮すると順位はさらに下がっている可能性がある。

 大規模な金融緩和を進めても結果として日本国民は海外の人々に豊かさの点で差をつけられているのである。

■「長期停滞」に効くか

 それほど効果がみられないなら、この政策を続ける意味はあるのか。

 米国ではいま、サマーズ元財務長官とバーナンキ前連邦準備制度理事会議長の間で興味深い論争が続いている。

 サマーズ氏は、先進国は高齢化で人々が消費せずお金を貯蓄に回し、需要が不足する構造問題に陥っていると、世界経済の「長期停滞論」を唱えている。一方、米国で量的緩和を主導したバーナンキ氏は、金融緩和で低金利が続けば、やがて投資が回復すると言い、量的緩和の効用を訴えている。

 この論争に決着はついていないが、世界経済の現状を見る限りサマーズ氏の主張に分があるように見える。日本を追うように欧州ではデフレ基調になっている。回復期待が高まっていた米国経済も、ここにきて減速の懸念が高まっている。

 中国などの新興国経済も、日米など先進国の緩和マネーの流入も手伝って、ここ10年あまり高成長に沸いていたが、かげりが生じている。

 成熟社会を迎えた先進国が実需が盛り上がりにくい低成長の時代を迎えているとすれば、インフレ目標を掲げること自体に無理があるのではないか。

■副作用や混乱を防げ

 しかもその政策にともなう副作用、将来支払わされる代償の大きさは、国民が気づかないうちに次第にふくらんでいる。

 日銀はいま、量的緩和政策の一環として毎年80兆円規模で国債を買い増している。それは政府の新規国債発行額の2倍の規模だ。これは事実上、政府予算を日銀がまかなう財政ファイナンスといえる。その色彩がますます強まっている。

 財政は日銀の緩和政策をよりどころにすることで、毎年度の予算額を増やしたり、消費増税を延期したりすることが可能になった。それが財政規律を弱め、この国の財政を再建不能な領域に向かわせている。

 量的緩和政策を永久に続けることはできない。近い将来そこから脱却するときが必ずくる。そのときには金利急騰や急激なインフレといった混乱が生じる可能性がある。あるいは突然の財政危機や大増税など、何らかの形で痛みを受け入れなければならないかもしれない。

 国民生活に及ぼすショックを少しでも和らげるために、インフレ目標と量的緩和の政策から一刻も早く脱するために動き始める必要があるのではないか。

 いまのままでは2%達成もできず、痛みを恐れて脱却もできない「緩和の罠(わな)」から逃れられなくなる。行き着く先でどのような代償を求められるのかさえわからないギャンブルに、国民生活を賭けることはできない。