文・進藤健一 写真・山本和生
2015年5月2日00時15分
【アーカイブ 2013年3月2日】
「俺たちは十分稼いでいるだろ。ギャラを上げてくれないか」
「そいつはできない相談だ。嫌なら出て行くんだな」
「ふざけるな!」
1960年春、ニューヨーク・マンハッタンの音楽事務所。ベンジャミン・R・ネルソン(愛称ベン)さん(74)はののしりながらドアを蹴破るように、まだ肌寒いハーレムの街に飛び出した。ベンさんは当時、「ラストダンスは私に」などのヒットを飛ばすリズム・アンド・ブルース(R&B)のボーカル・グループ、ザ・ドリフターズのリードシンガー。報酬の取り分に不満なメンバーたちの声を代弁し、マネジャーのジョージ・トリードウェル(故人)と交渉したが、一蹴されてしまったのだ。
険悪な気配に、慌てて後を追ってきた男がベンさんを押しとどめる。「落ち着け。やめちゃダメだ」。彼の才能を10代の頃から見いだし、ドリフターズでもロードマネジャーを務め、兄貴分的な存在のラヴァー・パターソン(故人)だった。
「当然自分の側につくと信じていた他のメンバーは知らんぷり。裏切られた思いだった。でもそれが人生さ」とベンさん。
たもとを分かつには心残りが一つあった。新婚の妻ベティさん(71)に「僕のそばにいて」と伝えるメッセージソングを書き下ろしたばかりだった。「何とか形にしたかった」。パターソンの仲介で、マネジャーをなだめ、この曲をドリフターズとして録音するためのリハーサルまでこぎ着ける。だが、マネジャーとの亀裂は、想像以上に広がっていた。その場しのぎで曲を聴いたマネジャーは、冷たく言い放った。
「この曲はいらないな」
その瞬間、ベンさんは闇に突き落とされるのを感じた。ドリフターズへの復帰も、グループでの新曲発表も断ち切る一言だった。足取り重く家路につくベンさんを勇気づけるようにパターソンは言った。「だったらソロでやったらいいさ」
その年、ベンさんはパターソンをマネジャーに迎え、ベン・E・キングの名でソロシンガーに。デビュー2曲目で、日の目を見なかったこの曲を世に問うことになる。「スタンド・バイ・ミー」だ。
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